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魔法のコトバ*  Last Season 魔法のコトバ-1-

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Last Season  魔法のコトバ -1-

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年が明けた。
冬休みは特に何かをするわけでもなく。
家族と過ごして、凪ちゃんと初詣に行って。
なんとなく過ごしているうちに終わってしまった。

あの日。
私を抱きしめて囁かれた蒼吾くんのコトバは。
ずっと胸の奥深く燻ったまま。
噛み締められたたった二文字のコトバを。
私はまだ、伝えられてはいなかった。








新学期早々、呼び出された。
呼び出したのは美術部の顧問、清水先生。

「───部の…代表ですか?」
予想もしていなかった話の内容に、目を何度も瞬かせた。
てっきり。
長期に渡って欠席していた事を咎められると思っていたから。
清水先生は綺麗な顔をほころばせながら、ゆっくりと話を続ける。
「ほら、エントランスホールに大きな絵が飾ってあるでしょう?あれ、うちの部生が描いたものなのよ?
毎年、卒業シーズンに代表の生徒に描いてもらって、それを卒業式の日から一年間、飾るの。卒業生へのはなむけとして。
今年の二年生はデジタル専攻の子達ばかりでしょう?だから、園田さんにお願いしたいという話が出てるんだけど…。どうかしら?」
そんなの無理に決まってる。
美術部に入ったのもついこの間。
やっと一枚、ちゃんとした絵を仕上げたばかりだっていうのに。
「学祭の園田さんの絵、とてもよかったわ。好評だった。何か迫り来るものがあって。あんな絵をもう一度描いてほしいと思うのだけど…」
清水先生はかけていた眼鏡をそっと外して。
「やってみない?」
私に微笑みかけた。


うちの学校のエントランスホール。
そこに飾ってある大きな大きなキャンバス。
両手を広げたよりもずっとずっと大きいの。
それに描かれているのは屋上から見える夕暮れの風景。
黄昏色の淡い淡い、それでいて温かい色合いの絵。
思わず立ち止まって見上げたくなるような素敵な絵。
私も。
何度も立ち止まって見たよ。
毎日、生徒やセンセイたちを迎え、一日を見送る。
そんな絵を私が?


「私には…ちょっと、難しい…です……」
「どうして?」
「…どうして…って…」
認めてもらえたのは嬉しいけど、胸を張って引き受けられるほどの度胸も実力も私は持ち合わせていない。
「そんなに気負わなくてもいいのよ?別にどこかに出展するわけでも、偉い方が見に来るわけでもないのだから」
「…でも…」
「普段どおりにやってもらったので構わないの。今から取り掛かれば、時間も十分にあるし」
「…でも……。やっぱり、無理です…」
頭を深く下げた。

それを見て先生が大きなため息を零した。
「どうしてやらないうちから簡単に答えをだしちゃうかな?」
トントン、って。
考え込むような表情で机を指で叩く。
「園田さんは、これからどうするつもり?」
「え?」
「進路。そっちの道に進むつもりはないの?」
そんなの…考えてみたこともなかった。
まだ一年生だし。
「これから美術を専攻していくのであれば、いいチャンスだと思うのよね?エントランスホールはいわばうちの学校の看板。いろんな人の目に止まるからチャンスも転がってる。
まだ一年生だからって、呑気に構えてたら、三年間なんてあっという間よ?」
「……はい…」
担任でもないのにそんなことを言う。
でも、この先生は担任でもそうじゃなくても、生徒を大事にしてくれる先生だって知ってるから、そこのところは嫌味には聞こえない。
素直に聞き入れられる。
特に美術部生には優しいの。

「まぁ。急な話だったものね。少し時間をあげるから考えてみて?
この機会に進路のことも考えてみるといいわ。遠い未来のことではないんだし」
「はい…」
「佐倉くんはそこのところをよく、考えてるみたいよ?しっかりした子ね」

佐倉くん?
そうだ、彼がいた。
私なんかよりもよほど、彼の方がすごい絵を描くじゃない。

「…あの…」
「なぁに?」
「佐倉くんは、候補に上がってないんですか?」
「ああ…。もちろん彼も上がってはいたんだけど、…辞退したわよ」
「辞退…?」
「ほら、あの子。時間がないから」

なんの?




「あら、園田さん。聞いてないの?」















私は、走った。
何がそうさせているのかわからないけれど、とにかく走った。
「あ、園田さん。バイバイ」
時折、すれ違うクラスメイトの声なんて。
全部無視して、全力で駆けた。
普段、こんなに走る事なんてないから、息が切れてしょうがない。
肩で息をしながら、顔を上げた先。
目的の場所への入り口。
何度も何度も開けた扉の前で、私は大きく息を吐くと。
思い切ってそれを開けた。




久しぶりだった。
つんと鼻をつく絵の具や石膏の独特な匂いも。
画材がいっぱい並んだ殺伐とした部屋の風景も。
そこだけがまるで、時間の流れから切り取られたような穏やかな空間も、なにひとつ変わっていない。
たったひと月半、こなかっただけなのに、ひどく懐かしく思えた。
何だかわからない感情が込み上げて、唇をきゅっと噛み締めた。


窓辺の指定席にいつもの横顔を見つけた。
外は手が悴んでしまうほど寒いのに、ひとつだけ開いた窓は変わらないまま。
キャンバスに向かう凛とした横顔は、真剣な色を湛えて。
繊細な感性が彼の目に写る切ないまでの世界をそこへ描き出す。
声をかけようか躊躇って、その名前を飲み込んだ。
時折、窓の外を見つめるその表情。
佐倉くんの想いはひたすらすぎるほどに、彼女のもとにある。
それは今も変わらない。



「…ましろちゃん…?」

先に気付いたのは佐倉くんだった。
凛とした表情に少し驚きを浮かべて、柔らかいトーンで名前を唇に乗せる。
私を見つけた顔が、穏やかな笑顔に変わる。
一瞬。
トクン、と心が跳ねたけれど。
それは思っていたよりも穏やかで、自分でも驚いた。


「久しぶりだな。元気だった?」
その問いに、こくりと頷いてみせた。
「美術部、復活?」
嬉しそうに笑う。


まだしばらく、ここには来ないつもりだったのに。
気がついたら走り出していて、ここに来てた。
職員室で聞いたあの言葉が、頭から離れない。


「先生から聞いた?エントランスホールの絵の話」
「…うん。聞いた…」
「すごいよな」

嬉しそうに笑う。


「引き受けるの?」
「…わかんない」
「ましろちゃんなら大丈夫だよ。学祭の絵、すごかった」
「…どうして佐倉くんはやらないの?私よりも上手でしょう?」
「俺はいいよ。他にやりたい事あるし。ましろちゃんにゆずる」
「ゆずるって…」

理由はそれだけ?
違うでしょう?


「それになんだったら俺は来年、引き受けてもいいし。な?」

穏やかな顔で覗き込む。


佐倉くんはそこにいるのに。
すぐ、側にいるのに。
それがひどく遠くに見えた。




「…うそ…。

佐倉くん、うそばっかり…っ」



びっくりするぐらい大きな声が出た。
怒ってるのか。泣いてるのか。
それさえ自分でわからない。
彼が一瞬、驚いて。
キャンバスに置かれた手が止まった。

でもそれは、ほんの一瞬で。
そんなことなんてまったく気にする様子もなく。
「…どうしたの?」
って、穏やかな顔で笑う。
それがあまりにもいつもと変わらないから、泣きそうになる。






「…来年なんて…ないんでしょ?」





佐倉くん。





「東京、行っちゃうって…ホント…?」






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魔法のコトバ*  Last Season  comments(8) -
魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-19-
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Season10  気持ちが動く瞬間-19-

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体中の。
ありとあらゆる水分が上気して沸騰した。
そういう表現が正しいと思う。

心の中まで見透かしてしまいそうなぐらいの真っ直ぐな瞳が、じっと私を見つめて。
蒼吾くんの気持ちが、思考の中まで流れ込んでくるみたいな気がして。
どうしようもなく苦しくなった。
呼吸がうまくできない。



たぶん。
抱きしめられたら、私はおしまいだ───。







そう思ったら、体に力が入った。
風船に息を吹き込むみたいに。
そしたら次の瞬間。

がこんッ!!

