恋はもう、失したくない。
好きになればなるほど怖いだなんて、どうかしてる。
欲しいものはなに?
永遠の約束? 縛り付ける証?
シアワセに、絶対なんてないのに…。
*
ともひろとの初めてのクリスマスは。
駅ビルの隣にあるホテルの部屋を予約してくれた。
どこの企業さまもこの時期になると猫の手も借りたいほどの忙しさで。
こんなふうにゆっくり会えるのも、朝まで一緒にいられるのも、すごく久しぶりだった。
夕食はホテルにあるレストランでフレンチのディナーを予約してくれていて。
ちゃんとしたところだから、久しぶりにあらたまった格好で出掛けた。
CÉST LAVIE のカクテルドレスは、ともひろからのちょっぴり早いクリスマスプレゼント。
バスト下の切り替えからふんわりと広がるラインが、すごく女の子らしいくせに。
キャラメルゴールドとブラックの色合いが、可愛くなりすぎない大人の着こなしを演出してくれる。
線の細い肩口のストラップと程よい露出具合が、女らしさを強調したカクテル。
私にはちょっぴり大人っぽすぎないか、少し心配だったけど。
「きっと、とわに似合うよ」って。
ともひろのひと言で、勇気を出して袖を通した。
ストレートの髪を軽く巻いて、トップでシニヨンにして。
メイクだって頑張った。
トクベツな日には、やっぱり特別な自分でありたい。
「女って、化けるなぁ」
待ち合わせのロビーで私を見つけたともひろが低い声で笑って、悪戯っぽい顔で覗き込んだ。
「外で残念。家だったら、間違えなく押し倒してる」
耳元でそんなふうに囁かれる。
耳まで真っ赤に染めた私をまた、ともひろが笑って。
軽く頬にキスをしてきた。
「ちょ……っ!? ともひろ!!」
びっくりして、思わずともひろの体を強く押し返した。
だってここ、公衆の面前!
「誰も見てないって。ほら───」
ロビーにいるお客さんはほとんどカップルばかりで、それぞれが自分達の世界。
他人なんて目に入ってないような密着っぷり。
恥ずかしくないのかな。
「人前はダメ…」
どこで誰に見られてるかわからないもん。
保護者にみられてたらどうするの?
「じゃ、人が見てなかったら平気?」
見上げた私の手を引いて、そのまま物陰に連れ込んだ。
エスカレーターの裏。
エントランスからもロビーからも死角の場所。
「とも───!」
言葉を発する前に唇で塞がれる。
声は言葉にならず、ともひろの熱い唇に飲み込まれてしまう。
食べられる───そんな錯覚を覚えるくらいの強引な口付けが続いて。
ようやく解放された私は、ともひろの腕に支えてもらって立つのが精一杯。
そんな状態だった。
「悪い。口紅、取れたな」
唇を指でなぞりながら、悪びれもせずにそんな言葉を呟くともひろに。
「…もぅ!」
怒ったフリをして胸のドキドキを誤魔化すのが精一杯。
参っちゃうな、もう。
いつもと変わらない、いつもと同じ。
なのに、ふたりっきりを意識してしまうのはともひろが大人っぽいせいだ。
いつもと違うシックなスーツに身を包んだともひろにエスコートされて。
お姫さま気分を味合わって。
正直、こういう凝った演出のクリスマスは初めてで、ドキドキした。
意味もなく緊張する。
だからたくさんお酒を飲んだ。
緊張してるのを悟られたくなくて。
余裕のない自分を誤魔化したくて。
本気で深みに嵌っていくのが、怖かった。
“サカイ”を知っている私はどうしても、ともひろと紡ぐ先の未来が見えてこなかった。
レストランを出て、ちょっとよろけながらエレベーターに乗った。
最近、酔いが回るのが早い。
年のせい? 疲れてる?
