気がつけば、また一年が過ぎようとしていた。
専門学校を卒業したオレは、社会に出て、酒井の息のかかった企業に就職して、2年目を迎えた。
毎日はめまぐるしく、仕事に追われる日々。
時間だけが手のひらからこぼれていって、過ぎたオレの手にはなにも残らない。
成長期を終えて、ハタチを過ぎて。
いつの間にか、鏡に映る自分にあまり変化が見られなくなって、それと同じように日々も変わらなかった。
彼女がいなくなったとたん、オレの世界は色を失った。
高校を卒業してから今でもずっと。
季節の変わり目には必ず、とわからハガキが届く。
写真の中で微笑む彼女は年を重ねるごとに大人びて、綺麗になっていく。
─────── バカねえ、ともひろは。ここにある笑顔はみんな本物だから。偽者なんてないんだよ? ───────
高校最後の日、そう言って笑った彼女の笑顔は、あの頃と少しも変わりなく。
今でもきっとタケルの隣で、幸せそうに笑ってるんだろう。
もうとわとは、ずっと会ってない。
高校卒業後の新居に一度だけタケルと顔を出して、それきり。
オレ達はそれぞれの場所で、4年目の春を迎えていた。
これからも会うつもりはない。
募る想いとはうらはらに、もう二度と会わない、そう心に決めていた。
あの日までは。
*
父親に呼ばれて、久しぶりに実家に帰省していた日のことだった。
始発で帰るつもりで夜のうちに荷造りをしていたタイミングで携帯が鳴って、久しぶりにクラスの集まりに顔を出さないかという。
ちょうどタケルも春休みで地元に戻ってるらしかった。
話があるから聞いてほしい。
携帯の向こうから聞えてくる声は、真剣だった。
「とわは? 一緒に来てるのか?」
聞いたら、来ないと言う。
『ていうか、とわのことで話があるんだよ。相談つうか……事後報告だけど。とりあえず、8時に和良屋な。待ってる』
自分の意見を押し切ることのないタケルが、珍しくオレの返事も待たず携帯を切った。
話ってなんだよ。
嫌な予感がした。
急な呼び出しで約束の時間に少し遅れて行ったら、集まったメンツはほぼ出来上がっていて、オレを見つけた島が嬉しそうに声を上げた。
「うお。酒井が顔出すなんて珍しいなぁ! なに? 帰省中?」
「ああ。帰省ついでに呼ばれた。タケルは?」
「あれ? さっきまでそこにいたんだけど……」
オレを呼び出した当の本人が見当たらない。
どこ行った?
「タケルなら携帯鳴って、外出てったけど。なんか揉めてるふうだったぜ?」
「揉める?」
誰と。
「タケルなんかほっとけよ。どうせいつでも会えるんだろ? 久しぶりなんだからこっち付き合えって!」
無理矢理空いた席に座らされて、グラスにビールを注がれた。
出来上がってるから、そう簡単には離してくれそうにない。
下手に逃げて、酔っ払いに絡まれるのは厄介だ。
ここはしばらく付き合うしかない。
「わー。酒井くんだ! すっごく久しぶり!」
突然、腕を組まれた。
同じバレー部だった中田鈴。
あの頃とちっとも変わらない媚びるような上目遣いと、本人自慢のぽってりした唇をとがらせて、隣に座っていた島を押しのけてオレの隣を陣取った。
「卒業して以来じゃない? 珍しい。どうしたの?」
「タケルに呼ばれたんだよ。アイツ、知らない?」
「えー? 梶? 来てたっけ? 忘れたぁ」
「忘れたって、……お前なあ」
「それよか、飲もうよ。久しぶりなんだし。お酒、強いでしょ?」
グラスに残ったビールを空けろと言われて、仕方なく飲み干したら、またぬるいビールが注がれた。
ケースで注文してるもんだから、中途半端に栓の抜かれたビールのビンがあちこちに置かれてる。
ぬるくてまずくて、しかたない。
「とわとは? 会ってるの?」
「会ってないよ」
「……ふーん。あんなに仲良かったのにね。人の気持ちって、離れちゃうと簡単に変わっちゃうんだ?」
「………」
「なーんてね。うそ。まだ好きなんでしょ? 好きだから会ってない。会えない。違う? 今日だって絶対、とわが来てたら来なかったくせに。ていうか、とわが来るから今までの集まりにも顔出さなかったんでしょ? あー、ヤダヤダ。未練がましい男はこれだから」
「中田」
オレは軽く隣を睨みつけた。
「なによ。今、ここでする話じゃないって? 大丈夫よ。みんな出来上がってんだし、誰も聞いてないって。
今しかできないからするんじゃない。あたし本当は、ずっと酒井くんに言ってやろうと思ってたんだから。ちょうどいいわ」
ドン! と日本酒の入った一升瓶が目の前に置かれた。
みんな出来上がってる?