物凄い音がした。


星が飛ぶっていうのかな。
それぐらい勢いよく、教卓に頭をぶつけてしまった。
あまりにも動揺しすぎて。
今いる場所とか、状況とか。
すっかり頭の中からふっ飛んでしまってた。


「…った……いっ」


ぶつけた頭の痛みよりもずっと、胸が痛い。
その痛みをぶつけたせいにして、唇をきゅっと噛み締める。
いろいろな感情が複雑に混じり合って。
涙が浮んだ。




「お前…急に立つなよ〜。てゆーか、拒否りすぎ」


私のそれを。
本気で驚いたように目を丸くして。
呆れたように、ちょっぴり拗ねたように。
それでも笑いながら。
大丈夫か?って。
私を心配そうに覗き込んで蒼吾くんが吹き出した。


「園田がそんなに動揺すんの、初めて見た」
「…だって…」

だって。
抱きしめていい?なんて。
そんなこと、急に言うから。

「平気か?結構、派手にぶつけたけど…」
心配そうに差し出された手を、思わずパシッって払ってしまう。

「…あ」

蒼吾くんが小さく呟いた。
その声は明らかに驚きを隠しきれない声。

「怒ってんの?」
「…怒ってないよ…」
「嘘つけ。顔が怒ってる」
「怒ってない…ってば…っ」

自分でもびっくりするぐらい大きな声が出た。
気まずくて、唇を噛み締めて足元をじっと見つめる。
そうでもしないと溢れてしまいそうな思いを抱えることが出来ない。
でもそれが、蒼吾くんの目には怒ってるように映るのかもしれない。




「…夏木くんはずるい。…ずるいよ…」


私の気持ち知ってるくせに、それでも真っ直ぐに気持ちをぶつけてくる。
気持ちが負けそうになっちゃう。
「なんだよそれ。何がずるいんだよ?」
「…だって…」
「なに?」

「…だって……っ」


視線がぶつかって、蒼吾くんの真剣な色を湛えた瞳がじっと私を見つめる。
私の言葉を。返事を、待ってる。

「私……」

喉元まで出かかったたった2文字のコトバ。



─── 蒼吾くんが、 ス キ ───。



それを。
飲み込んでしまった。





「…ごめ…ん…」


私はやっぱり弱虫だ。








「なんだよそれ。…お前の方がずるいよ。いつも逃げてばっかで」



俯いた視界に蒼吾くんのつま先が見えた。
かかとを踏んで、少し薄汚れた上靴。
「そうやって下、向いてばっかでさ」
それがゆっくり近づいて。
体の横に降ろされた蒼吾くんの拳が、ぎゅって握りしめられた。
いろんな感情が、蒼吾くんのその拳の中で握りしめられている。
そんな気がしてならない。

「それって、俺が嫌だから?
それとも俺のこと…ちょっとでも意識してくれてんの?」

弾かれたように見上げた視線を蒼吾くんの瞳が絡め取った。

「───どっち?」



心の奥まで見透かしてしまいそうな強い瞳に私が映って。
それがだんだんと近くに見えて。
あ。って思った時には。



抱きしめられてた。




「…俺、お前のそういう顔見んの、もう、結構限界…」




喉の奥が乾いて苦しい程に、抱きしめられた身体が悲鳴を上げた。
名前を紡ぐことも出来ないくらいに強く、強く抱きしめる。

蒼吾くんは気付いてるのかもしれない。
私の気持ちが少しずつ流れているのを。
微かな心の変化を。
確かに感じ取ってる。



「気持ち、リセットしてくれよ…?」



肩口に深く顔を埋めて蒼吾くんが耳元で呟いた。
急いでそこから離れようとしても。
息苦しくなるくらいにぎゅっと抱きしめた腕を離そうとしてくれない。




「…無理だよ…。
気持ち…そんなに簡単じゃない…よ……」

「俺だって。簡単じゃねぇよ」


また。
強く抱きしめられる。






校舎がじっと静寂を鳴らして、グランドからは微かに部活動の声がする。
蒼吾くんの肩越しに、白いものが見えた。
窓の向こう。
それはゆっくり舞い落ちる。




「俺。お前以外、考えられねーから…。だから…───」




─── 俺のこと、好きになってよ  ───





空っぽだった私の心に。
蒼吾くんのコトバと気持ちが降ってくる。
優しく。温かく。柔らかに。
どこまでもどこまでも、真っ直ぐな気持ち。
それはまるで、雪のように白くて柔らかくて。
なのに、あったかくって。
いっぱいになって溢れちゃうんじゃないかって思った。


ましろのしろは雪の白。
真っ白な雪は、人の心も真っ白に変える魔法の白。



しんしんと降りづづいた雪は。
また街を真っ白に変えた。

空っぽだった私の心に。
蒼吾くんの気持ちが、簡単に入り込んでしまった。





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魔法のコトバ  Season10 comments(6) -
魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-18-
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Season10  気持ちが動く瞬間-18-

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「───蒼吾…っ…!?」


教室を覗き込んだ守口くんの声。
ぱこぱこ、って。
上靴のかかとを踏んだスリッパみたいな足音。
動物園の熊みたいに、教室と廊下を行ったり来たり。

ぱこぱこぱこ……ん。



「…あ…れ……?」





すぐ近くで聞こえるのに。
遥か遠くから聞こえるような錯覚に陥る。






なんで。

どうして、こんな状況になっているのか、わからなくて。
雪のように真っ白になった頭が一瞬、思考を止めた。




腕を強く引かれて。
滑り込むようにして潜った教卓の下。
私の小さな体は、蒼吾くんの膝の間にすっぽりと収まっていて。
その大きな肩に頭を乗せるような形で、座り込んでいた。
大きな手のひらが庇うように背中に添えられて。
セーラー服の向こうに、彼の体温を感じる。

「…夏───」
「シッ」

唇に押し当てられた手はじんわりと汗ばんでいて。
それがますます蒼吾くんの存在を意識させる。








どうしよう。




どうしよう…っ。







「…っかしいなぁ……?」

ふて腐れたように呟く声と、教室を覗き込んだ足音が、だんだんと遠ざかっていって。
何もなかったかのように、教室に静寂が戻る。
静かすぎて。
耳の奥が痛い。
じっと空気が鳴ってる気がする。
ただ聞こえてくるのは、蒼吾くんの吐息と私の鼓動。
一度跳ね上がってしまったそれは、止まることはなく。
ますます加速していく。
吐息で前髪が揺れるぐらいに近い蒼吾くんとの距離が息を詰まらせる。
呼吸がうまくできない。
全身で。
蒼吾くんの存在を意識してしまう。

喉の奥が乾いて、唇が震えて。
どうしようもないくらいに、熱くてたまらない。





「…っぶねぇ〜……」
大きく息を吐いて。
「しつこいよな、アイツ」
呆れたような声で笑う。

笑い返す余裕なんてなくて。
私は。
そこに座り込んでしまったまま動けない。




「…園田。平気…?」




前髪が揺れた。





「…園田…?」





「……」





「立てる…?」




鼻の奥がつんとして。
落ち着こうと吸った呼吸が上手く出来ない。
ちょっと気を抜いたらすぐに声が緩んでしまいそうで。
震える気持ちをきゅっと噛み締めた。



「…大丈、夫…」



強がってはみるけれど、大丈夫って笑顔を作れるほど気持ちに余裕なんてなくて。
ただ俯くばかり。




「もうアイツ、いねぇから、出ても大丈夫だぞ?」
「……」
「俺、お前が出てくれないと、出れねーし」

「……うん…」

わかってる。
でも、立てないの。
体中から力が抜け落ちて、全く力が入んない。


きっと私。ひどい顔してる。

俯いた顔に長い髪が掛かって、それをうまく隠してくれる。
それだけが救い。






なのに。



「…髪。ジャマじゃねーの?」


蒼吾くんがその髪をそっとかき上げた。
暗かった視界が急に明るくなって、飛び込んできた世界。

ドクリって。
それこそ痛いくらいに。
心が高鳴った。




髪に防御されて気付かなかった蒼吾くんとの距離が。
すごく。近い。
少しでも顔を上げれば。
触れてしまいそうなぐらい側にある蒼吾くんの唇。
突き上げられた激しい胸の痛みで、まともに顔が見られない。
なのに絡まってしまった視線は外すことができなかった。




「…な。園田…」




その唇がゆっくりと動いた。



「この状況、俺的にはすげぇラッキーなんだけど…」



彼が呟く。





「このまま、抱きしめても、い?」







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魔法のコトバ  Season10 comments(6) -
魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-17-
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Season10  気持ちが動く瞬間-17-

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こんな日に日直なんて。
つくづくクリスマスというものには縁がない。
そんな気がする。
生まれてから15年間。
クリスマスカラーが街に溢れて、色とりどりの電飾が点灯するこの日を。
家族以外の大事な人と過ごした事がない。


12月24日。終業式。
世間ではXmasイヴと呼ぶこの日。
書き終えた日誌をぱたんと閉じて、私は顔を上げた。
ついさっきまでの熱気の篭った教室とは対照的な静寂な空間。
やけに静かで、気持ちが和らぐ。
黒板には色鮮やかな文字。
<メリクリ!!>とか。<enjoy冬休み!!>とか。
浮かれた気持ちをめいいっぱい書き込んだ鮮やかな空間。
書きあがった日誌を教卓の上に置いて、それを消した。
壊れて意味を成さないクリーナーを横目に。
窓を開けて、パタパタと黒板消しを叩く。
粉雪のように白いチョークの粉が舞って。
私は、派手にむせた。

…最悪。



コホコホと涙目になりながら、制服についた粉を払って、ため息をひとつ零す。
黒板消しを元にあった場所に整列させて、黒板を見上げる。
「うん。完璧!」
自分のこなした仕事ぶりに納得しながら頷いて、日誌を手に取った。
これを先生に提出したら終わり。
明日からは冬休み。








帰り支度を整えて、教室を出ようとした時。
廊下から慌しい足音と声がした。
ふと、顔を上げると。廊下を走りぬけるそれと、目が合った。

「───あっ!!」

小さく声を上げた蒼吾くんは。

「よかった!まだいた…っ」

口を大きく開けて教室に滑り込んだ。
一歩教室を出ると、手が悴んでしまうほど寒いのに。
額には薄っすらと汗の粒。

「わりぃ!ちょ、ごめんっ!!」

顔の前で手を合わせ、小さく声をひそめると。
そのまま教卓下に大きな体を潜り込ませた。


え?え??…なに……!?


