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はじまりはいつも、雨 3



雨の匂いに混じって、ほろ苦い珈琲の香りが鼻をくすぐる。
待ち合わせの駅前のカフェで、窓際のカウンター席に座ったともひろが顔を上げた。
私を見つけた眼鏡越しの目が優しく緩む。
久しぶりの笑顔に、コメカミの辺りがきゅうってなった。



「ゴメン。随分、待ったでしょ?」
「へーき。仕上げたい仕事あったし…ちょうどよかった」
座る?ともひろが左隣の椅子を引いた。
いつもの指定席に座ってしまったら、あまりの居心地のよさに、店から出られなくなっちゃいそうだったから、軽く微笑んでそれを断った。
「まだかかりそう?」
「いや。もう終わる…ちょっと待って」
吸いかけの煙草を口に咥えて、USBをパソコンに差し込む。
画面の鮮やかな青が、ともひろの眼鏡に薄く反射して綺麗。
真剣な横顔が男のクセにやけに色っぽくて、私は声もなくそれに見とれた。


「飯、どうする?」
不意に視線が合わさって、私は我に返る。
「9時前…か。腹減ったけど、がっつり食うよりも、しっとり飲みたい時間だよな」
腕時計で時間を確認しながら、椅子に掛けてあったジャケットを羽織る。
咥えた煙草を灰皿に押し付けて、ボックスとジッポを胸ポケットにしまう。
何気ない一連の動作が様になってて、ひとつひとつにドキドキする。
今まで見慣れてたはずなのに…。
私は。
ともひろに溺れてる。のめりこみすぎて怖いくらい。
会うたびに。触れるたびに、惹かれていくのがわかる。
果てが見えなくて、なんだか怖い。




「どこか行きたい店ある?」
「ともひろが決めていいよ」
「じゃあ……適当にテイクアウトして、家で食おっか?
久しぶりだし、ふたりっきりでゆっくりしたい。この店のでい?」
「うん」
カードで精算した後、ショーケースに並んだベーグルサンドをいくつか選んで包んでもらう。
「あ、それ。オニオン抜いてもらえる?とわ、生は苦手だったよな?」
ちゃんと私の嫌いな物は覚えてくれてる。
大事にされてるの、ちゃんと伝わってる。
なのに。
不安で堪らないのは、全部あの子のせい。
あの高校生が変なこと、言うから…。
最近の私、人に振り回されてばっかだ。
イヤになる。







「あれ…。酒井くん?」
店の入口で声を掛けられた。
ショートカットの似合う綺麗な女の人。
誰?
「芦原」
「久しぶり」
にこりと綺麗な顔が微笑んだ。
黒のパンツスーツをパリッと着こなして、優雅に笑う彼女は。
私なんかよりも随分大人な雰囲気を漂わす綺麗な女性だった。

「仕事帰り?」
「ああ」
「でも酒井くん、この辺じゃないでしょ」
チラリ。
私を見た。
「…彼女?」
「そう」
「へえ…」
まるで品定めをするみたいにまじまじと見つめてくる彼女から、誘うようにいい香りがした。
何だろ、この香水。
甘ったるい…だけど官能的な香り。
至近距離で、彼女の唇がゆっくりと笑みの形になる。
゛今度の彼女って、たいしたことないのね゛
そんな笑みだ。




「じゃあ。私も人と待ち合わせてるから」
「ああ。またな」
「…あ、そうだ。酒井くん───」
「何?」
「これ、この前の忘れ物」





ドクリと心臓が嫌な音を立てた。
上品なネイルの施された繊細な手が差し出したのは、タイピン。
素手で心臓をぎゅーっと鷲掴みにされたような感覚に、足元がぐらりと揺らいだ。
忘れ物って…。この前って、何?





