高校生と聞いて、あまりいい予感はしなかった。
どうしてもイヤな記憶が、脳裏を掠めて身構えてしまう。
記憶を掠めたのはセーラー服の彼女。
───“タケルのカノジョ”。
それぐらいしか、高校生の知り合いが思いつかない。
夕方になって振り出した雨は、本降りになった。
園舎から少し離れたフェンスの向こうで、コンビニで買ったようなビニールの雨傘をまるで子どもが遊ぶみたいに、くるくる回す。
雨粒が弾けて、外灯にキラキラ反射した。
「あ」
───違う。
タケルの彼女じゃない。
そう感じたのは、その人物が見上げるほどに背が高かったから。
肩とか膝とか。
磨り減ってテカテカしてる三年間着古したような学ラン。
腰履きした制服のズボン。
目や耳に掛かる長めの髪は、今時カラーリングしていない黒髪。
なのに重い感じがしないのは、ラフにざっくりとカットされているから。
私を待っていたのは高校生の男の子。
どう見てもタケルの彼女じゃない。
ていうか、誰?
男子高校生の“知り合い”なんて、ますます心当たりがない。
「───あ」
私の気配に気付いて、彼が振り返った。
その顔はやっぱり“知らない誰か”で。
私は思わず身構えた。
高校生にしてはやけに大人びた顔を緩ませて、彼が笑った。
「オレの事、覚えてる?」
覚えてるも何も。
その顔には全く心当たりがない。
「…幼稚園の関係者の方…ですか?」
自分の方が年上なはずなのに、敬語になってしまう。
「ハズレ」
「卒園児…」
にしては、年齢が違いすぎる。
もしかして。
「タケルの…友達───」
とか?
「誰、それ」
こっちが聞きたい。
キミ、何者よ?
不信感を隠し切れずに、思い切り嫌な顔をした私を見て、彼が声を押し殺して笑った。
「やっぱ、覚えてないんだ?」
何、その言い方。
バカにしてる?
「俺の顔。記憶の片隅にも残ってないの?」
覗き込まれた拍子に傘がぶつかって、雨粒が跳ねた。
「だから。わかんないんだって。用件、さっさとお願いできるかな?」
開き直って刺々しく言ってやったら、ポケットに入れてた片方の手を無言で差し出された。
男のくせに長くてキレイな指。
骨ばってゴツゴツしているのに、どこか繊細で───あまりの指のキレイさに思わず見とれてしまう。
「これ、見覚えない?」
そう言って顔面間近に、何かをぶら下げた。
チリン。
かすかな金属音が鼓膜を揺らす。
視界に映ったのは、シルバーの鍵。
キーホルダーがついてましたーみたいな痕跡。
そこに何がくっついてたのか私、知ってる。
これって───。
「…私の鍵───!」
間違いない。
失くしたはずの資料室の鍵だ。
「ずっと行方不明だっただろ?どこで失くしたのか覚えてないの?」
そんなの私が聞きたい。
気付いたらもう、なくなってたんだもん。
いつ落としたのか、どこでなくしたのかわかってたなら、とっくに見つかってる。
「どうして君が持ってるの?」
「拾った」
「拾ったって……。どうして私のだってわかったのよ?」
ありがとうって、伸ばした手よりも一瞬早く。
彼が掌に鍵を閉じ込めた。
「言っただろ?オレ。初対面じゃないよ。一度、会ってる。覚えてない?」
鍵は掌に握られたまま。
望む答えが返ってこない限り、返す気がないらしい。
「拾ってくれたことは感謝する。だけど私、キミの事知らないし、見覚えも無い。だからゴメン。早く鍵を返して」
「…そうしてあげたいところだけど。
鍵を返してハイ終わりってイヤだから、鍵はまだ預かっとく。人質」
「はぁ?」
「これ、ないと困るよね?」
企んだ顔で笑われた。
なんなの、この子。
どうやって取り返そう、そう思いながら手元の時計を覗き込む。
ともひろとの約束の時間まで、あとわずか。
高校生の悪戯なお遊びに、付き合ってる暇なんてないのに。
「これから酒井さんと会うの?」
「そう。だから、キミにゆっくり付き合ってる暇、ない…って……」
あれ?
「カッコいいよね、酒井サン。恋も仕事もデキる男?ああいう彼氏は、やっぱ自慢?」
なに?
「…ともひろの、知り合い…?」
「やっと接点が見つかった?
俺、あの人の職場でポストマンのバイトやってる。あの日、俺も同じ席にいたよ」
「あの日?」
「酒井さん主催の合コンの席。とわさんにウーロン茶、ぶちまけた」
「───あ」
思い出した。
あの日の合コンのメンツなんてほとんどうろ覚えだけど、そいつだけは覚えてる。
私の向かいに座って、ウーロン茶ぶちまけたヤツだ。
しかも私がゲロった時に、冷ややかな視線を送った薄情な男。
まさか、こんなところで再会するなんて。
「ていうか、高校生って何!?大学生じゃなかったっけ、キミ」
「あれ、嘘。
あの日、バイトの帰りに酒井サンに捕まって、無理矢理連れてかれた。人数あわせで。
未成年ってバレルとヤバイから、大学生にしとけって───」
何してんのよ、ともひろ〜!
