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恋は突然やって来る? 6


「───同窓会のハガキ。来てた?」
すぐ側に気配を感じて顔を上げると、ともひろが煙草を口にくわえたままの格好で、 一枚の往復ハガキを差し出していた。
視界に映り込んだ、『第86期生 津田高等学校同窓会のお知らせ』の文字。


「うん。ここに来る前に返事、出してきたよ」
「行くのか?」
「…行かない」
「なんで?」
「だって…。お正月だから。なにかと忙しいだろうし……。年明け三が日は私、実家に帰ってるの」
「地元に帰るなら、その方が都合がいいだろ。少しぐらい、顔、出せよ」
「…うん…そうなんだけど…。でも、やっぱり行けない…」

女友達にタケルとの事を、根掘り葉掘り聞かれるのは、分かりきってる。
わざわざ傷口に塩を塗るようなことは、できれば避けたい。
それに───。




「タケルは来ないって。昨日、電話で聞いた」
一瞬、動揺の色を見せた私の手からハガキを抜き取ると。
それを机の上に放り投げた。
「オレも、行くのやめた」
「…どうして?」
「お前もタケルも行かないなら、行く理由がないだろ。仲のいいメンツとは、別にその日じゃなくても集まれるんだし」
「行ってくればいいのに…。ともひろが来るか来ないかで、女の子の参加人数、3割りは違うよ?」
「どうでもいいよ。そんなの」
面倒くさそうに言葉を濁した後、カウンターの上の灰皿に煙草を押し付けた。
溜息と共に吐き出された白い煙が、ゆらゆらと立ち上がる。
その憂いのこもった横顔に、息を詰めた。
「…そっか。過去の彼女たちに合わせる顔、ないもんね。ギッタギタにされるよ?
それもいいかもね。行ってきなよ」
笑って言ってやった。
そうでもしないと、いつにもまして、真剣なともひろに、飲まれそうになる。






「オレ。タケルに話した。最近、とわと会ってるって。…本気だ──────って」

弾かれたように顔を上げたら、もうそこにともひろはいなくて。
あっ、って気付いた時には、後ろから抱きしめられてた。




「………なあ、とわ。
同窓会に顔出さないならさ、オレと、正月過ごさない?
正月だけじゃなくて、クリスマスも、誕生日も。 これからのトクベツな日は、ずっと一緒に」
耳元に唇を押し付けられて、囁くように告げられた。
囁きが甘い痺れとなって、心の深いところまで浸透していくのに。
言葉にならない。
声が、出なかった。





「もう、タケルのことは忘れろ。 アイツはアイツで、新しい彼女とよろしくやってる」



一度、抱きしめた腕を緩めて体の向きを変えると。
今度は正面から、私を抱きしめる。
フッと影が落ちて、手が瞼に、頬に触れた。
指で軽く唇をなぞられて、そのままともひろの顔が、被さってくる。
微かな吐息は、煙草の匂い。
────── 酒の勢いって、思われたくないから ────── 
あの言葉が、頭の中でリフレーンする。
怖い。
たぶんこのままキスを受け入れたら、引きずられてしまう。
もう、拒めない。
そんな気がした。









「──────ごめん。今日は………」


そっと唇に手をやって押し返す。
初めて、キスを拒絶した。
ともひろの顔に困惑の色が、広がる。






「とわはオレを試してる? どこまで我慢、できるか。本気か、嘘か──────」


制した腕をそっと捕まれた。
唇にできなかったキスを指に、手のひらに繰り返す。
微かに残る指輪の跡を、軽く、舐められる。
その濡れた感触に、声が零れそうになって逃れようとしたら。
そのまま強く引き戻された。
背中に回った腕が、どこにも逃げられないように強く抱きしめる。

ともひろは、ずるい。
卑怯だ。
いつでもこうやって、簡単に私を閉じ込めて。
どこにも逃げ場がないことを悟らせる。
ギリギリのラインで駆け引きをして、私を追い詰める。
試されているのは、私の方だ──────。




「警戒してるのか? ガードが固いよな、とわは。
風呂上りだって、寝顔だって見せてるのに、最後のギリギリのラインを必死で死守して。 体の繋がりとかじゃなくて、キモチ。 キスだってさせるクセに、本音を見せない。
お前の本音はどこにある? オレだから嫌? それともまだ、タケルを忘れられない?」
──────いつまでもひとりでいるのは、寂しいだろ?
抱きしめた耳元で囁かれた。
私の気持ちを簡単に見透かして、強引なくせに。
肝心なところはちゃんと私に選ばせる。
引けないギリギリのラインで、揺さぶってくる。





「そろそろ、はっきりとしたキモチを聞かせて。 オレでダメならちゃんとふって。ダメだったからって、突き放したりはしねーから……」



もし、NOって言ったら。
ともひろはまた。
新しい女の子と付き合うんでしょう?
私ではない、他の誰かと。
そうなったら、もう、こんな風にはいられない。
“ずっと変わらない関係”なんて、無理なの。
ともひろのキスを受け入れたあの日から。
友達でいられる選択肢は、とっくに失くしてしまってた。
 

────── もう、酒井クンとは友情だけでは済まされないでしょう? ──────


梓の言葉が、痛いほど胸を突く。
涙が、頬を伝う。







「ふた月も我慢して、腕の中にいるのに気持ちがわからなくて。 唇は触れるのに、肝心な心は抱けなくて。 …あの日、キスを拒まなかったのは、流されただけか? それとも、そうなってもいいって思った?」
零れていく涙を、そっと指で拭われた。
もう、ちゃんと気付いてる。
私が、“タケル”を引きずっているわけじゃないこと。
引きずっているのは、恋を失くした臆病な自分。
また、失くすことが、怖かった。