「夏…───」
「シッ!」
黙ってろ、って。
人差し指を口元に当てる。


「待ちやがれーっ!!蒼吾っ!!」


物凄い声と怒りを露にして、男子生徒が教室に飛び込んできて。
ビクリと体が飛び跳ねた。
ほんと、びっくりした。
それは向こうも同じで、目が合うと驚いたように声を上げた。
「あ…れ?…蒼吾、は?」
隣のクラスの守口くん。
「あいつ、ここに来なかった?」


あ、えっと……。


コツン、と。
足元が蹴られた。


「……来て、ない…」




「…マジで?」



コツン。
また、蹴られる。




「うん……知らない…」


仕方なく、また、嘘。



「……っかしいなぁ。絶対ここだと思ったんだけど…」


短髪を困ったようにがしがしと掻く。
なんか、すごく困ってる。
ていうより、怒ってる?

「…どうしたの?」

さりげなく聞いてみる。

「んー…。ちょっと、な」

言葉尻を濁してまた、頭を掻いた。

「あいつ、逃げ足だけは速いからなぁ」

舌打ち混じりに呟く。

うん。
逃げ足だけは天下一品だから。
それは小学生の頃から、ちっとも変わらない。


「あいつ、見つけたら言って!」
「う…うん……」
「俺、まだしばらく校内にいるからさ。アイツとっ捕まえるまでは、ぜってぇ帰るつもりねぇし。よろしくなっ!」
最後の方は怒りを強調するように、すごい勢いで捲くし立てた。
じゃ、って。
軽やかに廊下の向こうへ駆け抜ける。
あんなに走っても息ひとつ上がっていない。
さすが運動部って。
後姿を見送りながら、妙に感心してしまう。






「…行ったか…?」



足元から声がした。



「……うん」



私の返事を待ってから、蒼吾くんが足元から顔を出した。
窮屈そうに折り曲げていた体をぐんと空へ伸ばす。
でっかい体がますます大きく見えた。

「悪いな、園田」
助かったって、制服を軽く叩く。
「何、したの…?」
あの温厚そうな守口くんがすごい怒ってた。



「あ〜…。



あいつのチャリ、ぶっ壊した…」









え?





「ええっ?」
「わざとじゃねぇよ。事故」
嫌そうに眉根に皺を寄せる。


「どうして……」

自転車が壊れるなんて、よっぽどだよ。

「今朝、すっげぇ寒かっただろ?水たまりとか凍ってたし。だから姉貴がチャリは危ないから乗って行くなって、自転車禁止令」
「うん…」
「ガッコが終わったらどうしても行きたいところがあったからさ。取りに帰る時間もねぇし、涼に借りたんだ。
そしたら帰りに、ぶっ壊れた……」

蒼吾くんの制服はひどく汚れてた。
肩から肘にかけて、特に。

「あいつの自転車、すっげーんだぜ?ギアが6段もあってさ。
調子に乗ってフル活用してたら、使い方誤ったみたいでさ、チェーンが外れやがった…」
最後は、申し訳なさそうに小さな声。
「で。押して帰る時間がなかったから、めんどーだし土手において帰ったんだ。帰りに取って帰ってくれってゆったらあいつ、ぶちきれやがった…」

「…それは…」


怒るよ…。
守口くんじゃなくても。

「だってあいつ親友じゃん?それぐらいでさ」
ちっちぇ男だよな、って拗ねたように肩をすくめた。
その肩から背中にかけて、枯れ草や泥がついてる。
どんな格好で転んだんだろ…。


「…今、想像笑いしたろ?」
「…あ、ううん……」

慌てて首を横に振って否定。

「ぜってー笑った」
「…笑ってない、って…」

どんな顔して転んだんだろ。
すごく慌てたんだろうな。
それを想像したらおかしくって。
つい、笑みが零れてしまう。



「ひっでーな、園田。笑うな」
「ごめん…。
…でも、どうしてそんなに急いでたの?」

「───あっ…!!」

やべっ!忘れてた、って。
思い出したようにでっかいスポーツバッグを開けて、中を覗き込んだ。

「…っかった〜。無事〜」

大きなため息をついて、安堵の声に肩を落とす。
そのままバッグの中から何かを取り出すと。
「やる」
私の前に突き出した。

「…なに、これ…」

見覚えのある小さな紙袋。

「開けてみ?」

袋を開くと、ふんわり甘い匂いがした。
そっと中を覗き込むと、真っ白なホワイトノエルがひとつ。
ちょこんと入ってる。
期間限定のミスドのクリスマスノエルだ。
どうして……。
「これを園田に渡したくってさ。今日までだろ?これ」
わざわざ、この為に?
「上の姉貴がミスドでバイトしてんだよ。今日、ちょうど店に入っててさ、こっそりおまけしてもらった。ほら、サンタふたつ乗っかってるだろ?」

ノエルの上にちょこんと座ったサンタクロース。
まるでキスをしているみだいに、顔を寄せて座ってる。
あまりにそれが可愛くて、思わず顔がふにゃりと緩んだ。
「園田、好きじゃん。ミスド」
うん。
毎日でも食べたいくらい、大好き。


「…ありがとう…」


つられて蒼吾くんも笑う。


「でも…私、何も用意してないのに…」
「いいよ、別に。見返りを期待して買ってきたわけじゃねぇし。ただ単純に園田の喜ぶ顔が見たかったっていうか…。こんなもんでごめんな?」
照れたように笑う。
その笑顔に。
トクン、と。心が揺れた。

「そういえば、鈴木は?」
「帰ったよ…」
そんなのとっくの昔に。
「あいつも日直だろ?」
「…そうだけど…」

クラスメイトの鈴木くん。
他校の彼女との待ち合わせに間に合わないとかで、私に仕事を全部、押し付けて。
とっくの昔に帰っちゃった。
園田は彼氏とクリスマス…ってこと、ねーだろ?って。
大きなお世話だっ…。


「相変わらずだな、お前」
ぷっ、って。
蒼吾くんが吹き出した。
「あの頃とちっとも変わってねーの」
「なにそれ…」
「人に頼まれると断れない性格。真面目で、おまけに騙されやすい」
肩を揺らして笑いを堪える。
それって失礼だよ、蒼吾くん。

「初めてお前と会った時もそうだったじゃん?水遣り当番押し付けられてさ、すっげー不機嫌そうにひとりで水遣りしてんの。
テキトーに終わらせて帰ればいいのに、それをやろうとしない。
すっげぇ真面目なやつって思った」
「…それって褒めてるの?けなしてるの?」
「褒めてんだよ。一応、な」
蒼吾くんが笑う。
一応は余計。



「でもさ。俺、そん時だったよ。…園田のこと、好きになったの」






「…え?」


「たぶん、一目惚れ」


「………」


「少女漫画じゃあるまいし、って思ったけどさ。視線を奪われるってゆーの?ほんとにあるんだな。そういうの。
フワフワした髪が陽に透けてすっげぇ綺麗で。…触ってみたいって思った」
「………」
「…なーんてな。ちょっとクサイ話だよな。ま、クリスマスだし、トクベツってことで。気にすんなっ」

最後の言葉は、豪快に笑った蒼吾くんの声にかき消されて消えた。







でも、私は。


それを軽く笑って流せなくらい。
ざわざわと胸の奥から込み上げてくる感情に押しつぶされそうになって、下を向いてしまった。






「園田?」


「……」


「あれ?また、マジに取った?」


顔が上げられない。



「…園田?」



「……」



「…なんで、黙ってんの?」



「……」







「…なんで…そんな顔するんだよ…?」







だって。
反則だ。そんなの。今さら。

あの時。
そんな風に思ってくれてたなんて。
恋が始まったあの日に、同じ風に感じてくれてたなんて。
それを今、言うなんて。








「…な。園田…」

柔らかい声が頭の上から聞こえる。


「…さっきの。
お礼とかプレゼントとかいらないってゆったやつ。

…やっぱあれ、なしにしてい?」





「…え?」







「髪……触っていいか…?」







ドクリって。

心臓が飛び跳ねた。






何言ってんのとか。
冗談ばっかとか。
笑って流しちゃえばいいのに。
そんな言葉が出なくなるくらいに、私を見つめる蒼吾くんの瞳が真っ直ぐで。
真剣な色を称えてた表情は、冗談なんかじゃなくて。
息が、止まっちゃうかと思った。









