ガラス張りの窓の向こうに、緑豊かな芝が見えた。
トップライトから差し込む柔らかな光がプリズムとなって、純白の床を照らす。
祭壇へとまっすぐにのびる大理石のバージンロードは青空を映して、まるで美しい海の上を歩むような錯覚が生まれる。
幸せな陽光の降り注ぐこの場所で、永遠の愛を交わす恋人たちを、私は何度ここから見送ったんだろう。
バージンロードを臨む大きな扉の前に立ち、大きく息を吸い込んだ。
目を閉じると、アヴェ・マリアが聞えてくるようだった。
「なにやってんの、花井さん!」
夢の世界を打ち破るかのように、突然背後から怒鳴り声が聞えた。
「あ、瀬戸ちゃん。会場に飾る花の具合がうまくまとまらないって石田くんに聞いて」
「そんなことあなたがしなくていいの!」
怒ったように腕をつかまれて、私はそこから連れ出される。
ああ。
前を歩く瀬戸ちゃんの背中が怒ってる。
「ゴメンナサイ。なんか……じっとしていられなくて……」
「してられなくてもジッとしてて! 今日はなにもしなくていいから!」
瀬戸ちゃんに本気で叱られて、しゅんと肩をすぼめた。
だって。
じっとしてたら、胸がいっぱいで幸せに押し潰されそうなんだもの。
レストランに隣接された独立型のチャペルから引きずるように連れてこられたのは、控え室。
背中を押されて、そのまま大きな鏡の前に座らされた。
「津田さん。この子、脱走する可能性があるから、しっかり見張っててください」
「なにそれ。そんなことしないって……」
「うそおっしゃい! さっきから何度もいなくなってるくせに。忙しいんだから、これ以上手を焼かせないで!」
私に強く釘を指して、瀬戸ちゃんは慌しく部屋を出て行った。
「ただでさえ式の前は忙しいのに、花井さんを探すことに時間を取られてたんじゃ、事が進まない」
ブツブツ、文句を呟きながら。
なんだか申し訳ない気分になる。
ごめんね、瀬戸ちゃん。
「なにかやってないと、落ち着かないんでしょう?」
鏡越しにスタイリストの津田さんが笑いかけた。
「みんな動いてるのに、私だけじっとしてるのが、どうしても落ち着かなくて……」
「あら。それはもう、職業病ね。花井さんらしいわ」
肩の上に優しくケープが乗せられた。
シフォンの生地が、ふわんと揺れて肩の上に広がる。
津田さんが、コットンを湿らせて私の顔のファンデーションを落としていく。
鏡に映る素顔になっていく自分をまるで他人事のように、私はぼんやりと見つめた。
こんなふうにここで、鏡の前に座ることさえ落ち着かなかった。
「安心して瀬戸さんに任せたらいいのよ。信頼できるプランナーでしょう? 最高の一日にしてくれるから。
その間に花井さんは、さっさと身支度を整えてしまいましょ。そしたらきっと、実感が湧くから」
鏡越しに柔らかく笑いかけられて、津田さんが素顔にベースの色を乗せた。
「はい。パウダー乗せるから、目瞑って──────」
言われるままに私は、素直に目を閉じる。
「このままいいって言うまで、目を閉じててね?」
ゆっくりと時間をかけて花嫁となる身支度。
津田さんの魔法の手によって、どんな女の子も清楚で愛らしく変身してくさまを、今まで何度も見てきた。
「──────世界一綺麗な、とびっきりの花嫁に仕上げてあげるから」
いつも津田さんが言うセリフだった。
瞼を閉じた向こうで、その言葉をぼんやりと聞いた。
それを私に言われてる実感が、まだない。
幸せすぎて地に足がつかず、ふわふわしてる感じ。
未だに、これは夢じゃないのかなと思ったりする。
吐き出す息が自分でも震えてるってわかるぐらいに、緊張もしていた。