「……あの日のキスは、本気に取って…いい、の……?」


言葉の最後は、涙で声にならなかった。







「とわとのこと、全部、本気だから。いい加減、選んで──────」


返事も待たずに、抱きすくめられて唇を塞がれた。
逃れられない。
首をよじろうとしても、ともひろはそれを許さない。
触れ合うだけの軽いキスとは違う。
舌で唇をなぞられて。角度を変えて。こじ開ける。
深く、深く、貪るように。
強く。激しく。熱く。
重なった唇から痛いほど伝わってくる恋情。
濡れた私の唇から漏れるのは、拒絶ではなく、甘い息。
カタチだけの抵抗だって、ともひろはもう、気付いてる。
だから、追い詰める。
狂おしいほどの激しさに、引きずられてしまう。








「………私で、いいの…?」



長いキスを終えた時、私は床の上に押し倒されていた。
いつも自信に満ち溢れていて、堂堂としていて。
そんなともひろだから、どこまで心を許していいのか、距離がつかめなくて怖かった。
不安だった。
ともひろの両手が頬を包む。
その指にも私の涙は伝っていく。




「前に聞いたよな、オレに。追いかける恋愛をしたことあるのか? って。
とっくにしてるよ。欲しくて欲しくて堪らなかった、とわのこと。年甲斐もなく、ずっと片思いだ──────」


言葉をキスで飲み込まれて、首筋を唇が滑って。
シャツに掛けられた手に、ひとつずつボタンが外されていく。
素肌に触れて、指でそっと撫でられて、その手に追い詰められる。
キスの合間に、何度も何度も名前を呼ばれて。
声を聞くのも、真っ直ぐに見つめられるのも苦しいのに。
慣れた手付きで素肌を解放していくともひろから、視線が外せなくなった。
堪らなくなって、私は、自分から腕を伸ばす。
ともひろの首にすがり付いて、強く引き寄せた。



「…“ともひろ”が、いい。……私、ともひろのことが…好───ッ」



そこからは止まらなかった。
服を脱がせる手も、素肌に触れる指も、言葉や嗚咽さえ飲み込む唇も。
もう、どこにも遠慮がなかった。
うわごとのように繰り返す名前と、好きという言葉に。
ともひろは何度もキスを返してくれた。
存在を確かめるように、何度も。何度も。



指の先から自由が奪われていく。
手が、唇が、舌が、私の身体の至る所に触れて、熱を移していく。
抱き上げられた身体をベッドに沈められ、彼の作った小さな空間の中に閉じこめられる。





もう。
後戻りは、できなくなった。




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恋は突然やって来る? 5


夕飯を作り終えて、特に見るあてのないテレビをぼんやりと見ていたら、ともひろが帰宅した。
「悪い、遅くなって」
靴を脱ぎながら、すまなそうに手を合わせた。
「ううん。こっちこそ、無理言って押しかけて……」
「……オレが誘ったんだろ? それに、いつものことじゃん」
笑いながら、頭を小突かれた。
「メシ、食った?」
「まだ。せっかく作ったのに、ひとりで食べたら味気ないでしょ?」
「……なに? マジで作ってくれた、とか?」
「冗談だった?」
「や。ダメモトで言ってみただけなんだけど…。言ってみるもんだな」
子どもみたいな顔してともひろが笑ってくれた。
そんな無防備な顔で笑われると、どういう表情を返したらいいのか分からなくて、顔を伏せた。
そうしたら。
額にそっと、唇を押し当てられた。
もうっ。


「通勤できる距離なのに、ひとり暮らしなんて、贅沢だよね」
「お前もだろ?」
「うちは狭いアパートだもん。ここみたいに、広くない」
ともひろのマンションは、20畳ほどのLDKにオープンキッチン。
寝室も書斎も別に部屋があって、ウォークインのクローゼットまである。
ひとり暮らしには、もったいない設備と広さだ。
「なんで、家出たの? 不自由してなかったでしょ。親だって特に、うるさい人じゃなかったし」
ともひろは高校卒業と同時に家を出て、隣の市内にマンションを借りて、ひとり暮らしを始めた。
一度だけ、タケルと遊びに来たことがあったけど。
それ以降、約束しようとするたびに断られた。
あの頃ともひろとは、全然会ってない。

「どうせオレは、何年か後にはうちの跡を継ぐんだ。その前に、一度ぐらいは“サカイ”の家を離れて、ひとりで生活したかった」
ビジネスバッグをソファに放り投げて。
スーツの胸ポケットから煙草を取り出すと、一本口に咥える。
そうだ、コイツ。
いいとこの坊ちゃんだった…。



ともひろの実家は、地元でも有名な老舗旅館“酒井屋”。
伝統と格調を重んじる古い旅館は、高尚すぎて私みたいな一般人は近寄りがたい場所。
地元の名門、酒井家の当主──────つまり、ともひろの父親は、旅館の他にも手広く事業を手がけている有能な実業家。
田舎の狭い地元で。
彼がそこの跡取り息子だという事を知らない人なんて、いなかった。




「それに。ひとり暮らしも社会に出るのも、うちの親の方針。
“世に出ることも勉強。良きものを学び、それをサカイの家に活かせ”ってね」

ともひろの“酒井”って苗字は、女の子が放っておかない理由のひとつでもあり。
長続きしない原因のひとつでもあった。
もちろんともひろは、自分があの“酒井屋の息子”だなんて、言わない。
酒井なんて苗字、珍しくもないのだから、黙っていれば分からない。
でも。
深く付き合っていけば、いずれバレる。
だから、深くは進めない。
お遊びで付き合うのならともかく。
本気で彼についていこうとなると、どうしても酒井の家の名前が、大きくのしかかってくる。
彼の人生、どこに行ってもその名前が、付いて回る。
学生の頃みたいに、『愛があれば何でも乗り切れる』なんて。
そんな軽い感覚ではいかないのだ。
現実は、容赦ない。


