地区予選。
あとひとつ勝ち進めば県内ベスト4というところまで、男子も女子も勝ち進んだ6月。
その日は珍しく、とわの姿がコートに見られなかった。
「練習風景の取材に来ました」
放課後の体育館に広報部がやってきた。
眼鏡をかけた堅物そうな三年の部長女子と、同じような雰囲気の女ふたり。
首からカメラをぶら下げた、男カメラマン3人を引き連れて。
校内掲示板に取り上げて、学校中で士気を盛り上げようという魂胆らしい。
「じゃあ────とりあえず、チーム写真から撮っとくか? 汗かいてべたつく前に。アフターよりも、ビフォーだろ?」
男子部キャプテンが声を張り上げた。
「部員全員、来てんのかー?」
「男子、全員揃ってまーす」
「女子は?」
「…一年の花井さんがまだ来てないみたいですけど…」
「欠席か?」
「学校に来てるのは、見ましたけど?」
「────あ。花井さんだったら、週番で担任に呼び出されてました。たぶん遅れてくるんじゃないですか?」
とわのクラスメイトらしい人物が手を上げた。
ああ、それで。
いつもなら一番先に来ているはずのアイツの姿が見えないのは。
練習熱心なとわが、私的な理由で遅れてくるのは考えられない。
担任に呼ばれてるなら納得だ。
「じゃあ、男子だけ先に撮るか。女子は花井が来てからな」
「えーっ! 私達こそ汗かいて乱れる前に、撮って欲しかったのにーっ」
「揃ってないんだから、仕方ないだろ」
「もうっ。花井さん、早く来てよねっ!」
ぶーぶー文句をタレながら、女子部員が練習へと戻っていく。
オレ達が写真を撮り終えて、練習が始まっても、とわはなかなか現れなかった。
ようやくとわが姿を見せたのは、練習が始まってから1時間近く経ってからだった。
「いいからさっさと着替えて来い!」
監督の怒鳴り声が聞えた先で、とわが頭を下げた後、部室へと走ってくのが見えた。
遅れたことを咎められたのだろう。
「むごいな、花井。別に私用で遅れたわけじゃないのに」
パスを組んでいた大野がそれを見ながら、肩をすくめた。
三年男子の予想通り、今年のセッターのポジションはとわが勝ち取った。
バレー部一年でレギュラーを勝ち取ったのは、彼女だけ。
スタメンメンバーの遅刻は、チーム練習に大きな影響を与える。
2日後にベスト4を懸けた試合が控えてるから、なおさらぴりぴりするのだろう。
「酒井ー! ボール行ったぞ!!」
「────え? あ……」
余所見をしてたもんだから、パスを見誤って受け損なったボールが、体育館の外へと転がった。
「バーカ。お前、どこ見てんだよー」
「悪い」
外に転がったボールは、水道の角に当たって跳ねて、あらぬ方向に行ってしまう。
つかホント、どこに転がった?
見失ったボールの行方を捜していたら、部室棟まで出た。
強風にあおられて、敷地の端まで転がってく白いボールを見つけて、溜息をつく。
シューズを履き替えるべきか、そのまま行くべきか。
水はけが悪い雨上がりのグランドは、ところどころに水溜りができて、グズグズだ。
どうでもいいことを真剣に考えて立ち止まっていたら、その目の前を人が横切った。
首からぶら下げた一眼レフカメラを大事そうに抱えて。
……広報部のカメラマンか?
さっきまで中で撮影してたはずなのに、いつの間に外に出てたんだよ。
ああ、サッカー部もいいとこまで勝ち進んでるから、そっちと同時取材つってたかな。
つかあんなヤツ、広報部にいたっけ?
それにしても────マニアックなカメラだな。
望遠レンズ、それどこまで寄れるんだよ?