「あ…わり。サンキュー」
「完璧主義なクセに、すぐに物は忘れるんだから。気をつけて? これ、高いものでしょう?」
「もらいものだから、別に無くしてもいいものだけど…」
「またそういうことを言う。ちゃんと物を大切にしなきゃ。彼と付き合うの、大変でしょう?」
彼女が私に笑いかけた。
゛酒井くんのことなら何でも知ってる゛みたいに言うから、悔しかった。
過ごした時間は圧倒的に勝ってるのに。
今の彼女は私なのに。


「じゃ、帰るか」
店の外に踏み出したともひろのスーツの袖をクイと引っ張った。
「今の…誰?」
「芦原?専門の時の友達」
「それだけ?」
「…んー…あ〜…。昔、ちょっとだけ付き合ってた」
本能的に感じた。
あの人はただの女友達や知り合いなんかじゃないって。
彼女は、男女の一線を越えた深い付き合いをしてた人なんだって。
ともひろに女友達なんているわけないもの。
学生時代からそう。
近づいてくる女の子は、いつだってともひろ狙いで。
彼もよほどのことがない限りそれを拒まない。
今までともひろがそういう付き合いをしてきたのは、わかってる。
わかってたつもりだった。
だけど。
友達を超えてしまうと、そういう現実を受け止めるのは容易くなかった。
胸が苦しい。





「それ、いつの忘れもの?」
「たぶん…この前食事した時の?」
「…え?」
「芦原、広告の仕事やっててさ、アイツのとこにうちの会社の宣伝を委託してんだよ。ちょうどうちの担当だっていうから、打ち合わせを兼ねて駅ビルの居酒屋で。あらたまった場所じゃないし、仕事つっても昔のダチだしで…ネクタイ外した時に、たぶん…落とした」




ともひろが仕事を一番に優先するのはわかってる。
過去は引きずらない潔いともひろが、今さら昔の彼女と…ってことがないのも。
だけど。
なんでもないみたいに言われたら腹が立つ。
あんなに勝ち誇ったみたいな顔をされたら、したくもない想像をしてしまう。

「…ふたりっきりで?」
嫉妬じみた問いに、ともひろが真顔になった。
「何、勘ぐってんだよ?
芦原はもう、とわが心配するような関係じゃねーよ。アイツ、男いるし。たぶん待ち合わせの相手は男だよ」
「どうしてそんなのわかるのよ?」
「アイツが男と会う時に必ずつける香水があるんだよ。今日もその匂いがした」
彼女のことをよく知った風に言わないで。
昔の彼女を気にしてたらきりがない。
だけどあんな風に、ともひろのことをよくわかってるみたいにして誇らしげな顔をされたら、悔しくって堪らない。




「ちょ…なにっ?」
眉と眉の間をぎゅって指で押された。
「眉間に皺。そんな難しい顔してると、老けるぞ?」
嫌味っぽく口角を上げた後、優しく肩を抱き寄せて耳元に唇を寄せた。
「もしかして焼いてる?」
「…ちが…っ」
「顔、めちゃくちゃ怖いんだけど…」
軽く笑った唇がそのまま私のそれに重なった。
煙草のほろ苦い味がして、息を飲まれる。
「…怖いならキス、しないでよ……」
「そりゃないだろ?とわがヤキモチ焼くなんて、すげぇ貴重なのに」
通りから見えないように傘を開く。
パンと赤く咲いた花に、雨粒が飛んで弾ける。





「心配するな。オレ、とわ以外の女、いらないから───」


触れた唇が熱を伝えて、柔らかく舌が入り込んでくる。
頭の芯がジンとして何も考えられなくなる。
初めてキスしたみたいにドキドキした。
胸の奥がキュッと狭くなる。
赤く開いた傘の向こうに彼女が見えた。
女の嫉妬をギラギラさせた目。
あの人はまだ、ともひろの事が好きだ。






「今日はヤダって言わないのな?」

キスした唇が意地悪気に笑う。
ずるい男。
私が人前でのキスを拒まなかった理由も、あの人が自分にまだ未練があるって事実も気付いてる。
だからこうやってわざと、彼女の見てる前でキスしたんでしょう?
まるで見せ付けるみたいにして。


だけど私はもっとずるい。
人前でベタベタするのは嫌いなくせに、今日はダメだって言わない。
ともひろのずるさに甘えて、この人はもう、あなたのものじゃないんだよって見せ付けたかった。
彼女の表情が歪んだのを見て、優越感を感じた。
恋が全てだなんて甘えたことは言わないけれど。
これを失くすとダメになってしまう自分は想像できる。
手離せない。








女なんて。
男よりもずっとずっと計算高くて、したたかだ。












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