空腹のままにハイペースで飲んじゃったから、今日はなおさらだ。
視界も足元もふわふわしてる。
寄りかかったエレベーターの壁の冷たい感触が気持ちがよくて、そのまま瞼を閉じたら、ひょいと抱きかかえられた。
「阿呆、飲みすぎだ」
呆れたようなともひろの声。
口調は悪いくせに、ちっとも怒ってない。
変なの。
ふわふわと宙を浮く感覚が気持ちよくって、ともひろの首に腕を回して、そのまま目を閉じた。
ヤバイ。
気持ちよくって、このまま寝ちゃいそう……。
鍵を回す軽い音が聞こえて。
抱きかかえられた腕からベッドに降ろされて、私はコロンとそのままの格好で横たわった。
「とわ、靴。そのまま寝るなよ?」
半分脱げかけたミュールを手早く脱がせて、冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターを勢いよくコップに注ぐと私に手渡した。
よく冷えた水が身体の火照りを冷ましてくれる。
だけど頭の芯は、まだまだボーっとする。
ふわふわ宙に浮いてるみたいで気持ちいー。
「お前、酒癖。悪すぎ。
オレのいないところで、あまり飲むなよ。お持ち帰りされちゃたまらん」
私の手元からコップを取り上げると、ともひろがすぐ側に腰を降ろした。
指が優しく髪を梳く。
「メシ、うまかったな」
「…んー」
「夜景も綺麗だったし、ケーキもうまかった」
「………うん…」
「…お前、ホントに味とか、覚えてんの?」
「……」
正直、食事の味はあまりよく覚えていない。
いつもよりハイペースで飲んでいたし、量もたくさん飲んだ。
どんな料理を出されてどんな味で、ともひろとどんな会話をしたのか。
最後の方なんて、ほとんど記憶がない。
緊張を誤魔化すつもりのアルコールが、逆効果。
サイアクだ。
「とわとの初めてのクリスマスだからさ、本気モードでいろいろ考えてたんだけど。台無し。間違ってもゲロ、吐くなよ?」
ハイ。
あの件は、反省してマス。もう二度とやりません。
何度か曖昧に頷くと大きな枕を抱え込んで、そのまんまの格好でベッドに転がった。
心地よい酔いが、眠気を誘う。
いつものベッドよりもうんと柔らかいスプリングが、火照った身体にフィットする。
このまま溶けてしまいそう。
「あーあ。せっかくのプレゼントが、しわしわ」
「…んーー…」
「寝るつもりならちゃんと着替えてからにしろよ? ほら、メイクも…」
ともひろの指がそっと唇をなぞって、グロスを拭う。
声が、遥か遠くから聞こえる。
「コノ、酔っ払い」
薄っすらと重い瞼を開けると、そのまま大きな影が被さってきて、唇がそっと重なった。
私が逃げないように上半身を被せて、優しく唇をついばんでいく。
「でも…この方が好き勝手やれていいけど」
優しく頭を撫でる指が、髪をほどいていく。
酔っ払ってるからされるがまま。
「巻き髪、色っぽいな。すげぇ、ドキドキする」
私の髪の一束を掬い上げたともひろが、そこにキスを落とした。
ほどよい距離は恋愛のスパイスになるっていうけれど、ホントだ。
しばらく会えなかっただけで、こうやって一緒にいられるだけで嬉しいって思う。
優しく触れられると、安心する。
軽く唇が触れただけでも、ドキドキする。
私、きっと。
自分が思ってる以上に、ともひろのこと…好きだ。
「もしかして……。緊張してるのか?」
さっきまで私に触れていたともひろの唇が、ゆっくりと笑みの形になる。
「だって…」
「初めてじゃあるまいし、変なヤツ」
でもそういうところが、カワイイ。
耳元で囁くように甘噛みされて。
久しぶりの刺激に体がビクと反応する。
優しく肩や背中に触れる手がファスナーに掛かって、躊躇いなく服を剥いでいく。
ともひろはヤラシイ。
わざとそういう服、選んだでしょ?
