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サンクチュアリ サイド*ましろ
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蒼吾くんにおぶられて、神社の入り口まで戻ったら、たくさんの自転車に紛れて藍色の自転車が置いてあった。
「後ろ、平気?」
「うん…」
背中から降りて、自転車の荷台に座る。
本音云うと、もっとくっついていたかったけれど。
あの子どうしたんだよー的な、好奇心の視線がイタイ。
人に注目されるのは、すごく苦手。
「しっかりつかまってろよー」
おっきな蒼吾くんの背中。
私がつかまったのを確認してから、ぐんとペダルを漕ぎ出した。
「…どこ行くの?」
交差点で止まった背中に問いかけたら。
「どこまでなら連れてっていい?」
見下ろされて、ふって笑う。
そんな風にはぐらかされたら、本気なのか嘘なのかわからない。
蒼吾くんとなら、どこまでだっていいのに。
神社から離れるにつれて、人が少なくなる。
虫の音がりーって、鼓膜の深いところを揺らして、車輪がアスファルトを転がる音だけが、耳に届く。
空を仰いだら、頭上には満点の星。
届きそうな錯覚に、思わず手を伸ばす。
「何やってんの?」
「星。降ってきそうだなーと思って…」
「星? ───あー…ホント」
自転車を転がしながら大きな背中が空を見上げる。
片手運転したり、空を見上げたり。
蒼吾くんのハンドルさばきはいつも器用だ。
まるで自転車が彼の手足みたい。
「うあ。すっげーなぁ。マジで降ってきそう」
蒼吾くんといるだけで、普段の夜が、特別な夜になる。
ずっと色褪せてた夏が、色をつけて動き出す。
逞しい体に腕を回して、おっきな背中に頬を寄せた。
確かな鼓動と彼の体温にひどく安心して、私は静かに目を閉じた。
「とうちゃーく!」
10分ほど自転車を走らせて着いた目的地。
地面に足をついて、その場所を仰ぎ見た。
「到着って…ここ───」
桜塚小学校だ。
私と蒼吾くんの母校。
見覚えがある道だと思っていたのは、毎日通った通学路。
「久しぶりだろ?」
「うん」
転校でこの街を離れてから、5年ぶりだ。
近くに住んでいても、卒業すれば立ち寄る機会はぐんと減る。
同窓会でもなければ、踏み込むこともない。
「お前ともう一度、来てみたかったんだー」
自転車を門の脇に停めながら、無邪気に笑う。
臭いのなんとかしていい?なんて聞くから。
てっきりそういう場所を想像してたんだけど……。
「…何、笑ってんの?」
蒼吾くんらしい発想が可愛くて、思わず笑みがこぼれる。
「…大丈夫なの?」
学校に忍び込むなんて、見つかったら即アウトだ。
「軽く不法侵入? 軽く犯罪?」
いたずらに笑って、蒼吾くんが校門にまたがって手を差し出した。
「やばくなったら、園田を担いで逃げるぐらいの覚悟はあるからさ、おいで」
蒼吾くんが軽々と、私の体を引っぱり上げる。
無茶するなぁ、もう。
でもそういうところも、好きだなあって思う。
「とりあえず。騒ぐの禁止。目立つの禁止。うるさいのも禁止な?」
繋いだ指を絡ませて、校舎の間をぐんぐん歩いてく。
懐かしい。
少し古びた3階建ての校舎も、運動場脇の大きな桜の木も。
あれ?
ジャングルジムってこんなに小さかったっけ?
