*******************************************
ここでキスして 後編
*******************************************
壁に背中を預けて腕組をした状態で、蒼吾くんが目を閉じた。
制服の代わりに着ているネイビーブルーのTシャツが鮮やかで、目に沁みる。
Tシャツの上から適度にわかる筋肉のラインが、男らしくて好きだなぁ…なんて考えていたら、ドキドキが止まらなくなった。
寝込みにキスなんて。
こんなことになるのなら、やめておけばよかった。
どうしようもない状況に追い込まれて、八方塞になって。
あたふたするのはいつも私。
きっとキスしなきゃ、てこでもそこから動かない。
そんな無言のオーラで私を追い込む。
スポーツマンと芸術家は、頑固者が多い──。
ふと、そんな言葉が頭の隅をよぎった。
…しょうがないなぁ、もぅ…っ。
そっと近づいて、肩に手を乗せて軽く体重を預けた。
身を乗り出して、顔を近づけたらコツンと鼻先が触れた。
…あれ?
これじゃあ、唇まで届かない。
蒼吾くんは、いつもどうしてたっけ…?
ぎこちなく首を傾けて、角度を変えたら、ちょうどうまい具合に収まった。
そーっと顔を近づけて、唇を合わせたら。
ふっ、って。
蒼吾くんの唇から小さく息がこぼれた。
うぁ…。メチャクチャ、恥ずかしいーーーっ。
余韻に浸る余裕なんて、ない。
一瞬で離れて、真っ赤な顔を見られないように、蒼吾くんの肩口に倒れ込むように顔を埋めた。
もう二度と私から仕掛けない。
こんなに恥ずかしいこと、もう、絶対にしない…ッ。
*
オレは園田が目を閉じたのをいいことに、軽く目を開けた。
ぎゅうっと目を閉じた顔は、これからキスをする甘い顔というよりも、崖から飛び降りる寸前のような思い詰めた顔。
可笑しくって笑っちまう。
でも、園田にとって、それだけ勇気がいるってこと。
肩に乗せた手が、微かに震えてた。
唇は一文字に結ばれてるし。
これからキスしようってんだぞ?それってアリかよ?
やること成すこと可愛すぎて、いちいちオレのツボにはまる。
目を閉じたままの状態で、そのまま真っ直ぐ顔が近づいてきた。
ガキのチューじゃあるまいし、その角度じゃ絶対、無理だろ。
案の定、鼻の先が触れ合って、ようやくこれではキスできないことに気付いた園田の顔がぎこちなく角度を変えて、そっと唇を合わせてきた。
や、掠めた程度。
それが園田の精一杯。
だけど。
長い間、お預けをくらっていたオレにとっては、十分すぎる刺激。
うぁ…ッ。ヤバイ。
クセになりそうだ…。
緩んで緩んで仕方がない口元を隠すように、オレは下を向いた。
内心の嬉しさが、全部顔に出てる。
ヤバイ。
絶妙なタイミングで、園田がそのまま倒れるようにオレの肩に顔を埋めてきた。
たぶん、恥ずかしさを誤魔化すために。
それがまた、マズかった。
すぐ側に見えた襟元から覗く白い肌と、汗ばんだ柔らかな質感。
白い襟足を覗かせる涼しげな夏髪。
だから、目の毒だって言ったのに。
やっぱり、掠めるだけのキスなんかじゃ、足りるわけがない。
園田サン、このまま押し倒しちゃっても、いいデスか?
*
こんなの、絶対、心臓に悪い。
バクバクと音を立てる鼓動は、いつまで経っても治まってくれなかった。
顔がまともに上げられない。
「…園田──」
硬質な声が少しトーンを落として、柔らかく私の名前を呼んだ。
この呼び方が好きだなぁ…と、しみじみ思ってしまう。
鼓膜の奥に残る余韻を噛み締めていたら、両手で頬を包まれた。
そのまま顔を上げられて、押し当てるように唇が触れた。
確かめるように、何度も何度も唇で触れて、角度を変えて。
優しくゆっくりと重ねるキスは、想像以上に私の感覚を麻痺させた。
頭の芯が、じーんとして、何も考えられなくなる。
背中に回していた手が髪にもぐって、軽く留めていたクリップを外した。
髪をほどく指が、何度もやさしく髪の中を撫でていく。
首筋に触れる指がくすぐったい。
キスの時間がどんどん、長くなって、深くなって。
気がついたら、蒼吾くんの肩の向こうに空が見えた。
透き通るような夏の青空が、ちょうど真上に…
──え…?