ともひろは高校卒業後。
経営学科のある専門学校を出て、私と同じ年に就職した。
「どうして、四年制の大学に行かなかったの?」
って、聞いたら。
「少しでも早く、社会に出たかった。
オレがこっちに出てる時間なんて、限られてるだろ。いずれ引き戻されるんだったら、少しでも外に出て、いろんな事をやってみたいんだ───」
目をキラキラさせながら言った。
知識に貪欲で、野心家。
十あれば、十を余すことなく吸収して、それ以上のことも自分のものにしようとするタイプ。
人に言わせれば、仕事も恋もデキる男。
数々の女歴を知っている私からすれば、ともひろの恋愛観は、理解できなかったりするけど。


「親元を離れて、サカイを離れて。それでも結局、サカイとつながりのある会社に勤めてるんだから、親の手中だよな」
フーっと、溜息混じりに、煙を吐き出した。
「実家。ちゃんと帰ってる?」
「…ん〜。たまに?」
「おばさんや、おじさん。心配してるよ?」
「してねえよ、心配なんて。今は、オレどころじゃないし」
「なんで?」
「妹のトモカが女将修行を始めたから」
「え…。トモカちゃんって、この前、高校卒業したばかりでしょ? 大学は?」
「大学に行く四年間を女将業に専念して、少しでも多くのことを学べって。
オレは外で経営の勉強。トモカは中から基盤を作る───。もう親の中で、将来の“酒井屋”が出来上がってんだよ。正直、息が詰まる…」
溜息と共に煙を吐き出すと、灰皿に煙草を押し付けた。
その憂いが漂う横顔は、私の心をさわさわと揺らす。




「……こんな広いところ、ひとりで寂しくない?」

私が言ったら。
「…一緒に住むか?」
そう言って、唇が触れた。
煙草特有のほろ苦い、むせるような匂いが鼻を掠めて。
軽く、唇をついばまれる。
髪にもぐった骨ばった指が、逃げないように私の頭を捕まえて、引き寄せる。
外気に当たって冷えたともひろの唇は、ひどく、冷たかった。
あの日の情熱的な、熱を帯びたキスとは違う。
なのに。
キスひとつで、簡単に私の心を、ひきずる。





「……冗談だよ。そんな顔、するなって」


さっきまで触れていた唇を緩ませて、笑う。
ともひろは。
じわじわと、でも確実に、私を追い詰める。




「着替えるからさ、メシ、してくれる? 腹減ったー」
笑いながら背を向けるともひろに、コメカミの辺りがキュッとなった。
同い年なのに、全然、大人びて見えるのはどうして?
煙草?
それともスーツ?
外した腕時計をカウンターの上に置いて、カフスボタンを外す。
そんな仕草、ひとつひとつでさえ、男性的で大人びて見える。
バレーボールをやってたともひろの背中は、引き締まって、筋肉質で、整っていて。
必要以上に、私をドキドキさせる。
私の知っている、“クラスメイトのともひろ”とは別人のような気がして。
思わず、息を飲んだ。
まっすぐに、ともひろを見れない。
“普段通り”なのに、緊張が、走る───。


「何か飲む?」
着替え終わったともひろが、冷蔵庫を開けて振り返った。
「…あ。烏龍茶、買ってきたから…」
前みたいに酔いつぶれるの、イヤだから。
「もしかして、この前の事、反省してる?」
「…一応…」
「じゃ、オレもウーロン」
「飲みなよ。自宅なんだし」
「つぶれたら優しく介抱してくれるか? それなら飲むけど」
「安心して。適当にその辺に転がして帰るから」
「…それ。ゲロったお前が言えるセリフか?」
不機嫌そうに眉を寄せて、扉を乱暴に閉めた。
「だからともひろに、弱みを握られるの、イヤだったんだ。ネチネチネチネチ言われるの、分かりきってたから」
「よーくわかってるじゃん」
「ええ。友達、長いですから」
舌を出しながら、そう言ってやったら、鼻で笑われた。
「なに?」
「友達、長いですから…ね。確かにそうだな、オレら」
トン、と。烏龍茶のボトルをテーブルに置いて、ともひろが距離を寄せた。
両手をついて、囲われる。





「──────とわは、それを超えてみる気は、ないのか?」


頬に触れた手が首筋を滑って、鎖骨に触れる。
指で、そっと。そっと。
どこまでなぞられるのかわからなくて、体が強張る。
ビク、と。
震えたのが、自分でもわかった。
「借りは返してもらったよ。あの日のキスで──────」
耳元で囁いて、私を解放した。




「せっかくのとわの手料理だから、アルコールが欲しいところだけど…。もう、酒の勢いって、思われたくないから」




──────なにが?


って、聞けなかった。
聞いたら、ともひろのペースにハマッテしまう。
こういう話の持って行き方が、この人はメチャクチャうまい。
慣れてる。




「食べよっか…」



深く踏み込むな。
“私”が、負ける──────。






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恋は突然やって来る? 4



眠るまでそばにいて、なんて。
ずいぶんと都合のいいお願いだと思う。
自分を好きだと言ってくれたともひろに、都合よく甘えて、利用して。
寂しさを違うヒトのぬくもりと、優しさで埋めて。
私、いったい、なにやってんだろう──────。








あの日の夜。
私を抱きしめたともひろは、約束通り。
キス以上は、何もしてこなかった。
全てを包んでくれるぬくもりと、優しく髪を撫でてくれる心地よさに身をゆだねて。
私はいつの間にか、眠りに落ちた。
目が覚めたら、すぐ隣で、ともひろが覗き込んでいて、優しく瞼にキスをくれた。
───久しぶりによく眠れた…。
人の体温って、こんなにも安心するものなんだ…。
弱ってる時だから、なおさらなのかな。
妙なことに感心しながら、隣で大あくびをしているともひろを見上げた。
顔に“寝不足”って書いてあるみたい。