中田が一番、できあがってんじゃないのか。
つか店のスタッフも、酔っ払いに一升瓶なんて渡すな。
地元顔馴染みの居酒屋は、気心知れて何でもありだ。
オレは深く息を吐いてから、立ち上がった。
「ちょっと…、酒井くん? どこ行くつもり?」
「外。煙草」
「ここで吸えばいいじゃん。禁煙席じゃないんだし」
「アイツ……、大崎。妊婦だろ? 同じ部屋で吸えるか」
「わー、紳士〜、じゃない! それを口実にして、あたしから逃げたいだけでしょ。あ、待ってよ! あたしも行くから!!」
ビール瓶片手に中田がついてきた。
勘弁してくれ、鬱陶しい。
外に出たら、星が綺麗だった。
煙草をくわえて空を見上げる。
ジャケットを引っ掛けてきたのは正解だった。
夜はまだ冷える。
ふーっと溜息混じりの息を吐き出したら、煙が空に流れた。
クシュン!とオレのすぐ足元でくしゃみが聞えて、店の壁に背中を預けて丸く座っていた中田が鼻をすすった。
「……中、入れば? 風邪引く前に」
「ジャケットあるんだから貸してよ」
「ダメだ」
「……ケチ」
チッと舌打ちをした中田が隣で、持参していたグラスにビールを注いで、ちびちびやりはじめた。
「昔から酒井くんってそうよね。優しくないの。誰にでも平等に冷たい。
…ううん、冷たいって表現は変か。興味がないのよ。他人なんてどうでもいい感じ。そのそっけなさがいいのよってみんな言ってたけど……あたしにはその良さはわかんなかったわ。だって、好きなのに冷たくされたいって、変じゃない。
あたしは好きな人には優しくされたい。特別扱いして欲しい。あたしが変えてやる! ぐらいに思って付き合ったんだけど……、酒井くんは変わらなかった。あたしじゃ、変えられなかった。とわみたいに酒井くんをあんなふうに、笑わせられない」
「………」
「知ってた? とわといるとき、自分がどんな優しい顔してるのか。気づいてないでしょ?
とわもバカよね。そばにいすぎて、自分に向けられる酒井くんの表情は、他のみんなに向けられるそれと同じだと思ってる。特別なことに気づきもしない。だから」
「もういいだろ。過去の昔話は。今さら」
「さっきも言ったけど。今だから言うんじゃない。酒井くんが未練がましく、とわのことを過去にできないから言うの!
忘れられないぐらい好きなら、梶から奪っちゃえばいいのに。親友だから無理? 傷つけたくない? 意気地がないだけじゃない。偽善者! 結局は、臆病なだけなのよ。
欲しいとだけ思っていくら望んでも、自分が動かなきゃ手に入らないわよ。努力もしないで、なんでも手に入ると思ったら大間違いよ! バーカ!」
ドン! と。
ビール瓶を地面に置いた中田が、すわった目でオレを睨みつけた。
外見はチャラけて見えるけど、中田は芯が一本通ったヤツだ。
勘の良さも昔から変わらない。
あの気の強いとわと対等に付き合えるんだから、中田もそうとうだ。
「……だいたい、あたしは最初から、納得がいかなかったのよ。とわが梶を選んだことも、酒井くんが簡単に自分の気持ちから手を引いたことも。酒井くんがとわと、まとまってくれたのならあたしだって、自分の気持ちにとっとと見切りをつけられたのに。なんで梶に持ってかれたまんまなのよ。これじゃあ、いつまでたっても報われないじゃない。……馬鹿みたい…っ」
中田は散々、自分の言いたいことをぶちまけたあと、ずるずると崩れ落ちた。
最後のほうは分けの分からない単語をいくつか呟いて、丸くうずまったまま動かなくなった。
「……おい。中田? おいって」
揺すっても起きそうにない。
こりゃダメだ。
完全に潰れた。
「──────もしもし、島? 誰かまともなヤツ、寄こして。外。中田が店の前で潰れてるから。え? 知るか。勝手に中田がついてきて、勝手に潰れたんだよ」
中にいる島に連絡して、応援を頼んだ。
さすがに、このまま放置していくわけにはいかない。
人が来るのを待つ間、二本目になる煙草を口にくわえて、空に煙を吐いた。
ぼんやりそれを見つめながら、中田の言葉を頭の中で繰り返す。
──────忘れられないぐらい好きなら、梶から奪っちゃえばいいのに。親友だから無理? 傷つけたくない? 意気地がないだけじゃない。偽善者。結局、臆病なだけなのよ ──────
他人の幸せを壊してまで、自分が幸せになりたいとは思わない。
その結果がとわを泣かすことになるになら、なおさら。
「めんどくさ」
ため息と一緒に煙も全部吐き出して、携帯灰皿に吸殻を押し込んだ。
三本目に手を出そうかどうか迷ってポケットを探ったとき、ふと、声が聞えた。
店の裏にタケルがいた。
なんだ、こんな近くにいたのか。
三本目を吸うことを諦めて、店の裏へと歩いた。
タケルはオレに気づかず、なにやら真剣に携帯で話し込んでいる。
そういや、誰かと揉めてるふうだったって、金子が言ってたっけ。
途切れ途切れに聞えてくる会話の内容は、揉めてるというよりも、なだめてるふうに聞えた。
「もう泣くなって。おれ、ちゃんとするから」
顔も見えない相手が泣いてるってわかるぐらに、電話の向こうで誰かが泣いてる。
とわか?