ここに座った女の子達はみんな、こんなソワソワした気持ちだったのかな。
月明かりの下で受けた、ともひろのプロポーズから二年。
幸せに包まれて、私は今、ここにいる。
ともひろの花嫁になるために。
「……あら。爪、可愛くしてるわね」
「あ。これですか?」
軽く指を逸らせて見せた。
ネイルは朝早くから、麻生さんが綺麗に施してくれた。
ヘッドピースの薔薇の色にあわせて、白と淡いピンクの上に、パールがちりばめられた上品で可愛いネイル。
なんだか自分には可愛すぎて、くすぐったかった。
「……髪は思い切って短くしちゃったのね? 式の為に伸ばす花嫁さんは多くいるけど……、短いのも新鮮で可愛いわ。花井さんらしくて似合ってる」
今の私の髪は、ともひろと付き合い始めたころぐらいの長さ。
ちょうど肩で跳ねるぐらいの長さが、とわには可愛い。
短くしたのは、そう言って笑ってくれたともひろのため。
いつだって大好きな人の前では、一番綺麗な自分で在りたい。
ヘアメイクが終わったあと、ウエディングドレスに袖を通した。
「花井さんは肌も綺麗だし、スタイルもいいから、こういう肩を出すタイプのシンプルなドレスがよく似合うわね」
鏡越しに眩しく私を見つめながら、津田さんがため息をつく。
「酒井さんも、どういうのが彼女に似合うのか心得てる。……さすがね」
シフォンジョーゼットを使った柔らかなAラインの純白ドレスは、ともひろと一緒に選んだ。
ビスチェはショルダーストラップがない肩を出すタイプのシンプルなデザインで、胸元から切り替えたスカートラインには、シルクオーガンジーを透かして下から覗くレースが可憐な花のように彩を添えていた。
腰元には、柔らかなシフォン生地で作られたバラとリボンが添えられて、コードレースのトレーンが広がっている。
ヘッドピースには小さな白バラ。
ベールはレースをふんだんに使ったマリアベールを選んだ。
さすがにドレスに袖を通すと、実感がわいてきた。
ドキドキする。
「グローブとベールは直前につけてもらうから。とりあえず今は、これでおしまい」
トンと、優しく肩を叩かれた。
「式が始まるまでの間は、なるべく飲食は控えてね。どうしてもって言う場合は、飲み物だけOKだから。メイクが落ちるといけないからストローで」
「津田さん。私、全部わかってる」
「あ、そっか。ゴメンね、ついいつものクセで……」
両肩に優しく手を添えながら、鏡越しに津田さんが私の顔を覗き込んだ。
「……私の腕もなかなかのものね。完璧だわ」
「なんですか、それは」
自分の腕に満足して声を漏らす津田さんがおかしくて、笑ってしまう。
「うそうそ。冗談よ。私の技術なんて、花嫁に色を添える程度に過ぎないから。
花嫁を美しく輝かせるのはね、幸せのオーラなの。そういうの、花井さんからも出てる。ほんと………、ため息が出るくらい綺麗よ。おめでとう──────」
同僚にそんなふうに褒められて、私は照れくさくって笑った。
ひと通りの身支度を済ませてから、津田さんは席を外した。
手順や段取りをわかってるから、思った以上に準備の時間がかからなくて、暇を持て余してしまう。
することがなくなってしまえばまた、緊張が押し寄せてくる。
今日はまだ、ともひろに会っていないからなおさら落ち着かない。
「……えっと、坂田くんは大丈夫だったかな」
ブーケトニアに使う花の到着が遅れてるって聞いたけど。
誓約書はちゃんと準備したっけ? リングピローは?
ブライズメイドとアッシャーを鈴と金子くんに頼んだけれど、もう到着したかな。
瀬戸ちゃんは分かりやく説明してくれてる?
あれは? これは?