「口、開きっぱなしだった」
「…え?」
「寝顔。そんな顔して寝てたら、百年の恋も冷めるぞ?」
「もぅ…っ!」

頬を膨らませて腕を振り上げた私の手を捕まえて、ともひろが耳元で、そっと囁いた。





────── 寂しかったらいつでも言って。添い寝ぐらいは、してやれるから ──────







あれからずっと。
ともひろの言葉に、甘えてる。

週末になると、一緒にご飯を食べて。コーヒー飲んで。映画を見て。
くだらない日常生活の話題や、昔の思い出を語り合いながら。
明け方近くまで話をして。
どちらともなく目を閉じて、眠りに身をゆだねる。
──────友達以上、恋人未満?
そんな関係のまま、ふた月。
友達だった頃と違うのは、会う回数が多くなったのと。週末、一緒に眠ること。
それから……キス。
あの日みたいに、情熱的なキスではないけれど。
触れるだけで、深くはならないキスを、時々、してくる。
彼の週末を独占してしまう等価交換のような気がして、拒めない。
イヤって、言えない。
ずるい女。














「それってさ、付き合ってるっていわない?一線越えてないだけで。
キスだけの健全な中学生ラブ?」
「なによ、それ…」
園児が帰った後の保育室で、作品の整理をしながら、同期の梓が言った。
「酒井くんって、よくデキた男。とわのわがままに付き合ってさ。生殺しー。ひどい女ー」
梓は私をよく知ってるぶん、言葉に容赦ない。
オブラートに包まず、ズバッと核心を突いてくる。
ウラオモテがなくて気持ちがいいけど、凹むときはへこむ。
「そんな中途半端で、宙ぶらりんにしておくぐらいなら、一度、付き合ってみたらいいのに。
キライじゃないんでしょ?」
「…それは…できない」
「どうして? 恋愛対象外? 元カレの親友だから、無理?
酒井くんじゃ、ダメな理由って何よ? 今まで散々、他の女と付き合ってきてるから信用できないとか?
彼女がいるのに合コン行って、本気になった元カレより、まともでしょ」
苦い顔をした私に、仕事の手を休めて梓が覗き込んだ。
「まさか──────まだ元カレを引きずってる…なんて、痛々しいこと言わないでよ?
とわが悩んで泣いている間にも、向こうは新しい恋人とよろしくやってる。とわとじゃない、新しい生活が始まってる。ちゃんと、現実を見なよ、現実を」
「…わかってる…」
「どうだか」
呆れたように呟いて、整理し終わった作品を壁に貼っていく。
「もうちょっと楽な道、選びなよ。たまには流されてみるのも、アリだと思うよ?」

優しさに身をゆだねて、心地よさに甘えて。
流された先がもし、また、どこにもたどり着けなかったとしたら──────?
その時は、どうなってしまうのだろう。
想像もしたくない。



「……ともひろと、ダメになったら、恋も友情も、両方失くすことになる」
一度、恋を失くすと臆病になってしまう。
梓が大きなため息をこぼした。
「…ねぇ、とわ。付き合う前から、ダメになることを考えてたら、うまくいくものもダメになるよ?
酒井クンとはもう、友情だけじゃ済まされないでしょ? そんな悠長なこと言ってたら、他の女に持っていかれちゃうよ?
失くしたくないって思ってるなら、そうならないようにすればいいじゃない。結局、恋なんて、シアワセになったもんの勝ちなんだからさ」
そう言って励ましてくれた梓の言葉は。
いつまでも、私の鼓膜を揺らした。












「──────え? 週末、ダメになった?」
『ごめん。どうしても外せない仕事が入った。8時ぐらいには帰れそうだけど、それから行ってたら、間に合わないだろ』
金曜日の携帯越しのともひろは、ひどく忙しそうだった。



郊外に新しくできたフレンチのお店。
口コミで広まって、同期の梓も、後輩のたまきもカレシと行って。
すごくよかったよって、自慢話を聞いて。
私も行きたい!って誘ったら、即答で断られた。
「女同士で行ける雰囲気じゃないから、行くなら男と行って」
なによ、ちくしょー。
どうせ私は寂しい独り身ですよーだ!
悔しくて、羨ましくて。グチ混じりに、ともひろにこぼしたら。
「じゃ、オレが連れて行ってやろうか?」って。
苦笑交じりに誘ってくれた。
少し遠いから、朝から出発して。
海沿いをドライブして、帰りはどこかで夜景でも……って。
前々からふたりで計画して、楽しみにしていたのに──────。



『本当、ゴメン。
この埋め合わせは、必ずするから。店もまた、連れてってやるし』

わがまま言っても仕方がない。
外せない仕事だってことも、わかる。
それに私は、ともひろにわがままを言える立場じゃない。





「見たいって言ってた映画、借りてきたのにな……」

抱えたレンタルショップの袋。
ともひろが見たいって言ってた映画をセレクトして、借りてきたところだった。
「新作だから、明後日までだよ? どうしようか? ポストに落としとく? 私だけが見てもいいなら、ひとりで見て返しておくけど…」
『──────じゃあさ、うちで待ってる?』
「…え……?」
『明日の朝、ポストに合鍵、入れていくから。メシとか……作って待っててくれたら、めちゃくちゃ嬉しいけど……』

携帯の向こうから聞こえてくる優しい声に。
私は思わず、携帯を、落っことしそうになった。














週末は、雨になった。
買い物帰りに急に降りだしたものだから。
急いで飛び込んだコンビニで、ビニール傘を買って。
くるくる回しながら、外縁の並木道を歩いた。
自転車に追い越されながら、買い物袋をぶら下げて、ゆっくりと。
透明の雨傘に弾ける雨粒が、キレイだった。