もしそうだとしたら、あの気の強いヤツが、電話越しに弱音を吐くなんてよっぽどだ。
──────なにがあった。
聞くつもりなんてなかった。
けど、聞えてくる会話の内容が内容なだけに、オレはその場からどんどん離れられなくなった。
聞き耳を立てずにはいられない。
「……おれにはもう、寧々だけだから。…愛してる。じゃあな」
オレは愕然とした。
タケルが甘い言葉を囁く相手が、とわじゃない事実に。
気がついたらオレは、タケルの手から携帯を奪い取っていた。
「……とも、ひろ……。お前、いつから──────」
通話はすでにもう、切れた状態で相手には繋がらない。
履歴を調べたら、しっかり女の名前が残ってた。
塚原寧々。
とわじゃない。
「どういうことだ、タケル。説明しろ」
愛してる?
友達なんかじゃない、電話の相手は。
浮気のつもりなら、携帯に入れる名前ぐらい、変えろ。
偽れ!
もしもとわが、これを偶然見つけたとき、何十件も残る女の名前の履歴をなんて説明するつもりだった?
浮気ならまだいい。
戻る気があるなら、気持ちがまだあるのなら、やり直せるかもしれない。
黙って嘘ついて、なかったことにして。
卑怯なやり方かもしれないけど、言わない優しさも選択できる。
でも。
タケルの本質はバカがつくほど正直で、そういう小細工ができない男。
だからこそわかる。
わかるから、腹が立つ。
浮気じゃない。
本気だ。
それなら──────確実に、とわが泣くことになる。
「盗み聞きなんて卑怯だろ、ともひろ」
「聞えたんだよ」
「……ま、そんなのどっちでもいいや。どうせ今日、話そうと思ってたことだから」
タケルが力なく笑って、足元にあった小石をポンと蹴った。
「……先輩に言われたんだよ。お前はこのまま、ひとりしか女を知らなくていいのか、って。
オレさ、お前は男じゃない!みたいに言われたような気がして、カッときちゃって……。合コンで潰れた子、連れて帰っちゃったんだよ。それが彼女。浮気つうか……、はじめはほんの出来心で手を出したのに、それっきりにできなくて。ずるずる会ってるうちに……好きになちゃったんだよ」
なに手なんか出してんだよ。乗せられてんだよ。
とわがいるのに……!
拳が砕けそうなぐらい苛立ちを握り締めたまま、それを誤魔化すみたいに煙草に火をつけた。
落ち着け。
最後まで、話を聞くまでは冷静でいろ。
「向こうは知ってんのか? お前にとわがいることを」
「もちろん最初は黙ってたよ。知らなかった。でも……バレた。だから、泣いてる」
「……とわはどうするつもりだ? このこと、知ってるのか?」
タケルが静かに首を横に振った。
知るわけない。
知ってたらこんなことにはなってない。
「寧々が…、彼女が泣くんだよ。おれがいないとダメだって。生きていけないって……。
とわのことは好きだよ。好きだけど……なんていうか、長くいすぎてもう、ドキドキしないんだよ。とわと一緒にいるのは、ほとんど情だけ。恋愛感情のそれとはもう、違う。
とわは強いから、泣かないから、ひとりでも大丈夫だろ? でも、長く付き合ってきたから切れなくて。
なあ、ともひろ。オレどうしたらいい? どうすればとわを傷つけずに──────ッ!!!?」
気がついたら殴ってた。
頭に血が昇って、怒りに我を忘れて、場所とか立場とか、そういうのも全部吹っ飛んで。
オレの中のずっと我慢してた何かが、音を立てて切れた。
「──────どうしたら傷つけずにすむか? ふざけんな。
もうお前が違う女に手を出した時点で、とわを傷つけてんだよ。裏切ってんだよ! とわを傷つけない選択肢はもうとっくに失くしたあとだって、どうして気づかない? 気づけない?