「蒼…吾くん…?」
す、ストーーーップ!!ここ、学校…っ!!
*
自分は(どちらかといえば)理性の強い男だと自負していた(つもり)。
なのに。
園田からのキスひとつで、こんなにもブレーキが利かなくなるなんて思いもしなかった。
「…待って…、ここ、がっこ…──ッ」
園田は逃げようとしたけれど、両手で頬を包んで離さなかった。
いや、離せなかった。
強く唇を押し当てて、深く探って。
吐息が甘い息に変わる頃には、押し当てた唇は首筋を滑ってた。
んっ、と。こぼれ出た声に、イヤでも体温が上昇する。
「──そーご、くん…ッ」
オレを呼ぶ園田の声は、はっきりと上ずっていて。
ぐいっと腕を伸ばして、オレの体を押しのけて距離をとろうとする。
その手が、あまりに非力で笑いそうになる。
何年待ったと思ってんだよ。
どうしようもなく好きで、たまらなく焦がれて、やっと手に入れて。
ほんの少しの焦りと衝動とで、このまま、園田のことを傷つけてもいいのか?
衝動に負けたなんて──。
何やってんだ、オレ!
ていうか。
学校の屋上で、園田を押し倒したなんて知れたら、間違いなくオレはアイツにやられる。
あの、融通の利かない真面目なクラス委員長に…。
オレは焦れて、押し倒した小さな体を強引に引き寄せた。
突っ張る強情な腕を片手でいなして、ぎゅっと抱きしめる。
抱きしめた小さな肩が震えてた。
うあ。マジで、ゴメン──ッ。
*
首筋に顔を埋められると、震えが走った。
押し倒されて、両肩を押さえつけられる。
それでもキスは終わらなかった。
どんなに突っぱねても、腕を伸ばしても、大きな掌に捕まってしまう。
蒼吾くんに触れられるのは、イヤじゃない。
イヤじゃないけど、こんなところでは、やっぱりやだ──。
取り乱した私の手を片手でいなして、そのまま引き寄せて抱きしめられた。
ふわっ、と。
蒼吾くんの匂いでいっぱいになる。
それだけでも、簡単に参ってしまうのに。
「…園田、ゴメン…っ」
抱きしめられた耳元で、囁くように告げられた。
必死に抵抗しようとしたのに、努力なんて空しいもの。
そんな困ったような顔で笑われると、こっちまで笑顔が引き出されてしまう。
笑顔は伝うもの。
蒼吾くんの笑った顔には、勝てるはずがない。
*
ゴメンと告げたら、さっきまで突っぱねていた腕が、力を失くした。
ぎゅっと抱きしめた腕に力を入れたら、どうしようか躊躇っていた小さな手が、そっと背中に触れた。
こういうところは、本当に素直で可愛いと思う。
そのまま後頭部に手をそえて髪を梳くと、ようやく園田は落ち着いた。
しゃくりあげるように浅く短く繰り返していた呼吸が、深いものへと変わる。
「な、園田。さっき、何で涙ぐんでたんだ?」
涙の理由の想像がつかねぇ。
コンクリートの地面を見つめたまま、しばらくだんまりを決め込んでいた園田が、小さく呟いた。
「…蒼吾くんが、いつまでたっても起きないから…」
「なんだよ、それ」
「だって…。ずっと、一緒にいられなかったから…。
少しでも早く会いたくて、長く一緒にいたくて、急いで走ってきたのに…」
オレは、絶句した。
「そんなの、言ってくれれば…──」
夏大が終わるまで──って、自分に言いかせて、我慢して。
会いたいとか、もっと一緒にいたいとか。
オレだけが、そう感じてるんだと思ってた。
長い間、片思いしてたんだ。
好きの重さが違うのはしょうがない──そう、自分に言い聞かせて。
「言えよ…そういう事は!