男にとって都合のいい、脱がせやすい服。
でもともひろは、男の厭らしさとか、がっつきとか、そういうのを全く感じさせない。
どうしてだろう。
クールでスマートで、手際よくって…慣れてる。
さりげないエスコートの仕方や、そういう雰囲気にさせるのがすごく自然で、心地いいの。
本当に同い年?って疑いたくなる。
「こういうの仕事で慣れてるからな」
服は半分脱がされて、かろうじてブラのストラップが肩に掛かった状態。
これが慣れてるの?
「阿呆。そういうこと言ってんじゃないだろ…」
呆れたように小突かれた。
「ちゃんとした場面での食事とか、接待とか。場馴れしてんだよ。
それに。オレだって初めてだよ、こういうクリスマスは。
人気のあるホテル調べて、予約して、服だって事前にプレゼントして…。男だって、ここまでするの勇気いるんだぞ? 引かれるんじゃないか、とか。やりすぎじゃないかとか。とわにはオレの不甲斐ないところ全部見られちまってるから、誤魔化しとかそういうの、通用しないだろ? ちゃんと本気、見せたかった」
大きく溜息を落としたともひろが、ベッドサイドの引き出しから小さな箱を取り出した。
目の前に差し出す。
「何、これ…」
「なんか疑いを晴らすみたいなカタチで渡すのは、不本意なんだけど。オレの本気。受け取って」
渡されたのはティファニーブルーの小さな箱。
真っ赤なリボンが掛けられたクリスマス仕様の掌サイズ。
「開けてみて」
促されるまま、そっとリボンをほどいて箱を開けた。
「…ともひろ……これ──────」
「ホントはもっと早く渡したかったんだけど…。最近、ずっと忙しかっただろ? お互い」
ジュエリーボックスに入ってたのはオープンハートのキィホルダーと。
そこにぶら下がった一本の鍵。
存在をしっかり主張するかのように輝く、まっさらなピンクゴールド。
このカタチ。
見覚えがある。
四葉のクローバーを模ったアンティークな鍵。
お洒落で、ともひろらしいなって思ったから、よく覚えてる。
約束の日にいつもワインの封筒に入れてポストに落としてくれていた、ともひろの部屋の…合鍵。
いいの?
「指輪じゃなくて、がっかりした?」
心配そうに覗き込んできたともひろに、思い切り首を横に振った。
ヤバイ。泣きそうだ。
「とわがタケルに指輪をもらったのって…初めてのクリスマスだろ?
そういうの全部、聞いてるから。アイツと同じは嫌なんだよ。オレのプライドが許せなかった。同じ日に同じ事をして、タケルを思い出されるのは嫌なんだ。だから指輪はわざとやめた。親友のモトカノって立場も、いろいろと厄介だよな?」
泣いてんの?迷惑だったか?って。
箱を握りしめたまま黙り込んでしまった私を、ともひろが優しく覗き込んだ。
嬉しくって、顔が上げらんない。
だって。
ずっと鍵はもらえないままだったから。
私はまだ、ともひろが安心して心を許すことのできる存在じゃないんだって。
ずっと不安だったから──────。
「勘違いするなよ? それ、合鍵と違うから」
「…え…?」
「本キィ。…一緒に住もうって言ってんの」
「…とも、ひろ───」
「言っただろ? 本気だって」
箱を握りしめた指を、一本一本。
ゆっくりと外して、そこから鍵を抜き取る。
オープンハートに当って弾けるような金属音が、鼓膜に響いた。
それを私の手にそっと、握らせてくれる。
「…返事はすぐじゃなくていいから。待ってる」
優しく微笑んだともひろの頬を両手で挟んで、引き寄せた。
自分からそっと、唇を合わせる。
返事なんて、最初から決まってる。
「待たないでよ。私、ともひろと一緒がいい──────」
言葉にしたら、涙が滲んだ。
私からのキスに一瞬、戸惑いを見せたともひろはすぐにその表情を緩めて。
気持ちのままに強く、抱きしめてくれた。
この抱きしめてくれる腕がいつもそばにあるのなら。
もう、怖いものなんてない気がした。
ぼんやりとしか見えていなかったシアワセの輪郭が、はっきりと見えた。
それはずっと続いていくんだって。
この時は、信じて疑いもしなかった。
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