少しでもとわとやり直す気があるなら、オレは黙っててやる。浮気したことは、絶対口にするな。秘密は墓場まで持ってくぐらいの覚悟はしとけ。
でも。その気がないなら、ちゃんと白黒つけろ! アイツが先に気づく前に。
情に流されて別れられないお前のそれは、優しさじゃないっ! お前の身勝手な情だけで、ずるずる延ばすな!」
涙なんて手段。
これだから、すぐに泣く女は嫌いだ。
涙を武器にして、かわいく泣けば男は戻ってくるって、浅はかな考え。
タケルも、底が浅い男だ。
とわが泣かないのは強さだと、ずっと思ってたのか?
勘違いしてたのか? 4年も。
「とわの泣かないそれは、強さなんかじゃない。強がりだ。履き違えるなっ!!」
オレがもう一度、右手を振り上げたとき。
背後から何かにそれを止められた。
「なにやってんだよっ! 酒井っ!! 呼ばれて来てみればこんなこと……! やめろって…っ」
中田を迎えに来た島と金子に身を挺して止められた。
ふたり掛かりで押さえつけられては、いくらなんでも身動きが取れない。
おまけにひとりはクラスで一番体格のよかった、ラグビー部の金子。
仕方なくオレは殴るのをやめた。
殴ったところでもう、もとには戻らない。
「……ったく、なにらしくないことやってんだ。……タケル、平気か?」
「ああ……」
「酒井。中田は?」
言われて顎をしゃくった。
中田なら、店の軒下で潰れたままだ。
「お前ら……中田のことで揉めたわけ?」
「まさか。アイツはまったく関係ない」
「じゃあ」
「──────島。中田連れて、金子と先に戻って。つか、席外して。おれはまだ、ともひろと話すことあるから」
「話すって……大丈夫なのか? 酒井、お前…まだ怒りおさまってないだろ」
「ともひろにはちゃんと、おれを殴る理由があるんだよ。いいから。席外せって」
「……わかった。なにがあったのか知らねえけど……ほどほどにしとけよ?」
軽くオレの肩を叩いて、ふたりが席を外した。
もう殴るなよ、島がそう釘を刺して。
ふたりの姿が見えなくなったあと、タケルが大きなため息をつきながら、店の壁に背中を預けるように座り込んだ。
軽く砂塵が舞って、砂の乾いた匂いが夜風に流れた。
しばらくの間、オレもタケルも口を開かなかった。
降りてくる沈黙は、決して心地のいいものじゃない。
「………あのさ。頭冷えていろいろ考えてたらさ、思い出したんだけど…。ひとつ聞いてもいいか?」
先に沈黙を破ったのは、タケルだった。
「お前さ、とわのこと、好きだろ?」
膝の間に顔を埋めて難しい顔をしていたタケルが顔を上げて。
まるでパズルの最後のピースがはまったみたいな顔して、微かに笑った。
「おれ、高校時代にさ、何度か聞かれたことあったんだよ。お前と付き合ってた女子から。
コトの最中にさ、無意識に口走る名前があるんだって、お前、自分で気づいてた?
『゛とわ゛って、梶の彼女でしょ。なんで酒井くんの口からあの子の名前が出てくんのよ?』 何度も聞かれた。何度も否定した。とわはおれの彼女だって。ともひろとは何でもないって。
つうか、おれもさ、本当は薄々気づいてたのに、知らないふりしてただけなんだけど……。なあ、そういうことだろ? おれを殴った理由は。
………いつからだよ? お前、いつからとわのこと──────」
「………」
「言えよ! つうか、お前、とわが好きだったくせに、おれに紹介したのか? なんでっ!?」
立ち上がったタケルが今度は、オレの胸倉を掴み上げた。
「………とわだけは、手が出せなかった。好きだったから、本気だったから。アイツを酒井の揉め事に、巻き込みたくなかった。
とわが選んだのが他の男なら、紹介なんてしてない。大事な女を人になんてやれるか。
でも………。お前だったから、タケルだったから! とわを任せても大丈夫だって思ったから…っ!