高校生つかまえて、何て事を!
「だからウーロン茶ばっか飲んでたんだ」
飲みの席で珍しいヤツだなって覚えてる。
「飲めないわけじゃないけど…未成年に飲ませてどうにかなったら、ヤバイの自分だろ?だから飲むなって。
そういうとこ、抜け目ないよなあの人」
ともひろはいつもそう。
常に頭の中で物事の先を読んでる。
自分にとってマイナスになることは絶対しないし、させない。
「はあ…」
力が抜けた。
なんだ。
ともひろの知り合いか。
彼の名前が出たことで、ゆるゆると警戒心が溶けてく。
「私の職場、よく知ってたね」
「覚えてるよ。あの日のとわさん、目立ってたから」
「…目立ってた?」
「酒井サンと連れ立って遅れてきた時点で、他の女子メンバーから大ブーイングなのに、結局、最後まで酒井サン持ってっちゃうし。
あの日のオネエサン達、半分以上が酒井サン狙いだって気付いてた?」
うっ、わ…。
どおりで。
他の女の子達が冷たかったはずだよ。
話しかけても、すっごくよそよそしかったもん。
「あの人、結構モテるよ?」
「知ってる。高校からの付き合いだもん」
「それぐらい覚悟の上? 余裕だね。愛されてるって感じ?」
「………」
「なに?」
「…鍵、返しにきたんじゃないの?」
この子の話し方、いちいち引っかかる。
「うん。そうだけど───鍵はとわさんに会う口実」
そう言われた時点で、彼との距離があまりないことに気付いた。
「…何、言ってんの…?」
思わず一歩、体を引く。
距離が、近すぎる。
「わかんない人だな。その気がないのに、わざわざ人の彼女に会いに来ないって言ってんの───」
ビニール傘の向こうで、彼が笑ったのが見えて。
あ、って思った時には離れたはずの距離が、一瞬で縮まった。
腕を取られた拍子に掌から傘が滑り落ちて、闇に不釣合いな鮮やかな赤が地面に転がる。
「単純だね、とわさんは。カレシの知り合いだからって、気が緩んだだろ?」
覆い被さるように、真上から私を見下ろした。
まるで獲物をいたぶる猫のごとく、囲って逃がさぬように。
「大人をからかわないで!」
「───大人?
どこからが大人で、どこまでが子ども? その境界線ってどこにあんの? 誰が決めるの? たった4つしか変わらないのに───」
「ちょ…っ! …っ!?」
引き寄せられて腕の中に閉じ込められた。
強く身体を押し付けられて、校章を刻んだ制服のボタンが目の前に見えた。
ともひろの知り合いだからって。
年下だからって、油断した。
ここにいるのは無邪気な子どもなんかじゃなくて、たくましい体をした男の人。
高校生でも、男は男だ。
力ずくで押さえ込まれたら、ひとたまりもないのに。
突っぱねたけれど、びくともしない。
男女の力の差というものを思い知らされる。
「からかうのもいい加減にしなさい…っ!」
声が震えた。
精一杯強がったつもりなのに、体は正直だ。
こんな状態で暗がりに連れ込まれたら───って、最悪の想像しちゃう。
「変なことしようなんて、考えてないから安心して」
「これのどこが変なことじゃないって言うのよ…っ! 離しなさいって!」
「今日はただ、忠告しにきただけ」
抱きしめた耳元で彼が囁いた。
「───とわサン。アイツ。他にオンナ、いるよ。とわさんじゃない、他の女───」
「…え───?」
一瞬。
何を言われたのかわからなかった。
やっとのことで口からこぼれ落ちた声は、まるで自分の声じゃないみたいだった。
声が離れるのと同時、するりと身体も開放される。
「…ちょっと待って!今の、どういう意───ッ!?」
人差し指を唇にあてがわれ、続きが遮られた。
「これから会うんだろ?続きは自分で確かめなよ。あの人、手ごわそうだから、一筋縄じゃいかなさそうだけど…」
耳元で囁いて、地面に転がった傘を拾って手に握らせた。
「ちょっと、待…っ! 待ってってば…!! 今の、どういう…それに、鍵! 返してもらってないから───!」
情けないほど言葉がうまく繋がらない。
嘘かホントかわからない彼の話に取り乱してしまう。
雨と共に、彼がいなくなる。
このままじゃ、うやむやになっちゃう───!
「ねえ!キミ…っ!!」
少し先でようやく彼が足を止めた。
「鍵。しばらく預かっておくよ。今まで気付かなかったぐらいだから、なくても不自由しないだろ?」
「そんなの…っ困るから!」
「俺も困る。コレがなくなったら、とわさんに会う理由がなくなるから。
それに俺、“キミ”じゃない」
「は!?」
「か・な・た。オレの名前、奏多(カナタ)っつーの。覚えておいて」
雨の向こう、ビニール傘越し。
ぼやけて表情はよく見えなかった。
けれど、彼が微かに笑ったような気がした。
かなたと名乗った高校生は、意味深な言葉だけ残して。
雨の向こうに、消えた。
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