http://miimama.jugem.jp/

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
ナツカゲ 3
*青春ライン プロローグ3





ついてない。



明日から冬休みだっていうのに。
あたしは熱でダウンしてしまった。
終業式の後は、クラスの仲のいいメンバーでケンチキに寄って。
コンビニでケーキと、しゅわしゅわのシャンパン(もちろんノンアルコール)を買って。
寒空の下の公園で、季節はずれの花火をやって。
みんなで朝まで弾けるんだ!って…。
前々から計画していたっていうのに───。
朝は普通だった。
登校してから、急に発熱して。
体温計は39度を軽々振り切った。
関節や節々が痛いし、これはもしや、インフルエンザ!?
サイアクー…。
注射がイヤだなんて言わずに、やっぱり予防接種、受けとけばよかったなんて。
今さら後悔。


「うっわ。病原菌、撒き散らすなよ?オレの冬休み計画が台無しになる!年末からスノボーに行くんだからな!」
あからさまに顔をしかめたのは、クラスメイトの中津。
「バーリア!」
って、アンタは小学生かッ!
まずは大丈夫?って気遣うのが、フツーでしょ?
あまりにもムカつくから、中津を羽交い絞めにしてやった。
クリスマスイブのトクベツ大サービス。
インフルエンザ菌に犯されて、旅行前日に寝込んでしまえッ!
「中津に抱きつくなんて、よっぽどだな。」「血迷ったか?」「キレタか!?」
とクラスメイトに煽られ。
「何すんだよ!」
と愛しの有里ちゃんにその現場を目撃されて、慌てる中津。
ざまーみろ。
こんなに死にそうなほどツライわたしに、優しい言葉ひとつも掛けられないアンタに天罰だ!



39度を超えてしまった体は、相当キツイ。
よろよろって感じで自転車まで移動して、前籠に荷物を放り込んだ。
駅前のケーキ屋さんにパートに行っている母は。
クリスマスイブの開店前という、メチャクチャ忙しい時間帯で。
娘の熱ぐらいでは、手が離せないらしい。
担任の大仏(もちろんあだ名)が、車で送ってやると言ってくれたけれど。
二学期最後に見るのが、大仏の顔じゃあ。
迎える新年も迎えられないってもの。
「平気です。帰りに病院に寄って帰りますから。ひとりで帰れます」
って、それを断って。
クラスメイトよりもひと足早く、2学期を終了した。
「これはオレからのクリスマスプレゼントだ」
大仏がくれたのは、見たくもない通信簿。
インフルエンザが幸いして、今日は怒られなくてすみそう。


「…うーーーッ。さぶい……」


悴んだ手を擦り合わせて、手袋をはめた。
制服の上にジャージを着込んで、コートを着て、マフラーをぐるぐる巻いて。
それでも寒い。
スカートの下には中津が貸してくれたジャージ。
「ちゃんと洗って返せよ?」
嫌味な言葉の裏には、アイツの不器用な優しさ。
それに免じて、愛しの有里ちゃんにさっきの弁解をしておいてあげるよ。
そう言ったら、ポケットに入ってたカイロもくれた。
持ってるなら、さっさとチョウダイよ。
病人に出し惜しみするな!
少し長いジャージの裾を二つほど折って、よろよろと自転車を引っ張り出した。
我ながら、ダサい格好。
でもいいの。かっこ悪くても。
あったかければ。
田舎の冬をなめてたら、とんでもない目に合う。
ましてや病人。
ゾクゾクと悪寒が背中を駆け上がって、ブルブルと震えた。
ヤバイ。
絶対、熱が上がってる。
荒く吐き出す白い息は、きっと病原菌でいっぱいだ。




カラカラとタイヤの回る乾いた音をさせながら、自転車を押して歩いて。
ふと、足を止めた。
A校舎ウラのモニュメント。
いわゆる“告り場”ってヤツに、人がいる。
この時期に告るなんて、よっぽど切羽詰ってるんだな〜なんて。
男子の顔でも拝んで行ってやろう…なんて。
病人のクセに、バカな好奇心がムクムクと湧き上がった。


あ。




「1番のセンパイだ───」



背中しか見えなかったけれど。
鮮やかな黄緑色のリュックと、三年生のクセに、チビな背格好には覚えがあった。
日に焼けた茶色い短髪は、いつの間にか随分伸びて、フサフサしていて。
ますます犬だ。
柴犬…。
ボーっとそれに見とれていると、一緒にいた女のコが、泣きながら走り去った。
え…?
フラレタの?
センパイが、じゃなくて、彼女が?
マジですか…?
今日って、クリスマスイブだよね?
エイプリルフールじゃなくて…。


「あ。お前───」
飴玉くれた子じゃん!センパイが、あたしを指差した。
「何でお前、今頃帰ってんの?」
「センパイこそ」
もうすぐ、終業式が始まっちゃうのに。
「もしかして…告られたりしました…?」
告ったじゃなくて?
「ハイ。まさにそれ!ていうか、見てたんか?悪趣味だな〜、お前…」
「たまたま通りかかっただけです!」
「ふ〜ん…」
疑いの眼差しが向けられて、ずいっと、顔を近づけられた。
間近で覗き込んだ眼差しが、フッて、真面目な顔になった。



…なんデスカ?



「な。お前…。告られたこと、あるか?」


「…ないですけど…」


何か?


「オレも。告られたの…初めて〜…」
うっとりとした視線を空に泳がせた。
バカ?
「…付き合うんですか?」
「いーや。断った。友達からでもいいって言われたけど…。オレ、ちゃんと自分から好きになった子としか、付き合いたくねーから」
「可愛かったのに、もったいない…」
「可愛いけど…、もうちょっと髪が長くて、サラサラしてる方が、タイプ…」
じっと見つめられて言葉に詰まった。
どうせわたしの髪は短いですよーダ!
ぐるぐるに巻いたマフラーの襟元から、ぴょこぴょこ短い髪が跳ねてる。
センパイの“タイプ”とは、明らかに違う。
…なーんだ…。
長い髪の子が、スキなんだ…。


「しっかし…。
自転車も赤、マフラーも赤!顔も真っ赤で、お前。サンタクロースみたいだなぁ!何?終業式、出ねぇの?」
「熱が出て、これから帰るところです」
「───え?マジで?大丈夫か?」
センパイが手を伸ばして、あたしの前髪を掻きあげた。
コツン、と額を合わせて、そっと熱を探る。


…うわ…ッ、近いよ…っ。ていうか、触れてる…ッ。


奥手そうに見えて。
こういうことを、平気でやれちゃう人なんだ、センパイは。
それともただ単に、そっち方面にニブイだけ?


「うっわ!お前、ヤバイよ。熱いよ。マジで! 顔も、そのマフラーみたいに真っ赤だし…」

だって、それは。熱とか。風邪とかじゃなくて。
センパイが。手が。おでこが…ッ。
…なんだ?
あたし、何でこんなに動揺してんだろ…。

「セ…センパイ…っ」
「え。何?」
「顔! 手! おでこ…ッ」
「あ、ゴメン。イヤだった?」
「そうじゃなくて……。あまり近づくと、うつるから…。仮にも受験生でしょ?冬休みはラストスパートで大事な時期なのに…」
ダカラ、離れてクダサイ。
「お前、嫌なこと思い出させるなよ。…っていうか、仮にもって、何!?」
や、何となく…。
「それにオレは、風邪ひかねぇよ!鍛えてますから!」
力こぶを作って見せた。
ああ。なんとかは、風邪ひかないって言うもんね。



「喉、イテーの?」
「少し。だから、病院行って帰ります。さよなら」
これ以上、この人のそばにいたら。
ペースを全部、持って行かれちゃう。
呼吸が困難になって、息苦しい。
ヤバイ。
熱が上がってる?
「あ、ちょっと待って!」
右肩をグッと捕まれて、よろけそうになった。
ちょっと!
「これ、やるわ。昨日、ゲーセンで取ったんだ」
黄緑色のリュックサックを探って、中から“SEGA”と書かれた袋を取り出して、あたしに突きつけた。
「舐めたら、喉が随分、楽だぞ。」
袋の中身は、大量のチュッパチャップス。
何個、入ってんだろ。
ていうか。受験生じゃないんデスカ?センパイは。
これを取るために、どれだけお小遣いをつぎ込んだんだろう、この人は。
UFOキャッチャーの前で、悪戦苦闘しているセンパイの姿が容易に想像できて。
思わず笑ってしまった。
「何、笑ってんの?」
「これ、取るのにどれぐらい使いました?」
「こづかい全部!」
やっぱり…。
「じゃあ、もらえません。センパイが食べてください」
「男に二言なしだ!やるっつったもんは、やる」
そう言って付き返された。
「あ、いや。待って。…やっぱ、コーラだけ、もらっておいていい?」
「…ていうか、ほんと。こんなにたくさん、いりませんって」
「え〜…、マジで?」
「飴ばっかり、そんなに食べられないし。キモチだけ、いただいて帰ります」
SEGAの袋を突き返した。
「じゃぁ、何個か持って帰れ。何が好き?どれがいい?お前、赤が好きみたいだから…ストロベリークリームと、アップルと、それから…」
マジ顔で袋を覗き込みながら、一生懸命考えてる。
そんなのテキトーでいいのに。


「他は何がいい?どれがスキ?」


あたしの記憶のセンパイ色は。
黄緑色のリュックサックと、グラウンドで涙してた夕日、コーラの鮮やかな赤…。
センパイの手の中から選んだのは、グリーンアップルと、マンダリンオレンジ。

それから…。


「コーラ、が、欲しいです」

センパイがスキな…。


「え…っ…いいケド……。一個だけだぞ?」


そう言って、ひとつだけ。
真っ赤な包み紙のコーラを分けてくれた。

「大事に食べろよ?」
「…大事にって、何ですか?食べたら終わりでしょ」
「そうだけれどもよ。味わって食べろ〜」
そう言って、柴犬みたいな、人なつっこい顔で笑うと。
「じゃあな!ちゃんと、布団被って、寝ろよ!」
センパイは、校舎の向こうへ走り去った。
でっかく、でっかく。手を振りながら。



どうしてだろう。
センパイに会うと、いつも。いつも。
胸の奥のずーっと深いところが、キュッと狭くなる。
息苦しく、感じる…。



手のひらに残ったのは、5色の色鮮やかなチュッパチャップス。
それを大事に、大事に。
ポケットにしまった。




中学二年、冬の出来事───。





←BACK / NEXT→



おまけのマメ知識

今のチュッパチャップスのコーラ味の包み紙は、『青』らしいです。昔は、『赤』だったような記憶が…。とりあえず。このおはなしに出てくるコーラは、『赤』ということで…(笑)
青春ライン comments(0) -
恋は突然やって来る? 3




ともひろのキスは。
かすかにお酒の匂いと、煙草の味がした。










「キスだけで我慢する。それ以上はしない」

そう言い張ったともひろの言葉と、強い瞳に。
私は、負けた。




久しぶりに抱きしめられた腕の強さと、触れ合う体温の確かさに、流されてしまう。
誰だって、ひとりの夜は寂しい。
あれからひと月。
ひとりでお風呂に、浸かれるようになった。
電気だって、消して眠れるようになった。
「別れた男の物は、潔く捨てろ」という、梓の言葉通り、タケルが使っていたものは、全部、捨てた。
私の部屋には、もうどこにも彼の痕跡はないのに。
キモチだけは、簡単に捨てられなかった。
記憶だけが鮮明に残ってしまって、どうしようもなかった。
大丈夫。
私は、もう、大丈夫。
タケルがいなくても、ちゃんとひとりでやっていけるから。
そうひたすら自分に言い聞かせて。
心から笑えない、取り繕った笑顔を浮かべて。
未練たらしい、不安定なキモチを押し込めて。
そうやって、何とかやってきた。
それでも寂しくて、悲しくて、どうしようもない夜もある。
人恋しい時に、優しい声に囁かれて、温かい腕に抱きしめられると。
誰だって、ダメになる。
そんなの、都合のいい言い訳。
だけど。
その優しさに、すがらずにはいられなかった。




