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魔法のコトバ* Season9 初恋〜サイド蒼吾-10-
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「後ろ、乗れるか?」
門扉から自転車を引っ張り出しながら、佐倉の妹、千尋に声を掛けた。
「あ、はい。大丈夫です」
控えめに頷く小さな頭。
うちの姉妹と違ってすっげぇおとなしい。
兄貴の方もどちらかといえば物静かなタイプだし。
育った環境の違いか?
何を考えてるのかはさっぱりわかんない兄貴だけどな。
出してきた自転車を一旦止めて、姉貴が持ってきた座布団を後ろの荷台に敷いてやる。
「すみません、遠いのに」
「いいって。小学生が遠慮すんなって」
お前の兄貴はムカつくやつだけど、妹は別。
佐倉が転入してきたあの日。
どういうきっかけかは知らないけど、深青は千尋と友達になった。
初めてうちに連れてきた時はマジでびびった。
ほんと佐倉のミニチュア版って感じで。
名前を聞かなくてもすぐ分かった。
あいつの妹だって。
ていうか。
どうやったらあの性格悪い兄貴から、こんな控えめな妹が出来るんだよ?
想像つかねぇだろ。
どっちかっていうと園田と雰囲気が被る。
引っ込み思案でおとなしい感じとか。
いつもおどおどしてるところとか。
顔は佐倉そっくりだけど。
「…あれ?蒼吾?」
背後から声がして振り返ると、きょとんとした顔で日下部が突っ立ってた。
「どうしたの?こんな時間に」
腕時計と俺の顔を交互に見比べる。
「お前こそ」
部活にしては遅すぎるだろ。
もう午後の8時をとっくに回ってる。
「私は予備校」
当たり前のように呟いた。
嫌な響だな。
俺とは無縁の世界。
日下部は昔っから頭がいい。
夏休みの宿題とかよく見せてもらってた。
自分の為にならないから駄目だっていいながらも、夏休み最終日になると見せてくれるんだよな。
どうせやってないんでしょ、って。
何でもお見通しなんだ。
「帰り、あんま遅くなんなよ?」
「え?まだ9時前だよ?」
小さく笑う。
ていうか、日下部。
自分が可愛いって自覚ねぇだろ?
夜道をひとりで帰るの危ねぇじゃん。
中学の時もあんな事件があったし。
「ね。その子、誰?」
俺の後ろを不思議そうに覗き込む。
「ああ。深青の友達。これから送って行くとこ」
「へぇ〜」
日下部がその場にしゃがみこんで千尋の顔を覗き込んだ。
「私、日下部凪っていうの。あなたは?」
「あ…、千尋…です」
「千尋ちゃん?」
こくんと恥ずかしそうに俯く。
「佐倉…千尋です」
「…え?佐倉って…」
日下部がこっちを見た。
「あいつの妹」
「へぇ〜。そうなんだ。いわれてみれば似てるかも」
まじまじと千尋の顔を覗き込む。
千尋が恥ずかしそうに俯いた。
「自転車の後ろに乗せるの?」
「ああ」
「このお兄ちゃん、運転荒いからしっかり掴まっとくんだよ?」
「…はい」
「なんだよ、それ。人乗せて荒い運転なんてしないって」
「うそばっか。この前、守口君乗せて土手沿いを猛ダッシュしてたでしょ?私、見たよ」
「あいつは男だろ?」
こんな小さな子どもを乗せて、いくら馬鹿な俺でもそんな事やらねぇよ。
「どうだか。くれぐれも怪我だけはさせないでよね」
呆れたような顔でこっちを見た後。
またね、って。
千尋の頭を軽く撫でて、そのまま俺の横を通り過ぎようとした。
「日下部」
その背中を呼び止める。
「なに?」
2件隣の門扉に手を掛けたまま、日下部が振り返った。
「…園田が美術部入ったって、知ってるか?」
知らないわけないよな。
友達だし。
「うん。知ってる」
黒目がちな大きな目がこっちを見た。
「なんで蒼吾が知ってるのよ」
「帰りに会った」
「ましろと?」
頷く。
「あいつと一緒だった」
「あいつ?」
「───佐倉」
俺の横の小さな体が、ピクリと動いてこっちを見上げた気配がした。
「…そっか。それで…。それで元気なかったんだ、蒼吾」
「元気がない?」
俺が?
「相変わらずだね、佐倉のことでやきもきする蒼吾。
あの頃からちっとも変わってない」
「……」
「蒼吾らしくないよ?考えるよりも先に行動するようなやつが。自信ないの?」
園田の事に関してはいつも自信なんてない。
キスしたあの時の、ひどく怯えた顔が頭から離れない。
あの丸っこい目に涙をいっぱい浮かべて、俺を見上げた時の表情が強烈に焼きついて、いつも行動を鈍らせる。
臆病になる。
俺にとってもあの日のキス事件はトラウマだ。
日下部がため息をついた。
「ましろの事、ちゃんと捕まえておきなよ?でないと…───」
でないと、なんだよ?
「…何でもない」
言葉を飲み込んで小さく笑う。
その先の言葉がすっげぇ気になるんだけど。
途中でやめんなよ。
「早く送ってあげたら?明日も学校でしょ?蒼吾も練習試合じゃなかったっけ?」
よく知ってんな、日下部。
ていうか、試合だっていうのすっかり忘れてたよ。
ヤバイ。
「今度こそ、じゃあね」
「ああ」
「おやすみ」
綺麗な顔で微笑みながら、家の中に消えていく細いシルエット。
参ったな。
あいつはいつも何でもお見通しだ。
風呂上りだってのにもう汗をかいてるその頭をガッと掻き毟って。
「じゃ、行くか」
ポケッっと突っ立ってた千尋に声を掛けた。
あいつと同じ横顔は、やっぱり汗ひとつかいてないような涼しげな顔をしていた。
園田の隣で笑う余裕たっぷりな横顔を思い出す。
小さな体が後ろの荷台に座ったのを確認して、自分も自転車にまたがった。
「…あの…」
その背中をくいっと引っ張られた。
「ん?」
顔が曇ってる。
「どした?」
何か言いたそうに唇をきゅっと噛み締めた顔。
「…さっきの…日下部ってお姉ちゃん、…お兄さんの彼女?」
「日下部?」
こくんと頷く。
「あいつは家が近所の幼なじみ。別に彼女でも何でもねーよ」
見上げた顔が安堵の表情に変わる。
何でだ?
「日下部の事、知ってんの?」
佐倉と同じ顔がひどく困ったような顔をした。
「…あの人、見たことあるの」
同じ校区内だし近所といえば近所だよな。
あいつ、美人だから目立つし。
「外で見たんじゃなくて、その…」
小さく口ごもって俯く。
なんだ?
ちょっと様子が変だ。
「お兄ちゃんの…部屋で……」
それ。
どういうことだよ。
「すごく綺麗な人だったから、覚えてる。たぶん、間違いないと思う。
さっきの日下部ってお姉ちゃんだった…」
「どういうことだよ千尋。説明してくれるか?」
「お兄ちゃんのスケッチブック。あの人の絵が、いっぱいあった───」
────は?
なんだよ、それ。
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