「寺島、ムカつくんだよーーーーぉッ!! バカー! 人でなしー!! 」
屋上フェンスにへばりついて、グラウンドに向かって腹の内を思い切りぶちまける。
「奈津…。やめときなって」
本人が聞いてたらどぉすんのー?ますます嫌われちゃうよぉ?」
聞こえてるなら本望。
のれんに腕押し。ぬかに釘。馬の耳に念仏とはこのことだ。
寺島獲得に向けて動き出したあたしは。
ことごとくかわされて、うざがられて、無視されて。
しまいには「半径1メートル以内に寄るな! しゃべりかけんな!」と。
絶交宣言を言い渡される始末。
半径1メートルなんて、どう考えたって無理じゃん。
アンタとあたし。
席が前後なんだからさ。
今はもう、アイツの名前を聞くだけで腹が立つ。
金髪見たら、殴りかかりたくなる。
重症だ。
「で? キャプテンに聞いたの? 寺島スカウトの理由」
「聞いたよ」
「なんて?」
「…そんなもん、自分で調べろって」
人を頼るな。自力で調べろ。
チームに貢献したいつーんだから、それぐらいのガッツ見せろ。
そう云われて追い返された。
人に頼るな?
頼ってんのは自分らじゃん。
寺島を獲得したいなら、あたしみたいなか弱き乙女を利用しないで、自分らで動けつーの!
グーで殴りたくなるのを、かろうじて押さえた自分を褒めてやりたい。
「野球部…アクが強すぎ」
もし仮に。
入部できる日がきたとしても。
あたしはあのふたりの下で、やっていけるんだろうか。
あたしの入部には、もれなく寺島もついて来る。
「もう諦めちゃえば? あの寺島が野球部なんて、どう考えたって無理でしょ」
「先輩と同じ学校に入れたんだからさ、別にマネじゃなくてもぉ…」
「おー!いたいた」
屋上の扉が開いたと同時、春陽の言葉が遮られた。
見覚えのある顔が覗く。
「センパイ?」
どうしてここに?
「屋上にいるって聞いて───お前これ、落としただろ?」
「あ」
差し出されたのは1枚の紙切れ。
いらないって突き帰された入部届け。
お守りのようにいつも持ち歩いてる。
いつの間に落としたんだろう。
「何? どした?」
一向に受け取る気配のない私を、センパイが不思議そうに覗き込んだ。
いつもこれはあたしの手元に舞い戻ってくる。
これが受理される日が来るんだろうか。
「…ありがとうございます」
だめだ。
最初から諦めてたんじゃあ、届くものも手が届かない。
気持ち、前向きに頑張らなきゃ。
「どう? マネージャー、やれそう?」
そんなの。こっちが聞きたい。
あたしに可能性はあるのか。
「無理難題、ふっかけられてますからねぇ、この子…」
「何それ?」
「あれ? 聞いてません? この子、キャプテンから、入部条件をだされてるんですよ」
「それをクリアーできないとぉ、奈津をマネージャーとして認めないって」
「うっわー。もりぞーも鬼だなあ!」
「もりぞー主将じゃありませんよ。癌はジンさんの方!」
あの人。
見た目、いつも笑顔を絶やさなくて優しそうなクセに。
心の中はすっごく腹黒い。
仏じゃなくて鬼だ。
「条件って何なの?」
「うちのクラスのある男子を…野球部につれて来いって」
「1年? どんなやつ?」
「見た目の派手さとは真逆で、硬派気取ってるっていうか、スカしてるっていうか。野球部とは不釣合いなヤツです」
「何者?」
「それが分かれば苦労しませんって…」
アイツに触れられると妊娠するとか、100人斬りをやったとか。
親はヤクザで彼女はレディースだとか。
派手な外見のせいでアイツの噂は一人歩き。
何がほんとで嘘なのかわかんない。
寺島が見えてこない。
「真崎ー。眉間に皺、寄ってるぞ」
だって。
「ここのところ、この子、寺島に振り回されっぱなしですから」
「寺島…?」
センパイの顔が一瞬、曇る。
「寺島、誰?」
「なんて名前だっけ?」
「さあ? アイツを名前で呼ぶ友達っていないから、記憶に残ってないのよね」
「たしか…女の子っぽい名前だったと思うけどぉ……」
「…真崎、ちょっと来い」
「───え?」
顔を上げた瞬間、腕を掴まれた。
えー?