「───…触れて、い?」






伸ばされた大きな手のひらが宙を舞う。



いいなんて言ってないのに。
なにも言ってないのに。
宙を舞った手のひらがそっと、私の髪に触れた。
輪郭を優しく撫でて、髪の流れに沿って。
まるで壊れ物を扱うかのように優しく触れていく。
髪の一本一本までに、神経が通ってるんじゃないかって錯覚するくらいに。
優しく撫でる指の動きが、リアルに心へと伝わってくる。
触れた指先から伝わる体温に、鼓動が波打つように早くなる。


指が優しく耳の横を通り。
そのまま、髪の一束を掬い上げた。

まるで。
私の気持ちを掬い上げるかのように。




…どうしよう。顔が上げられない…。



ひどく。ひどく。真っ赤な気がして。
気持ちが全て、顔に出ているような気がして。
どうしようもなくて。
私は、きゅっと唇を噛み締めた。









……お願い、何か言ってよ。でないと、私…。







「予想通り」


空気が柔らかく動いた。


「髪。すっげぇ…柔らかいんだな」



蒼吾くんの笑顔は。
彼のコトバと気持ちを乗せて。
私の気持ちを簡単に攫ってしまった。

人が人を好きになるきっかけなんてほんの些細なことで。
その瞬間が、いつ訪れるかなんて。
たぶん、誰にも分からない……。





「園田」


「…え?」


「すっげぇ真っ赤」


笑いを抑えるように私を覗き込む。


「な。それって、さ…───」


言いかけて、蒼吾くんが顔を上げた。
何かを察知したように一度、廊下を振り返ると。
「…やっべ、いいとこなのに…っ」
短く呟いた蒼吾くんに。
そのまま腕を引かれて体が持っていかれた。



頭が真っ白になった───。







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魔法のコトバ  Season10 comments(5) -
魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-16-
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Season10  気持ちが動く瞬間-16-

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ふと。
誰かに呼ばれたような気がして。
ぼんやりと目を開けると、闇の色が飛び込んできた。
虚ろな瞳で体を起し窓の外へ目をやると、陽はいつの間にかとっぷり暮れていた。

…もうこんな時間……

6時間目の古典の授業までは覚えてる。
おじいちゃん先生の子守唄のような朗読が、あまりにも気持ちよくって。
教室の暖かさと、時折聞こえてくる蒼吾くんの気持ち良さそうな寝息に誘われて。
いつの間にか眠ってしまってた。
肩に掛けられた紺色のカーディガン。

…ましろ、こんなところで寝てたら風邪引くよ?…

夢うつつに聞いた声。
部活に行く前に凪ちゃんがそっとかけてくれた。






「────園田?」

低い声が空から降ってきて。
驚いたように見下ろす蒼吾くんと目が合った。
夢の中で聞いた私を呼ぶ声って、蒼吾くんだったの?



「お前、まだいたの?」
「夏木くんこそ…。部活は…?」
「とっくに終わったよ。何時だと思ってんの?」
腕時計に目をやると、pm7:00をとっくに回っていた。


「もしかして。あれからずっと寝てたんか?」
「そう…みたい……」
「さっき、先生が校内の見回りしてたぞ?」
「え…っ。ホント?」

その言葉に、私は慌てて鞄に荷物を詰め込む。
帰り支度なんて、ちっともできていないのに。



「夏木くんは? なにか忘れ物?」
「んーー…。体操着、取りに来たんだけどさ……」
そう言いながら、私の前の席に腰を降ろした。
後ろに体を向けて、トン、って。
肘を付いた手のひらに顎を乗せて、こちらを見上げる。






「…園田……」

「うん…?」

「お前、部活……、行ってねぇの?」







荷物を詰め込んでいた手が、一瞬。止まってしまった。
その小さな動揺を、蒼吾くんは見逃さない。







「……また、佐倉と、なんかあった……?」

蒼吾くんの瞳が。
あまりにも真剣な色を湛えて私を見つめるから。
大きすぎるくらいに首を横に振った。




「…何もないよ…。夏木くん、変に勘ぐりすぎ」
「じゃぁ、何で行かねぇの? …美術部、やめんのか?」
「……」
「あんなすげぇ絵が描けんのに…。絵、やめてしまうのか?」

表情を。感情を。
覗き込むみたいにして私を見つめるその顔がすごく真剣で。
私のことをすごく真剣に心配してくれてるのが分かるから。
思わずパッと、目を逸らしてしまった。


気まずい空気がじわりと間を流れる。
蒼吾くんの視線から逃げるみたいに、私はひたすら俯き続けて。
何とか次の言葉を紡ごうとするけれど、なんにも思いつかない。





ふぅ、と。
ため息を漏らす声が聞こえた。


「…送る」



カタン、って。
椅子を鳴らして蒼吾くんが立ち上がった。




「…いいよ…」
「外、真っ暗だぞ?」
「駅まですぐそこだし。……ひとりでも、大丈夫」


ふたりきりを意識したら、急に怖くなった。
コートを腕に掛けて、急いで立ち上がる。





「じゃあね」

できるだけ穏やかに笑って。
心の内を蒼吾くんに気付かれないように背を向ける。

…逃げたって。
蒼吾くんはまた、思うかもしれない。
肝心なところで私はいつも逃げてしまう。
その弱さや脆さをわかっているのに。
自分ではそう簡単には変えられない。










「────園田!」



腕がきつく掴まれた。



「送る」



低い声が鼓膜を揺らす。






「…いい、ってば……。駅まですぐそこだし、大丈───…」

「オレが大丈夫じゃねぇんだよ!」



静寂を壊すような蒼吾くんの言葉に。
ドクリと。胸の奥が音を立てた。





「お前のこと……、ひとりで帰すのは、心配なんだよ……」


トクン、って。
心が揺れる。
気持ちの波がざわざわと音を立てる。
どんな顔をすればいいのか、何て言えばいいのかわかんない。
そんな私を見て。
蒼吾くんが少し、困ったように笑った。


「…ほんとはさ。靴箱に園田の靴が残ってるのが見えたから…。だから戻ってきたんだよ。…送らせて───」



優しく笑って、私を覗き込んだ。












てのひらを色んな角度から擦り合わせて、はあっと息を吹きかける。
その息はすぐさま白くなって、小さな手の中へ落ちていく。

「───掴まってろよ」

鞄を前籠に突っ込んで、ペダルを強く漕ぎ出す。
蒼吾くんの藍色の自転車。
吐き出した真っ白な息は、すぐに闇の色に溶けて見えなくなってしまう。


「雪、溶けちまったな」
「うん…」
「ずっと積もってたらいーのにな」
「うん…」
「そんで、学校が埋まるくらいに積もってさ、さっさと冬休みに入る! それがベストだなっ」
「あはは…」

何の他愛もない会話を交わしながら、夜道を走り抜ける。


「園田、疲れたんじゃねーの?」
「そんなことないよ…。どうして?」
「お前、体力ないもん。明日、絶対筋肉痛だって」
「ひっど…。雪だるま作ったぐらいで、そんなのならないよ」

ぷぅ、と。頬を膨らませると。
そんな私の拗ねた様子を背中で感じ取って蒼吾くんが笑う。





「……な。園田の手。熱くね?」
「え…?」
「さっき園田の手を掴んだとき、熱かった。…やっぱ、調子悪いんじゃねぇの?」

住宅街を走り抜けて、土手への道を真っ直ぐに駆け上がる。
何も遮るもののない空間へ飛び出たら、びゅう、って。
切るような冬の寒さが頬をさらった。




ひどく静か。
耳の奥がキーン…、って。痛くなるほど。
他の雑音なんて聞こえてこない、静寂な夜道。
シャーーーって。
車輪が転がる音だけが、やけに鮮明に聞こえてくる。


「やっぱ、せーかい!
お前のその、エスキモーコート。夜はさっみぃよなーっ」


こんなに寒い日だっていうのに。
制服にでっかいマフラーをぐるぐる巻いただけの蒼吾くん。


「さっみーな」
「うん…」
「寒かったら、オレにくっついていーぞ?」

「……」

「…じょーだんだよ」

答えを返せなかった私を、蒼吾くんは笑う。

「ちゃんと掴まってろよ〜」

月明りに時折反射する自転車の藍の色が綺麗で。
どこまでも伸びていくシルエットが切なくて。
蒼吾くんのコトバのひとつひとつが優しくて。
涙が出そうになった。







────掴まってろよって、どこに掴まればいいの?

このコトバを。何度、聞いた?

