*******************************************
Season10 気持ちが動く瞬間-14-
*******************************************
「食う?」
笑いを押し殺しながら、蒼吾くんがメロンパンを差し出した。
「いいよ…」
「昼飯、まだなんだろ?」
「う、ん…」
「自分の身を犠牲にしてまで、涼が持たせてくれたんだし、食ってけば?」
今頃、無残に切り取られたのが数学の問題用紙だったということに気付いて、守口くんは青くなってるかもしれない。
「だから、な? 食ってけよ」
無理矢理、手にメロンパンが握らされた。
手のひらを広げたよりもおっきなメロンパン。
こんなにも食べられっこないよ。
「お…! ご丁寧に牛乳も2つ入ってるじゃん」
どっちがい? って、私の前にトンってパックを並べる。
高原牛乳といちご牛乳。
「…じゃあ…」
私は苺の絵の描かれたピンクのパックを受け取って、ありがとうってお礼を言うと。
コンクリートの地面の上に、鞄の中に入っていた花柄のハンドタオルを敷いてそこに腰を降ろした。
すぐそばで蒼吾くんが、ガサガサとレジ袋の中身を物色して、焼きそばパンを取り出した。
「…夏木くん、それ…」
「ん? こっちのがいいか?」
替えちゃるぞ? と、袋を開けかけた焼きそばパンを突き出す。
そうじゃなくて……。
「さっき、お弁当食べてなかったっけ…?」
まだ食べるの?
「食ったよ? でも、あんなもんじゃ足りねーよ。これから部活だし」
そう言ってビニール袋を破り捨てると、豪快にかぶりついた。
まるでブラックホールにでも吸い込まれていくかのように、焼きそばパンがむしゃむしゃと蒼吾くんの胃袋の中に吸い込まれていく。
背は高いけど、体格は比較的細身。
無駄なぜい肉とか付いてなくて、筋肉で構成されてるって感じ。
典型的なスポーツマン体型。
これだけ食べるカロリーが消費されてしまうくらいに動いてるんだ…。
そういえば。
野球部で活躍している蒼吾くんを、高校に上がってからは、一度も見たことがない気がする…。
結局、私がメロンパンを半個も食べ終わらないうちに。
蒼吾くんは、焼きそばパンと、ウインナーロール、三角蒸しパンをペロリと平らげてしまった。
最後に残っていた牛乳を一気に飲みほして、ぺこっと凹んだ牛乳パックをコンクリートの上に置いた。
…あれ?
「ごちそーさんっ」
満足そうな笑顔を浮かべて胡座をかく。
「どした?」
食べるのが止まってしまった私を覗き込んだ。
「…夏木くんって……、牛乳、嫌いじゃなかったっけ?」
記憶の片隅にある、蒼吾くんの牛乳嫌い。
小学校の給食は、いつも一番先に飲んでた。
顔をぎゅっとしかめて一気飲み。
「あー…。
昔は嫌いだったけど、今は普通に飲むよ? つーか、毎朝、牛乳だし」
「…克服したんだ、牛乳嫌い」
「昔、チビだったからな。それが嫌で、死ぬほど牛乳を飲んだ。オレの身長は牛乳で伸びたんだよ、たぶん…」
小学校時代の蒼吾くんの身長は低かった。
前から数えた方が早いくらい。
今の彼からは想像できないけれど。
「…な」
「うん?」
「…なんで、園田が知ってんの? オレが牛乳、嫌いだったの」
え?
