*青春ライン プロローグ4
もどかしくてたまらない。
何となくわかっていても、知らんぷりをしてしまう。
こんなキモチは、気付かないほうがいい。
だって、センパイは。
あと二日で、卒業してしまうのだから───。
*
「卒業式なんて、かったるいよなぁ」
式を二日後に控えて、準備を終えたあたしたち二年生は。
上級生よりもひとあし先に練習を終えて、教室に戻っていた。
中津が大あくびをしながら、めんどくさそうに呟いて。
プリントで紙飛行機を作り始める。
捲れた部分からは、お決まりの卒業式ソングの断片が見えた。
「元気ないな、お前。変なモンでも食った?」
窓辺にうつ伏して、ぼんやりと外を眺めていると。
風に乗って、微かに『仰げば尊し』の歌声が聞こえてきた。
開け放った窓からは、春と呼ぶにはまだ肌寒い風が、頬を撫でて。
冬から伸ばし始めた肩までの髪を、さわさわと揺らす。
「…卒業式、やだな…」
「だよな。あんなかったるいの。2時間近くも、じっと座ってらんないって!三年だけでいいのに。…フケる?」
中津が嬉しそうに、折りかけの紙飛行機から顔を上げた。
「でるよ。ちゃんと」
だって、最後だもん。
「…あんたも剣道やってんだから、ちゃんと出なよ。そういうのは、武士道に反するんじゃないの?」
「武士道?そんなもん、オレの辞書にはナイ!
オレはオレが正しいって思った道を行く。オレが通った後に、道が出来るんだ」
「あ〜…。ハイハイ。勝手に言ってて」
「んだよ〜。今日は、やけに張り合い甲斐がないな?やっぱ、どっか調子悪いんじゃねぇの?生理…イテッ…!!」
中津の足を思い切り蹴り飛ばす。
あたしの気持ちなんて、ちっとも知らないクセに。
無神経にもほどがある。
今日はアンタと、漫才やる気も起こらない。
「あーあ。春からオレらも、最上級生か〜」
そう言って中津が、出来上がったばかりの紙飛行機を空に掲げた。
勢いよく振りかぶって、青に放つ。
紙飛行機は、高く。高く。
ゆったりと広がった青い空に舞って、雑路の中に消えた。
「いいなー。オレもどっか旅行、行きて〜」
隣で一緒に、飛行機の軌跡を追っていた中津が。
ポツリ、と。言葉を漏らした。
あたしも。
あの紙飛行機みたいに、好きなところへ。
飛んで行けたらいいのに……。
*
卒業式の当日は。
びっくりするぐらい、いいお天気だった。
冬の影なんて全く残さず、ぽかぽかと穏やかで暖かい日和。
『仰げば尊し』が流れて、すすり泣きが聞こえて。
クラスのオンナノコ達がもらい泣きで、目を真っ赤に染めて。
フケる気満々だった中津が号泣して。
なのに。
あたしは、涙ひとつ、出なかった。
三年生が明日からいなくなるって言われても、実感がわかない。
泣いてしまえば、それを認めてしまう気がして。
波のように押し寄せてくる現実に、押し潰されてしまいそうで。
…怖かった。
だから。
あたしは、最後まで、泣かなかった。
*
式を終えて、部活のセンパイたちを送り出して。
自転車置き場に来たら、もう、数台の自転車しかなかった。
センパイの自転車は…、ない。
なんだかやり切れないキモチを、溜息で誤魔化して。
ポケットから鍵を取り出して、差し込もうとした手が止まる。
籠の中に、小さな赤い物体。
「…何、これ……?」
「それ、センベツ───」
鼓膜を揺らした聞き覚えのある声に、弾かれたように顔を上げた。
鍵を握った手が、小さく、震えた。
「お前だろ?三学期の始業式の日。オレのチャリの籠に、飴玉入れたの。しかもコーラばっか!だからその礼。やる」
偉そうに踏ん反り返って、柴犬みたいな丸っこい笑顔で、センパイが笑ってた。
終業式にインフルエンザでぶっ倒れあたしは。
年末には復活して、無事、新年を迎えられた。
久しぶりに集まった仲のいいメンツで、初詣にいって。
そこでばったり会った、野球部の連中。
部の中で、インフルエンザが流行ってるらしいときいて。
「あの人、受験生のクセに、集まりにくるから…」
と。その大元の発症者が、センパイだと感付いて。
責任を感じた。