つうか、取材してんのに、何をそんなコソコソと。
堂々とすりゃいいのに。
「────撮ったか?」
「撮った撮った。バッチリ!」
大事そうにカメラを抱えて出て来た男は、部室の切れ目で待ってた別の男子生徒と合流するなり、顔を見合わせて笑った。
ああ、そういうこと。
言葉のニュアンスと、鼻の下が伸びたにやけた表情から、何を撮ったのかを悟る。
部室棟の奥には屋外プールがある。
大方、水泳部員の水着姿でもカメラに収めてきたんだろう。
実物じゃなくて、写真でいいなんていう心理は理解できないが。
何を撮って、それをどうしようがオレには無害。
関係のないこと。
面倒なことには首を突っ込みたくないし、関わりたくもない。
聞かぬふりを決め込んで、そいつらの向こうに見えるボールを追いかけようとしたオレの耳に、会話の内容が飛び込んできた。
「で。誰、撮ったんだよ?」
「バレー部の女子。窓開いてんのにさ、気づきもせずに着替えてるから、すっげえいいアングルで撮れた」
「何てヤツ?」
「確か……一年の、花井────」
転がったボールを拾うよりも先に、気がついたらオレはそいつの手から、カメラを奪い取っていた。
「な…っ、なにするんだよっ!」
いきなり現れたオレに突然カメラを奪われたカメラ小僧が、悲鳴交じりの声を上げる。
今時珍しい、フィルム式のアナログカメラ。
バチンと勢いよく蓋を跳ね開けて、そこからフィルムを引き出した。
「あーーーーーッ!!!」
カメラを投げ捨てた。
ガシャンッ!とガラスが割れたような音がして、ボディからレンズが離れて転がる。
「なんでこんなことするんだよっ!! せっかくいい写真が撮れたのに…ッ! 何の恨みがあってこんなこと…ああ、レンズが粉々じゃんか! どうしてくれるんだよっ!! 弁償しろよなっ!!」
苛立ちのままに、広報部のヤツがオレの胸倉を掴み上げた。
すごい形相で睨みつけたそいつを冷ややかな目で見下ろした。
「カメラぐらい、弁償してやるよ」
「弁償してやる? お前、これがどれだけするのか────ああ、お前。1年の酒井ってヤツか。あの酒井屋のボンボンの。カメラを弁償するぐらい、へでもないって? ふざけんなっ! いくら弁償されたってな、撮った写真は戻ってこないんだよ!」
「酒井、お前何やって────」
ボールを捜しに出たきり、なかなか戻ってこないオレを心配した大野が、体育館から出てきた。
胸倉を掴まれたまま、睨みをきかせるオレを見つけて、ぎょっとした顔をする。
「……なに。喧嘩?」
それを目にした生徒の足が止る。
野次馬が集まってくる。
地区予選、出場停止になるぞ!!って、大野が青い顔をしたのが見えた。
「ちやほやされて、持ち上げられて。いいよな、人気者は。何やっても『あの酒井くんだからー』って、笑って済ませてもらえるんだろ? ふざけんなっ!」
思いっきり右腕を振り上げて、殴りつけようとしたそれを手のひらで受け止めた。
ジンと痺れる強さのそれが、オレの頬を打つことはなかった。
苛立ちの塊を手のひらに閉じ込めたまま、オレはそいつを見下ろした。
「ふざけてんのは、そっちだろ。────わかってやってんのか? 盗撮は犯罪だって」
「盗撮って……」
ざわと周囲がわざめいて、取り巻く空気の色が変わる。
オレを掴み上げたままのそいつの、顔色が変わった。
ヤバイ、って目が泳ぐ。
「そっちの一眼レフ。身に覚えがないつうなら、証拠として提出してみろよ、それを」
「あの…っ、すみません、通して…っ」
ただならぬ事態を感じ取ったのか、広報部部長が人垣をかき分けてくるのが見えた。
顔面蒼白のそいつを見下ろすように、オレは言ってやった。
「部員の管理はちゃんとしとけ。そういう常識のないヤツに、カメラなんか持たせんな」
*
一度ボロが出たら、あとは次から次へと悪事が発覚した。
盗撮は今回だけじゃなかった。
お手柄だと囃し立てられ担がれるのが嫌で、昼休みや休み時間のたびにオレは、逃げるように屋上へと上がった。
目立つも群れるのも、好きじゃない。
ひとりの心地良さに目を閉じて、煙草を口にくわえたまま、コンクリの上へと寝転がった。
雲が低い。
火をつけようとしたところで、ガチャリと扉の開く音がしたから、オレは急いでそれをポケットに突っ込んだ。
「やっと見つけた」
頭の上から声が降ってきた。
顔を上げたオレの真上からとわがこっちを覗き込む形で、立ってるのが見えた。
片手にコンビニの袋をぶら下げて、もう片方には弁当サイズの小さなトート。
ここで食う気か。
「……なに?」
「なにって、天気いいから、ここでお弁当食べようかと思って」
天気いい?