何かやってないと落ち着かないのはもう、職業病っていうよりも、緊張のしすぎだ。
『私達に任せて、花井さんは自分だけのことに集中して。幸せになることだけを考えればいいの!』
瀬戸ちゃんの言葉が頭をよぎる。
落ち着け。落ち着け。
ありきたりだけど、人という字を手のひらに書いて飲み込んだ。
ほんと、こんなことにでも頼らないと動悸が治まらない。
式を迎える前の花嫁さんはみんな、こんな気分だったのかな。
気を抜くと緊張と幸福感に飲まれて、涙がこぼれそうになる。
ダメダメ。
式が始まる前に、涙でメイクを崩すわけにはいかない。
気持ちを落ち着かせるために私は大きく深呼吸をして、膝の上で両手を組み合わせたまま目を閉じた。
「もしかして、緊張してんの?」
ふいに声を掛けられて、私はゆっくりと目を開けた。
「奏多──────」
振り向いた先には、黒のスーツに身を包んだ奏多。
ドアに手をかけたままの格好で、笑いながら私に意地悪な顔を向けていた。
「らしくないね。そんな強張った顔のとわさん、オレ、初めて見たよ」
「失礼ね。私だって、緊張ぐらいするわよ」
私のこと、どんな人間だと思ってんの。
「……わぁ。とわちゃん、すごく綺麗──────」
奏多の後ろから鈴が鳴るような声が聞えて、ひょこっと顔を覗かせたのは、リオコさん。
レース使いが上品な深い碧のマーメードラインのドレスに身を包んだリオコさんは、そっくりそのまま言葉をお返したくなるぐらい、可憐で綺麗だった。
「酒井さんは?」
「まだ。仕事が長引いて……、少し遅れるみたい」
「結婚式当日まで仕事かよ、あの人は」
「そういう人を好きになっちゃたんだから仕方ないわよね、とわちゃん」
リオコさんがわかったふうに笑う。
その横顔は、以前よりも少しふっくらしたように見えた。
顔色もすごくいい。
「……リオコさん、体の具合のほうは?」
「もうね、すっかりいいの。通院も投薬も、ほとんどなくなったし、順調よ。発作の心配のない生活って、こんなにも幸せで安らかなのね」
二ヶ月ほど前。
リオコさんは心臓の手術をした。
なかなか手術に踏み切れなかった彼女を決心させたのは、奏多だったと聞く。
手術の前もそのあとも、そばにはずっと、奏多が寄り添ってくれていたんだって。
恋人の関係ではないけれど、奏多とリオコさんはきっと、それ以上の絆で結ばれている。
「だからね今日は思う存分、歌えると思うの。楽しみにしていて」
リオコさんが嬉しそうに笑う。
挙式では、リオコさんが賛美歌を歌ってくれる。
それだけでもう、最高の式になる気がした。
「──────あ。酒井のおじ様が来られたみたい。私、ちょっと挨拶に行ってくるわね。またあとで」
窓の向こうに見えた車を見つけて、リオコさんが席を外した。
「奏多は行かなくていいの?」
「うちは父親同士は仲がいいけど、オレ自体は酒井さんの父親との面識はないよ。顔を合わせたときにでも、適当に挨拶するさ」
窓の向こうでリオコさんと話を交わす姿を目に映しながら、奏多が呟いた。
「ていうか、ここでよかったの? 結婚式。あの酒井の後継者が、こんな小さなレストランでウエディングなんてさ」
挙式だけはどうしても、職場のレストランでしたいという私の我がままをともひろは叶えてくれて、今日は身内と、ごくごく仲のいい友人だけを集めた式が行われる。
二日後には、仕事関係者や本家の親族を招いた大掛かりな披露宴が待ち構えてる。
それを思うと胃が痛くなるけれど、それでもすべてをともひろと一緒に、乗り越えていくって決めたから。
あの人の過去も未来も、全部受け止めるって。
ともひろがそばにいてくれるのなら、もう怖いものはなにもなかった。
「──────で。なに?」
「なにって?」
リオコさんが席を外しても、奏多は部屋から出て行く気配がなかった。
「残ってるから、私になにか用があるのかと思って」
「……ああ。
とわさんが暇を持て余してるから、話し相手になってこいって、瀬戸さんに言われたんだよ。ついでに余計な動きをしないか、行方不明にならないか見張っとけって。酒井さんが来るまで」
もう! 瀬戸ちゃんってば!