「オレらがでかくなったんだろー?」
見つけた瞬間、走り出して。
あっという間に、蒼吾くんはジャングルジムの上だ。
「すっげえ! 全部が全部、ちっちぇえ!」
そういう無邪気な笑顔、変わんないなぁ。
すぐ側の丸太橋のふちに腰掛けて、てっぺんを仰ぎ見る。
あの頃いつも、教室の窓から見てた。
昼休みのチャイムと同時に運動場に駆け出して、ジャングルジムのてっぺんに登って、ここがオレらの基地だって叫ぶ。
クラスの男の子達と汗だくになって走り回って、何をやっても全力投球。
蒼吾くんの回りはいつも友達がいっぱいいて、笑い声が堪えない。
私も本当は…その輪の中に入りたかった。
彼の隣で楽しそうに笑ってる女の子達が、羨ましくて仕方がなかった。
「なに?」
「……え?」
「ぼーっとしてるから」
「んー…。ちょっと昔を思い出しちゃった」
「……園田も登るか?」
「浴衣じゃあ、無理だよ…」
「平気。オレ、いるから」
蒼吾くんが私をひっぱり上げた。
「わ。すごい」
いつもと違う視界、憧れてた場所。
こんな風に見えてたんだ。
視界が開けて、空が近くて、ますます星に手が届きそうな錯覚。
一度、こんな景色を知ったら手放せなくなる。
男の子達が競って登りたがるはずだ。
いつだってジャングルジムのてっぺんは、学内でも目立つ部類の男の子達が占領してて。
積極的な女の子が、みんなのジャングルジムでしょ! 何やってんの、男子!なんて怒ってて。
私はいつも、それを遠目にみてるだけだった。
登りたいって気持ちを言葉にする勇気も、踏み出す度胸もなく。
5年間、私は一度だってここに登ったことがない。
「落ちんなよ?」
「そこまでどんくさくないよ…」
「どうだか」
うははって蒼吾くんが笑って、うーんとめいいっぱい、空に体を伸ばした。
「小学生のオレに見せてやりたい。自慢したい!」
「…なにを?」
「今のオレ。園田と付き合ってんだーって」
イヒヒって笑ってピースサイン。
あー。
今、なんだか、小学生の蒼吾くんが垣間見えた。
「昔に戻りたい…とか、思ったことある?」
「んー? 今は戻りたいなんて思わねえけど…あの頃は、時間を巻き戻せたらいいのにって、いつも思ってたよ」
「…時間を、巻き戻す?」
「とにかくあの頃のオレは、毎日、自己嫌悪。後悔の大安売りって感じで…。
園田にキスしたことは後悔してねえけど…、そこまでの過程は、取り消せるならなかったことにしたい。好きな子を傷つける前に……」
優しい声を、曇らせないで。
私だって後悔の嵐だ。
もう少し自分に自信が持ててたら、一歩踏み出す勇気があったのなら。
蒼吾くんとすれ違ってばかりいた2年が、もう少し違うものだったのかな。
「園田」
ふいに名前を呼ばれて振り返った私に、蒼吾くんが口づけた。
びっくりして離したそれを、更に塞がれる。
存在を確かめるような優しく穏やかなキスが降ってくる。
頭の芯がしびれて、何も考えられない。
蒼吾くんの首に腕を回して、それに応える。
ほんの数秒のキスが、随分と長い時間に感じられた。
ゆっくりと唇を開放して。名残惜しむように、視線を絡めた。
初めて会った7年前と全く変わらない、真っ直ぐで強い眼差し。
放たれる強い視線に、酔いそうになる。
あの頃の私は、夢にも思わなかった。
蒼吾くんと共に歩く未来を。
「場所、移動しよっか。オレ、自分が臭くて臭くて…鼻が曲がる!」
苦笑交じりに呟いて、ジャングルジムから飛び降りる。
すごい。
私はそんなこと、怖くてできないのに。
「移動って、どこに?」
「とりあえず水のあるところ。体育館横の手洗い場とか、部室棟とか……。あ───」
いいとこ、みーっけ。
そういう顔。
「とりあえず、降りて来いよ」
「うん……」
「あ。園田」
蒼吾くんが振り返って、ジャングルジムのてっぺんで、のろのろしてる私を見上げた。
「なに?」
「えーと。オレなりに夢とかありましてー」
「夢?」
「できること、全部こなしていいデスカ?」
「何で敬語?」
「お願い事だから」
「うーん…。内容によるかなー?」
「じゃあイヤじゃないことなら、OK?」
「うん。いいよ」
「うっし!」
蒼吾くんが背中を見せてガッツポーズ。
くるりとこっちを振り返って、私に向かって手を広げた。
はい?