「これのどこがいい天気なんだよ?」
低い雲を広げた梅雨の空は、今にも雨が降り出しそうだ。
「降ってなければ、いいお天気なの。私、雨女だからさ」
意図の見えない会話の内容に、オレは眉をしかめた。
「隣、座ってもいい?」
「……どうぞご勝手に。オレは行くから」
「あ! 待って!!」
立ち上がろうとしたオレの制服のネクタイが、ぐいと引っ張られた。
「なんだよ!」
「もう少しここにいれば?」
「なんで」
「だって……ひとりで食べるの寂しいじゃん」
「なんでオレがお前に付き合わなきゃいけないんだよ? そういう義理はないけど。つかお前、オレのこと嫌ってたんじゃないのか?」
バカとか、サイテーとか。
散々睨みつけて、ののしったくせに。
いきなり手のひら返すように寄ってきて、かわいく首を傾げられたって気味が悪い。
「うん、嫌い。嫌い────、だった。でも、ちゃんとお礼は言わなきゃいけないと思って」
とわがオレの隣に、膝を抱え込むようにして腰を降ろした。
「広報部にいる友達から聞いたの。昨日のカメラ小僧に私、撮られてたんだってね。アンタがああやってくれなきゃ、変な写真ばらまかれるところだった。だからお礼が言いたくて────」
「べつにお前の為なんかじゃない」
「わかってるわよ、そんなこと。でも、アンタがしたことに助けられたのは、事実だから。────ありがとう」
とわが素直に頭を下げた。
コンクリの上に丁寧に正座までして、伸ばした背筋をキレイに前へと折り曲げて。
気持ちのいい、清清しい礼の仕方だった。
顔を上げたとわが、にこり、笑う。
初めて素直に向けられた彼女の笑顔に、胸がざわついた。
「冷たいとか、軽いとか、ひどいヤツとか。アンタの悪い噂、いろいろ聞いてたけど……。
意外に正義感が強くて、熱いやつだったんだね。そういう面倒くさいことは、見て見ないふりをするようなヤツだとばかり思ってたんだけど……ちょっと見直した」
正座した足を崩して座りなおしながら、角の取れた笑顔をオレへと向けてくる。
「人のこと見下げるななんて偉そうなこと言っておいて、それをやってんのは自分だってことに、気づいたの。もう、先入観でアンタのこと見るのはやめる。人の噂とか意見とか、そういうのじゃなくて、ちゃんと本人を見ようと思って。人間、ちゃんと向き合ってみなきゃわからないよね? ────ということで、ハイ」
トートバッグから取り出した何かを、とわがオレの前に差し出してきた。
チェックのハンカチに包まれた、かわいいサイズの弁当箱だ。
「……なんだよ、これ」
「お礼。食べて」
「お前が作ったのか?」
「ううん。お母さんが────」
しまった、という表情でとわがバツの悪い顔をする。
「……自分の弁当、横流しか」
「ちがーう! 私のは私ので、こっちにあるの! ホラ────」
もうひとつの弁当箱をこれ見よがしにトートから取り出してオレに見せつけた。
オレに渡した弁当箱よりも、ふたまわりも小さな弁当箱。
そんなんで足りるのか?