この背中に。何度、助けてもらったんだろう。




初めは、転校二日目。
新しい環境へのプレッシャーに押しつぶされそうになって、道端に座り込んでしまった私を助けてくれた。
彼だと知らずに触れた優しい背中。

二度目はその日の帰り道。
鞄を人質に取られて、いやいや乗った自転車の後ろ。
無愛想な表情の。
ぶっきら棒なコトバの裏に。隠された彼の優しさ。
小学生だった蒼吾くんの成長を感じた大きな背中。

三度目は佐倉くんの気持ちに気付いてしまった放課後の夜道。
行き場がなくなってしまって、どうしようもなくなった気持ちのカケラ。
この大きな背中が全部、受け止めてくれた。
何も言わずに貸してくれる背中が。
すごく温かかったのを覚えてる。

四度目は学祭の買出しに行った午後。
悩んでいた私を。
気持ちが吹っ切れなくて、立ち止まったままの私を。
そこから連れ出してくれた力強い背中。


いつもいつも。
蒼吾くんは側にいてくれて。
いつもいつも。
私を見ていてくれていたのに。
あまりにも自然なその背中に、私はちっとも気付かなかった。
背中に隠した蒼吾くんの気持ちに、ちっとも気付かなかった。
知らず知らずのうちに。
私は何度、この人を傷つけていたんだろう────。






「────あっ!!」


蒼吾くんが短く呟いて。
キィィーーーーッって。
悲鳴のようなブレーキ音が鳴り響いた。





「…あっ、ぶねぇ〜……っ」



自転車を止めた蒼吾くんの視界の向こうを白い猫が横切った。

「轢く(ひく)ところだった…。セ〜フ……っ」

安堵の声を漏らしながら笑う。




「ごめん、園田。平気?」

トン、と彼の背中にぶつかった私の頬。
熱くて、熱くて。
どうしようもない。
声にならなくて、ただひたすら深く頷く。
そんな私を蒼吾くんが笑う。

「サドルでもどこでもいいからさ、ちゃんと掴まっとけよ?
俺、結構、運転荒いからな」

そう言ってまた、ゆっくりと自転車を漕ぎ出す。




…知ってるよ…。



クラスの男子や守口くんを乗せて、校内を全力疾走する姿。
遅刻しそうになって猛ダッシュで滑り込む姿。
手放しでどこまで乗れるか、なんてやってて、転んで頬を擦り剥いでいたのも。
いっぱい。いっぱい見たよ。
蒼吾くんのこと。
いっぱい。いっぱい。
考えた。
凪ちゃんに言われたコトバの意味も。



気が付けば、目で彼を追っていて。
耳が彼の声を手繰り寄せていて。
どんな遠くからでも見つけられるくらい、その姿を焼き付けた。
穏やかに流れていく心の波を。
それを認めてしまえば始まってしまう気持ちの理由(わけ)を。
認めてしまうのが、怖かった。





いつもは荒い自転車の運転。
今日はこんなに優しいのはどうしてだろう。
ゆっくり。ゆっくり。進めてくれる。
蒼吾くんの藍色の自転車。




…まいっちゃうな…。






「……園田…?」






ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ…。

その背中に触れてみた。
大きくてあったかいその背中に。



「お前、…やっぱ、熱くないか…?」



そう問う、彼の声が優しくて。
ゆっくり漕いでくれるペダルの音が胸に沁みて。





どうしてだろう。



涙が出た。











「あら〜。熱があるわねぇ。39度!
こんなに上がるまで気付かなかったの?」
ヒエピタをおでこに貼りながら、ママが呆れたように呟いた。
気のせいだと思っていた体の火照りは、ちっとも気のせいなんかじゃなくて。
平熱を軽く超えてしまった私の体は、あっという間にダウンしてしまった。
「何の熱かしら?」
頬を真っ赤に染めて寝込む私を、ママが心配そうにしていた。


ごめんね、ママ。
原因は分かってる。


普段考えないような事をいっぱい考えて。
蒼吾くんの事だけをいっぱい考えて。
気がついたら蒼吾くんのことばかり考えていた頭は。
あっという間に容量を超えて、パンクしてしまってた。






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魔法のコトバ  Season10 comments(2) -
魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-15-
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Season10  気持ちが動く瞬間-15-

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その日の朝は、すごくだるかった。
ピピピッピピピッ……。
目覚まし時計の代わりに、鳴り響く電子音。
36度3分。
平熱。

昨日は夜遅くまで本を読んだ。
いろいろ考えてたら眠れなくて。
だからかな。
頭の芯が、まだボーっとする。
太陽の光を浴びることで気だるい体を無理矢理起そうと、カーテンを勢いよく開けた。






「……う、そ…ぉ…」

窓を開けると眩いばかりの白が目に飛び込んできて、私は思わず声を上げた。



「…雪だぁ……!!」


いつから降ってたんだろう。
遅くまで起きていたはずなのに、ちっとも気付かなかった。
気だるさなんて吹っ飛ぶぐらい一面の銀世界。
朝日がどこまでも、キラキラと真っ白な雪に反射する。
まだ、誰も足跡を付けていない真っ白な雪原に早く踏み入れたくて、私は階段から転げ落ちそうな勢いで準備を始めた。











冬の匂い。冬の音。
切るほどに冷たい冬の空気が頬を撫でるけれど、そんなのちっとも平気。
凛と張り詰めたこの冬の空気が大好き。
澄んだ空気にピリリと背筋まで伸びちゃう。
分厚いコートを制服の上に羽織って、マフラーに手袋。
しっかり完全防備は、長い間、外にいても大丈夫な合図。
はぁ、っと吐き出す白い吐息が、今日は雪の白さに負けてる。
新雪を踏みしめると。
キュ。って、乾いた音がした。



「…ふふ…っ。ふふふふ……っ」


その音が嬉しくって、子どものようにはしゃいでしまう。
顔が緩んでしまってしょうがない。

ましろのしろは雪の白。
真っ白に雪が積もった朝に生まれたのよ。
雪が降るたびに、ママから何度も聞いた話。
だからかな。
雪は大好き。
ずっと。ずっと。積もってたらいいのに。





「…ましろ、変」
突然、後ろから声が降ってきて。
「おはよ」
振り返ると、いつもと変わらない綺麗な表情で、凪ちゃんが笑ってた。
「メールを見てから、急いで準備したよ。ましろ、突然すぎ!」
ちょっぴり怒った口調で、でも笑いながら、凪ちゃんが言った。
積もった雪が嬉しくって。早く外に出たくて。
いつもよりも1時間早く待ち合わせた凪ちゃんと、電車に乗り込んで学校に向かう。
「子どもじゃないんだからさ」
なんて言うわりには、凪ちゃん。
すごく嬉しそうなんだけど。
雪の白は、人の心も真っ白にしてくれる魔法の白だ。






「あ───────。
もうひとり、雪にはしゃぐ馬鹿がいた…」




真っ白なグラウンドに足跡をいっぱいつけて、フェンスの横にはでっかい雪だるま。
置きに行く時間さえ惜しむように、グラウンドの隅に放置された一台の自転車。
藍の色が、雪のコントラストでますます深く鮮やかに見えた。



───────蒼吾くんだ。



ごろごろとでっかい雪玉を転がして、2個目になる雪だるまの頭を作っていた蒼吾くんが顔を上げた。



「…おっ!
お前ら、はっやいなぁーーっ」


こっちに気付いて、でっかく手を振る。

普段、余裕を持って登校してる時間よりも1時間も早く登校してきたのに。
それよりも早くに学校に来てる。
何物!?


「そっちこそ。いつから来てたのよ?」
凪ちゃんの呆れた声。
「んー…、30分前くらい?」
「朝が苦手なくせに?」
「ほんとは朝練があったんだよっ。でもこの雪で中止。せっかく早起きしてたから、早く来たんだよ。悪いか?」
ふて腐れたように唇を尖らせて。
「…手伝えよ?」
雪玉を指差す。
「やだよ」
「その為に早く来たんだろ?」
「蒼吾と一緒にしないで」
「…じゃぁ、何で早く来たんだよ?」
その問いに、凪ちゃんがじわりとこっちを見た。

あ…。
なんか、やばそう…。




「ましろが早く行こうっていったの」
「…ふ〜ん。…じゃ、園田。手伝え」
「…え?」

私?