なのに、この有様か──────!」
胸倉を掴んだ手を勢いよく振りほどいた。
一瞬、息を飲んだタケルを、オレは冷たく見下ろした。
「──────タケル。
お前はもう、とわを選ぶ気はないんだろ? だったら、オレがもらっても文句はないよな?」
「………え?」
まさかオレの口から、そんな言葉が出てくるなんて、思いもしなかったんだろう。
タケルの顔色が明らかに変わった。
「………お前…、なに言って──────」
「人のものになるって聞いたら、急に惜しくなったか?」
「違う! そういうことを言ってんじゃなくて………。本気、なのか?」
「冗談で言うか、そんなこと」
こんなやつに4年もとわを持ってかれてたかと思うと、腹が立つ。
そのことに気づけなかった自分に。
もっと早く、そういう決断を下せなかった自分に。
「ちょっと……、待てよ…。だってお前…婚約者、いるんだろ? 『リオコ』はどうすんだよ!? 断るのか? 断れるのか!? 酒井を諦めるのか? 捨てるのか!?」
「捨てない」
「だったら……! とわのことはそっとしとけよ! 今までお前が、そうやってきたみたいに。期限つきの恋愛なんて、オレの心変わりよりよほど残酷じゃないか!」
「誰が期限つきだなんて言った。とわが手に入るのなら、一生手放したりするもんか」
「じゃあやっぱり……とわを選んで、酒井を捨てるつもりなのか?」
「どっちも捨てない」
「どっちもって………意味わかんねえよ…。そんなこと、できるわけないだろ? 第一、とわは酒井に相応しくないじゃないか。地位も名誉も、家柄もない。絶対、酒井に潰されるぞ」
半分投げやりみたいにハッと笑い捨てて、タケルがズサッとその場に座り込んだ。
「──────相応しいってなんだよ? 相手が自分にふさわしいかどうかを決めんのは、他人じゃない。オレだ。お前が勝手に判断するな。
3年……いや、2年でいい。オレが誰を選んでも酒井に文句言わせないぐらいの男になってやるから。認めさせてやる。そうすれば、とわを選んでも文句ないだろ?」
オレはずっと、ずっと。たったひとりが欲しかった。
結婚相手ぐらい、自分で決める。
「2年…、ね。できるのか? 短期間でそんな大規模なこと」
ハッと鼻で笑ったタケルが、真顔でオレを見上げた。
「できるか、できないか、じゃない。やるんだよ」
「……勝手にしろよ、もう。おれは止めないから。つうか、止める権利もないけど。
おれも、お前がアイツを支えてくれるなら文句ないし。…って、おれが言えた立場じゃないけど。
…とわと、話する。会ってちゃんと話すよ。泣かれるかもしれないけど、ちゃんと。おれはもう、とわを選べないから。幸せにできないから。そのぶんお前が幸せにしてやって」
「言われなくてもそうする」
「……ハッ。すげえ。モテる男はやっぱ、言うことも違うね。その自信、どこから来るんだよ。まだとわが、お前のこと好きになるかどうかもわからないのに」
「……そのときは、長期戦で行くさ」
今までずっと、言えなかった。
望むことさえ無理なんだって、ずっと諦めてきた。
でも、手を伸ばしていいなら。
とわがオレを見てくれるようになるまで、いくらでも待ってやる。
けれど物事は、オレの思うようにうまくは進まなかった。
オレが先手を打つよりも、タケルがとわに切り出すよりも先に、女が動いた。
一番、サイアクのパターンだ。
とわが精一杯の強がりで自分の恋に幕を引いてしまってから、オレはそれをタケルから聞いて知った。
『泣かなかったよ、とわは。それどころか、ケータイ真っ二つに折ってさ、アイツらしい』
泣かなかっただって?
泣けなかっただけだろ。
お前はこの4年間、とわの何を見てきた。
男にすがって、かっこ悪いところを全部見せて、泣ける女かアイツが。
本当は、追いかけてきて欲しかったにきまってる。
引き止めてほしいにきまってるのに。
そういう選択肢も可能性も全部、アイツは携帯を折ることで自分から断ち切った。
こういうとき、一人で暮らしていると、どん底まで落ち込むからダメだ。
いくら人前で強がって見せたって、平気でいられるわけがない。
ひとりになんかしておけない。
自分を裏切った男のことを想って涙を流すな。
悲しみで全部、心を埋めてしまうな。
もう絶対、ひとりにはさせないから──────。
もう遠慮はしないと強く心に決めた。とわにも、タケルにも、自分自身にも。
「──────もしもし、とわか? オレだ」
オレは4年ぶりに、とわの声を聞いた。
←BACK /
NEXT→
←TOPへ /
とわの彼方に*目次へ→