「ジャングルジムから降りれなくなった彼女を受け止めてやるの、お約束じゃね?」
「…無理」
「へ?」
「ここから飛び降りるのなんて、無理だよ」
ジャングルジムのてっぺんで腰を上げたら、思ったよりも高くて、足が竦んだ。
下を見るとなおさら。
飛び降りるなんて、絶対無理。
受け止めてもらうとか、それ以前の問題。
「誰もてっぺんから降りろなんて言ってねえよ。それはさすがに、オレでも無理だって。
とりあえず、もう2段降りて、体の向き変えて……んで、飛び降りる!」
宙を舞ったのは、ほんの一瞬で。
目を開けた時にはもう、蒼吾くんの腕の中。
ぎゅーって強く抱きしめて、子どもにするみたいに頭を撫でてくれる。
「お約束どうこうじゃなくてもさー、実際、降りられなくなってんじゃん」
照れ隠しに憎まれ口を叩く。
あらためて、彼の力強さと逞しさを実感したのと同時。
なんて運動神経がなさ過ぎるんだろう、っていう恥ずかしさが入り混じって、私は真っ赤になって顔を伏せた。
そしたら蒼吾くんがうははって笑って。
「いっこめ、クリア!」
唇がそっと耳元を通り過ぎて、頬に落ちた。
そういう全ての一瞬が、とても、愛しかった。
息苦しいくらいに、幸せ。
*
「…あの頃のままだと…、こっから入れるはずなんだよなー」
目的の場所の入り口で、蒼吾くんが難しい顔をした。
フェンスにひっかけた南京錠に、悪戦苦闘中。
「…本当にそれ、外れるの?」
「オレの記憶だと、上下に引っ張っるだけで、簡単に外れたんだけど……よし! ビンゴ!」
カシャンと鈍い音が小さく響いて、外れたそれを嬉しそうに私に見せた。
「かなり古いからバカになってんだよー。裏の方は、普段利用してねえから開けることもねえし…やっぱり茂野、気づいてねえままか」
茂野っていうのは、当時の担任の先生。
ていうか、蒼吾くん。
学校に忍び込んだのって、これが初めてじゃないでしょう?
やんちゃなのは、昔も今も変わらない。
南京錠を外して、フェンスを開ける。
コンクリートの階段を登ったら、塩素の匂いが鼻をついた。
「わ…。夏休みもプールの水、張ってるんだ…」
「水泳部が使ってるからなー。それに、午前中は生徒に開放してただろ? オレ。開放日は毎日、行ってたけど?」
「私は…行ったこと、ないや」
水泳の授業だってイヤで堪らなかったのに、わざわざ自分からプールに通うなんて、ありえない。
「あー…。もしかして、カナヅチ?」
「…もしかしなくても」
頬を膨らませて拗ねた私の頭をくしゃくしゃってして。
「今度、教えてやるよ」
蒼吾くんが嬉しそうに笑った。
人気のない夜のプールは、昼間の賑やかな場所とは異なった様子を見せて。
静かな水面をゆらゆらと漂わせてた。
薄っすらと満ち始めた月が、柔らかな光を漂わせる。
「とりあえず、頭。洗っていっか?」
「うん。でも…タオルないよ?」
「暑いからすぐ乾く」
プール脇のホースで頭から水を被って、ガシガシ。
犬みたいに顔を振る。
「これもくっせー! ちきしょー! 涼のヤツーー」
Tシャツも脱いでバシャバシャ乱暴に洗う。
「お前も足、洗う?」
「私は……」
大丈夫、って。笑って返すつもりだったのに。
視界に映りこんだその姿に、硬直してしまった。
微かな光にぼんやりと浮かび上がる蒼吾くんの上半身は。
肩から腕、背中にかけてのラインがすごくしっかりしていて。
「捕手は肩が命!」なんて言ってた彼の努力っぷりが、ありありと出てる。
首筋がスッと伸びて、肩幅もがっちり逞しくて、力を入れたら背中辺りの筋肉がきゅってなる。
知らないわけじゃない。
何度も抱きしめられたから。
腕の強さも、胸の広さも逞しさも、ちゃんと知ってる。
でも実際。
それを目の当たりにするのは初めてで。
目のやり場に困った私は思わず、あからさまに顔をそらしてしまった。
やんちゃで無邪気なままだけど、小学生の蒼吾くんとは違う。
男の人なんだって、意識する。
「……園田?」
どした?
ノー天気に笑いながら蒼吾くんが間近で覗き込んだ。
アナタの身体に見とれてました、なんて。
口が裂けても云えない。
「…なんでも、ない……」
「そ? 変な園田」
水が弾ける音に混ざって、蒼吾くんが小さく笑った。
鼓膜に響く声が、低くて心地いい。
よく通るその声は、グラウンドの端まで届くほど力強いのに。
私を呼ぶ声は、切ないくらいに優しいから。
頬が熱る。
体が芯から熱くなる。
ドキドキがずっと続いて…鳴り止まないの。
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