「なにか飲む?」
飲み物を入れるために奏多が立ち上がった。
その背中に声を掛けて、呼び止める。
「──────奏多。ありがとう」
「……なに?」
「ピアノ、引き受けてくれて」
式で使う賛美歌の伴奏もBGMも、すべて奏多が弾いてくれる。
ピアノの生演奏をお願いしたら、快く引き受けてくれた。
「べつに。断る理由はないだろ。仕事なんだし」
「なにそれ。かわいくない言い方」
「ていうかそっちこそ。俺なんかでよかったの? 挙式なら坂田さんだろ。場数踏んでるぶん、俺より雰囲気あると思うけど」
「経験値を求めてるわけじゃないのよ。奏多のピアノ、私はすごく好きなの………。だって響くから。いつも心に」
奏多が奏でるピアノの音色は、甘く心地のいいメロディ。
時に情熱的で、時に優しく。
心を強く揺さぶって、深いところに優しく響かせる。
「まあ、本人は生意気だけどね、でも、どんな有名なピアニストよりも、私は奏多のピアノが一番好きなの。
私達の未来に色を添えてくれる音は、奏多のピアノしか考えられなかった。私の心を奮わせてくれる音を出せるのは、あなただけだったから。ピアノを聴いて泣いたのも、感動したのも、奏多が初めて。
断られたら、何度でも頭を下げるつもりだったの。だから……ありがとう」
心からの感謝の気持ちを込めて、私は頭を下げた。
奏多が居心地が悪そうに顔をしかめて、手にしていたグラスを突きつけた。
ぶっきら棒な態度は、素直じゃない奏多の照れ隠し。
「そんな弾く前から、頭を下げられても困る。礼を言うならさ、無事すべてを弾き終わってからにして」
「うん。素敵な演奏、期待してる」
奏多が淹れてくれたアイスティに口をつけた。
冷たいものが喉を通る感覚に、すぅっと心が和らいで落ち着いてくる。
ふたり、特に何か言葉を交わすことなく、ぼんやりとした時間を送った。
ふと。
手元の楽譜に視線を落としていた奏多が、顔を上げる気配がした。
名前を呼ばれる。
「…………とわさん」
「うん?」
「……とわさんの心にオレの音色が響くのはさ、オレがここで弾いてきた曲が全部、ラブソングだったからだよ」
「うん。ラブソング……って、え?」
疑問を投げかけた私を笑って、奏多が視線を窓の向こうに移した。
「………雨だね」
奏多の言葉に同じように視線を移すと、さっきまで青空を覗かせていた空から、細い雨が降り始めていた。
狐の嫁入りだ。
「さっきまで晴れてたのに、とわさんて、ほんと」
「……なによ。どうせ私は、雨女ですよーだ」
私の疑問符は、突然降り始めた天気雨に、うまくはぐらかされた気がする。
「けどさ、結婚式の日に降る雨は縁起がいいんだろ? 雨を嘆く花嫁達にとわさん、よく言ってたじゃないか。『雨降って地固まるっていうでしょ? 雨だからといって落ち込まずに、神様からの祝福の雨なんだって前向きに考えてくださいね』って」
「確かにそれはよく言ったけど……。でもね、どうせならやっぱ晴れてる方がいいじゃない? 式当日に雨が降って喜ぶのは、縁起担ぎ好きなお年寄りとタクシー業界だけだと思うの」
一生に一度のハレ舞台が、雨模様じゃやっぱ悲しい。
ため息をこぼすように息を吐いて、ガラスの向こうの雨にそっと触れるように、手を置いた。
「早く上がってくれるといいけど……」
晴れ間を願うように窓の外を見つめていたら、ガラスに映った奏多が、じっとこちらを見てることに気づく。
「なに?」
「………いや、女って化けるなと思って」
「なによ……」
あまりにもじっと見つめてくるものだから、居心地の悪さに私は顔をしかめた。
「ホント、綺麗だね。とわさん。別人みたい」
「そりゃ、メイクはプロだから。ていうか、化けるってなによ? 普段の私はそんなにひどいわけ?」
「そんなこと言ってない。褒めてんだよ。一応」
「なによ、それ。褒めてくれるならもう少し言い方ってものがあるでしょ? 今日の主役に向かって言う台詞かしら」