「早起きして、早く来て。その為の完全防備だろ?」
そう言って、偉そうに私を指差した。
「いくら雪が積もったからってさ、その分厚いコートはないんじゃないの? まだ12月の始めだぞ? まるでエスキモー…」
私の格好を見て笑う。
プッ、って。隣で凪ちゃんが吹き出した。
「あ…っ、ひっどー…。もしかして、凪ちゃんもそう思ってたの?」
「ごめんごめん…」
違うから、って、手を振って否定する凪ちゃんは。
蒼吾くんと顔を見合わせて、また、笑った。




…思ってんじゃん……。



ふたりの態度が、あまりにも失礼すぎて。
私はぷうっ、っと。頬を膨らませたけれど。
それはすぐに消えてしまった。




こんなに雪を見てはしゃいだのは、何年ぶりだろう。




凪ちゃんと蒼吾くんが。
普通に話してくれて。笑ってくれて。
それだけで。
体のだるさなんて、真っ白な雪の向こうへ溶けてしまう。
大きく、大きく。深呼吸をして。
冬の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


真っ白だったグラウンドは、いつもより早い時間に登校してきた生徒達の足跡で。
あっという間に茶色くなってしまった。










その日の授業はまるで子守唄。
うっつらうっつら。
舟を漕ぐ蒼吾くんがおかしくって。
隣で、珍しく大きなあくびをこぼしてる凪ちゃんがかわいくて。
頬杖をついて、ぼんやりと外を眺めながら、あくびをひとつ。


窓の向こうには小さな雪だるまが3つ。
桟のところにちょこんと並べてある。


あったかい教室と真っ白な窓の向こう。
先生の子守唄のような朗読に混じって、微かに聞こえてくる蒼吾くんの気持ち良さそうな寝息。
朝の気だるさが今頃になって襲ってきて。
私はじわりと目を閉じた。

うつらうつら……。


まるで小舟に揺られてるような気分で。
すごく、気持ちがよかった。







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魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-14-
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Season10  気持ちが動く瞬間-14-

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「食う?」
笑いを押し殺しながら、蒼吾くんがメロンパンを差し出した。
「いいよ…」
「昼飯、まだなんだろ?」
「う、ん…」
「自分の身を犠牲にしてまで、涼が持たせてくれたんだし、食ってけば?」
今頃、無残に切り取られたのが数学の問題用紙だったということに気付いて、守口くんは青くなってるかもしれない。
「だから、な? 食ってけよ」
無理矢理、手にメロンパンが握らされた。
手のひらを広げたよりもおっきなメロンパン。
こんなにも食べられっこないよ。

「お…! ご丁寧に牛乳も2つ入ってるじゃん」
どっちがい? って、私の前にトンってパックを並べる。
高原牛乳といちご牛乳。
「…じゃあ…」
私は苺の絵の描かれたピンクのパックを受け取って、ありがとうってお礼を言うと。
コンクリートの地面の上に、鞄の中に入っていた花柄のハンドタオルを敷いてそこに腰を降ろした。
すぐそばで蒼吾くんが、ガサガサとレジ袋の中身を物色して、焼きそばパンを取り出した。

「…夏木くん、それ…」
「ん? こっちのがいいか?」
替えちゃるぞ? と、袋を開けかけた焼きそばパンを突き出す。
そうじゃなくて……。


「さっき、お弁当食べてなかったっけ…?」
まだ食べるの?
「食ったよ? でも、あんなもんじゃ足りねーよ。これから部活だし」
そう言ってビニール袋を破り捨てると、豪快にかぶりついた。
まるでブラックホールにでも吸い込まれていくかのように、焼きそばパンがむしゃむしゃと蒼吾くんの胃袋の中に吸い込まれていく。
背は高いけど、体格は比較的細身。
無駄なぜい肉とか付いてなくて、筋肉で構成されてるって感じ。
典型的なスポーツマン体型。
これだけ食べるカロリーが消費されてしまうくらいに動いてるんだ…。
そういえば。
野球部で活躍している蒼吾くんを、高校に上がってからは、一度も見たことがない気がする…。





結局、私がメロンパンを半個も食べ終わらないうちに。
蒼吾くんは、焼きそばパンと、ウインナーロール、三角蒸しパンをペロリと平らげてしまった。
最後に残っていた牛乳を一気に飲みほして、ぺこっと凹んだ牛乳パックをコンクリートの上に置いた。




…あれ?


「ごちそーさんっ」
満足そうな笑顔を浮かべて胡座をかく。
「どした?」
食べるのが止まってしまった私を覗き込んだ。

「…夏木くんって……、牛乳、嫌いじゃなかったっけ?」

記憶の片隅にある、蒼吾くんの牛乳嫌い。
小学校の給食は、いつも一番先に飲んでた。
顔をぎゅっとしかめて一気飲み。

「あー…。
昔は嫌いだったけど、今は普通に飲むよ? つーか、毎朝、牛乳だし」
「…克服したんだ、牛乳嫌い」
「昔、チビだったからな。それが嫌で、死ぬほど牛乳を飲んだ。オレの身長は牛乳で伸びたんだよ、たぶん…」

小学校時代の蒼吾くんの身長は低かった。
前から数えた方が早いくらい。
今の彼からは想像できないけれど。





「…な」
「うん?」
「…なんで、園田が知ってんの? オレが牛乳、嫌いだったの」







え?



「だっ、て……」

給食の時間、いつも隣の席で嫌そうに飲んでたから…。




「オレ、『牛乳嫌いだからチビなんだろ』って言われるのが嫌だったから、残したことねぇし、嫌いだなんてひと言も言ったことねぇんだけど…」







…あ…。



「…なんで、園田が知ってんの?」





…なんで、って…。
あの頃、蒼吾くんが好きだったから。
いつも見てたから。
だから、知ってるんだよ…。









──────なんて、言えるはずがない…。





…どうしよう…。





カサリ、ってそばにあった袋が音を立てた。







「…なんで?」




蒼吾くんが顔を覗き込んだ。
すごく、近くで。


トクトクトクトク…って、鼓動が早くなって、真冬なのに汗が流れ落ちた。
どうしよう。
私、きっと、…真っ赤だ…。









「…その、………凪ちゃんが、言ってたから……」



とっさに出た、もっともらしい言い訳。
しばらく、気まずい沈黙が続いた後。
「…ふ〜ん…」
あいつか、って。
妙に納得したような言葉が帰ってきて。
「…な〜んだ…」
ちょっと拗ねたように、蒼吾くんが口を尖らせた。
小さく肩を落として、食べ散らかしたパンの袋を乱暴にレジ袋に詰め込みながら、蒼吾くんがぼそっと口にした。






「ちょっとでもオレのこと、見ててくれたのかと思った……」



カーーーーッって。
頭のてっぺんからつま先まで、体温が上昇した。
手にしていたメロンパンが、ぎゅって握りしめられて潰れてしまう。

「そんなの…っ、違…っ」
心の奥を見透かされたような気がして、うまく言葉が紡げない。
違わないけど、違うの。
何て言ったらいいのか…。


「そんな全身で否定すんなよ。ちゃんとわかってるから」
「でも…っ」
「そうだったらいいよなって、オレの願望。オレはそうやっていつも見てたから、園田のこと」

鼓動が一気に加速した。
握りしめたハートの紙がやけにリアル。
たぶん。
ううん、きっと。
間違いなく私の顔は茹で蛸のように真っ赤だ。
それを思うと、ますます体温が上がってしまう。



そんな私の頭を蒼吾くんがポン、って。
軽く叩いた。
「オレ、部活行ってくるわ。もう時間ねーし」
制服のズボンを軽く叩いて立ち上がる。
「園田、どうする? まだ、ここで食ってる?」
こくり、と。
俯いたまま、私は深く頷いた。
食べかけのメロンパンは、まだ半分も終わってない。
「じゃあな。あんまり長くいて、風邪引くなよ?」
「…うん……」
「またな」
「…またね」
でっかく手を振る蒼吾くんを見送って、校舎の中へ消えて行く背中が見えなくなったとたん。
体から、へなへなと力が抜けていった。
体の熱が、ちっとも引かない。
握りしめたメロンパンは、端っこがぎゅって潰れたまま。
私の手の中に握られている。




少しずつ、少しずつだけど。
緩やかに気持ちが流れていってるのがわかる。
その微妙な心の波が、何ていうものなのかも知ってる。
でも。
それを認めてしまうのはまだ、早い気がして。
踏み出すことができない。
弱虫な私はいつも、最初の一歩を踏み出すのに勇気がいるんだ…。





「────こぉらっ!!夏木っ!!遅刻だろーがっ」

グラウンドからひたすらでっかい声が聞こえてきて、思わず立ち上がってフェンスの向こうのグラウンドを見下ろした。
真っ白な野球部のユニフォームに着替えた蒼吾くんが、グラウンドの端っこで上級生に怒られてる。
「一年は30分前に来て、グランド整備だっていつも言ってるだろッ?」
途切れ途切れに聞こえてくる上級生の叱咤の声。
いつもの彼なら、ひとことふたこと文句を言って返すのに。
ただ真っ直ぐ前を向いて「はいっ」と素直に受け入れる。
野球部の上級生は散々、叱り飛ばした後、何かひと言呟いて、グラウンドの奥へ消えて行った。
その後姿に野球帽を脱いでペコリと頭を下げると、また、それを深く被りなおす。
グラウンドを見つめる蒼吾くんの瞳は、どこまでも真っ直ぐで。
そんな彼を見ていたら。
胸の奥が、きゅってなった。
そのまま空を見上げた蒼吾くんは、何かを探すように視線を泳がせて、それは屋上で止まった。
私を見つけて笑う。







─────── オレはそうやっていつも見てたから、園田のこと ───────






さっきの言葉を思い出して。
トクン、と気持ちが跳ねた。



先に来てグラウンドを整備していたチームメートのひとりが駆け寄ってきて。
背後からガッ、って、蒼吾くんを羽交い絞めにした。
それを同じようにやり返してまた、こっちを指差す。
私を見つけたチームメイトのひとり、守口くんが。
野球帽を脱いで大きく手を振った。






目で。
耳で。
彼を追う。
そうしたら、驚くぐらいぶつかるの。
蒼吾くんの視線と…────。


知らなかった。
こんなにも蒼吾くんが、私を見てくれてたなんて。
気付きもしなかった…。






人が人を好きになる些細なきっかけ。
どうして蒼吾くんは、私なんかを好きになったんだろう────。






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魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-13-
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Season10  気持ちが動く瞬間-13-

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あの日。
蒼吾くんの肩越しに見えた雪は積もることなく、冬の空に溶けるように消えてしまった。
雪が積もって学校が休みになるとか、凪ちゃんのインフルエンザをもらって出席停止になるとか。学級閉鎖になるとか。
蒼吾くんの『テストを受けなくて済む野望』はどれも叶うことのないまま、平穏無事に、2学期末のテストは終了した。
最後の答案用紙が回収された後、テストの終わりに歓声を上げるクラスメイト達に手を振って、私は教室を後にした。
今日から部活動が解禁。

私はまだ。
行く気になれない。
佐倉くんと顔を合わせて普通にしてられる自信がまだなくて。
あの日からずっと、美術室には顔を出せないままでいた。



「おーい!」
廊下を歩いてると声がした。
「おーいってば!」
誰かを呼んでる。


「園田ちゃーーん!!」



……園田、ちゃん…?