ええーーーっ??
「この子、借りてくな」
「はいはーい。どうぞご自由に」
「なっちーん。いってらっしゃーい〜」
ニヤニヤと手を振るふたりに見送られて、あたしはセンパイに手を引かれるまま、階段を降りる。
なにこれ。
どういうこと?
センパイ、手。
あたしの手、ぎゅって握ってる!!
汗ばんだ掌。
皮が厚くて、ごつごつとした手。
小柄な見た目からは想像つかない、大きな掌があたしの手を強く握る。
心臓がひっくり返りそうなぐらい、ドキドキした。
ドキドキしすぎて、体中の熱が上がる。
心臓の音も体が熱いのも、つないだ掌からセンパイに伝わってしまいそうな気がして、平常を装うのにあたしは必死だった。
センパイに手を引かれるまま、階段を降りた。
連れて来られたのは、1-Dの教室。
あたしのクラス。
「わっ!」
今度は頭を抑えられた。
ぺたんと、廊下に座り込む。
「センパ───」
「シッ! 黙って」
センパイの人差し指が唇に触れて、それ以上何も云えなくなる。
だって。
口を開いたら、心臓が飛び出しそうなんだもん。
真崎───何やってんの?
クラスメイト達が、哀れむような眼差しを投げかける。
隠れてるつもりなのよ、センパイは。
そりゃあ、教室からは見えないだろうけどさ。
廊下側からは丸見えなわけで。
バカやってんなーって、冷めた視線がイタイ。
「寺島って、どれ?」
そんなのセンパイはお構いなしで。
こそっと耳打ち。
仕方ない。
付き合ってやるか。
「あの窓際の……金髪じゃらじゃら男───です」
窓際の席でひと際態度のでかい金髪男を指差す。
「…マジで? あの金髪が寺島? 」
「ハイ…」
野球部に金髪なんて、お門違いでしょう?
同意を求めるように隣を見上げたら、センパイの顔色が変わった。
「…ホントに、寺島だ…───」
「───ハイ?」
今、なんて?
「おわっ!」
センパイの胸倉を掴んで、ずいと顔を近づける。
「…センパイ。寺島を…知ってるんですか?」
「…アイツ。俺がリトルでやってた時のチームメイトだよ」
「リトル?」
アイツが?
野球───やってたの?
「うそだー!!」
軽くパニック。
取り乱す。
だって、そんなの。
絶対信じらんないって!
「なに。そのリアクション。予想通り!」
センパイが失笑。
「だって! 寺島が野球? 金髪男が? ありえないでしょ、フツウ!!」
「うん。俺だって、アイツが寺島だって言われなきゃわかんねえよ。昔と外見、全然違ってるから───」
もう一度、教室を覗き込んで。
センパイが立ち上がった。
こんなところで話すのもなんなんで、ということで。
廊下の突き当たりにある外階段の踊り場へと、あたしたちは場所を移した。
「センパイって、地元民じゃないんですか?」
だって寺島、県外組受験組。
「俺は生まれも育ちもめちゃくちゃ地元。寺島が引っ越したんだよ。
俺が卒業する前だったから、アイツが6年に上がる時かなー」
「………」
「転校した先でもリトルリーグに入って、そのままシニアに上がったって聞いてたけど…。あの様子じゃアイツ、もう野球やってねーな」
だよね。
やる気があるならあんな格好してない。
とっくに入部届けを出して、ユニフォームを着てグラウンドを駆けてる。
「寺島が野球なんて…絶対うそだ…」
「まだ信じらんない?」
「だって……あの寺島ですよ? 投げるのはボールじゃなくて上靴、バットは窓ガラスを叩き割る為にある───みたいじゃないですか」
「…真崎、お前…どんなドラマ見てんだよ…」
センパイが苦い顔で失笑。
だって。
寺島イコール野球ていう図式が、どーしても結びつかないんだもん。
「じゃあ…最初から、寺島が経験者だって知ってて、あのふたりはあたしをダシに使ったんですね」
「そりゃそうだろ。高校からわざわざ素人使わないって」
ドロップアウトした人間をまた連れ戻したいだなんて。
もしかしなくても寺島は、有望株?