失礼しちゃう。
拗ねてそっぽを向こうとしたら、私の顎がついと取られた。
指を掛けられて、奏多に顔を上げられる。
「──────嘘。すっげえキレイ。やっぱ酒井さんにあげんのが、惜しいくらい。このまま有名な映画のワンシーンみたいに、さらってしまおうか」
「冗談言わないで。なに言ってんの。第一、奏多が好きなのはリオコさんでしょう? 人の花嫁口説いてないで、ちゃんと本命を追いかけなさい。……ていうか。ほんと、奏多には騙されたわ。
ここでピアノを弾くよりも、劇団とかに入った方がいいんじゃない? 詐欺師とか、素でやれるわよ。奏多の本気を信じて、一瞬でも流されそうになった自分が、バカみたい」
私の言葉に、きょとんと。
奏多が一瞬目を丸くして、次の瞬間、吹き出した。
「………なによ? なんでそんなに笑うのよ?」
「いや、べつに。ていうか、一瞬でも流されてもいいって思ったんだ? なら、もっと押せばよかった」
「は? だから何言ってんの? 意味がわからない」
「わからなくていいよ。そのほうがきっと、幸せになれるから。
本当に綺麗だよ。今日のとわさん。今まで見てきた花嫁の中で、とわさんが一番綺麗だと思う。酒井さんにうんと幸せにしてもらって」
そう言いながら笑って、心から祝福してくれた奏多に、私は言った。
「ばかねえ、奏多。結婚は男の人に幸せにしてもらうんじゃないのよ? ふたりで一緒に幸せになるの。覚えておいて」
負ぶってもらう人生は嫌なの。
ちゃんと自分の足で歩いて、空いた右手で手を繋いで、ともひろと一緒に歩いて行きたい。
だって。
「とわ」に、「とも」に歩むって、そういうことでしょう?
「コラ。人のものにちょっかい出すんじゃない」
「──────ともひろ」
「ったく、油断も隙もないヤツめ。悪い、とわ。遅れて」
いつからそこにいたんだろう。
低く深い声に振り向けば、部屋の入り口に腕をかけて、ともひろが不機嫌な顔で立っていた。
視線で奏多を威圧してから、真っ直ぐにこちらに歩いてくる姿に思わず見とれた。
うっわ……。
本気でカッコイイ。
ともひろが身に纏うのは、光沢を放つパールホワイトのタキシード。
色合いは淡いけれど、ともひろが着ると甘くなりすぎない。
見た目、決してがっちりではないのに、実際は肩幅とか胸板とか逞しいから、こういった服を着ても違和感を感じさせない。
衣装に着せられてる感がない。
立ち方が綺麗で、重心がぶれてないから、本当に格好がいい。
白のタキシードを嫌味なく、ここまで颯爽と着こなせる人、初めてみた。
カフスボタンを留め直す仕草や、ネクタイを軽く緩める仕草まで、計算されたみたいに綺麗で、男のクセに色っぽくてドキドキする。
わー。
どうしよう、無性に抱きつきたい。
「──────城戸。オレより先に、花嫁を拝むとはどういうことだ。従業員の分際で。クレーム出すぞ」
「なに言ってんだよ、今さら。衣装選びのときも、衣装合わせのときも、とわさんのドレス姿なんか散々見てるくせに。つうかそのドレス、オーダーで作らせたんだろ? 式の前に一度、持って帰ったって聞いたけど……家でとわさんに着せて、何したんだよ。やらし」
「奏多……っ!!」
とんでもないことを言い出すから、思わず私は声を張り上げた。
ていうか。
なんで知ってんの!?
「赤くなってるってことは、心当たりがあるんだ? ふーん……」
「ち、ちが……っ!」
べつにそういうつもりで持って帰ったわけじゃない。
少し細身の7号サイズをオーダーしたから、それを着こなすためのダイエットの励みに、家に持って帰っただけなのだ。
一度着て見せたら、ともひろに火がついたのは事実だけど……。
あの日の熱い夜を思い出したら、ポーカーフェイスがつくろえないぐらい、顔が赤くなった。
ああ、まずい。
そういうことしたって、顔が主張しすぎだ。
「騒ぐな、とわ。お前はいちいち挑発に乗せられすぎだ」
だって! だって!!