マンションの入り口で、ぺこりと頭を下げて、エントランスをくぐる。
ここのところ毎週だから、警備のおじさんとは、自然と顔見知り。
「今回の彼女は長いな」───って。
思われてないかな。
いつかの朝、ともひろに言ったら、声を立てて笑われた。
「オレ。そんなしょっちゅう、連れ込んでいませんけど?」
男のそういう言い訳は、信用ならない。
でも。
「…警備員と顔見知りになったの、とわだけだから」
そう言われると、悪い気はしない。
これがともひろのペースだ、って。わかっていても。
胸のうんと深いことろがきゅーって狭くなって私を締め付ける。
こういう気持ち、すごく久しぶり。



エレベーター横のポストを覗いて、ダイヤルを回す。
“108”
カチャリと軽い音がして、ポストが開いた。
いくつかのダイレクトメールと一緒に、ワインレッドの小さな封筒を取り出すと。
中から、キーホルダーも何も付いていないピンクゴールドの鍵が出てきた。





『──────ポストに鍵、入れておく。暗証番号は“108”だから』


さらりと告げた、ともひろ。
わざと? それとも私の反応を試してる?







“108”




──────『トワ』だなんて…。
















冷蔵庫を開けてみて、びっくりした。
「…うわ。空っぽ…」
ドアポケットに入ったミネラルウォーターとジーマの瓶。
中央の棚には、カカオ70%のビターチョコ。
それだけ。
冷蔵庫を見れば、その人の生活がわかるっていうけれど。
これはまた、見事に…。
「100%外食って言ってたもんな、ともひろ…」
栄養、偏ってそうだな。
そんな事を思いながら、買って来た食材を詰め込んでいく。
空っぽで色のない空間に、トマトの赤やパプリカのグリーンが、色鮮やかに咲いていく。




ともひろは潔い。
不要なものや余計なものは、自分のテリトリーに持ち込まない。
必要ない、と思ったら、簡単に切り捨てる。
そうやって今まで、簡単に“恋”も捨ててきた。

だから、深く踏み込んでいくのが、怖い──────。










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春を待つキミに。 11
***********************

春を待つキミに。 11  サイド*凪

***********************

ずっと、蒼吾が好きだった。


蒼吾は私にとって、かけがえのない友達で。
それ以上に、トクベツで、大切な存在で。
この気持ちが変わることなんて、ないって思ってた。
想いがずっと伝わらなくて。
もう、この恋は叶わないのだとしても。

あの日。
ましろを追いかけたアイツの背中は、もう、どこにも迷いがなくて。
私には捕まえられない──って、思った。


「もう、遠慮しねーから。…園田にも、お前にも」


どんな言葉を聞いても、動揺しない自信はあった筈なのに。
彼の声が含む真剣な響きに、私は、身動き一つ出来なかった。
泣いたり、わめいたり。
そんな事だけは、したくなかったから。
笑って、その場から身を引くしかできなかった。
蒼吾がつけたケジメ。
私にはもう、万に一つの可能性もなくなった。
ううん。
最初からそんなもの、私にはなかった。

ましろが帰ってきたあの日から。
何も変わらないようで、確実に、変わってきてる日々。
大好きな蒼吾とましろには、シアワセになって欲しい。
本当にそう思う。
でも、ずっと側にいたいのも、本音。
だけど、もう。
それは私ではないのだから。


叶わなかった想いは、どこへ行くんだろう──。








見上げた冬の空が張り詰めていた。
空は白く霞んでいて、頬を撫でていく風が刺すように冷たい。
ぶるりと身体を震わせて、襟を立てたコートの首元を掻き寄せた。
寒い。寒すぎる。
悴んだ手を擦り合わせて、はぁっと息を吹きかけると。
息が瞬く間に真っ白になって、手のひらに落ちた。
赤や青のイルミネーションが点灯して、街を鮮やかに染める。


テスト開けの土曜日。
借りていた本を返却する為に、午後から駅前の市立図書館へ向かった。
外の寒さも手伝って、図書館の閲覧室は普段よりも人が多く、特に学生の姿が目立つ。
かなり切羽詰った様子の学生もチラホラ見えて、受験前のピリピリした空気が頬を撫でた。
一月半ばにはセンターがある。
私も二年後の冬には、こんなふうに追い込まれているのだろうか。


何だか場違いな気がして。
返すものだけ返して、帰りかけた足が、ふと、止まった。
学生の群れにまぎれて、見覚えのある小さな頭が見えた。
真っ直ぐストレートな黒髪を、天辺に近い位置で結ったふたつの髪が、ぴょこぴょこと揺れていた。


…あれ…?


「──深青(ミオ)ちゃん?」


その後姿にそっと近づいて。
驚かさないように、できるだけ小さく声を掛けた。


「あ。凪ちゃん──!」

私を見つけた幼い顔が、ぱぁっと顔を輝かせた。
とっさに出した大きな声に、慌てて口元を塞ぐ。
すぐ側にいた受験生らしい男の人にじろりと睨まれて、軽く頭を下げると。
私の方を向いて、ペロリと舌を出して肩をすくめた。

「どうしたの?こんなところで…」
「学習班の宿題。調べ物があって来てたの。ね、ちぃちゃん!」

隣にいた色白の女の子が、遠慮がちに頭を下げた。
色白の頬を染めて、恥ずかしそうに笑う。
その面影に、あの人の涼しい笑顔が脳裏を掠めて、少しだけ、胸が疼いた。

「…千尋ちゃん…だったよね?」

佐倉の妹。
一度だけ、蒼吾んちの玄関先で見かけた記憶がある。

「蒼吾も、来てるの?」
思わず周りを見渡す。
アイツの姿は見当たらない。
「…蒼にぃがこんなところ、来るはずないじゃん」
さすが妹。
もっともらしいことを呟いた。