抱きしめられて、強い瞳に見つめられて。
そんな言葉を零したともひろに、私は何も返せなかった。
その沈黙が、OKの合図だと思ったのか、視線を絡ませることなく、唇で塞がれた。
最初は軽く、触れ合うだけのキスを繰り返す。
存在を確かめるように、角度を変えて、何度も何度もついばまれる。
シャツを掴んだ指先から、力が奪われていくのが怖くて。
のがれようと身体をずらしたら、左腕で腰を抱きこんで止められた。
思わず、指先が震えそうになった。





────── キスだけでいい。今は、これで我慢するから ──────。


耳のそばで囁くように吐息が触れて。
それだけで、どうしようもなくなる。
重ねた唇がわずかに離れて、そのままそっと、下唇に移された。
ともひろの唇に挟まれたまま、そっとそっと、なぞられて。
声がこぼれそうになった。
「……だめ、とも、ひろ…っ」
ちゃんとイヤって言わないと。
キスだけで、終わりにしなきゃ──────。



そこから逃れようと突っぱねたのに。
腕の中という狭い空間に、簡単に引き戻されて、閉じ込められてしまう。
逸らそうとする私の唇を捕まえて、深く強く、重ね合わせていく。
さっきまでの優しい口付けが嘘のような荒々しいキスに、理性が飲み込まれそうになった。
息もつかせないほど激しく求められて、キスにしか意識を向けられないように持っていかれる。
荒々しくて、情熱的なくちづけに、“私”が全部飲み込まれそうになる。
大事なものを扱うみたいにする、タケルとのキスとは全く違う。





タケルは、あのキスを。
新しい恋人にもしているの──────?











「……待って…、ともひろ……っ。ごめん──────」



私は。
唇を重ねた向こう側に、誰を見ていたんだろう。
寂しさを埋める為に他の人に抱かれても、いくら唇を重ねても、満たされるわけがないのに。












「──────いいよ。待つ。オレ、いくらでも待つから。だから」

優しく髪を撫でられて、そのまま瞼に唇が落ちた。
「今さら、帰る……とか言うなよ?」
何もかもお見通しな目で、覗き込まれる。
うん。
言わないよ。
そんなこと、言えない。




「一緒に寝るか? それとも別がいい? とわがイヤでなければ、添い寝してやれるけど……」
私の返事を聞く前に、伸ばして来た手にそのまま、抱きしめられた。
優しく包み込んでくれる体温にホッとして、私は恐る恐る手を伸ばして、ともひろの背中に触れた。
ぎゅっとしがみつく。


一度、腕のぬくもりを知ると。
ひとりで眠れなくなってしまうのは、なぜなんだろう。
そのぬくもりを、離せなくなってしまう。
それを知るまでは、ひとりで眠るのなんて平気で、当たり前だったのに。
タケルと出会う前は、どうやって夜をやり過ごしていたのか。
それすら、思い出せない。
目が合うだけで。手をつなぐだけで。キスだけで。
一週間も、十日も幸せでいられた、ピュアな頃に戻れたらいいのに。
セックスも、大人の駆け引きも、仕事も、結婚も。
そんな事は考えず、ただ、好きというキモチだけで。
恋を追いかけられるあの頃に。







「ベッド、行かなくていいのか?」
「……うん…。ここがいい……」

抱きしめられた体が、そっとソファに沈められる。
いつの間にか終わりを告げた映画のエンドロールが、ともひろの眼鏡に薄く反射して。
それも、消えた。
あの映画は知ってる。
船上で運命的な出会いを果たした、青年ジャックと、上流階級の娘ローズ。
たった一夜で恋に堕ちて、情熱的な恋愛をして。
永遠の愛を誓っても、無情にも運命がふたりを切り裂いてしまう。
タイタニック。
これは悲恋だ。
あんなにも情熱的に愛し合って、お互いを求めて、どんなに気持ちが通い合ったとしても。
ふたり一緒に幸せになれないのなら、悲恋でしかない。
あまりにも、可哀相すぎる───。
初めてこの映画を見た時、そう言ってタケルのそばで泣いた。
「オレ達はそうならないように、ずっと一緒にいような。」
あの日交わした遠い日の約束は、叶うことがなく思い出に消えた。
私とタケルが、こんな風に別々の道を歩んで。
お互いに違う人を腕に抱いて。抱かれて。
眠る日が来るなんて、想像もしていなかった。










「…おやすみ、とわ…」


こぼれていく涙を、そっと、指ですくわれた。
ともひろは、何も聞かずに、そっと抱きしめてくれる。
そのぬくもりに甘えて、腕に抱かれて、私は目を閉じた。










←BACK / NEXT→


←TOPへ / とわの彼方に*目次へ→
とわの彼方に comments(0) -
ナツカゲ 2
*青春ライン プロローグ2




微かな息苦しさを感じたのは、中学二年生の秋。
“センパイ”との二度目は。
普段と何も変わらない、学校の自転車置き場だった。







その日の空は、青い絵の具を溶いたバケツを、そのまんまひっくり返したような真っ青。
あまりの綺麗な青に見とれて。
毎朝の日課、愛犬『ももたろう』の散歩がいつもよりも長くなってしまった。
おかげで二学期早々、遅刻ギリギリ。
猛ダッシュで校門をくぐった時には、5分前を知らせる予鈴が鳴り響いてた。
久しぶりに袖を通したおろしたての制服は、汗でぐっしょり。
滑り込んだ自転車置き場には、ところ狭しと自転車が並べられていて。
空いているわずかなスペースに押し込むように、赤い自転車を突っ込んだ。
と。
そこまでは、よかったの。
そのままダッシュで靴箱に向かえば、きっと間に合ってた。
でも、運が悪かった。
…ううん。
あとから思えば、それが運命ってヤツ?
前籠に突っ込んでいた鞄と、トランペットケースを持ち上げた拍子に。
ハンドルに引っかかっていた鞄の紐が、ぐらりと自転車を傾けた。

「…あ…ッ!」

不吉な気配に気がついて手を伸ばした時には、すでにあとの祭り。
ガシャガシャッン!という金属音が、不快に鼓膜を揺らして。
ドミノ倒しのように、自転車が倒れていった。
しかも慌てた拍子に、お尻で反対側の自転車も倒してしまって。
あたしの赤い自転車を挟んで。
きれ〜いに、一列分の自転車が倒れてしまった。
なんて間抜けな。


「…どうすんのよ、コレ…」


自転車置き場にいた、あたしと同じ“遅刻組”の生徒は。
目を合わさないように、そそくさとその場から立ち去る。
面倒なことには関わりたくないって、手伝う気なんて更々なし。
「ガンバレよ、真崎ー!」
他人事のように手を振って走り去ったのは、クラスメイトの中津。
うそデショ?
見てたんなら手伝ってよ!
薄情もーん!!
ざっと数えても30台以上ある。
か弱き乙女に、これを全部、ひとりでやれ…って?
うわーん!
全部直してたら、完璧に遅刻。
担任の大仏(もちろんあだ名)に、絶対怒られる。
でも、このままにしておけないし…。

「う〜〜…」

本礼まであと二分。
どうせ今から行ったところで、間に合わない。
深く深〜く、溜息をついて。
トランペットケースを大事に日陰に置いた後。
あたしは仕方なく、自転車を持ち上げた。
早朝…といっても、まだまだ夏の日差し。
焼けた地面から湧き上がる熱気は、じわじわと肌を湿らせる。
うーーッ。
クーラーの効いた部屋で、ごろんと寝転がりながら、アイスを食べていた日々が懐かしいー。
突き抜けるような夏空を恨めしく思いながら。
一台一台、地道に起こしていく。
誰か先生、来ないかな。
どうせ遅刻で怒られるんだもん。
それならさっさと見つかって、少しでも自転車を起こしてくれる手が欲しい。
このままじゃあたし、夏の暑さに溶けてしまう。
もうこのままにして、こっそり逃げちゃおっか…。
いや、ダメだ。
アイツが見てた。
クラスメイトの中津。
他人事のように手を振って逃げた、薄情な男。
絶対、後でシメテやる!
そう心に決めて、何台目になるか分からない自転車を持ち上げた。


「…あ〜〜あ。派手にやったなぁ」


シャーっと、すぐ側を風が抜けて、少し離れたところに自転車が止まった。
ハイ。派手にやりましたとも。
どうせ、あなたも手伝ってはくれないんデショ?
卑屈になってたあたしは、声の主を振り返ろうともせずに、もくもくと自転車を引き上げた。
手伝いを求めたって、虚しいだけ。
みんなわが身が大事だもん。
新学期早々、雷なんて真っ平ごめん。
その気持ちは、よーくわかる。
もう何台引き上げたのかわからない自転車を、ふくれっ面で起こしていると。
日に焼けた筋肉質の腕が、にゅっと伸びてきた。


「ひとりより、二人の方が早いだろ?」
「…いいですよ。遅刻しちゃう」
「何言ってんだよ。女の子が困ってんのに、無視してたら男がすたる!
それに本礼まであと一分!どう考えたって、どっちにしろ遅刻じゃん」
「でも…」
「いいって。オレ、こっちやるからお前、そっちね」
チラリと見えた校内章のカラーは緑。


三年生だ───。


日に焼けた茶色い短髪。
背はあんまり大きくないけれど、程よくしまった筋肉質な腕。
洗いたてのシャツの白さと、背負った黄緑色のリュックが夏の日差しに反射して、鮮やかで眩しかった。
リュックに吊るしたネイビーブルーのキャップ。
ロゴの『S』は、星稜中学の頭文字。
その帽子と、横顔には見覚えがあった。




「…あ。『1』番の人……」



思わず声に出してしまったもんだから、慌てて口元を押さえた。
ヤバイ。
「…何?オレのこと、知ってんの?」
センパイが顔を上げた。
「もしかして、オレのファン?」
いや、それはナイナイ。
ないですから…。
ぶんぶんと大きく首を横に振って否定した。
「あ。吹奏楽部───?」
泳いだ視線が、トランペットケースを捕らえた。
ナイス。
「じゃあ、スタンド応援、来てくれてたんだ。暑いのに、大変だっただろ?」
「いえ…」
とっても暑かったケド…。
あえてそれは、口に出さなかった。

「楽器、何?」
「トランペットです」
「トランペット?…ああ!ラッパかぁ!高い音が出るヤツ!」
あれ、カッコイイよな〜と。
満面の笑みで褒められると、悪い気はしない。
むしろ、とても嬉しい…。
「…センパイの方が、かっこよかったですよ」
投げる姿なんて、ろくすっぽ見ていないのに。
気を良くしたあたしの口から、心にもない言葉が滑り出た。
バカ!
「マジで!?…あ〜、でも。負けちゃったからなぁ…」
夏の日を思い出す遠い目は。
グラウンドで泣いていたあの横顔を思い出させて。
ちょっぴり、胸の奥がチクリとした。