的を得られたことと、その日のアレコレを思い出したらもう、ともひろの顔も、奏多の顔も、まともにみられなくなってしまって、私は顔を伏せた。
「ハイハイ。もう勝手にやれば。当てられる前に邪魔者は消えるから。気分悪くして、演奏に支障がでてもいけないし」
「もう…っ。奏多ってば…!」
「俺はこのまま席外すけど……酒井さん、花嫁のメイク崩すなよ?」
「余計なお世話だ。さっさと出てけ」
低い声で一喝、奏多を威圧してともひろが奏多を部屋から追い出した。
「……ったく。なにが花嫁のメイクを崩すな、だ。阿呆が」
心底迷惑そうに呟いてため息を落としたあと、ゆっくりと私を振り返った。
いつもより一層、凛々しい顔立ちが真っ直ぐに私を見つめてくる。
眼鏡越しに見えた涼しげな目元が、優しく細められた。
「………すごく、綺麗だ」
「ともひろも。似合ってる………」
照れ臭そうに。
けれどそれでも逸らすことはできない瞳を、お互い真っ直ぐに向けて、静かに笑い合う幸せな瞬間。
夢じゃないかって、手で触れてそっと現実を確かめたくなるほど、甘やかで優しくて、穏やかな時間は、幸せすぎて困ってしまうほど。
「ほんと……、人に見せるのがもったいないぐらい、綺麗だな」
緊張がともひろの笑顔ひとつで、解きほぐされていく。
「つか、これ。背中開きすぎじゃないのか? 肩も。無駄に肌見せすぎ」
「ともひろが選んだんじゃない。今さら文句言わないでよ」
「オレだけが見るならともかく、他のヤツも見るんだから、もうちょっと考えればよかった」
「人のものになる女に男は興味ないわよ。それに、背中はベールで隠れるから……って、こら!」
肩に触れてきた指が、ツと背中を撫でた。
そのまま軽く引き寄せられて、むき出しの肩にともひろがキスをする。
いつの間にやら腰に回った手が、私の体ごと強引に抱き寄せようとするから、腕の中に閉じ込められる前に、ググっとともひろの胸を押し返した。
「ダメ、ともひろ!」
「なんで? 人払いしてきたのに」
見上げた顔が、不機嫌に表情を歪めた。
「そういう問題じゃなくて……。メイクが落ちちゃう。ともひろの服だって、白だから汚れちゃうよ。髪だってぐちゃぐちゃに……」
小さく文句を呟いた唇に、軽く音を立てて、ともひろがキスをした。
「時間はまだある。崩れたら、直してもらえばいいだろ?」
間近で視線を絡ませてしまったら、もう最後。
逃げられなくなる。
「こんなにも綺麗な花嫁に、キスするなっていう方が、無理な話だ」
耳元で囁く深い声は、まるで媚薬。
甘い笑みを浮かべた唇が、誘うように目の前に。
「……もう。当日、抑えられる自信がないって言うから、持って帰ったんじゃない」
式よりも前にドレスを持ち帰った花嫁なんて、前代未聞だ。
「城戸が言い捨てた言葉の意味、すごくわかる。花嫁のメイク、崩すなって」
絡めた指に力を込めて、優しく引き寄せられた。
そっと目を閉じて、唇が重なる。
優しいキスを繰り返しながら、ともひろがゆるく私を抱きしめた。
髪に指を埋められて、優しく抱きしめられて、それでも、キスだけはやまない。
触れるだけだった軽いキスは、次第に角度を変えて深く。
いつの間にかふたり、息を乱すほどキスに溺れてしまう。
「………ダメ、ともひろ。これ以上は……なんか、のぼせそう」
「わかった。メイクも崩れるしな。つか、もう手遅れか」
唇を彩る鮮やかな色は、ともひろのキスですでにもう、拭い去られていた。
頬を撫でた手は指を滑らせて、裸になった唇をそっとなぞる。
「奏多に気づかれる前に、津田さんに直してもらわなきゃ。また嫌味言われちゃう」
「言わせとけばいいんだよ。見せ付けてやればいい。とわはもう、オレのものなんだって。それに、ああいう言葉が出てくるってことは、アイツも同じこと考えてたんだよ」
ともひろが笑った。
「……ねえ。誓いの言葉、覚えた?」