「ね、ね。凪ちゃん。時間、ある?
わからないところがあるんだけど…」
上目遣いで見上げられた。
そんな顔をされちゃうと、たとえ時間がなくても、融通をきかせてしまう。
「どれどれ」
「ここなんだケド…」
空いていた席に移動して、教科書を開ける。
それを囲むようにして、ふたりが覗き込んだ。
説明するたびに、顔を見合わせたり、相づちを打ったり。
ああ、和むなぁ。可愛いなぁ。
私にも妹がいたらよかったのに。うんと可愛がってあげるのにな。
うちの弟にも、つめの垢を煎じて飲ましてやりたい。

「そっか!なるほど!やっぱすごいね、凪ちゃんは!ね?ちぃちゃん」
「…うん…」

深青ちゃんの言葉に、穏やかに顔を緩ませる。
笑った顔が、佐倉そっくり。
深青ちゃんのエネルギッシュな笑顔と違って、穏やかで柔らかい笑顔。
初めて会った時も感じたけど、親近感が湧く。初めて会った気がしなかった。
どこかで会ったコト、あったっけ?
佐倉そっくりだから、そう感じるのかな。


コンコンッと、小さい咳が何度か聞こえた。
「ちぃちゃん、大丈夫?」
「ん…。平気」
「なに?風邪?」
そういえば流行ってるよね。
私もこの前、インフルエンザになったばかりだし。
そうこうしている間に、咳の数が増えて、涙目になってきた。
「大丈夫?」
「…大丈……夫…です…」
彼女の呼吸が、再び荒いものに変わる。
「ちぃちゃん。もう今日はやめて帰ろう。体調、悪そうだし。私、本返してくるから帰る用意してて!」
深青ちゃんは広げていた筆記用具を手早く片付けると、本を返却しに走った。
その間にも千尋ちゃんの咳は、治まらなくて。
状況だけひどくなっていってるのが、手に取るようにわかる。
私は席を移動して、千尋ちゃんの背中に手を回して肩を抱きしめた。
「平気?何か飲み物、買ってこようか?」
「…大丈夫…です…」
覗き込んだ千尋ちゃんの顔は、目に涙が浮んでいて、顔をくしゃくしゃにして咳き込んでいる。
撫でてあげようと背中に触れたら、ヒューヒューと空気の抜けるような音がした。



この音って、まさか──。





「──千尋?」



聞き覚えのある、低くて柔らかい声が鼓膜を揺らした。
顔をあげると、それと視線が絡まって。




「日下部…──」




驚いたように、私の名前を口にした。
でもそれは、一瞬だけで。
佐倉の顔は瞬く間に兄の顔になって、千尋ちゃんの隣に腰を降ろした。



「吸入は?」


「…バッグの、内ポケットの、中……」

風の抜けるような千尋ちゃんの声に、佐倉は素早く動いてバッグの中からそれを取り出した。
丸いプラスチックケースのような蓋を外して、2回ほどカシャカシャと振るとそれを千尋ちゃんに手渡した。





* * *




千尋ちゃんの咳は、喘息の発作だった。
吸入することで一時的に発作は治まったけれど、大事を取ってタクシーに乗って先に帰った。
途中まで一緒に──って、言われたけれど。
少しでも早く千尋ちゃんを家に連れて帰って欲しかったから、遠慮させてもらった。
夕暮れの茜に消えていくタクシーを見送りながら。
何だか、不安に押しつぶされそうな気持ちでいっぱいになった。
帰り道。
千尋ちゃんは昔から身体が弱くて、今までにも何度か、喘息の発作を起こしたことがあるんだと、深青ちゃんから聞いた。


夏木家の前まで来ると、玄関先に佇んでいたでっかい人影がこっちを振り帰った。


「おかえり」

「…蒼吾…」

どうして。

「さっき、佐倉から家に連絡があった。千尋、発作起こしたんだって?」

「…ちぃちゃん、は…?」

「今は、落ち着いて眠ってるって。深青を置いて帰ったから、心配してた」

「…よかった……」

深青ちゃんが安堵の溜息をこぼして、その表情がゆるりと歪んだ後、そのまま蒼吾に抱きついた。
何も言わずに、ぎゅうっと大きな体にしがみつく。
体に回した手が、小さく震えてた。

…そっか。
深青ちゃんだって、不安だったよね。
しっかりしてるっていっても、まだ十二歳だもん。

「…偉かったな」


蒼吾が優しく笑って、深青ちゃんの頭を撫でた───。




>>To Be Continued
春を待つキミに。 comments(6) -
ナツカゲ 4
*青春ライン プロローグ4


もどかしくてたまらない。
何となくわかっていても、知らんぷりをしてしまう。
こんなキモチは、気付かないほうがいい。
だって、センパイは。
あと二日で、卒業してしまうのだから───。







「卒業式なんて、かったるいよなぁ」
式を二日後に控えて、準備を終えたあたしたち二年生は。
上級生よりもひとあし先に練習を終えて、教室に戻っていた。
中津が大あくびをしながら、めんどくさそうに呟いて。
プリントで紙飛行機を作り始める。
捲れた部分からは、お決まりの卒業式ソングの断片が見えた。
「元気ないな、お前。変なモンでも食った?」
窓辺にうつ伏して、ぼんやりと外を眺めていると。
風に乗って、微かに『仰げば尊し』の歌声が聞こえてきた。
開け放った窓からは、春と呼ぶにはまだ肌寒い風が、頬を撫でて。
冬から伸ばし始めた肩までの髪を、さわさわと揺らす。