「自分で作れたらよかったんだけど……私、そういうの苦手でさ」
とわがバツが悪そうに肩をすくめた。
「物を貰っても困るでしょ? アンタの趣味ってわかんないし。それなら、形に残らないものがいいかなーと思って。うちの親のお弁当、すっごく美味しいって評判なんだから! いいから開けてみてよ。ていうか、残したら承知しないから」
「人に勝手に押し付けといて、脅迫するつもりか、お前は」
「卵焼きとおにぎりは私が作ったんだからね。一応、アンタのために。食べてみてよ」
「……後で食う」
「なんで?」
「本人を前にしてマズイとは言えないだろ? まずいものを上手いって言える柄でもないし」
「ひどっ!! 食べる前から、まずいって決め付けんな!」
とわが拗ねたように唇を尖らせた。
笑ったり、怒ったり、拗ねてみせたり。いちいち感情の忙しいヤツだ。
「アンタさ、いっつもお昼、ウィダーインじゃない? ちゃんとしっかり、食べた方がいいよ?」
「余計なお世話だ。つか、それ。その呼び方やめろ」
「うん?」
「アンタじゃないから、オレ。ともひろ。酒井ともひろ、つうんだよ」
きょとん、と。
くっきりした二重の瞼を何度も瞬かせて、とわがオレを見上げた。
「……そんな名前だったんだ。アンタの下の名前。初めて知った」
本気でお前にとってオレは、どうでもいい存在だったんだな。
思わず渋い顔になる。
「私も。おい、とかお前じゃないから。花井とわっていうの。知ってた?」
「…知らない」
オレは嘘をついた。
とわが知らないのにオレだけ知ってたのが、なんかしゃくで。
「じゃあ、覚えてよ。とわでいいから、ともひろ」
「────いきなり名前呼び捨てか。馴れ馴れしい」
「んな…ッ! 今さら『酒井くん』なんてかわいく呼べるわけないでしょ、気持ちワルイ! 友達なんだからさ、それでいいでしょ」
「友達? お前がオレの? あんなに嫌ってたくせに。つか、お前の親友のことは、もういいのかよ?」
「あー…。それね、いいみたい。新しい彼氏ができて、そっちとラブラブだから。もうともひろは、過去の男らしいよ」
「…なんだそれは。オレは殴られ損か」
つかあの女、絶対『はじめて』なんかじゃなかったから。
場数踏んでる慣れた女の身体だったよ。
とわの性格を利用してのオレへの復讐────ってとこか。
こいつがそこのところを誤解したままだっていうのが納得いかないけど……、もういい。
めんどくさい。
「まあ、いいじゃない。私に殴られて、ちょっとは目が覚めたでしょ。懲りたでしょ? アンタの周りに、そういう友達っていないみたいだから。だから私がそういう存在になってあげる。アンタ、思ったよりもいいやつそうだから……一時休戦」
休戦って言われてもな、勝手に怒って敵対心を向けてたのは、お前だけだろ。
つくづく自分勝手なヤツだ。
でも。
飾らない、凛とした真っ直ぐな強さに、少し惹かれる。
「私は、アンタのあのガッツがちょっと気に入ったから。もっとともひろのことが、よく知りたい。────ダメかな?」
「駄目だつっても、引き下がる気はないんだろ?」
「……よくわかってるじゃない」
とわは意地悪そうに眉を吊り上げた後、屈託のない笑顔を見せた。
怒ったり、笑ったり、喜んだり。
感情がそのまま言動になって現れるとわ。
『女友達』って呼べる存在ができたのは、後にも先にも彼女ひとりだけだった。
←BACK /
NEXT→
←TOPへ /
とわの彼方に*目次へ→