「もちろん覚えてる。 けど……、意外だったな。とわがチャペルじゃなく、人前式を選んだのが」
レストランに隣接した爽やかな緑の風を感じるチャペルは、十字架を取り外して自由なスタイルでの挙式が叶う。
神仏の代わりに列席者へ結婚を誓い、証人になってもらうというスタイルの人前式を私は選んだのだ。
自由なスタイルで、自分達らしい式。
バージンロードは、父親とじゃなく、ともひろと一緒に歩く。
「ずっと決めてたの。新しい未来への第一歩は、ともひろと一緒に歩むんだって。それにね、神様に永遠を誓うのじゃなくて、今日まで支えて見守ってくれた人たちに約束したいから。
絶対に幸せになりますって」
この先もずっと、この人と共にあるって。
ともに、歩んでくって。
控え室のドアがノックされた。
「お式の準備が整いました。皆さま着席されてます。出発できますか?」
顔を覗かせた瀬戸ちゃんに、確認の声をかけられる。
「……さて。行くとしますか」
お姫様のようにともひろが差し出した手にエスコートされて、椅子から立ち上がった。
チャペルまでの道のりをゆっくり、ゆっくり、ふたりで今までの過去を思い出すように歩いた。
出会い、共に過ごし、一時は別れたけれど、また共に在る今。
目を閉じれば瞼の向こうに、ふたりの思い出が昨日の出来事のように、思い出される。
あの頃の私は、こんなふうにともひろと歩く未来を、想像できただろうか。
できなかった。
できなかったけれど、本当はずっとずっと、この幸せを望んでたんだと思う。
ともひろの手を取った時点で、彼のいない未来なんてもう、考えられなかった。
繋いだ手からぬくもりが伝わる。
あまりに幸せすぎて、感情が追い付かない。
高ぶる気持ちが抑えられなくなって、未来への扉が開く前に、耐えられない思いがしゃくりあげてしまう。
それに気付いたともひろが、そっと肩を抱き寄せてくれた。
「泣くなよ」
「だ、……っ」
こぼれた涙をともひろの指が優しく拭う。
「あとで、たくさん泣いていいから。たくさん抱きしめてやるから。今は、とにかく笑え」
隣で微笑んでくれる人は、優しくて心強くて、温かい。
いつもいつも支えてくれた大好きな人。
「……うん」
頷くと、再び涙が滲んだ。
大きな扉の前に立つ。
この扉の向こうには、壁も天井も、骨組み以外はすべてガラスで覆われた、開放感溢れる空間が広がっている。
爽やかな緑と、青空と、降り注ぐ陽の光。
晴れていれば、最高のロケーションだ。
プランナーの瀬戸ちゃんから、最終確認と式の流れを簡単に説明される。
扉が開くまで、このまま待機だ。
「……ねえ、ともひろ」
「うん?」
「雨、降ってたけど、もうやんでるかな」
チャペルまでの道は窓もない大理石の壁に覆われていて、天気がわからなかった。
扉を開けた瞬間、雨じゃないことを心から願う。
「とわは雨女だからな。式当日は絶対、雨になるって思ってたよ」
「もう。ともひろまでそういうことを言う。さっき奏多にも、同じコトを言われたのに……」
拗ねて唇をすぼめた私を、ともひろが笑う。
「オレ、結構雨、好きだけど? 雨が降る前の匂いとか、雨が降るときの音とか。すごく落ち着く」
「前にもそんなこと言ってたね。なんで?」
理由を聞いた気がするけど、ともひろは教えてくれなかった。
「雨が降るときにはさ、かならずそばに、とわがいるから。オレにとって雨の思い出は、全部とわなんだよ」
「……なにそれ。あまり嬉しくないんだけど………」
連想してもらうなら、雨よりも青空の方がいいもの。
「…ははっ。それはそうだけど。でもほんと、雨も悪いことばかりじゃない。だって──────」
「もうすぐ、入場になります。よろしいですね?」
瀬戸ちゃんが式の開始を確認したことで、ともひろの言葉が中断された。
扉の向こうから静かに、奏多のピアノの音色が聞えてくる。
ゆっくりと未来への扉が開かれる中で。
ともひろがそっと、私の耳元で囁いた。