「だっ、て……」
給食の時間、いつも隣の席で嫌そうに飲んでたから…。
「オレ、『牛乳嫌いだからチビなんだろ』って言われるのが嫌だったから、残したことねぇし、嫌いだなんてひと言も言ったことねぇんだけど…」
…あ…。
「…なんで、園田が知ってんの?」
…なんで、って…。
あの頃、蒼吾くんが好きだったから。
いつも見てたから。
だから、知ってるんだよ…。
──────なんて、言えるはずがない…。
…どうしよう…。
カサリ、ってそばにあった袋が音を立てた。
「…なんで?」
蒼吾くんが顔を覗き込んだ。
すごく、近くで。
トクトクトクトク…って、鼓動が早くなって、真冬なのに汗が流れ落ちた。
どうしよう。
私、きっと、…真っ赤だ…。
「…その、………凪ちゃんが、言ってたから……」
とっさに出た、もっともらしい言い訳。
しばらく、気まずい沈黙が続いた後。
「…ふ〜ん…」
あいつか、って。
妙に納得したような言葉が帰ってきて。
「…な〜んだ…」
ちょっと拗ねたように、蒼吾くんが口を尖らせた。
小さく肩を落として、食べ散らかしたパンの袋を乱暴にレジ袋に詰め込みながら、蒼吾くんがぼそっと口にした。
「ちょっとでもオレのこと、見ててくれたのかと思った……」
カーーーーッって。
頭のてっぺんからつま先まで、体温が上昇した。
手にしていたメロンパンが、ぎゅって握りしめられて潰れてしまう。
「そんなの…っ、違…っ」
心の奥を見透かされたような気がして、うまく言葉が紡げない。
違わないけど、違うの。
何て言ったらいいのか…。
「そんな全身で否定すんなよ。ちゃんとわかってるから」
「でも…っ」
「そうだったらいいよなって、オレの願望。オレはそうやっていつも見てたから、園田のこと」
鼓動が一気に加速した。
握りしめたハートの紙がやけにリアル。
たぶん。
ううん、きっと。
間違いなく私の顔は茹で蛸のように真っ赤だ。
それを思うと、ますます体温が上がってしまう。
そんな私の頭を蒼吾くんがポン、って。
軽く叩いた。
「オレ、部活行ってくるわ。もう時間ねーし」
制服のズボンを軽く叩いて立ち上がる。
「園田、どうする? まだ、ここで食ってる?」
こくり、と。
俯いたまま、私は深く頷いた。
食べかけのメロンパンは、まだ半分も終わってない。
「じゃあな。あんまり長くいて、風邪引くなよ?」
「…うん……」
「またな」
「…またね」
でっかく手を振る蒼吾くんを見送って、校舎の中へ消えて行く背中が見えなくなったとたん。
体から、へなへなと力が抜けていった。
体の熱が、ちっとも引かない。
握りしめたメロンパンは、端っこがぎゅって潰れたまま。
私の手の中に握られている。
少しずつ、少しずつだけど。
緩やかに気持ちが流れていってるのがわかる。
その微妙な心の波が、何ていうものなのかも知ってる。
でも。
それを認めてしまうのはまだ、早い気がして。
踏み出すことができない。
弱虫な私はいつも、最初の一歩を踏み出すのに勇気がいるんだ…。
「────こぉらっ!!夏木っ!!遅刻だろーがっ」
グラウンドからひたすらでっかい声が聞こえてきて、思わず立ち上がってフェンスの向こうのグラウンドを見下ろした。
真っ白な野球部のユニフォームに着替えた蒼吾くんが、グラウンドの端っこで上級生に怒られてる。
「一年は30分前に来て、グランド整備だっていつも言ってるだろッ?」
途切れ途切れに聞こえてくる上級生の叱咤の声。
いつもの彼なら、ひとことふたこと文句を言って返すのに。
ただ真っ直ぐ前を向いて「はいっ」と素直に受け入れる。
野球部の上級生は散々、叱り飛ばした後、何かひと言呟いて、グラウンドの奥へ消えて行った。
その後姿に野球帽を脱いでペコリと頭を下げると、また、それを深く被りなおす。
グラウンドを見つめる蒼吾くんの瞳は、どこまでも真っ直ぐで。
そんな彼を見ていたら。
胸の奥が、きゅってなった。
そのまま空を見上げた蒼吾くんは、何かを探すように視線を泳がせて、それは屋上で止まった。
私を見つけて笑う。
─────── オレはそうやっていつも見てたから、園田のこと ───────
さっきの言葉を思い出して。
トクン、と気持ちが跳ねた。
先に来てグラウンドを整備していたチームメートのひとりが駆け寄ってきて。
背後からガッ、って、蒼吾くんを羽交い絞めにした。
それを同じようにやり返してまた、こっちを指差す。
私を見つけたチームメイトのひとり、守口くんが。
野球帽を脱いで大きく手を振った。
目で。
耳で。
彼を追う。
そうしたら、驚くぐらいぶつかるの。
蒼吾くんの視線と…────。
知らなかった。
こんなにも蒼吾くんが、私を見てくれてたなんて。
気付きもしなかった…。
人が人を好きになる些細なきっかけ。
どうして蒼吾くんは、私なんかを好きになったんだろう────。
NEXT→