「さて、と。終了〜!
ほら、ふたりでやったほうが早いだろ?」
あっという間だった。
あたしが一台起こしてる間に、二台も三台も起こすんだもん。
スピードが全然違う。
すごく、助かった。


「あ〜あ。新学期早々、遅刻か〜」


本礼を告げるチャイムが耳を掠めて、センパイが校舎を振り返った。


どうしよう、何か、お礼……。
ポケットがカサリと音を立てた。

「あの…っ!これ」

思わず差し出したのは、駄菓子屋さんで売ってるみたいな大粒の飴玉。
レモンの黄色。ラムネの水色。コーラの赤。
鮮やかな夏の虹色が、ころん、と手のひらで転がった。
でも、差し出してから後悔。
だって。
幼稚園児じゃあるまいし、こんな子どもみたいなお礼。
絶対、引くって。
こんなの、いらないって。
でも、出してしまったら引くにも引けず。
そのまんまの格好で、固まってしまった。




「───くれんの?」


「え…。あ、よかったら…」


「じゃあ───」


センパイがあたしの手のひらから、迷わず選んだのは。
夏の太陽よりも真っ赤なコーラ飴。
いや、一個じゃなくて。
全部もらってくれてもいいんだけど…。
そんな事を考えながら、あまり高くはないセンパイの顔を、ぼんやりと見上げた。

「オレ、コーラ。めっちゃスキ!」

飴玉を放り込んだほっぺをハムスターのように膨らませて、めちゃくちゃ嬉しそうに笑った。
犬だ、犬。
茶色く丸っこい柴犬を連想させるような、人なつっこい笑顔。
尻尾があったら、絶対、千切れんばかりに振ってるんだろうな…って。
バカな想像をしてしまった。


「じゃあな!どうせ遅刻だろうけど、お前も走れよ!」


バカみたいに大きく手を振りながら、あたしと反対方向の校舎に向かって走り出したセンパイの背中。
鮮やかな黄緑色のリュックが、ぴょこぴょこ跳ねて。
あっという間に、見えなくなってしまった。

犬っころみたいに人懐っこい笑顔。
センパイなのに。男の子なのに。カワイイな…って。
その笑顔に、きゅって。
胸の奥が狭く、苦しくなるような気がした。





その、微かな息苦しさが、何と呼ばれるものなのか。
まだ、気付きもしなかった中学二年の秋の始まり。
今思えば、それが。
恋の始まりだったのかもしれない───。





ランキングに参加しています。
(上記バナーは青春ライン単作です)



←BACK / NEXT→

青春ライン comments(0) -
恋は突然やって来る? 2


「…うーー。ともひろ、ゴメン……」


ひっそりと静まり返った深夜の住宅街に、情けなく声が響いた。
ぐったりと体重を預けた私の体は、ともひろの背中。
「……重いでしょ?」
「お世辞でも、軽いとは言えないなぁ」
笑いを含んだ声が返って、私はもぅ、って頬を膨らませた。
嫌味な言葉を呟くクセに。
その背中は、迷惑じゃないって意思表示をしてるから、参る。
「…もういいよ、ともひろ。ひとりで帰れるから」
これ以上、迷惑かけらんない。
酔いなんてとっくに醒めてる。
あんな醜態をさらせば、イヤでも目が覚める──────。











合コン解散後の居酒屋で。
酒に溺れて吐き気をもよおした私は、洗面台までわずかに間に合わず、店のカウンター奥で醜態を晒してしまった。
お気に入りのハリスのワンピも、その上に羽織っていたDoのカーディガンも。
異臭漂う物体にべっとり侵食されて。
汚い話、ゲロまみれ。
その場に居合わせた城戸という大学生は、私の無残な姿に、ひどく呆れていた。
酒の飲み方もあまり知らない十代ならまだしも、ハタチも超えてるのに、これはないだろ。
恥ずかしいし、気持ち悪いし、情けないしで。
その場にうずくまってしまった私のカーディガンを、ともひろは手際よく脱がせ、ワンピに付いた物体をおしぼりで手早く拭き取り、てきぱきと後処理をして、その場から連れ出してくれた。
自分の着ていたスーツのジャケットを羽織らせて、足元のおぼつかない私を優しくおぶって。
ほんと、感謝。



そんなこんなで、私はともひろの背中。
「ひとりでって、どうやって帰るんだよ。そんなふらついた足で。
タクシーだって乗車拒否されたってのに」
ともひろがある程度は洗い流してくれたけれど、この匂いは水洗い程度でさっぱりするはずがない。
すれ違うたびに、通行人が眉をしかめてこっちを振りかえった。
「とりあえず着替えた方がいい。すぐそこだし、ウチ、寄るぞ」
「……え? いいってば…! ひとりで帰れ──────」
「いい加減にしろ。これ以上、世話をやかせんな」
背中で暴れ出した私を有無を言わさず押さえつけると、慣れた道をまた歩き出す。
背中がにわかに怒ってる。
呆れちゃうよね。
フツウ、怒るよね。
ともひろには、迷惑掛けっぱなしだもん。







「……ごめんね」

ともひろ背中はとても気持ちが良かった。
ふわふわと揺れる感覚は、眠りを誘う。
何よりも、久しぶりに触れる人の体温が、温かで、優しくて、心地よくて。
それに甘えるように、私はゆるゆると目を閉じた。








「…とわ?」
「……」
「人の背中で寝るな。意識のない人間は、重いんだぞ?」
「…んー……」
「…あ、コラ! 寝るなって! ……ったく…。お前を背負うのが、他の男じゃなくてよかったよ」






触れ合った部分から熱を感じる。
私の体温?
それとも、ともひろ───?


伝う温度が気持ちよくて、ともひろが零した言葉を夢うつつに聞きながら、私はまた目を閉じた。














人んちでシャワーを浴びるっていうのは、何か落ち着かない。
それが異性となると、なおさら。

ともひろとは、高校時代からの長い付き合いだ。
お互いバレー部の主将同士で、喧嘩しながらもいつもともひろは隣にいてくれて。
部活の話から、恋の話まで、数え切れないほどの話をいっぱいした。
一緒にたくさん笑って、辛いことも悲しいことも、一緒に経験した。
高校時代に過ごしたともひろとの時間は、タケルよりも長い。
気の合う男友達。親友だった。
男女間の友情は存在するんだ!って、ともひろの存在が自慢だった。
だからそんな彼が私に、友達以上の感情を持つなんて、想像がつかない。
想像したこともなかった。
だって私、親友のモトカノだよ?




────── お前を背負ったのが、他の男じゃなくてよかった ──────。


さっきの言葉に深い意味なんてきっとない。
重い。汚い。格好悪い。
こんな情けない姿、友達のオレ以外に、見せんのやだろ?
そういう意味だよ、きっと。
そんな事ばかり考えながら、シャワーのコックをひねった。
勢いよく溢れ出した熱いお湯が、体の汚れも、わずかな気持ちの揺れも、全部洗い流してくれる。

帰りのコンビニで買って帰った新しいショーツと、ともひろが用意してくれた服に袖を通す。
ぶかぶかのシャツが、急にともひろは男なんだってことを意識させる。
コンビニで下着の替えを買わせる辺りが、慣れてるな。
こうやって、何人の女の子をこの部屋に連れ込んだんだろう。
何気なく視線をやった洗面台のコップには、ともひろの歯ブラシしかなかった。













「──────あれ?」
私と入れ違いにシャワーを浴び終えて、浴室から出てきたともひろに。
一瞬、違和感を感じて首を傾げた。
「ひげ…」
が、ない。
確かに、入浴前まであったのに。
「剃ったよ。お前が散々、不潔だって言うから」
残念そうに呟きながら、すっきりした顎下を撫でた。
「何か、飲む?」
「ううん。まだ残ってるから」
手元のマグには、ともひろが淹れてくれたブロッサムティー。
たっぷり波打つ琥珀色の水面からは、ゆらゆらと白い湯気が立ち上る。
「そう?」
ともひろは冷蔵庫からジーマの瓶を取り出すと、栓を抜いた。
シュポンと炭酸の抜ける音がして、しゅわしゅわと白い泡が立ち上るのが透明の瓶越しに見えた。
「オレ、ここのソファ使うから、お前はあっちのベッド使って」
「…え…?」
「終電、終わったろ? 飲んでるから車、出せないし。今日はウチに泊ってけよ」
「……いいよ。タクシー拾うから」
もう汚れていなから、乗車拒否されることもない。
泊めてもらう理由なんてないもん。
「別に一緒に寝ようって言ってんじゃないからさ、泊まってけって。夜更かし付き合えよ。映画上映会しよ」
ともひろが、カウンターの上に置いてあったブルーの袋を手繰り寄せた。
見慣れたレンタルショップの袋から、数枚のDVDを取り出して私の前に並べる。
タイタニックに、ホリディ。ロミオ&ジュリエット?
王道なラブストーリーばっかじゃん。


「そんなの、彼女と見なよ」
「そんな存在、今はいないよ。ずっと前に振られてそれっきり」
「振ったの間違いでしょ?」
「いーや。振られたよ。
“酒井さんって付き合ってみたら、思ってたイメージと違うんです。ごめんなさい”───って。オレに何を期待してたんだよ。女ってわかんねー」
吸ってい? と、ともひろがシガレットケースを持ち出した。
一本取り出して口にくわえて、ジッポで火をつける。
照明のレベルを落とした淡い部屋に、赤い光が鮮明に見えた。

「引き止めなかったの?」
「もう付き合えないって言うんだから、引き止めたって仕方ないだろ。それ以上オレに、どうしろっていうんだよ」
「好きって言ってきた子と片っ端から付き合ってるから、そういう事になるのよ」
ともひろは、昔っからそう。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
高校時代、私の友達を何人泣かしたと思ってんの?
コイツはフリーの期間が、極端に短い。
それと同じくらい、特定の彼女と付き合う期間も。


「向こうだって、オレの中身なんてちっとも見てないから。見た目と肩書きだけで寄ってくるクセに、いざ付き合い始めたら何か違う…とか言われる。オレの身にもなってみろ」
「それは相手も悪いけど…。でも、ともひろも悪いんだよ? 好きでもないくせに、付き合ったりするから…。
ともひろって、自分から追いかける恋愛ってしたことある? 経験は人一倍してるのに、恋愛にはあまりにも執着がなさすぎる」
んー…と気のない返事をして、煙草をくわえたまま、DVDの一枚を適当に選んでデッキに突っ込んだ。
ともひろのワイン色のフレーム眼鏡に、タイトルが薄く反射する。
自分の都合が悪くなると、すぐこれだ。
耳を傾けるフリだけして、話の内容なんてちっとも頭に入ってない。


「そんなことばっかやってたら、いつかみんな離れていっちゃうよ?」
「とわは離れていかないだろ? オレはお前がそばにいてくれたらそれで……」
「それは…友達だから…」


友達としてのともひろは、好き。
だけど、男としての彼はいまいちよくわからない。
ともひろの恋愛論が、私にはよく理解できない。






「女って肩書き、大事だよな。どこの大学出たとか、どこの企業に勤めてるとか。役職は何、とか…。社会人になってからますますそうだ。何で?」
「なんで…って…」
それは、“結婚”の二文字がちらつくから。
将来の可能性を、彼の遠い未来に重ねてしまう。
ハタチを超えて、社会に出てしまったらなおさら。