だって。
絶対、あたしがインフルエンザ、うつしたんだ───。
あの日のお礼とお詫びに、ありったけのコーラ飴を買って。
袋に詰めて。
渡そうと思ったけど、渡せなかった。
渡す勇気が、なかった。
結局、こっそりセンパイの自転車の籠に入れておくことしかできなくて。
やっぱりやめておこう…って、思い直して取りに戻った時には。
もうすでに、センパイの自転車は、なかった。
あの飴玉が、どこに行ったのかはわからず。
センパイが持って帰ったのか。
それとも、他の誰かが持って行ってしまったのか。
結局、わからずじまい。
もちろん、それをセンパイに聞く勇気もないまま。
三年生は受験で、来なくなってしまった。
「あの飴玉があたしからだ、って。気付いてたんですか?」
「お前しか、いないだろ?あんな大量に飴を買いそうなヤツ」
センパイが呆れたように、顔を覗き込んだ。
「ていうか、食べたんですか?アレ」
「食ったよ?」
「そんな得体の知れないもの、よく、食べようと思いますね。毒とか入れられてたらどうするんですか?」
「毒、入れたのか?」
「入れてませんケド…」
「じゃあ、問題ナシだ。ていうか、お前しか思い浮かばなかった。コーラの飴、くれるヤツ。お前からだと思ったから、食った」
センパイはごぞごぞとポケットを探って、一歩、距離を寄せた。
「手、出してみ?」
恐る恐る差し出した手を、そっと引き寄せて。
ポケットから取り出した物を、あたしの手のひらに乗せた。
「会えたらやろうと思って、ずっと荷物に入れてたんだ。オレのばぁちゃんち、駄菓子屋。こういうの、いっぱいあるんだ。もらって───」
手のひらに握らされたのは、あの日の夏の虹色。
レモンの黄色。ラムネの水色。コーラの赤…。
でも、どうしてだろう。
あの時みたいに、鮮やかでない。
ぼやけて、滲んで、焦点が合わなくなった。
「ちょっと見てろよ?…飴の雨〜!」
センパイがわたしの頭の上から、飴玉を降らせた。
「…なんつって」
アレ?そこ、笑うところなんだけど?
優しく覗き込んだ。
「センパイって、ほんと、バカ…」
強がって、悪態つくのが精一杯。
「バカっつったら自分の方が、バカなんだぞ?」
幼稚園で習わなかったか?って。顔を緩ませる。
「食べ物を粗末にしてはいけませんって、習いませんでした?」
って。センパイに言い返せるのが、嬉しかった。
「うっ…。習ったけど…」
思いっきり顔をしかめて、苦い顔をして。
こんなやりとりも、今日で最後だ。
センパイはバカだ。
こんなにも長い間、リュックにしまって。ずっと持ち歩いて。
演出に使って地面に転がってしまった飴玉は、ひびが入って粉々になってるし。
こんなサプライズ。
嬉しくて、涙が出そうになる。
“もしかしたら…”って。
期待、しそうになる。
「部室、寄ってたんですか?」
リュックサックのバンドの部分に、挟んだ野球用のグラブが見えた。
「荷物、引き上げにきたんだ。部活やめても、なんか、ここにずっといたくてさ」
「それって、後輩はかなり迷惑だと思いますケド…」
ロッカーがひとつ空かないだけで、めちゃくちゃ迷惑だ。
「だよなぁ?」
足元の小石を蹴りながら、小さく笑う。
でも、オレの三年間が、ここに全部、詰まってんだよな───と。
眩しそうにグラウンドを見つめた。
夏のあの日が。
センパイの目には映っているのだろうか。
「さて、と。
オレはこれから、バラ色の高校生活だ!お前らはこっから、地獄の受験生だな」
「他人事だと思って…」
「オレ、もう終わったもん。大丈夫だろ?バカなオレだって、何とか行ける高校見つかったんだ」
そう言って笑う。
「…センパイ。どこの高校ですか?」
「ん、オレ?青南(あおなん)!青葉台南!」
嬉しそうに笑うセンパイの顔は、やっぱり、柴犬みたいだと思った。
ぐりぐりって、頭を撫で回したくなる。
「センパイ…、ボタン…」
ふと、センパイが着ている学ランに視線を泳がせたら。
ボタンが、いっこもなかった。
「オレ、モテるから。全部、取られた」
「ウソだ」
「なぜに、即答?