「アイツさー、打率がすげえいいんだよ。センスあるっていうか、思い切りがいいっていうか…。体格がいいから球の伸びもいい。ホームラン狙えるバッターだよ。寺島がうちに入ってくれたら勝率、あがるだろーな。甲子園も夢じゃないかも…。欲しいな、アイツ」
センパイが目をキラキラさせながら空を仰ぐ。
瞼の向こうに勝利の瞬間を思い描いているのが、あたしにも見えた気がした。
みんなから必要とされる存在。
入部届けを提出早々、いらないって付き返されたあたしとはえらい違いだ。
「センパイに必要とされるなんて…寺島め、羨ましすぎる…」
思わず本音が滑り出た。
「真崎───」
声に出したことに気づいて、慌てて口元を押さえたけどあとのまつり。
センパイがあたしを見た。
「や、あの……変な意味じゃなくて…、その…」
「俺、真崎のことも欲しいよ」
まあるい目を緩ませて、センパイが真っ直ぐにあたしを見た。
「マネージャー、やってくれるんだろ?」
目が合うとにかり。
歯を見せて笑う。
「センパイは…あたしでもいいんですか? 素人ですよ?」
「誰だって最初は素人だよ。ルールや仕事は、日々の練習の中で覚えていけばいい。欲しいのはやる気と意欲のあるヤツ。
お前だったら何でも一生懸命に、頑張ってくれそうな感じがするから」
屈託ない笑顔を見せて、センパイがあたしを覗き込む。
「違うの?」
「…あったりまえですよ! やるからには全力でやるに決まってるでしょ?」
あたし、センパイの力になりたい。
センパイが好きなものをあたしも好きになりたい。
見てるだけなんてイヤなの。
同じステージに立って、同じ夢を追いかけたい。
センパイの顔が、フッと緩む。
「お前ってさ、やっぱ思った通りの女」
「…?」
「クラスの女子ってさ、変にすまして大人ぶって、頑張ることはかっこ悪いみたいなところ、あるじゃん? 真崎はそういところがないんだよ。何にでも必死で、懸命で、全力で頑張って。そういうところ、お前の長所だよ。真崎が加わってくれたら、何でもポジティブに頑張れそうな気がする!」
センパイが笑いながら右手を差し出した。
「俺も協力するから。できることがあれば、何でも言って」
「ホント…ですか?」
「うん。だって俺、真崎のこと、絶対欲しいから」
「……センパイ」
「ん?」
「欲しい欲しいって…連発しないでください」
「変な意味に取るなよー。そういう意味じゃないから」
「わかってます」
わかってるけど。
期待しそうになる。
野球部にあたしが必要なのではなく、センパイがあたしを必要としてくれてる───って。
「うっ…わっ!」
差し出した手を、センパイが強引に引っ張った。
思ってもなかった力に踏ん張りが利かなくて、前につんのめる。
肩に触れそうになって、慌ててあたしは顔を上げた。
至近距離で視線が絡まって、ドキンと鼓動が跳ねた。
コメカミの辺りが、きゅーって痛くなる。
「手。開いて」
言われるままに開けた手のひらに、センパイが何やら文字を書き込んだ。
「コレ。俺のケー番とメアド。困った時はいつでもかけていーよ!」
手のひらに書かれた、クセのある右上がりの文字。
にこちゃんマーク。
かわいくて、くすぐったくて、笑ってしまう。
「…センパイ、これ! 油性マジックじゃないですか!!