「……とわ。雨上がりにはさ、ほら」
遥か彼方に虹が見える──────。
大きく開かれた扉の向こう。
目の前に広がったのは、数え切れない祝福の笑顔と、泣きたいぐらい青空。
雨上がりの空に美しく現れる七色の虹が、雨粒をキラキラと反射させた窓の向こうに輝いて、私の心を強く奮わせた。
それはまるで、とわの彼方の未来に続くような、七色の希望の架け橋。
感動に見上げた私に、ともひろが笑った。
「──────な。雨も悪くないだろ?」
〜 FIN 〜
* あとがき *
2007年から連載を始めて、約3年。
ようやくとわを幸せにしてやることができて、ホッとしています。
『とわの彼方に』は、『魔法のコトバ*』と違って、いただくコメントがとても熱くリアルで、読むたびに一喜一憂させてもらいました。
ともひろ派、奏多派。
どちらを支持するかによって、コメントの内容がまっぷたつ!
婚約者の存在を暴露した辺りのともひろに対するコメントは、ホント、恨みがこもって怖かった〜(笑)
後半戦で、ともひろの支持率は取り戻せるのか!?
あの当時の私の悩みの種でした(笑)
もちろん十人十色、人の好みはそれぞれ違うにしても、私の中でとわを幸せにするのはともひろだと、最初から決まっていましたので、正直辛かったのがあの当時の本音です。
やっぱり「キライ」と言われるよりも「スキ」と言われるほうが嬉しいですもの。
でも皆さま、とわの視点で感情移入してくださっているからこそのご意見。
コメントを読みながらしみじみ痛感させていただきました。
書き手をわくわくさせてくれるたくさんのコメントに、本当に本当に感謝です。
タイトルの意味。
話のラストで、ご理解いただけましたでしょうか?
「タイトルの中に”かなた”とあるので、最終的には奏多とくっつくのでしょうか?」
連載中にその類のコメントを、何度いただいたことか。
タイトルに惑わされた方、本当に期待を裏切ってごめんなさい。
作者としてはしてやったりです(笑)
奏多の名前の由来は、タイトルからではなく、読んで字のごとく『多くを奏でる人』。
ピアノ弾きなのも、ラストで奏多に弾いて欲しい曲があったから。
コブクロの『永遠に ともに』。
大好きで、大好きで。
ラストは絶対にこの曲が似合う終わり方で、と決めていました。
バージンロードを歩むとき、指輪を交換し合うとき、奏多にぜひ奏でてもらいたい。
とわとともひろの名前も、実はこの曲から来ていたりしています。
某芸能人のおかげで、ご存知の方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、本当に素敵な曲です。
機会があればぜひ、この曲を聴きながら余韻に浸ってもらえると嬉しいです。
このふたりでの続編は考えておりません。
けれど、プロポーズからラストまでの空白の二年の間のエピソードを、実はもういくつか書いてます。
本編に組み込もうかどうしようか迷ったけれど、ないほうがキレイなので外したエピソード。
近いうちに更新できるかと思います。
そのときはまた、温かく見守ってやってください。
内容は、間違いなく甘いです(笑)
それでは、長々と書きましたが、これにて『とわの彼方に』は終了です。
こんなところまで読んで頂いて、ありがとうございました。
よろしければ感想、足跡など何でも残していただけると、とても幸せです。
今後とも『RS NOVELS』をよろしくお願いします。
本当に本当に、ありがとうございました!
Presented by RIKU*SORATA *『とわの彼方に』
* END *
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* おまけ *
もうこの際、陣内×則香カップルは置いといて(笑)。
ぜひとも奏多に挙式で弾いてほしい、コブクロの『永遠にともに』。
やっぱり名曲です。泣ける。