もうちょっと、違うリアクションが欲しかったんだケド…」
ふっ、と。口元が笑うのが見えた。
「ボタンが全部残ったままつーのは、カッコ悪いだろ?だから無理矢理、配ってきた。
…もしかして…、欲しかった?」
「違います!…自意識過剰すぎ!」
と。頬を膨らませる。
声が震えないように、明るく笑いながら。
「ボタンはもうないケド…。よし!受験生にこれをやろう」
センパイがポケットから、何やら取り出した。
白い長方形をした小さなプラスチックの板。
「…何ですか、コレ…」
「部室ロッカーのネームプレート。オレのありがた〜いご利益!受験のお守りだ!」
「青南って…普通の公立校でしょう?有名な私立に受かったのならともかく…。ご利益なんて、なさそう」
「…失礼だな、お前。仮にもセンパイだぞ?すごいですねー!わー!!とか。少しは、オレを立てろよ」
「だって、こんなものもらっても…」
「オレ。中学三年間、部活ばっかで「お前の行ける高校はない!」って言われたんだぞ?それをたった半年でがむしゃらに勉強して、頑張って、青南に入れただけでも奇跡じゃね?ご利益ありそうだろ?」
「ただ単に、いらないだけでしょ?」
「こら!」
センパイが不機嫌な顔をして、あたしの頭を、軽く小突いた。
その瞬間、笑いながらも泣きそうになって。
思わず鞄で、顔を隠した。
泣いちゃ、ダメだ。
「それ。オレの三年間の努力の結晶。持てる全てを部活に注いだ。誰か、後輩に託そう思ったけど…思いつかなくて。アイツらだと、ソッコー捨てそうだし。
なぜだか、お前が、浮んだんだ。よかったら、もらって───」
優しく笑って。
そっと、あたしの手に握らせる。
「じゃーなっ!後輩。頑張って、這い上がってこいよ」
最後に、ぐしゃぐしゃって、あたしの頭を撫でて。
センパイが背を向けた。
ちょっとでも気を抜いたら、堪えていたものが、溢れ出しそうで。
唇を強く強く噛み締めて、あたしは、下を向いてしまった。
手元に残ったのは。
なんの変哲もない、プラスチックの白いネームプレート。
油性マジックで書かれた手書きの汚い文字。
“もりぐち りょーすけ”
初めて知った。センパイの名前。
「自分の名前も、漢字で書けないって…どんだけバカよ…」
プレートの文字が、涙で滲んだ。
あたし。
もっともっと、センパイを見てみたかった。
投げるところも、普段の姿も。
今なら、全部全部焼き付けて、忘れないようにするのに。
あたしは、センパイのことを、何一つ知らない。
柴犬みたいな人なつっこい笑顔と、あの日の涙。
鮮やかな黄緑色のリュックサックと、真っ赤なコーラ飴。
そして。バカみたいに、野球が好きなこと。
ただ、それだけ。
名前だって、今日のこの時まで、知らなかった。
もっと早く、気付けばよかった。
今日で、最後だなんて、遅すぎる。
恋なんて、あの日からとっくに始まっていたのに───。
涙で滲んで前が見えなくなった。
あの鮮やかなリュックサックも、茶色い髪も。
子犬みたいに人なつっこい笑顔も。
今日で、全部全部、最後だっていうのに。
明日からも、ちゃんと学校に来れるように。
センパイのいない学校で、頑張れるように。
センパイの全てを、記憶に焼きつけておきたいって思うのに───。
「───センパイ!」
思わずその背中を呼び止めた。
「…高校に行っても、野球…続けますか───?」
「…あったりめーだろ…っ」
かっこよく腕を上げて、卒業証書を振って。
センパイは、春の向こうに、消えた。
伝えたいことは、何ひとつ伝えられず。
もどかしくて、切なくて、苦しくて。
涙が溢れて、溢れて。どうしようもなかった。
初めて誰かを想って泣いた。
中学二年生、早春。
あたしはこの日、自分の進むべき道を決めた───。
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『青春ライン』CAST(別窓)*
(↑こちらの設定は、高校に上がってからの設定になります。キャラが増えたら、随時、更新予定。まほコトキャラも、蒼吾ぐらいは載るかも。…載るのかな…?笑)