午後イチで、調理実習なのにー。家政科の里見先生、衛生チェック、結構厳しいんですよ? それに今日の実習、さくら餅なのに。こんな手であんこを丸めたりしてたら……」
「げ。マジで?」
センパイが慌てて手のひらを擦るけれど、それはもう消えなくて。
しっかりとあたしの掌と心に、深く刻み込まれた。
「しゃーねえな…。手のひら、ずっとグーしとけ!」
それ。
ぜったいムリ!
「ごめんなー?」
頬を膨らませたあたしの頭をポンと軽く叩いて。
センパイが髪をぐしゃぐしゃってした。
「桜餅、変な味がしたら持ってこい。俺が責任持って食ってやる!」
覗き込んだセンパイの顔が笑顔に変わる。
センパイが触れるたびに気持ちが加速して、ドキドキして。
心臓、持たない。
「…センパイ」
「ん?」
「女の子に慣れ慣れしく触るの、やめたほうがいいですよ」
「なんで?」
「軽い気持ちで女の子にこんなことしてたら、セクハラって訴えられますから」
「うわ。ひでー!」
拗ねた顔で半分笑いながら、センパイがまだ懲りずにあたしの頭をぐしゃぐしゃってする。
「だからもう! やめてくださいってば! ほんとに訴えますよ!」
「やれるもんならやってみろー。うわ。お前の頭、鳥の巣みてぇ」
「誰のせいですか!誰の!」
こんな幸せ、誰にも渡したくない。
こんなカワイイ笑顔を見せてくれるのはあたしだけ。
そうだったらいいのに。
昼休みを終えるチャイムの音が耳を掠める。
「昼休み、もう終わりかー。早ぇ」
センパイと一緒にいられる時間なんてあっという間だ。
学年が違うから、廊下ですれ違うこともあまりない。
理由もないから、会いにもいけない。
もっともっと、一緒にいられたらいいのに。
「次お前、移動教室じゃなかったっけ?」
「あ」
ヤバイ。
本礼までに手洗い済ませて、エプロンつけて、始められる準備しておかないと。
センパイとの時間にゆっくり浸ってる余裕なんてなかった。
「センパイ、じゃあまた!」
「あ。真崎───!!」
教室に戻ろうとしたあたしを、センパイの大きな声が呼び止めた。
「あのさ。お前…次の日曜、何か予定ある?」
「今のところは、何もないですけど…」
「じゃあさ、その日、俺とデートしない?」
センパイの言葉に耳を疑う。
「───ハイ?」
やっとのことで搾り出した声は、驚くほど間抜けな声だった。
「行きたいところがあるからさ、ちょっと付き合ってよ」
握り締めてたケータイが手から滑り落ちた。
ヨッ、と。
身体を丸く折り曲げて、コンクリートの床に転がったあたしの携帯をセンパイが拾い上げる。
「セキル時間がねえから、あとでここに着信残しといて。メールでもいいから」
そう云ってセンパイのケー番の書かれた掌に、拾ったケータイを握らせる。
あの。
意味がわからないんだけど?
「日曜1時、星陵中の正門に集合な! 遅れんなよ!」
ぽかんと放心状態に陥ったあたしに向かって、笑顔でデートの約束。
もちろん。
断る理由なんてないけどさ。
でも、どうして?
「走れ、真崎! 授業遅れんぞ! じゃーなっ」
ぶんぶんと大きく手を振りながら。
センパイは風のように走って、廊下の向こうに消えた。
あたしが。
午後イチの授業に遅れたのは、言うまでもない。
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