「…ま、大体はわかるけどさ。…でも、そういう女は重いから」


大きなため息と共に、煙が吐き出された。
ともひろの不満が、全部白い気体になって、ゆらゆらと部屋を漂う。
それを見ていたら、どうしようもなく悲しくなった。
ソファに背中を預けて、そのまま膝を抱え込んだ。

知ってる。
男の人にとって、そういうのが重いってことぐらい。
だから情けなくすがることは、みっともないんだって。
格好悪いんだって、潔く別れたつもりだった。
なのに、ずっと別れてしまった理由に納得できないまま。
気持ちが離れてしまっただなんて、タケルだけで。
私はまだ、こんなにも忘れられなくて引きずっているっていうのに。
昼間は大丈夫であっても、夜になるとどうしても思い出してしまう。
当たり前にあった腕のぬくもりも、髪を撫でてくれる優しい指も、柔らかく呼ぶ声も、ここにはない。
したくもない想像に胸が締め付けられて、どうしようもなく泣きたくなる。
私ではない恋人と過ごすタケルを。
自分から携帯を折ってしまったくせに、アドレスを消去できない情けない自分。
もらったメールでさえ、消せずに残したまま。
記憶だけは、いつまで経っても色あせてくれなかった。







「……なに思い出して涙ぐんでんだよ」


煙草の匂いがひどく近くで鼻を掠めたような気がして、そっと顔を上げた。
いつの間にそんな近くまできていたのか。
すぐ隣にともひろが座っていて、私の頬に触れた。








「人んち来て、他の男の事を思って泣くな」



何かを言おうと開きかけた唇に、彼の顔が降りてきた。
軽く熱が触れて、息を飲まれてしまう。







「………とも…ひろ──────?」


そのまま強く腕に抱きしめられた。







「──────オレ、とわのこと、好きだったよ。タケルに持ってかれて、悔しかった。
ヒゲだって…。お前が年上がいいっていうから伸ばしたんだよ。どう考えたって、年を誤魔化すことはできないから、見た目ぐらいはって思ったんだよ。
スーツだって、ネクタイだって。ほんとは窮屈なのに、お前の前では脱げない。お前が年上じゃなきゃって言うから、少しでも理想に近づきたくて──────」

瞳の奥にある意志の強い輝きに耐え切れなくなって、乱暴に視線を外した。
冗談でしょ、って。
笑って流せる雰囲気じゃない。







「とわ」


優しく呼ばれた。






「とわ。こっち、向けって」


二度目は強く。
その存在を確かめるように。





のがれようと逸らした体を捕まえられて、ともひろが顔を近づけた。
少しぼけていた焦点が合わさって。
ともひろが、頬に触れた。








「オレ。お前が好きだ。惚れてる。だから、キスさせて──────」





←BACK / NEXT→
←TOPへ / とわの彼方に*目次へ→


とわの彼方に comments(0) -
ナツカゲ 1
*青春ライン プロローグ1



男の人が泣くのを、初めて綺麗だって思った──。



夏のスタジアムで、あたしは高らかにトランペットを吹き鳴らす。
反響効果はほとんどないけれど、どこまで音を広げても気にならない開放感が、すごく心地いい。
指揮者のタクトに合わせて、馴染の音を響かせる。
頭から流れ落ちた汗が、頬を伝う。
パートが代わって音を休めている間に、急いでそれをぬぐった。
容赦なく照りつける初夏の日差しが、じりじりと体に纏わり付いて暑い。
とにかく暑い…。
団長なんて、長ランに手袋、白鉢巻。
高らかに腕を伸ばして、声を張り上げてる。
頑張ってんな〜と、他人事のようにあたしはそれを見下ろした。

吹奏楽部に所属するあたしは、夏のスタジアムにいた。
野球部のスタンド応援。
この時期になると、毎年借り出される。
はっきり言って、野球部の試合なんてどーでもいい。
気持ちよく、トランペットが吹ければそれで。
試合の勝ち負けなんて、関係なかった。
もしこれが自由参加であったなら、間違いなくわたしは参加しなかっただろう。
早く終わってほしい。
暑いし、汗臭いし、日焼けはするし。
いいこことなんて、ちっともない。
遮るものがほとんどない開放感以外は、デメリットばかりだ。
ご愛用のトランペットくんも、夏の日差しに傷んでしまいそう。
わたしは、夏のこれが苦痛でしょうがなかった。



カーンと、硬質な音が耳を掠めて、どこまでも青い空へ白い打球が消えた。
「あ〜…っ」
ため息と共に、試合終了を告げるサイレンがスタジアムに響いて、夏が終わった。



「…ありがとうございまシたーーーッ!!」


ギャラリーとスタンド応援に頭を下げて、試合は終わった。
歓喜に沸いた相手チームと違って、うちの野球部は悲壮に打ちひしがれる。
特に三年生なんて、号泣。
泣くほどのことなの?男のクセに…。
たかだか、中学の地区予選。
名のある伝統校じゃあるまいし、準決勝まで勝ちあがれただけでも奇跡だ。







「おーい!そこのトランペットのヤツ。悪いけど、それ片しといて」


一度、学校まで戻ってミーティングを済ませてから、吹奏楽部も解散。
帰ろうとトランペットケースを持ち上げたタイミングで、運悪く部長に捕まってしまった。
理由は一番近くにいたから。
「…はーい」
文化部といえども、部活の上下関係は絶対。
用事を頼んだのが上級生ならば、それは断れない。
受け取ったダンボールは、今日の応援で使った野球帽。
野球部と同じデザインのものをみんなお揃いで被って、吹いてたわけだ。
これは、次の夏まで封印。
野球部の夏は終わったけれど、私達の夏はこれから。
八月の頭に吹奏楽のコンクールがある。
それに向けての練習が、明日から本格的に始動する。
ルパン三世のテーマや、狙い撃ちなんかの、定番応援ソングとは今日でおさらば。
野球部になんて、もう、付き合ってらんない。
「さっさと終わってくれて、よかったよ」
ため息混じりに悪態ついて、そのダンボールを準備室の奥深くしまった。







一日中、炎天下にいるとどっと疲れる。
それは他の部員も同じだった。
ミーティングを済ませると、とっとと帰ってしまう。
自転車置き場には、もう、数台の自転車しか残っていなかった。
そのうちの赤い一台の前籠に、トランペットケースを放り込んで、わたしはペダルを漕ぎ出した。
…だるい。
おまけに、腕や頬が日焼けでひりひりする。
日焼け止めを塗っていても、あんな炎天下に長い間いたら、効果なんてゼロに等しい。
帰ったら、ソッコー応急手当しなきゃ。
そんなことばかり考えながら、グラウンドの横を通り抜けようとした。



「…あれ……?」


ふと、人影を感じてペダルを漕ぐのをやめた。
どうして立ち止まってしまったのか、今でもわからない。
野球部がとっくに解散したグラウンドのど真ん中に、人影を見つけた。
…何、しているんだろ。
初めは、ほんの少しの好奇心だった。
でも、足を止めてしまったら。
しゃんと背筋を伸ばして立っているその後姿が、視界に焼きついて離れなくなった。
薄汚れたユニフォームの背番号は『1』番。

…あの人、マウンドで投げていた人だ…。

自分が投げた試合で、負けてしまうというのはどういう気持ちがするのだろう。
やはり、責任を感じたりするのだろうか。
私はまだ、ソロパートを任されたことはないけれど。
もの凄く緊張するって、センパイが言っていた。
それがたった一小節、ワンフレーズでも。
一音一音に、全ての責任が覆いかぶさってくる。
見えないプレッシャー。
想像するだけでも、吐き気がする。
それをあの人は、一試合、ひとりで背負って立っていたんだ。
マウンドには逃げ場なんてないから…。

試合に負けて、みんなが号泣する中、あのピッチャーは泣かなかった。
涙のひと粒さえ、零さなかった。
「頑張ったなー!」「今までありがとう!」って、くったくなく笑った。
三年生の部員にとって、この大会が最後。
負けた時点で、夏が終わる。
今日の試合は、彼らにとって引退試合となった。



1番の彼は、マウンドをじっと見つめたまま、動こうとしない。
しゃんとした視線の向こうに、何を見つめているのだろう。



大きく肩で息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出すのが見えた。
まるで存在を自分の中で確かめるように。
背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見やる。
グランドを見渡して、一度、空を仰いで。
そしてまた、真っ直ぐに前を向く。
野球帽を脱いで、誰もいないグラウンドに深く深く、礼をした。
その間、あたしは身動きひとつできなかった。


まるで何かの儀式のようだ──って思った。


あたしが嫌いな野球部の薄汚れたユニフォームも、汗臭いスパイクも。
彼が抱えていたミットも。
全てが夕暮れ色に染まって、すごく綺麗に見えた。
オレンジが目に染みて眩しい。

一礼を済ませた1番の彼は、もう一度帽子を被り直す。
深く深く被って、表情が見えなくなる。
一度だけ、ぐっと肘で顔をぬぐうのが見えた。




…ああ。あの人、泣いてたんだ…。



あたしは。
それを全部見なかったことにして、ペダルを漕ぎ出した。
夏はこれからだというのに、何だか夏が終わってしまったような気がした。
寂しい孤独感が、じわじわと心に浸透していく。
なぜだか分からないけれど、涙がじわりと浮ぶ気がした。





真崎 奈津。
中学二年生。十四歳の初夏のできごと──。




ランキングに参加しています。
(上記バナーは青春ライン単作です)


NEXT→





青春ライン comments(6) -
恋は突然やって来る? 1

肌のぬくもり



“幼稚園の先生”と聞いて、男は一体、何を期待するのだろう。
合コンの席でのこの職業は、大概、受けがいい。
スッチーや妄想を掻きたてるナースには負けるけれど。
OLやショップ店員に比べると、数倍ランクが上?
甘えさせてくれる──────とでも思うのだろうか。
散々、職場で子ども達に甘えられて疲れてるのに、プライベートで男にも甘えさせると思ったら大間違い。
今度付き合うなら、うんと甘えさせてくれる人がいい。












「とわちゃんって、幼稚園の先生してんだって? いいねぇ」
居酒屋の席で、私の隣に座った中村というスーツの男は、口を開くなりお決まりのセリフを呟いた。
愛想笑いを返しながら、ほんとは笑えない口元を誤魔化すかのように、ジョッキを口に運ぶ。
言葉の裏側には、『オレも甘えたい』っていう期待が滲み出てる。
やだなぁ、下心見え見えじゃん。
それになんなの、“とわちゃん”って。
会ってまだ数分しか経っていないのに、その馴れ馴れしさは。
「こんな可愛い先生がいるんだったら、オレは喜んで幼稚園に行くね! 子どもじゃなくて、オレが甘えたい」
当たり障りのない相づちを返しながら、心の中は溜息の嵐。
やっぱり理由はそこ。
もう、うんざり。




後輩たまきがセッティングしてくれた、合コンの誘いを断って。
先約のともひろと、仕事帰りに待ち合わせた金曜日。
連れて来られたのは、居酒屋の広いスペースを貸しきった合コンの席だった。
「悪い。遅れた」
「遅っせーぞ、酒井。お前らが最後!空いてるとこ、テキトーに座れよ。後で、席替えやるから」
何が何だか、状況の飲み込めない私なんてお構いなしに、言われるままに空いた席に私を連れて行こうとするともひろ袖を、思い切り引っ張った。
「…ちょっと、ともひろ! どういうことよ、コレ…」
「見ての通りだよ。合コン。友達に頼んでセッティングした。お前、年上がいいんだろ?この前の飲みの席で、言ってたじゃん」
ちらりと部屋を見渡せば、仕事帰りのスーツの多いメンツ。
確かに、今度付き合うなら年上がいいって言ったけど…。

「そんなの聞いてないし、頼んでない…ッ」
「聞いてたらお前、来なかっただろ?」
当たり前だよ、そんなの。
「オレのせめてもの罪滅ぼし。タケルばかりが男じゃないって、お前も知ればいい」
って。
どうしてこうなるわけ?