「…卒業式、やだな…」
「だよな。あんなかったるいの。2時間近くも、じっと座ってらんないって!三年だけでいいのに。…フケる?」
中津が嬉しそうに、折りかけの紙飛行機から顔を上げた。
「でるよ。ちゃんと」
だって、最後だもん。
「…あんたも剣道やってんだから、ちゃんと出なよ。そういうのは、武士道に反するんじゃないの?」
「武士道?そんなもん、オレの辞書にはナイ!
オレはオレが正しいって思った道を行く。オレが通った後に、道が出来るんだ」
「あ〜…。ハイハイ。勝手に言ってて」
「んだよ〜。今日は、やけに張り合い甲斐がないな?やっぱ、どっか調子悪いんじゃねぇの?生理…イテッ…!!」
中津の足を思い切り蹴り飛ばす。
あたしの気持ちなんて、ちっとも知らないクセに。
無神経にもほどがある。
今日はアンタと、漫才やる気も起こらない。


「あーあ。春からオレらも、最上級生か〜」


そう言って中津が、出来上がったばかりの紙飛行機を空に掲げた。
勢いよく振りかぶって、青に放つ。
紙飛行機は、高く。高く。
ゆったりと広がった青い空に舞って、雑路の中に消えた。

「いいなー。オレもどっか旅行、行きて〜」

隣で一緒に、飛行機の軌跡を追っていた中津が。
ポツリ、と。言葉を漏らした。


あたしも。
あの紙飛行機みたいに、好きなところへ。
飛んで行けたらいいのに……。







卒業式の当日は。
びっくりするぐらい、いいお天気だった。
冬の影なんて全く残さず、ぽかぽかと穏やかで暖かい日和。

『仰げば尊し』が流れて、すすり泣きが聞こえて。
クラスのオンナノコ達がもらい泣きで、目を真っ赤に染めて。
フケる気満々だった中津が号泣して。
なのに。
あたしは、涙ひとつ、出なかった。


三年生が明日からいなくなるって言われても、実感がわかない。
泣いてしまえば、それを認めてしまう気がして。
波のように押し寄せてくる現実に、押し潰されてしまいそうで。
…怖かった。
だから。
あたしは、最後まで、泣かなかった。







式を終えて、部活のセンパイたちを送り出して。
自転車置き場に来たら、もう、数台の自転車しかなかった。
センパイの自転車は…、ない。
なんだかやり切れないキモチを、溜息で誤魔化して。
ポケットから鍵を取り出して、差し込もうとした手が止まる。
籠の中に、小さな赤い物体。



「…何、これ……?」



「それ、センベツ───」



鼓膜を揺らした聞き覚えのある声に、弾かれたように顔を上げた。
鍵を握った手が、小さく、震えた。
「お前だろ?三学期の始業式の日。オレのチャリの籠に、飴玉入れたの。しかもコーラばっか!だからその礼。やる」
偉そうに踏ん反り返って、柴犬みたいな丸っこい笑顔で、センパイが笑ってた。



終業式にインフルエンザでぶっ倒れあたしは。
年末には復活して、無事、新年を迎えられた。
久しぶりに集まった仲のいいメンツで、初詣にいって。
そこでばったり会った、野球部の連中。
部の中で、インフルエンザが流行ってるらしいときいて。
「あの人、受験生のクセに、集まりにくるから…」
と。その大元の発症者が、センパイだと感付いて。
責任を感じた。
だって。
絶対、あたしがインフルエンザ、うつしたんだ───。

あの日のお礼とお詫びに、ありったけのコーラ飴を買って。
袋に詰めて。
渡そうと思ったけど、渡せなかった。
渡す勇気が、なかった。
結局、こっそりセンパイの自転車の籠に入れておくことしかできなくて。
やっぱりやめておこう…って、思い直して取りに戻った時には。
もうすでに、センパイの自転車は、なかった。
あの飴玉が、どこに行ったのかはわからず。
センパイが持って帰ったのか。
それとも、他の誰かが持って行ってしまったのか。
結局、わからずじまい。
もちろん、それをセンパイに聞く勇気もないまま。
三年生は受験で、来なくなってしまった。



「あの飴玉があたしからだ、って。気付いてたんですか?」
「お前しか、いないだろ?あんな大量に飴を買いそうなヤツ」
センパイが呆れたように、顔を覗き込んだ。
「ていうか、食べたんですか?アレ」
「食ったよ?」
「そんな得体の知れないもの、よく、食べようと思いますね。毒とか入れられてたらどうするんですか?」
「毒、入れたのか?」
「入れてませんケド…」
「じゃあ、問題ナシだ。ていうか、お前しか思い浮かばなかった。コーラの飴、くれるヤツ。お前からだと思ったから、食った」
センパイはごぞごぞとポケットを探って、一歩、距離を寄せた。

「手、出してみ?」
恐る恐る差し出した手を、そっと引き寄せて。
ポケットから取り出した物を、あたしの手のひらに乗せた。


「会えたらやろうと思って、ずっと荷物に入れてたんだ。オレのばぁちゃんち、駄菓子屋。こういうの、いっぱいあるんだ。もらって───」


手のひらに握らされたのは、あの日の夏の虹色。
レモンの黄色。ラムネの水色。コーラの赤…。
でも、どうしてだろう。
あの時みたいに、鮮やかでない。
ぼやけて、滲んで、焦点が合わなくなった。



「ちょっと見てろよ?…飴の雨〜!」

センパイがわたしの頭の上から、飴玉を降らせた。
「…なんつって」
アレ?そこ、笑うところなんだけど?
優しく覗き込んだ。


「センパイって、ほんと、バカ…」


強がって、悪態つくのが精一杯。
「バカっつったら自分の方が、バカなんだぞ?」
幼稚園で習わなかったか?って。顔を緩ませる。
「食べ物を粗末にしてはいけませんって、習いませんでした?」
って。センパイに言い返せるのが、嬉しかった。
「うっ…。習ったけど…」
思いっきり顔をしかめて、苦い顔をして。
こんなやりとりも、今日で最後だ。