呼ばれた名前にぴくりと体を止めて、恐る恐る声がした方を振り返った。
“園田ちゃん”なんて。
そんな風に私を呼ぶ、友達の顔が思い浮かばない。





「やっと、こっち向いてくれたぁー」



振り返ったその先に。
屈託ない笑顔を振りまきながら。
蒼吾くんと同じような短髪頭の野球少年が隣のクラスの窓から身を乗り出して、手を振っていた。
思わずキョロキョロと辺りを見回す。



え…っと。
やっぱり、私が呼ばれてるのかな…?



「だーからっ、園田ちゃんを呼んでるんだって!」
おいでおいでと手招きをされた。

あの…。
私、守口くんのことって、よく知らないんだけど…。


身を乗り出して手を振っていたのは、隣のクラスの守口くん。
蒼吾くんの部活仲間で、バッテリーを組んでる関係もあって、すこぶる仲がいい。
よく一緒にいるのを見かける。
そういえば雰囲気も蒼吾くんとよく似てるかも。
ちょっと前まで凪ちゃんのことが好きだった。
…だった、って。
今も現在進行形なのかな?
その辺はよくわからないけれど。

でも。
私と守口くんの共通点はなくて、一度も話したことがない。
だからどうして彼が私を呼び止めたのか、わからない。
それに。
園田ちゃん…?
親しげに呼ばれる理由は何?
ますますわかんない。


「もう帰んの?」
「…はい」
「部活は?」
「休み、ですけど…」
「……なんで同級生相手に、敬語?」
不満そうに守口くんが眉を寄せた。


だって。
あなたのこと、よく知らないんだもん…。


「ま、いいや。
悪いんだけどさ、これ。蒼吾に渡してやってくんない?」
そう言って窓越しに袋を突きつけられた。
「…え」
「俺、今日これから委員会あるんだ。体育委員会!」
どうして私が…?
「どうせ帰るだけだだろ? 暇そうじゃん!」

どうせ帰るだけ?
暇そう??

そのセリフにむっとしかけた私に。
「とにかく時間ないからさ、渡しといてよ! アイツ、屋上で弁当食ってると思うからさ」
有無を言わさず白いレジ袋を突きつけた。
「あ…」
「俺からの愛の宅急便&おまけ〜」
は?
「そう言って渡しといて!」
「…はぁ……」

守口くんはすごく強引で。
意思の弱い私はそれを断る事もできずに、廊下を走り去る後姿を見送るしかできなかった。











屋上へと続く重い鉄の扉を開けると、北風がびゅうっと吹き込んできた。
風にさらわれる長い髪を押さえて、重い扉を閉める。
ぶるりと一度体を震わせた後、蒼吾くんの姿を探す。
給水タンク裏の日当たりのいい場所に、彼のでっかい背中を見つけた。



「────涼。遅っせ…、え…?」
足音に気付いて振り返った顔が、目をまん丸にした。
「園…田?」
え、なんで…?
って、見上げた顔に書いてある。

「帰りに守口くんに捕まって…。これ…」
預かってた袋を恐る恐る、蒼吾くんに差し出した。
「アイツは?」
「体育委員会だって…」
「委員会?」
怪訝そうに眉を寄せる。
「…ふーん。で、なに、これ?」
「…“愛の宅急便とおまけ”…って…」
「…なんだよ、それ」
蒼吾くんがますます難しそうな顔で眉を寄せる。
「守口くんが、そういえば分かるって…」
蒼吾くんは首をかしげながら、受け取った白いレジ袋を覗き込んだ。
「ああ…」
ぷっと吹き出す。

「愛の宅急便?」

そう言って、袋から大きなメロンパンを取り出して私に見せた。
そこにはハートの形に切り取った紙が貼り付けられていて。
『涼くんからの愛の宅急便。園田ちゃんと食べて(ハートマーク)』
って汚い字で、そう書かれてあった。



…愛の、宅急便って…。
園田ちゃんと食べて、って…。


それって…────。


ようやく意味を理解した私の頭が、カーッって湯気を上げて蒸気した。
守口くんが私を知ってるわけも。
“園田ちゃん”って親しげに呼ぶわけも。
私にわざわざ蒼吾くんに持っていくように頼んだわけも。
急速に理解した。




あんなに仲のいい守口くんが、蒼吾くんの“好きな子”を知らないはずがない。
“愛の宅急便とおまけ”っていうのは。
おまけがレジ袋に入ったメロンパンで、愛の宅急便っていうのが…。




…私……。










ひゃぁーーーーーっ!!!






そういえば今日。
委員会なんてあったっけ??
テスト終了日早々、委員会なんてするの?
…ていうか。
隣のクラスの体育委員って、バスケ部の人じゃなかったっけ。
背の高い、ごっつい人。





…は、はめられた……。




「園田、平気?」
そのことに改めて気付いた馬鹿な私に、蒼吾くんが聞いた。
くくって、笑いを押し殺してる。
「涼も園田も、単純すぎ。笑える…」
肩が揺れた。

「それに、さ。これ、何かわかるか?」
でっかいメロンパンに貼られた、不恰好なハートの紙。
風に揺れてヒラヒラとめくれた裏に、見覚えのある数式がずらり。



…これって。
さっきの数学のテストの問題用紙なんじゃ…。



「アイツらしーっ」
蒼吾くんが腹を抱えて笑った。
ハート型に切られた数学の問題用紙はひどくギザギザしていて、愛の宅急便って言葉を聞いてないと、ハートの形だってわからないぐらいに不恰好。
「アイツ、明日の数学の授業、どうするんだろうな?」
数学の鈴木先生、すごく怖いのに。
問題用紙をこんなにしたとわかったら、きっと拳固が飛ぶ。
明日を思うと、守口くんがものすごく気の毒になった。





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魔法のコトバ*  Season10 気持ちが動く瞬間-12-
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Season10  気持ちが動く瞬間-12-

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チャイムが鳴って、真っ先に席を立ったのは蒼吾くんだった。
「すっげー! 雪じゃーーん!!」
子どものように目を輝かせて、窓を開け放つ。
「夏木っ、寒いっ!!」
窓際の席の子が怪訝そうに叫ぶのもお構いなしに、身を乗り出して外を眺める。
「これ、積もったら明日のテスト、ナシになるんじゃねーの?」
「んなわけないだろーが!」
能天気な声を上げる蒼吾くんの頭を、担任の新垣先生がパシリと叩いた。
どっとクラスが沸いた。
「…ってぇ〜〜」
「まだ答案用紙も集めてないのに、さっさと席に着かんか!」
「…んだよー。雪を喜ぶ生徒の純粋な気持ちを踏みにじる気かよー」
「何が純粋だ。お前はテストをどうやってサボろうかばっかり考えてる不純な動機だろうが」
的を得た先生の言葉に、うっと言葉を詰まらせる。
「テストは出来たんだろうな?」
「先生ー、それ。そいつに聞くのは間違ってまーす」
クラスメイトの発言に、ドッと教室が沸いた。
「うっせーよっ」
「うるさいのはお前だっ」
ポコンって音がして、先生が丸めた教科書で蒼吾くんの頭を軽く叩いた。
「センセ、それ、体罰」
「体罰もクソもあるか。口で言ってわからん生徒には、多少の体罰は必要だっ。保護者や生徒を怖がってるようじゃ、今の時代教師なんて務まらんからな」
と、教育委員会が聞いていたら眉をしかめてしまうような問題発言を、先生は偉そうにふんぞり返りながら堂々と言ってのけた。
「大体、今のそのお前の頭では志望大学へは絶対行けんぞ。わしはそのことも考慮して、こうして言ってるんだ。まだ1年だからといって甘えた考えを持ってるお前にな!
野球に選抜に甲子園? 大いに結構!! 青春は一度っきりしかないからな。存分に楽しめばいい。
だが学生の本分は勉強だ。学業をおろそかにするヤツは、即刻部活なんぞやめてもらうからな。たとえ校舎が埋まるぐらい雪が積もったとしても、赤点取ったら這ってでも学校に来てもらうつもりだ」
覚悟しとけよ?って。
先生は不敵な笑みを浮かべて、蒼吾くんを瞬殺してしまった。