入り口で躊躇した私は、背中を押されるがままに、空いてる席に押し込まれた。
ともひろはちょっと離れた向こうの席。
隣に座ったエビちゃん似の女の子が、嬉しそうに話しかけてる。
親しげに話しているところを見ると、顔見知り。
しかもあの笑顔は、ともひろ狙い。
ともひろも、まんざらでもなさそうだし。
ていうか、気があるのを分かってて隣に座ったな、アイツ。
昔からそういうところは抜け目ないから。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
典型的なモテ男。


「えー。こほん。
各自盛り上がっているところを何だけど、全員揃ったところで、自己紹介いってみよう。アピールタイ〜ム!
とりあえず、名前と職業は必須ね。後は自慢でも何でもいっちゃって! まずは、そこの遅れてきたキミから!」
飲むものも取らず、喉の渇きも潤わないまま、前フリもなくご指名されて。
「───花井、とわです…。花園町にある幼稚園で、先生、やってます。どうぞよろしく…」
仕方なく、言われるままに名前と職業だけ告げた。
受け狙いの面白いネタも、計算高い可愛いセリフもなし。
「へ〜! 幼稚園の先生なんだー! いいねぇ〜…ッ冷て…っ!! 何やってんだよ、城戸ッ!!」
しかも自己紹介の最中に、向かいの席の男の子にグラスに入ったウーロン茶をぶちまけられるし。
アルコールじゃなかっただけマシだけど。
ホント、最悪。
最近、とことんついてない。



それもこれも、ぜーんぶアイツのせいだ。
私のちょうど対角線に座って、隣の女の子とへらへら笑っている男。
恨むよ、ともひろ…ッ。









「なにカワイ子ぶって、カクテルとか頼んでんだよ? 普段は梅干浮かべた焼酎が好みなくせに」
この日、何杯目かわからないカクテルを口に運んだ私の頭の上に、聞き覚えのある声が降ってきた。
「うっさい。私は今、ひとりで飲みたい気分なんだから、放っておいてよ」
シッシ、と。
手を振って、ともひろを追い払う。
もう、あっち行ってよ。
ともひろなんて、顔も見たくない。
「せっかく一緒に来たのに、寂しいこと言うなよ?」
「…一緒に来た? それ、意味が違うでしょ」
キッと上目遣いに、睨みつける。
「たち悪いな、お前。絡むなよ」
私の嫌味なんてものともせず、隣の席に腰を降ろしたともひろが、ぐしゃぐしゃって。
乱暴に私の頭を撫でた。


「いいヤツ、いた? とりあえず、お前が言ってた“甘えられそうな年上”を中心に、集めてみたんだけど…」
それ。
“甘えたい年上”の間違いじゃなくって?
みんな私の職業を聞くなり、甘える気満々なんですけど。
明らかにともひろの人選ミス。
「いるわけないでしょ。もともと、そういう目的で来たんじゃないんだから」
「ひとりぐらい、いるだろ。好みのタイプ。アイツなんて、どうだ?」
「…もういいよ、ともひろ。私、しばらく恋愛する気ないから」
「そんなもったいないこと、言うなよ。女は今が旬だぞ? 男なんて腐るほどいるんだし。お前こそ、タケルだけでいいのか?」
ともひろが営業用スマイルを浮かべて、私を覗き込んだ。
そのセリフを私に言うの?
あまりにも無神経な同級生に、思いっきりぐーパンチをみぞおちに喰らわせてやった。




「そろそろ場所、移動しようかって言ってんだけど。お前、どうする?」
「行かない。帰る」
最初はチヤホヤしてくれた男たちも、そっけない態度を繰り返して、脈がないと悟ると、さっさと次の女の子に乗り換える。
あっちはあっちで盛り上がってるし。
私なんて、いてもいなくても同じでしょ。

「───な、とわ。年上やめて、オレにしたら?」
そっぽを向いてふて腐れた私を、ともひろがいたずらっぽく笑いながら覗き込んだ。
何言ってるんだろ、コイツ。
「…やめて。シャレになんない」
「アイツ、ぎゃふんといわせたくない? 親友と付き合ってるなんて、格好の仕返しだと思うけど」
「……アンタ、それでも友達? サイテー。半径1メートル以内に寄らないで。妊娠する」
「オレは病原菌扱いかよ」
ともひろが露骨に顔をしかめた。

「酒井ー! 次、行くってー!!」
「ああ。すぐ行く。追いつくから、先行ってて」
会計を済ませて入り口に固まった集団を先に行かせて、ともひろが私を覗き込んだ。
私が動くまで、頑として、ここから動かない気だ。
「行きなよ、ともひろ。アンタ、幹事じゃないの?」
「主催はオレだけど、仕切るのメンドーだから、幹事は中村サン。最初にとわの隣に座ってた男」
ああ…。
あの、『甘えたい宣言』の男の人、ね。
顔は普通によかったけど、自分のことしか話さない、自慢混じりのナルシストな会話にうんざりして。
私は逃げるように、カウンターに避難した。
ひとりで飲んでる方が、よっぽどマシ。

「それにあの子、ともひろを待ってるっぽいよ? 行ってあげなよ」
エビちゃん似の女の子。
チラチラとこちらを気にしながらも、彼女狙いのメンバーに連れられるように店を出て行った。
なんか、守ってあげたい雰囲気の女の子だったなぁ。
「いいよ、川原は。他の奴らいるし。それよりお前ひとり、置いて行けないだろ」
「別にいいよ。大丈夫だから。
…っていうか、ひとりになりたいんだってば。あっち行ってよ」
「…んだよ。そんなにオレのこと、嫌か?」
「イヤ」
「即答するな。嘘でも少しは考えるフリぐらいしてくれ。自信、なくすから」
大きなため息混じりに、頭を掻いて、
「どこがイヤなの? タケルよりもいい男だと思うけど。どこが劣ってる?」
真面目な顔つきで、私を覗き込んだ。

「そういう自信満々なところ。軽いところ。誰でもいいってところ。人の弱みに付込もうとするところ。それから…ヒゲ!
何なの、急に。ヒゲなんて伸ばしてなかったのに。ダンディぶってさ。似合わない。不潔!」
「…お前なぁ。オレをどこまで落とすわけ? その容赦ない攻撃は、何?
それはオレ個人に対する攻撃? それともタケルをそそのかした仕返し? オレがタケルの親友だから?」
「全部よ。全部、イヤ!
何なの? タケルをそそのかして、別れたからってすぐに合コンをセッティングして、それで罪を償ったつもり? 私が傷ついてないとでも思ってんの?」
「…やけに噛み付いてくるな。お前、そうとう飲んだだろ? それ、何杯目?」
呆れたように溜息を零して、ともひろは飲みかけのオレンジフィズに手をやった。
「別に、ともひろには迷惑かけてないんだから、いいでしょ。放っておいて。あっち、行ってよ。川原さん、待ってるよ」
「だから、川原はカンケーないって! ていうか、これ。甘いやつは意外に足にくるぞ。たいして強くないくせに、飲みまくるのやめろ。はい、没収ー」
そう言って、まだ半分以上残っているグラスを取り上げられた。
「…うーーー。返せ〜〜」
「お前、マジで相当、飲んだだろ…?」
呆れたように腕で制されて、あっけなく不満の捌け口を持って行かれた。
実際、どれぐらい飲んだか思い出せないくらい回ってる。
肩に触れられると、クラリとした。
ヤバイ。


「あ。城戸! まだいたんだ。ちょうど良かった。ちょっと頼まれて。
このグラスに、ピッチャーからウーロン茶酌んできて──────…え? …とわ…?」
私はそのまま、崩れるようにともひろの肩に顔を埋めた。





「──────本当にお前、大丈夫か……?」




「……大丈夫、じゃない」




「え…」






「ゴメン、ともひろ…。吐く…───」



「うわーーーッ!! 待て、待てってー!」


私のとんでもない発言に、ともひろが慌てて担ぎ上げて洗面所に連れて行こうとしてくれたけれど。
それはわずかに間に合わず。
結局、そこで、見苦しい醜態を晒すことになってしまった。





最悪…。







←BACK / NEXT→


とわの彼方に comments(0) -
ここでキスして 後編
*******************************************

ここでキスして  後編

*******************************************

壁に背中を預けて腕組をした状態で、蒼吾くんが目を閉じた。
制服の代わりに着ているネイビーブルーのTシャツが鮮やかで、目に沁みる。
Tシャツの上から適度にわかる筋肉のラインが、男らしくて好きだなぁ…なんて考えていたら、ドキドキが止まらなくなった。

寝込みにキスなんて。
こんなことになるのなら、やめておけばよかった。
どうしようもない状況に追い込まれて、八方塞になって。
あたふたするのはいつも私。
きっとキスしなきゃ、てこでもそこから動かない。
そんな無言のオーラで私を追い込む。
スポーツマンと芸術家は、頑固者が多い──。
ふと、そんな言葉が頭の隅をよぎった。


…しょうがないなぁ、もぅ…っ。


そっと近づいて、肩に手を乗せて軽く体重を預けた。
身を乗り出して、顔を近づけたらコツンと鼻先が触れた。
…あれ?
これじゃあ、唇まで届かない。
蒼吾くんは、いつもどうしてたっけ…?
ぎこちなく首を傾けて、角度を変えたら、ちょうどうまい具合に収まった。
そーっと顔を近づけて、唇を合わせたら。
ふっ、って。
蒼吾くんの唇から小さく息がこぼれた。



うぁ…。メチャクチャ、恥ずかしいーーーっ。



余韻に浸る余裕なんて、ない。
一瞬で離れて、真っ赤な顔を見られないように、蒼吾くんの肩口に倒れ込むように顔を埋めた。
もう二度と私から仕掛けない。
こんなに恥ずかしいこと、もう、絶対にしない…ッ。








オレは園田が目を閉じたのをいいことに、軽く目を開けた。
ぎゅうっと目を閉じた顔は、これからキスをする甘い顔というよりも、崖から飛び降りる寸前のような思い詰めた顔。
可笑しくって笑っちまう。
でも、園田にとって、それだけ勇気がいるってこと。
肩に乗せた手が、微かに震えてた。
唇は一文字に結ばれてるし。
これからキスしようってんだぞ?それってアリかよ?
やること成すこと可愛すぎて、いちいちオレのツボにはまる。

目を閉じたままの状態で、そのまま真っ直ぐ顔が近づいてきた。
ガキのチューじゃあるまいし、その角度じゃ絶対、無理だろ。
案の定、鼻の先が触れ合って、ようやくこれではキスできないことに気付いた園田の顔がぎこちなく角度を変えて、そっと唇を合わせてきた。
や、掠めた程度。
それが園田の精一杯。
だけど。
長い間、お預けをくらっていたオレにとっては、十分すぎる刺激。



うぁ…ッ。ヤバイ。
クセになりそうだ…。




緩んで緩んで仕方がない口元を隠すように、オレは下を向いた。
内心の嬉しさが、全部顔に出てる。
ヤバイ。
絶妙なタイミングで、園田がそのまま倒れるようにオレの肩に顔を埋めてきた。
たぶん、恥ずかしさを誤魔化すために。
それがまた、マズかった。
すぐ側に見えた襟元から覗く白い肌と、汗ばんだ柔らかな質感。
白い襟足を覗かせる涼しげな夏髪。
だから、目の毒だって言ったのに。
やっぱり、掠めるだけのキスなんかじゃ、足りるわけがない。



園田サン、このまま押し倒しちゃっても、いいデスか?