センパイはバカだ。
こんなにも長い間、リュックにしまって。ずっと持ち歩いて。
演出に使って地面に転がってしまった飴玉は、ひびが入って粉々になってるし。
こんなサプライズ。
嬉しくて、涙が出そうになる。
“もしかしたら…”って。
期待、しそうになる。



「部室、寄ってたんですか?」
リュックサックのバンドの部分に、挟んだ野球用のグラブが見えた。
「荷物、引き上げにきたんだ。部活やめても、なんか、ここにずっといたくてさ」
「それって、後輩はかなり迷惑だと思いますケド…」
ロッカーがひとつ空かないだけで、めちゃくちゃ迷惑だ。
「だよなぁ?」
足元の小石を蹴りながら、小さく笑う。
でも、オレの三年間が、ここに全部、詰まってんだよな───と。
眩しそうにグラウンドを見つめた。
夏のあの日が。
センパイの目には映っているのだろうか。


「さて、と。
オレはこれから、バラ色の高校生活だ!お前らはこっから、地獄の受験生だな」
「他人事だと思って…」
「オレ、もう終わったもん。大丈夫だろ?バカなオレだって、何とか行ける高校見つかったんだ」
そう言って笑う。
「…センパイ。どこの高校ですか?」
「ん、オレ?青南(あおなん)!青葉台南!」
嬉しそうに笑うセンパイの顔は、やっぱり、柴犬みたいだと思った。
ぐりぐりって、頭を撫で回したくなる。
「センパイ…、ボタン…」
ふと、センパイが着ている学ランに視線を泳がせたら。
ボタンが、いっこもなかった。
「オレ、モテるから。全部、取られた」
「ウソだ」
「なぜに、即答?
もうちょっと、違うリアクションが欲しかったんだケド…」
ふっ、と。口元が笑うのが見えた。
「ボタンが全部残ったままつーのは、カッコ悪いだろ?だから無理矢理、配ってきた。
…もしかして…、欲しかった?」
「違います!…自意識過剰すぎ!」
と。頬を膨らませる。
声が震えないように、明るく笑いながら。


「ボタンはもうないケド…。よし!受験生にこれをやろう」
センパイがポケットから、何やら取り出した。
白い長方形をした小さなプラスチックの板。
「…何ですか、コレ…」
「部室ロッカーのネームプレート。オレのありがた〜いご利益!受験のお守りだ!」
「青南って…普通の公立校でしょう?有名な私立に受かったのならともかく…。ご利益なんて、なさそう」
「…失礼だな、お前。仮にもセンパイだぞ?すごいですねー!わー!!とか。少しは、オレを立てろよ」
「だって、こんなものもらっても…」
「オレ。中学三年間、部活ばっかで「お前の行ける高校はない!」って言われたんだぞ?それをたった半年でがむしゃらに勉強して、頑張って、青南に入れただけでも奇跡じゃね?ご利益ありそうだろ?」
「ただ単に、いらないだけでしょ?」
「こら!」
センパイが不機嫌な顔をして、あたしの頭を、軽く小突いた。
その瞬間、笑いながらも泣きそうになって。
思わず鞄で、顔を隠した。
泣いちゃ、ダメだ。


「それ。オレの三年間の努力の結晶。持てる全てを部活に注いだ。誰か、後輩に託そう思ったけど…思いつかなくて。アイツらだと、ソッコー捨てそうだし。
なぜだか、お前が、浮んだんだ。よかったら、もらって───」
優しく笑って。
そっと、あたしの手に握らせる。

「じゃーなっ!後輩。頑張って、這い上がってこいよ」

最後に、ぐしゃぐしゃって、あたしの頭を撫でて。
センパイが背を向けた。
ちょっとでも気を抜いたら、堪えていたものが、溢れ出しそうで。
唇を強く強く噛み締めて、あたしは、下を向いてしまった。



手元に残ったのは。
なんの変哲もない、プラスチックの白いネームプレート。
油性マジックで書かれた手書きの汚い文字。



“もりぐち りょーすけ”



初めて知った。センパイの名前。



「自分の名前も、漢字で書けないって…どんだけバカよ…」


プレートの文字が、涙で滲んだ。







あたし。
もっともっと、センパイを見てみたかった。
投げるところも、普段の姿も。
今なら、全部全部焼き付けて、忘れないようにするのに。
あたしは、センパイのことを、何一つ知らない。
柴犬みたいな人なつっこい笑顔と、あの日の涙。
鮮やかな黄緑色のリュックサックと、真っ赤なコーラ飴。
そして。バカみたいに、野球が好きなこと。
ただ、それだけ。
名前だって、今日のこの時まで、知らなかった。


もっと早く、気付けばよかった。
今日で、最後だなんて、遅すぎる。
恋なんて、あの日からとっくに始まっていたのに───。


涙で滲んで前が見えなくなった。
あの鮮やかなリュックサックも、茶色い髪も。
子犬みたいに人なつっこい笑顔も。
今日で、全部全部、最後だっていうのに。
明日からも、ちゃんと学校に来れるように。
センパイのいない学校で、頑張れるように。
センパイの全てを、記憶に焼きつけておきたいって思うのに───。





「───センパイ!」


思わずその背中を呼び止めた。


「…高校に行っても、野球…続けますか───?」



「…あったりめーだろ…っ」



かっこよく腕を上げて、卒業証書を振って。
センパイは、春の向こうに、消えた。




伝えたいことは、何ひとつ伝えられず。
もどかしくて、切なくて、苦しくて。
涙が溢れて、溢れて。どうしようもなかった。
初めて誰かを想って泣いた。
中学二年生、早春。


あたしはこの日、自分の進むべき道を決めた───。




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『青春ライン』CAST(別窓)* 
(↑こちらの設定は、高校に上がってからの設定になります。キャラが増えたら、随時、更新予定。まほコトキャラも、蒼吾ぐらいは載るかも。…載るのかな…?笑)
青春ライン comments(8) -
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