クスクスと失笑の漏れる教室の中。
「答案用紙、集めるぞー」
先生は途中になってしまった答案用紙回収に乗り出した。
後ろの席から回ってきた解答用紙に自分の用紙を重ねて、前のクラスメイトに回す。
そっと視線を戻すと、垂れるように机にうつ伏す大きな背中が映った。
さっきまでの元気はどこへやら。
きっと。
反論ができないくらいにテストの出来がよくなかったんだ…。
いつもの大きな背中が小さく見えて。
そのギャップに思わず笑みがこぼれてしまう。



「蒼吾っ、帰ろうぜー」
「んー」
「先、帰るぞ!?」
「んー……」

先生の言葉がかなり堪えた様子の蒼吾くんは、だらりと机にうつ伏したまま。


「マック、寄ってかねーのか? マック!!」
痺れを切らして叫んだクラスメイトのマックという単語に。
ピクリ、と蒼吾くんの体が反応して、小さく丸めた体をむくりと起した。


「行く」


「じゃあ、さっさとしろや」
さっきまで元気がなかったのが嘘のように、エンジンがかかる。
「先、行ってていいぞ!」
入り口に固まってた男子の集団にヒラヒラと手を振って先に行かせると、自分も急いで帰り支度をはじめる。
でっかいナイキのスポーツバッグに、乱暴に教科書やノートを詰め込んでいく。
ノートの端っこが折れたって全然、気にしない。
かなり雑。
荷物を詰め終わった蒼吾くんは、クラスの中でもひと際でっかい体を、うーんと空へと伸ばした。
ますます彼がでっかく見えた。


ふと。
背伸びをしたまま泳いだ視線が、ゆっくりとこっちを振り返った。


…まずい…っ。



慌ててそっぽ向こうとしたけれど。
気付いたときにはもう遅くて。
何かを探すように泳がせた視線は、そのまま私の視線を絡め取ってしまった。






見てたの、ばれた…。






目が合った瞬間。
蒼吾くんの目が大きく見開かれた。





…え?



…なに……?




内心、かなりヒヤヒヤした。
どうしたらいいのかわからなくなってしまった私の視線は、それでも蒼吾くんに絡め取られたまま離せなくなった。
あからさまに顔を逸らしてしまうのは失礼な気がして。
それでも限界は短くて。
気まずい雰囲気に耐えられなくなった私は。
じわり…と、視線を外そうと目を泳がせた。
そうしたら。
じっとこっちを見てた真ん丸い目が。
ぎこちなく、にーっと笑って特大ピースを作った。






蒼吾くんの口が動く。





『テ・ス・ト、余裕!』






ずるり、と。
思わず椅子から転げ落ちそうになった。




…余裕、って。
大丈夫なのかな、その自信。
さっきまでうな垂れるほど、気を落としてたっていうのに。
思わず零れてしまった苦笑いに、蒼吾くんは再び笑い返してくれて。
でっかいスポーツバッグを肩に担いで、クラスメイト達と一緒に廊下の向こうに消えて行った。



いつだって蒼吾くんは元気で。周りにはいつも友達がたくさんいて。
いつも楽しそうで。笑い声が絶えなくて。
それは4年経った今もちっとも変わらない。
あの頃の私は、そんな彼にいつも元気をもらってた。
ふとそんなことを思い出して。
胸の奥がざわりと、音を立てた。







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凪ちゃんと話をして。
胸の奥につっかえていたものが少し、軽くなった気がした。
いっぱい泣いたらすっきりした。


凪ちゃんに言われて、初めて蒼吾くんのことを考えてみる。
頭のてっぺんからつま先まで。
凪ちゃんや佐倉くんの気持ちの行方とか。
そういうのを抜きにして、蒼吾くんのことだけを。
そうしたら、意外に彼のことは知らなくて。
一緒に過ごした時間は長いような気がしてたけど、私は蒼吾くんのことをほとんど知らなかった。

癖。
好きなものや苦手なもの。
仲のいい友達。
毎日頑張ってる部活のポジション。
蒼吾くんが今、どんな表情で笑うのか──────。


断わることばかりしか考えていなかった私には。
凪ちゃんっていうフィルター越しでしか、蒼吾くんが見えてなかった。
それを蒼吾くんはちゃんと見抜いてた。
だから。
『簡単に答えだすな』って。
ちゃんと俺自身を見てくれって。
“親友の好きな人”っていう境界線を引いてしまった私に。
それを伝えたかったんだ。











2学期末のテストが始まった。
テスト開始と同時に復活してきた凪ちゃんは、一週間も休んでいたのが嘘のようにスラスラと解答欄を埋めていく。
出席番号順に座りなおした席で、その様子を後ろの席から眺めながら、私はようやく最後の問題を解き終えた。
まだ時間は充分にある。
ホッとひと息吐いて窓の外に視線を動かした。
「…雨でも降るのかな」
冬の寒空は今にも降り出しそうなほど白く雲っていて、北風が時折、窓を鳴らす。
カチャカチャと、シャープペンを動かす音と、見回りの先生の足音だけが教室に響いて、すごく静かだった。
賑やかな笑い声が飛び交う普段の教室とはまるで別空間な心地よさに、ゆっくりと息を吐く。


ぼんやりと視線を動かしたその視界の端に。
でっかい背を丸めて問題用紙とにらめっこしている男子生徒の姿が映った。
野球少年らしい短髪頭をカシカシと掻きながら、肘を付いた手のひらに頬を乗せて、問題用紙を睨みつける。
握られたシャープペンは問い15ぐらいでずっと止まったまま、動く気配がない。
教科は英語。
表情は見えないけれど、問題に向かう顔は、きっとしかめっ面だ。
その表情が安易に想像できて、思わず笑みがこぼれた。
蒼吾くん、ちゃんと勉強したのかな。
今度は追試にならないといいんだけど……。


他人事のようにそんなことを考えながら、ぼんやりその背中を見つめた。
ふと。
その背中が何かに気付いたように顔を上げて、窓の外に視線を泳がせた。
横顔はやっぱり眉根に皺を寄せた難しい顔をしていて、思わず吹き出しそうになった。
カツン、と。
近くに先生の足音が聞こえて。
私は慌てて緩みきったその表情を引き締めて、下を向いて誤魔化した。




…あぶない……。

『テスト中に、なに見てるんだ!?』って、怒られるところだった。
ゆっくりと私の横を通り過ぎる先生の後姿を見送って、ホッと胸をなで下ろし、また視線を戻す。
蒼吾くんが見てた視線の先が、どうしても気になった。


もう一度、視線を戻したときには。
しかめっ面の横顔は、もう跡形もなくて。
柔らかな表情で外を見つめる蒼吾くんの横顔が視界に飛び込んだ。












………なに?




同じように私も、窓の向こうに視線を送る。











……あ──────。




窓の向こうに、白いものが見えた。


ちらり、ちらり。
それは空から舞い落ちる。








雪だ………。





今年初めての雪模様に、思わず表情が和らぐ。
ふわり、ふわり…。
それは柔らかに空を舞って、地上に舞い降りる。
寒いのは苦手。
だけど雪を見ると心が弾んじゃう。
寒いはずなのに、空から舞い落ちる雪のさまを見ていたら心が和む。
芯までほっこり暖かくなる。

険しい表情をしていた蒼吾くんはその表情を和らげたまま。
また、問題用紙に視線を落とした。
止まっていた手が動き出す。


こんなに蒼吾くんを見るのは久しぶりだった。
今までになく、穏やかな気持ちでその背中を見つめる。
肘を付いた手のひらに顔を乗せて、気だるそうに問題を解く大きな背中。
時折、問題に行き詰まるたびに顔を上げて、器用にシャープペンを回す。
カチャリ、カチャリ。
蒼吾くんの手の甲で、空色のシャープペンがくるくると回る。







…あ……。


あの癖、知ってる…。



昔、見たことがある。
隣の席だった時、授業のたびに器用に回ってた蒼吾くんのシャープペン。
カチャリ、カチャリって。
隣から聞こえてくる小さな音に耳を傾けて。
隣にいるだけで、ドキドキして。
笑ってくれるたびに、涙が出そうなくらい胸の奥がきゅってなる。


初めて恋を意識した小学4年生の春。
窓の外を見るのが好きなんだ、って。
私の隣に座った男の子。
校庭の向こうに桜が舞う風景を彼が教えてくれた。
蒼吾くんと一緒に見た。
一緒に笑った。
大好きだった、あの笑顔が。
いたずらっぽく笑う顔も。
顔をくしゅくしゅにしてはにかむような笑顔も。
大きな口をでっかく開けて豪快に笑う太陽みたいな笑顔も…。
淡い淡い初恋の記憶。

今も。
あの笑顔は変わらないのかな………。





そっか…。



私の初恋って、蒼吾くんなんだ。






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