こんなの、絶対、心臓に悪い。
バクバクと音を立てる鼓動は、いつまで経っても治まってくれなかった。
顔がまともに上げられない。
「…園田──」
硬質な声が少しトーンを落として、柔らかく私の名前を呼んだ。
この呼び方が好きだなぁ…と、しみじみ思ってしまう。
鼓膜の奥に残る余韻を噛み締めていたら、両手で頬を包まれた。
そのまま顔を上げられて、押し当てるように唇が触れた。

確かめるように、何度も何度も唇で触れて、角度を変えて。
優しくゆっくりと重ねるキスは、想像以上に私の感覚を麻痺させた。
頭の芯が、じーんとして、何も考えられなくなる。
背中に回していた手が髪にもぐって、軽く留めていたクリップを外した。
髪をほどく指が、何度もやさしく髪の中を撫でていく。
首筋に触れる指がくすぐったい。
キスの時間がどんどん、長くなって、深くなって。
気がついたら、蒼吾くんの肩の向こうに空が見えた。
透き通るような夏の青空が、ちょうど真上に…



──え…?


「蒼…吾くん…?」


す、ストーーーップ!!ここ、学校…っ!!









自分は(どちらかといえば)理性の強い男だと自負していた(つもり)。
なのに。
園田からのキスひとつで、こんなにもブレーキが利かなくなるなんて思いもしなかった。

「…待って…、ここ、がっこ…──ッ」

園田は逃げようとしたけれど、両手で頬を包んで離さなかった。
いや、離せなかった。
強く唇を押し当てて、深く探って。
吐息が甘い息に変わる頃には、押し当てた唇は首筋を滑ってた。
んっ、と。こぼれ出た声に、イヤでも体温が上昇する。


「──そーご、くん…ッ」


オレを呼ぶ園田の声は、はっきりと上ずっていて。
ぐいっと腕を伸ばして、オレの体を押しのけて距離をとろうとする。
その手が、あまりに非力で笑いそうになる。
何年待ったと思ってんだよ。
どうしようもなく好きで、たまらなく焦がれて、やっと手に入れて。
ほんの少しの焦りと衝動とで、このまま、園田のことを傷つけてもいいのか?
衝動に負けたなんて──。
何やってんだ、オレ!


ていうか。
学校の屋上で、園田を押し倒したなんて知れたら、間違いなくオレはアイツにやられる。
あの、融通の利かない真面目なクラス委員長に…。



オレは焦れて、押し倒した小さな体を強引に引き寄せた。
突っ張る強情な腕を片手でいなして、ぎゅっと抱きしめる。
抱きしめた小さな肩が震えてた。
うあ。マジで、ゴメン──ッ。







首筋に顔を埋められると、震えが走った。
押し倒されて、両肩を押さえつけられる。
それでもキスは終わらなかった。
どんなに突っぱねても、腕を伸ばしても、大きな掌に捕まってしまう。
蒼吾くんに触れられるのは、イヤじゃない。
イヤじゃないけど、こんなところでは、やっぱりやだ──。
取り乱した私の手を片手でいなして、そのまま引き寄せて抱きしめられた。
ふわっ、と。
蒼吾くんの匂いでいっぱいになる。
それだけでも、簡単に参ってしまうのに。


「…園田、ゴメン…っ」


抱きしめられた耳元で、囁くように告げられた。
必死に抵抗しようとしたのに、努力なんて空しいもの。
そんな困ったような顔で笑われると、こっちまで笑顔が引き出されてしまう。
笑顔は伝うもの。
蒼吾くんの笑った顔には、勝てるはずがない。







ゴメンと告げたら、さっきまで突っぱねていた腕が、力を失くした。
ぎゅっと抱きしめた腕に力を入れたら、どうしようか躊躇っていた小さな手が、そっと背中に触れた。
こういうところは、本当に素直で可愛いと思う。
そのまま後頭部に手をそえて髪を梳くと、ようやく園田は落ち着いた。
しゃくりあげるように浅く短く繰り返していた呼吸が、深いものへと変わる。

「な、園田。さっき、何で涙ぐんでたんだ?」
涙の理由の想像がつかねぇ。
コンクリートの地面を見つめたまま、しばらくだんまりを決め込んでいた園田が、小さく呟いた。
「…蒼吾くんが、いつまでたっても起きないから…」
「なんだよ、それ」
「だって…。ずっと、一緒にいられなかったから…。
少しでも早く会いたくて、長く一緒にいたくて、急いで走ってきたのに…」




オレは、絶句した。
「そんなの、言ってくれれば…──」
夏大が終わるまで──って、自分に言いかせて、我慢して。
会いたいとか、もっと一緒にいたいとか。
オレだけが、そう感じてるんだと思ってた。
長い間、片思いしてたんだ。
好きの重さが違うのはしょうがない──そう、自分に言い聞かせて。


「言えよ…そういう事は!
ちゃんと言葉にしないと、わかんないこともあるだろ?」
オレだってそうだ。
好きの重さを天秤にかけて。
わがままを言わない園田に、焦れて、煮詰まって、衝動に走って。
ひとり心で思うのは、簡単だ。
でも。
ちゃんと言葉にしなきゃ、伝わるわけないのに。

ぎゅっと園田を抱きしめる。
小さな掌をオレの背中に回して、抱きしめた分だけ気持ちを返してくる。
うぁ…。
何か、オレ。
一生分の幸せを、この日で使っちまったような気がする…。


「蒼吾くんも、ちゃんと言ってね?」
くりんとした茶色い目が、オレを見上げた。
「…ああ。約束する」
甲子園に誓って、絶対に──。
こつんと額を当てて、間近で見た園田の嬉しそうな笑顔。
なんちゅー顔、してんだよ。
最上級に甘い砂糖菓子のような笑顔に、たまらずそのまま口付けた。
Tシャツを掴んだ手に少しの抵抗が見られたけれど、それは唇を重ねるごとに、次第に和らいでいった。
昼休みの終わりを告げるチャイムが耳を掠めて、名残惜しく唇を離すと、園田の唇から甘い息がこぼれた。


「…な、園田…」
「うん?」
「…これ以上は、ダメですか?」


「…ダメです…ッ」


真っ赤になった園田に、焦ったように体を離された。
「言えつったから…。矛盾してらぁ」
「それとこれとは、別問題ッ!」
そう言って睨みつけた顔は、ちっとも迫力がない。
可愛くてどうしようもない気持ちを押し込めて、もう一度、園田を抱きしめた。
「…蒼吾くん、授業、始まっちゃうよ…」
「…もう終わりかよ、昼休み。短けーなっ。ていうか、園田。昼飯!食ってないんじゃねーの?」
オレは早弁したからいいけど。
「…いいよ。お腹、いっぱいだから…」
オレは、何も言えなかった。
そんな顔して俯かれたら、お腹いっぱいの意味くらい、分かる。
それを計算ではなく、素直にサラリと言ってしまう園田は、ある意味最強。
オレはずっと、コイツに勝てないんだろうな。
参ってしまう。




「な、園田。次の授業、サボんねぇ?



…オレは、もうちょっと、一緒にいたいデス──」





(ここでキスして/後編*END)




              illustration BY * HAZUKI*YUMI


* おまけのあとがき *


付き合い始めの、初々しい感じがスキです。
手をつなぐのもためらって、キスするのもドキドキして…。
ましろと蒼吾は、ずっとこんな感じなんだろうな、と思います。
手をつないで、ふたり一緒に、一歩ずつ…。
(で、蒼吾だけ焦るといい…笑)
次のステップに進むのに、時間がかかりそうですが、これでいいんです。これがいいんだと思います、このふたりは。

蒼吾がましろを名前で呼べるようになるのは、いつなんだろう…。
そんなおはなしも、いつか、機会があれば書いてみたいな。


連載終了当初は、まったく書くつもりのなかったましろと蒼吾のその後。読者さまのエールとリクエストに支えられて、このおはなしができあがりました。
書いていて、ホント、楽しかった!ありがとう!!

下記拍手やメールフォームの方にも、たくさんコメントをいただいています。
はじめましての方や常連さん、連載当初にコメントをいただいていた懐かしい方々からも…。
あれからずっと読んでくださっているのだなぁ〜と、感謝の気持ちでいっぱいです。
お返事を…と思いながらも、こちらにコメントをいただいているものは、非公開の方がいいのかなと思い、お返事を控えさせてもらっています。でも、しっかり大事に読ませていただいていますよ。
ホント、心の栄養です。


はづきが書き下ろしてくれたイラストは、本編のワンシーン。
教卓の下での出来事を、再現してくれました。
素敵でしょう?
蒼吾が笑って、ましろが笑って…。笑顔は伝うもの──このひと言にかぎります。
はづきの絵があってこそ、はじめて物語りに色が付いて、動き出すのですから。ほんと感謝です!そして次回もよろしく!


さて。
先日から始めた新連載、『青春ライン』。
まほコトで書けなかった大好きな高校野球のシーンを書きたくって、挑戦中。どこまで野球が表現できるのやら、少々不安ではありますが…。野球つながりで、微妙に蒼吾とリンクしています。
気になる方は、覗いてみてくださいね。



ましろと蒼吾の次のステップは、また、いつか…。
ご拝読、ありがとうございました!


魔法のコトバ*目次へ→

続編*全力少年へ→
魔法のコトバ* 続編 1 comments(17) -
ここでキスして 中編
*******************************************

ここでキスして  中編

*******************************************

小さい頃、童話にでてくるお姫さまになりたかった。
綺麗なドレスを着て、お城での舞踏会。
その隣には優しく微笑む王子様。

童話に出てくるお姫様は、いつも王子さまのキスで目覚める。
白雪姫も、眠り姫も、いばら姫も──。
だからずっと、キスはトクベツなんだって思ってた。







唇まであと一センチ。
吐息が唇を掠めるほどの距離で、思い留まった。
寝込みを襲うなんて、どれだけ欲求不満なのよ、私。
このまま唇を合わせたら、きっと蒼吾くんは起きちゃう。
そうなったら、何て言い訳するつもり?
私から、キスなんて…──。

初夏の生ぬるい風に吹かれて、蒼吾くんの短い髪がさわさわと揺れた。
そっと指で触れると、何だか大型犬でも撫でているような気持ちになる。
蒼吾くんは、やっぱり起きそうにない。


自分から呼んでおいて寝てるなんて、どういうことよ。
あまり会えないから、ずっと我慢してた。
今日は何回すれ違ったとか。目が合ったとか。声が聞けたとか。
付き合うようになってからの方が、片思いみたいだなんて、どうかしてる。

『いい一年が入ったんだ。今年は狙えるかも!甲子園!!』

満面の笑みを浮かべて、夢を語った蒼吾くんに。
毎日、朝早くから夜遅くまでがむしゃらに頑張ってる彼に。
もっと会いたいだなんて。もっと一緒にいたいだなんて。
そんなわがまま、言える筈がない。
蒼吾くんの夢の邪魔になりたくない。
お荷物になりたくない。


でも。
ほんとうは、もっと一緒にいたい。
声だってたくさん聞きたいから、電話だってもっとして欲しい。
メールだけじゃ、物足りない。
ちゃんと声が聞きたい。
あの低くて柔らかな声で、園田──って呼んで欲しい。
笑顔が見たい。
触れたい、触りたい、抱きしめて欲しい。

もっともっとが、膨らんで。
私、わがままになってる。
目のふちに、涙が溜まるような気がして、うまく笑えなくなった。
ぽすん、と尻餅をついて、膝を抱えてその場に座り込む。


…お昼休み、楽しみにしてたのにな。
少しでも長く一緒にいたくて、声を聞きたくて、触れたくて。
チャイムと同時に教室を飛び出してきたのに…。



一向に起きない蒼吾くんがちょっぴり憎らしく思えて、私は鼻をつまんでやった。






触れてくる柔らかい唇の感触を想像してた。
髪が額を掠めて、唇に吐息が触れて。
キスまであと一センチ…ってところで、それ以上近づかない。触れてこない。
唇が触れる気配が一向にない。
ナンデ?
キスされる──なんて、オレの都合のいい勘違い?
しびれを切らせて、そっと目を開けると、園田の百面相。
赤くなったり、青くなったり、涙ぐんだり…。
ていうか、何で涙ぐんでんだ?
今、泣く理由なんてあるのか?