ちゃんと言葉にしないと、わかんないこともあるだろ?」
オレだってそうだ。
好きの重さを天秤にかけて。
わがままを言わない園田に、焦れて、煮詰まって、衝動に走って。
ひとり心で思うのは、簡単だ。
でも。
ちゃんと言葉にしなきゃ、伝わるわけないのに。
ぎゅっと園田を抱きしめる。
小さな掌をオレの背中に回して、抱きしめた分だけ気持ちを返してくる。
うぁ…。
何か、オレ。
一生分の幸せを、この日で使っちまったような気がする…。
「蒼吾くんも、ちゃんと言ってね?」
くりんとした茶色い目が、オレを見上げた。
「…ああ。約束する」
甲子園に誓って、絶対に──。
こつんと額を当てて、間近で見た園田の嬉しそうな笑顔。
なんちゅー顔、してんだよ。
最上級に甘い砂糖菓子のような笑顔に、たまらずそのまま口付けた。
Tシャツを掴んだ手に少しの抵抗が見られたけれど、それは唇を重ねるごとに、次第に和らいでいった。
昼休みの終わりを告げるチャイムが耳を掠めて、名残惜しく唇を離すと、園田の唇から甘い息がこぼれた。
「…な、園田…」
「うん?」
「…これ以上は、ダメですか?」
「…ダメです…ッ」
真っ赤になった園田に、焦ったように体を離された。
「言えつったから…。矛盾してらぁ」
「それとこれとは、別問題ッ!」
そう言って睨みつけた顔は、ちっとも迫力がない。
可愛くてどうしようもない気持ちを押し込めて、もう一度、園田を抱きしめた。
「…蒼吾くん、授業、始まっちゃうよ…」
「…もう終わりかよ、昼休み。短けーなっ。ていうか、園田。昼飯!食ってないんじゃねーの?」
オレは早弁したからいいけど。
「…いいよ。お腹、いっぱいだから…」
オレは、何も言えなかった。
そんな顔して俯かれたら、お腹いっぱいの意味くらい、分かる。
それを計算ではなく、素直にサラリと言ってしまう園田は、ある意味最強。
オレはずっと、コイツに勝てないんだろうな。
参ってしまう。
「な、園田。次の授業、サボんねぇ?
…オレは、もうちょっと、一緒にいたいデス──」
(ここでキスして/後編*END)
illustration BY * HAZUKI*YUMI
* おまけのあとがき *
付き合い始めの、初々しい感じがスキです。
手をつなぐのもためらって、キスするのもドキドキして…。
ましろと蒼吾は、ずっとこんな感じなんだろうな、と思います。
手をつないで、ふたり一緒に、一歩ずつ…。
(で、蒼吾だけ焦るといい…笑)
次のステップに進むのに、時間がかかりそうですが、これでいいんです。これがいいんだと思います、このふたりは。
蒼吾がましろを名前で呼べるようになるのは、いつなんだろう…。
そんなおはなしも、いつか、機会があれば書いてみたいな。
連載終了当初は、まったく書くつもりのなかったましろと蒼吾のその後。読者さまのエールとリクエストに支えられて、このおはなしができあがりました。
書いていて、ホント、楽しかった!ありがとう!!
下記拍手やメールフォームの方にも、たくさんコメントをいただいています。
はじめましての方や常連さん、連載当初にコメントをいただいていた懐かしい方々からも…。
あれからずっと読んでくださっているのだなぁ〜と、感謝の気持ちでいっぱいです。
お返事を…と思いながらも、こちらにコメントをいただいているものは、非公開の方がいいのかなと思い、お返事を控えさせてもらっています。でも、しっかり大事に読ませていただいていますよ。
ホント、心の栄養です。
はづきが書き下ろしてくれたイラストは、本編のワンシーン。
教卓の下での出来事を、再現してくれました。
素敵でしょう?
蒼吾が笑って、ましろが笑って…。笑顔は伝うもの──このひと言にかぎります。
はづきの絵があってこそ、はじめて物語りに色が付いて、動き出すのですから。ほんと感謝です!そして次回もよろしく!
さて。
先日から始めた新連載、『青春ライン』。
まほコトで書けなかった大好きな高校野球のシーンを書きたくって、挑戦中。どこまで野球が表現できるのやら、少々不安ではありますが…。野球つながりで、微妙に蒼吾とリンクしています。
気になる方は、覗いてみてくださいね。
ましろと蒼吾の次のステップは、また、いつか…。
ご拝読、ありがとうございました!
魔法のコトバ*目次へ→
続編*全力少年へ→