そうこうしていたら鼻をつままれた。
もう、限界。








鼻をつまんだら、ふがッと変な声がした。
ぎょっとして慌てて手を離すと、寝ていたはずの蒼吾くんの目がぱちりと開かれて、私を見上げてた。

「…もう、終わり?キス、してくんないの…?」

つま先から頭のてっぺんまで、恥ずかしさが駆け上がる。
「た、たぬきーーっ!」
全部、見られてた!起きてたんだ!いつものタヌキ寝入りだった!
あまりの恥ずかしさに、手で顔を覆う。
私は、何度騙されたら学習するんだろう。
もう、ここから逃げ出したい。

「…どうしてやめたんだよ」
オレ、すっげー期待してたのに、と。
蒼吾くんが、拗ねたように口を尖らせた。
「ていうか、何で涙ぐんでんだよ?」
「何でもない」
ぶんぶんぶんッと、髪が乱れるほどに頭を横に振る。
「な、園田ってば」
「何でもないったら…ッ」
穴があったら入りたい。
膝を折り曲げて、隠れるように顔を伏せた。

「…怒ってんの?」
体を起す気配と同時に、頭の上から声が降ってきた。
「オレがタヌキ寝入り、してたから?」
首を横に振った。
それはそれで腹が立つけど、そんな理由じゃないし、怒ってるわけでもない。
「なぁ、園田…?」
じわりと顔を上げたら、覗き込んだ困ったような顔と視線が絡まった。
久しぶりにちゃんと顔を見たら、声が聞けたら。
それだけで、煮詰まっていた私の心がゆるゆると溶けだした。
そんな私に向かって、ニッといたずらっぽい笑みを浮かべた後、頭に手を乗せた。
そのまま髪をぐしゃぐしゃっとして、私の瞳の奥を覗き込むように体勢を低くした。
淡い優しさが染み渡る。


蒼吾くんのこういうところを、いつもズルいと思う。
このタイミングで覗き込んでくるなんて。
怒る気も失せちゃう……。




こつんと額が合わさって、顔が近づいてきた。
…うわ…っ、キスされる──。
そう思って反射的に、私は目を閉じた。



いつだって、蒼吾くんのキスは突然。
前フリもなく、突然、仕掛けてくる。
学校の自転車置き場とか、体育館の通路とか、部室棟とか…。
心の準備もないままに触れてくるから、いつまでたっても慣れない。
ドキドキしてしょうがない。


肩に手が触れて、顔が近づく気配がした。
吐息が唇を掠めて、風に乗って流れてくる蒼吾くんの匂いに眩暈がしそう。
なのに。
唇が合わさってくる気配が、一向にない。
すぐ側に、彼の存在を感じるのに……。
そっと目を開けると、蒼吾くんの顔が何か言いたげに私を見つめていた。
あまりにも近くで覗き込むから、鼓動が急速に跳ね上がる。


「…なに…?」


沈黙に耐え切れなくなって、先に口を開いた私に。
蒼吾くんが、とんでもない言葉を口にした。



「…な。たまには、園田の方からしてくんねぇ?」




って。






←BACK / NEXT→

魔法のコトバ* 続編 1 comments(4) -
ここでキスして  前編
*******************************************

ここでキスして  前編

*******************************************

ふたり模様

まだ誰も来ていないはずの屋上への扉を開けて。
新鮮な空気を、胸いっぱいに吸いこんだ。
目に飛び込んできたのは、透き通った真っ青な夏空。
フェンス越しに見えた桜の木々が、初夏の陽気にさわさわと葉を揺らす。


『 昼休み。屋上で 』


素っ気無い、たった一行のメール。
私は喜びを噛み締めるように、携帯を握りしめた。
顔がふにゃりと、にやけてしょうがない。
ぱちぱちと頬を叩いて、笑顔で緩みきった顔を引き締めた。
まだ、来てるはずはないだろうけど。
いつものクセで、何気なく給水塔の裏を覗いてみた。


あ…。いた……。


光を遮るものがほとんどない屋上で、日陰の風通しのいい場所を見つけて、コンクリートの上に横たわった大きな体。
隣に転がった読みかけの漫画と携帯電話。
軽く開いた唇から、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。

この様子じゃ、きっと四時間目はサボったんだろうな…。

プリーツスカートの折り目を気にしながら、その隣に腰を降ろした。
一年中、真っ黒に日焼けしている蒼吾くんの肌は。
暑さが増すごとに、ますます黒くなっていく。
私と並んだら、まるでオセロの白と黒だ。
部活、頑張ってるんだなぁ…。
そっと覗き込んだら、耳に掛けていた長い髪が滑り落ちた。
寝顔を掠めて起こしちゃいそうだったから、ひとつにまとめて、ポケットから取り出したクリップで留めた。
蒼吾くんは、一向に起きる気配がない。



「おーい…。お昼休み、終わっちゃうよ?」


子供のように無防備な寝顔。
そっとその頬に触れてみた。
部活で鍛え抜かれた腕や肩とは違って、頬は思ったよりも柔らかい。
いつもでっかく笑う口元からは、規則正しい吐息が聞こえる。


…キス、したいなぁ。


そんな衝動がふつふつと湧き起こって、私は、そっと寝顔に顔を近づけた。








フリーになる昼休みは久しぶりだった。
夏大に向けて野球部が始動したのは、春も間もない四月。
放課後はもちろん、毎日、朝早くから昼休みも返上で練習三昧。
高校球児に休日なんてない。
家と学校とグラウンドとの往復で、くたくたの毎日。
ベッドと授業なんて、寝るためだけにある!
頑張れば頑張った分だけ結果が返ってくる練習は、すげぇ充実してるけど。
あまりにも自由の利かない、部活三昧の毎日に、時々、うんざりする。
そして必ずその時、自分に聞きたくなる。
青春ってなんだ──!?
って。


春から付き合い始めた園田とは、二年になってクラスが分かれた。
おまけに校舎も別。
園田のいるAクラスは渡り廊下の向こうだ。
廊下でばったり、という偶然もほとんどない。
休み時間のたびに会いに行くつーのも、迷惑な気がして。
空いた時間にたまに会うのと、夜更けの電話が、園田との唯一の時間。
なのに部活で疲れきったオレは、携帯を握りしめたまま寝ちまう事がしょっちゅう。
泥のように眠り続けて、気付けば朝方。
ベッドの下に転がった開きっぱなしの携帯には、メールが一件。

『 お疲れさま。また明日ね。おやすみ 』

いつも寝ちまってから、ムチャクチャ後悔。
睡魔のバカ野郎ーッと、朝から叫びたくなる。
これじゃあ、片思いしてた時と大して変わんないじゃねーかよッ。
触れられる距離にいるのに、触れられない。
ヘタすりゃ、片思いよりも厄介だ。



そんなある日。
授業中に回ってきた野球部業務メール。
『 顧問が急用の為、昼休みの練習は中止 』
開けたとたん、オレは机の下でガッツポーズを決めた。
久しぶりに園田と会える。
その期待がオレの心を躍らせた。









驚かしてやろう、と。
ほんのちょっとの出来心。
園田は想像どおりのリアクションをしてくれるから、すげーおもしろい。
いつ、どのタイミングで驚かしてやろう。
約束の屋上で先にスタンバってたオレは、逸る気持ちをグッと押さえて、タヌキ寝入りを決め込んだ。
近づいてきた足音が俺の側で歩みを止めて、隣にしゃがみこむ気配がした。
軽く薄目を開けて、その姿を確認する。


女子の制服のスカートは、夏に向けて限界に挑戦しているかのように短くなっていく気がする。
暑さと長さが正比例だ。
園田も例外じゃなく、かなり短い。
オレのすぐ隣で、座り込んだ小さな膝小僧が見えた。
覗き込んだ拍子に、肩から滑り落ちた長く柔らかな髪を後ろで器用にねじってクリップで留める。
ひとつひとつの仕草が妙に艶っぽく感じるのは、夏のせいだ。
ただでさえ腕とか脚とか、無駄に露出が多いのに、その白い襟足は反則だろ。
まとめた夏髪は、涼しげで、清楚で。
でもそれは、今のオレには逆効果。目の毒だ。
誘われてる気分になる。


「おーい…。お昼休み、終わっちゃうよ?」


遠慮がちに呟く声が聞こえて、小さな掌が伸びてきた。
ヒヤリと冷たい指先が頬に触れて、ドキリと鼓動が高鳴った。
火照った体に、冷えた指先が気持ちいい。
背中に腕を回して、このまま抱き寄せて、キスしたくなる。

ヤバイ。押さえろ、オレ…ッ。

園田に焦りは禁物。
コイツの涙は、二度と見たくねぇ。
できることなら、このまま園田の方から仕掛けてくれるのが理想なんだけど。
それは、期待できそうにない。
どのタイミングで、ドッキリを決行するか。
絶えず寝たフリを演じながら、絶妙なチャンスを伺った。

園田はいつも、寝ているオレを起こそうとはしない。
柔らかな笑みを浮かべて、黙って見てるだけ。
それをこっそり覗き見るのが好きで。
実は、タヌキ寝入りもこれが初めてじゃない。
よし。
もう一度それを拝んでからにするか。
オレは園田に見つからないように、薄目を開けた。



そこに飛び込んできたのは、予想も出来ない光景。
オレを覗き込んでいたはずの園田の顔が、ゆっくりと近づいてきた。
紺のセーラーの襟と、風に揺れる白いスカーフ。
少し汗ばんだ首筋に張り付いた後れ毛が妙に色っぽくて、心拍数を上げる。
小さな肩越しに見えた空の蒼と、セーラー服の冴えた白が眩しかった。すべての動作が、スローモーションのように見えた。



…え、マジで!?




逸る気持ちを押し込めて、オレはタヌキを決め込んだ。






NEXT→
魔法のコトバ* 続編 1 comments(2) -
春を待つキミに。 10
***********************

春を待つキミに。 10  サイド*佐倉

***********************

彼女の横顔はいやというほど見てきた。


強がりの横顔。
泣き出しそうな横顔。
アイツを想う横顔。
だから口に出さずとも、自然と心が見えてしまう…なんて。
それは、自意識過剰なんだろうか。



* 



はぁ…、と。
俺の目の前で、今日、何度目になるのか分からないため息が零れた。
細い指でパラパラと捲る書類なんて、読んでいるのか、なぞっているだけなのか分からないほど、ぼんやりとしている。
ため息の拍子に、彼女のトレードマークともいえるサラサラの黒髪が肩から流れ落ちた。
その滑らかさに思わず手を伸ばして触れたくなる気持ちを押し込めて、俺は手元から顔を上げた。

「…日下部、それ。何度目?」
「…え?」
「ため息。そんなについてると、幸せが逃げるよ」
皮肉混じりに笑って言ったら、軽く睨まれた。
「何のため息?」
「───別に…」
理由なんてない、と短く告げると、優等生の顔に戻って書類に視線を返す。


学園祭二日目。
俺と日下部は旧校舎の四階会議室に設けられた、『学園祭運営委員会本部』にいた。
来賓を誘導する当日の接客係として、午前の仕事を終えた俺は、昼食を準備しているからどうぞと運営委員に促され、いかにも学祭の出店の残り物みたいな昼飯をご馳走になったところだった。
生徒が作ったものなので、味はそこそこ。
でも腹は満たされた。
他にもいた接客係も空腹が満たされると、学祭の続きを楽しむ為に銘々に散っていった。
ちょうど交代の時刻を迎える前の本部には、俺と日下部のふたりだけが取り残される。
学祭に使われていない旧校舎は、窓の外の騒がしさとは打って変って静かだった。


「さっきの三年に、告られた?」
黒目がちな瞳が大きく見開かれた。
マスカラいらずの長い睫毛が、瞬きのたびに小さく揺れる。
仕事を終えて本部に戻って来た時、日下部は席を外していた。
残っていた同じ学年の女子が、「日下部さん、また呼び出しだって!すごいよね〜!」と、ボリュームも落とさず噂をしていたのを小耳に挟んだ。
戻り際に茶髪にピアスの、場に不釣合いな生徒とすれ違った記憶が頭を掠めた。
「軽音部の三年だよな、あの人。昨日、歌ってた。結構、格好がよかったけど」
「ああいうチャラチャラした男、嫌いなの」
「昨日は生徒会の副会長?」
「…私、今、誰とも付き合う気ないから」
不機嫌さを隠そうともせず、ツンとそっぽを向いた。
「“難攻不落な日下部さん”」
「…は?」
「みんな言ってる」
不機嫌そうなため息が零れて、日下部がキッと俺を睨みつけた。
「そんな事、誰も言ってないでしょ?昔、私が言ったことをそのまま使うのやめてよ」
「覚えてたんだ」
俺の事なんて、どうでもいいと思ってたのに。

「どうしてそんなに不機嫌なんだよ。
好きって言われて、嬉しくないヤツなんていないだろ」
よっぽどでなければ、悪い気はしない。
「…嬉しくなんて、ないよ。
見ず知らずの人に好きって言われて、断ったらひどいヤツとか、お高くとまってる、とか。手のひらを返したように詰られて…。
それぐらいの中傷には慣れてるから、まだいいけど。女だからって、弱い立場に追い込まれる事だって、あるんだから…」
書類を掴んだ華奢な掌が、ぎゅっと握りしめられた。
思い出したくもない記憶が彼女の中で、フラッシュバックされているのだろう。

「昨日だって…」
唇が、悔しそうに噛み締められた。
じっと前を見据える黒の瞳が、微かに潤んだように見えた。
「…何でも、ない…」
言いかけた言葉を飲み込んで。それ以上、その続きが紡がれることはなかった。
何を言おうとしたのかは、俺にもわかった。
言葉を続けることが出来なかった理由も。

昨日の学園祭初日。
日下部に誘いを断られた男が逆上して、体育倉庫に彼女を閉じ込めた。
ちょうど巡回をしていた教師が、すぐに気付いたから大事には至らなかったけれど、危うく襲われそうになった、と噂で聞いた。
犯行に及んだのは、外部から遊びに来ていた大学生。
昼間っからアルコールを口にして、テンションが上がっていたらしい。
未遂だったにしても、彼女の心が深く傷つけられたことには変わりなかった。

以前にも、同じような事件があった。
あれは中学最初の夏の新人戦間際。
本人を前にしておおっぴらに話すことはなかったけれど、学校中、みんなが知っていた。
それを助けたのが、蒼吾だということも。
背番号をもらったはずのアイツが、夏の大会にベンチ入りできなかったのは、正当防衛とはいえ、上級生をボコボコに伸してしまったことが原因だった。
そのすぐ後だ。
日下部が髪をばっさり短くしてしまったのは。

一年が三年をのしてしまったという噂は瞬く間に広がり、告白ぐらいはしたとしても、誰も日下部に手を出そうとはしなかった。
彼女の側には常にアイツがいた。
隣にいることがあまりにも自然すぎて、実はふたりは付き合ってるんだという噂が流れたりもしたけど、その事実はなかった。
成長期を迎えて急に馬鹿でかくなった蒼吾に、睨みを効かされ、それでも日下部にちょっかいを出そうというヤツなんていなかった。
それでいて本人は、守っている自覚はないのだから。
大した男だよ、まったく。

あれから日下部は、随分と髪が伸びた。
蒼吾への気持ちも変わってないのだろう。




「自分だって、散々女の子泣かせてるくせに」
「…それ。聞きようによったらヤバイから、やめてくれる?」
笑って返すと、フッと彼女の表情も和らいだ。
「軽いのは嫌。本気ならなおさら辛い。気持ちが届かない辛さは、十分に知ってるから…。
それに、たくさんの人に好きって言われたって、自分の一番振り向いてほしい人が私のことを見てくれないんじゃ、意味なんてないでしょう?」
日下部の言葉は、痛いほど胸の奥に響いた。
窓の向こうを見つめる彼女の瞳には、透き通るほどの空の蒼が映し出される。
その瞳に俺が入り込む隙間なんて、どこにもないのだろう。



「蒼吾と、何かあった?」



日下部がそういう顔をする時は、必ず気持ちの向こうにアイツがいる時。
日下部にこんな顔をさせるヤツなんて、アイツ以外、俺は知らない。

ほんの一瞬、大きく見開かれた瞳が穏やかに細められた。
「…するどいなぁ、佐倉は。私、佐倉のそういうところ、ちょっと苦手かも」
「どうも」
「褒めてないって…」
笑ったつもりなんだろうけど、泣き笑いにしか見えない。
「知ってた?私、本当は蒼吾にはとっくに振られてるの。一度ならず二度までも。もう、万に一つの可能性もないの。
望みがないってわかっていても、ずっとアイツを追い続けて、それでもいいって…かまわないからって、友達でいてくれる蒼吾に依存して、甘えて…頼ってた。こんな気持ち、間違ってるって分かってて…でも、諦めきれなかった。たぶん、アイツは私を切るよ」
「まさか…。ありえないだろ、それ」
ハッと乾いた笑みが漏れた俺に、瞬きひとつせず、意思の強い目で見返した。
あまりにもその瞳が真剣すぎて、何も返せなくなる。
「冷たいとか、残酷とか。そういうのじゃないの。
期待に答えられないのなら、それでも一線を越えようとしてくるなら、関係を断ち切る。もっと深く傷つけてしまう前に。…蒼吾ってそういうヤツ。
現にあの日から、ずっと避けられてる。一度も、話してないんだ…」


彼女が口にした“あの日”には、心当たりがあった。
泣き疲れた顔で、日下部がましろちゃんを待っていた夕暮れの放課後。
あの日以外、見つからない。
次の日、ましろちゃんが泣いた。
顔をクシャクシャにしてしゃくりあげるように泣いていた彼女を、俺はたまらず抱きしめてしまった。
ましろちゃんの向こうに見えた日下部を。
ひとりで泣いていたであろう君を。
彼女ごと抱きしめてしまった。
それがましろちゃんに期待を持たせ、結果的に傷つける事だとわかっていたのに、その衝動を抑えることができなかった。
ましろちゃんは何も言わなかった。
だけど、あの日。
3人に何かがあったのは確かだった。
微妙なバランスで保っていた関係が、わずかにずれて狂いだしている。


「それで日下部は、平気なのか?」

「…大丈夫。私は強いから───」


そう言って、日下部が顔を上げた。


「書類、やってしまお?もうすぐ、ましろが迎えに来ちゃう。
佐倉もそれ、来賓者リスト。できあがったら行っていいから」


腕時計に視線を泳がせて、日下部は肩をすくめた。
笑っているのに、笑っていない。
相変わらず、なんて不器用なんだろう。
気がつけば俺は、彼女の手をきつく掴んでいた。


「日下部のそれは、強さじゃない。強がりだろ…?」


大丈夫、だなんて。
そんな泣きそうな顔をして、どの口が言ってんだよ。




人に頼ったり甘えたりするのが下手で。
全部自分で抱え込んで、人の前で泣くこともできなくて。
他人に遠慮して、気持ちを押し殺して素直になれない。
不器用なのは、蒼吾でもましろちゃんでもない。
日下部自身だ───。


掴んだ手を引き寄せたら、思ったよりも簡単に捕まった。
日下部は俺より小さくて、腕の中に閉じ込めるなんて容易い。


「…佐…倉……?」


戸惑いを隠せない呟きが零れて、彼女の顔が強張った。
「俺を、利用していいよ」
抱きしめられた意味と、呟かれた言葉を急速に噛み砕いて、理解して。
体の細さからは考えられないくらいの強さで、俺の胸を押し返す。
もちろん俺だって、そんな抵抗で手放すわけもない。
抱きしめた腕に力を込めた。


「…や、っ。佐倉…っ、どうして───」


肩をよじったり、胸を叩いたり。
何とか俺の腕の中から逃げ出そうと、彼女は悪あがきを繰り返すけれど、どうやったって逃げられやしない。
戸惑いと困惑の瞳で見上げた日下部の頬を、両手で包んで逃がさなかった。



扉の向こうに気配を感じた。
視界の隅に映る壁掛けの鳩時計は、ましろちゃんとの約束の時間。
抱きしめた日下部の小さな肩の向こうに、ふたつの影が見えた。
それが誰なのか気付いていた。
だけど日下部を手放そうなんて考えは、微塵も起こらない。
たとえ、それが。
彼女を傷つけることになったとしても。


こんな関係。
もう、どうにでもなればいい。
傷つく事を怖がってばかりじゃ、俺たちはずっと立ち止まったままだ。
小学生の、十の頃のまんま。
俺たち誰も、前に進めてないんだ。
進めるはずなんてない。
こんな関係、誰かが壊さなきゃ駄目なんだ───。



「どう、して…っ、佐倉っ……。ましろが、来ちゃ、う……ッ」


わずかな悲鳴と一緒に、泣き声も全部飲み込む。
唇に触れたら、日下部の体が小さく震えた。
バサバサッと、腕に抱えていた書類が滑り落ちる音が鼓膜を揺らす。
それは俺達の関係を壊す不快な音。
口付けた彼女の向こうに見えたのは、ましろちゃんと、蒼吾───。



俺達の微妙な関係が壊れた瞬間。
もう。これで、いいんだ。






>>To Be Continued
春を待つキミに。 comments(8) -
| 1/2 | >>