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You are my sunctuary 1



本日。
とわの彼方に*番外編 〜You are my sunctuary 1〜を裏ブログにて公開しました。
詳しくはコチラをご覧ください。
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言葉にできない 4

「奏多、待って!! 待って、奏多……っ!!」
私の腕を掴んだまま、奏多は引きずるように廊下を歩いた。
何度言葉を投げかけても、怒りに肩を震わすその背中が振り返ることはなかった。
強く握られた腕を振りほどくこともできない。



「奏多っ、待って…待って、ってば…っ! 放して…っ。戻らなきゃ! あのままにはしておけない…っ」
「あとのフォローは瀬戸さんがしてくれる」
「でも……っ!」

ロッカールームのドアを蹴り開けた奏多に、そのまま部屋へと押し込まれた。
よろけた体を今度は肩から掴まれて、ドアへと追い詰められる。
「…痛っ」
奏多はそのキレイな指で私の肩を押さえつけ、冷たい眼差しで見下ろした。
深い瞳に心の奥まで見透かされるような気がして、思わず息を飲んだ。






「……痛い、放して…」
「いやだ」
「どうして…」
「放したら行くんだろ?」
「……だって……仕事、戻らなきゃ」
「仕事に戻る? 酒井さんのところに戻る、だろ?」
「ちが──────」


「そんな泣きはらした目で、どんな顔して客の前に立つっていうんだよ」
「…や、っ」



キレイな指が涙の跡を拭う。
思わずぎゅっと閉じてしまった瞼に、奏多の唇が突然触れて、ビクンと体が跳ねた。
そのまま涙の跡を辿るように、奏多の唇が降りてくる。
「…ッ」
逃げられない恐怖に足がもつれて、その場に崩れるように座り込んでしまった体を突然抱き上げられた。
まるで子どもでも抱っこするかのように、脇の下に潜り込んできた手にひょいと、持ち上げられる。
「やだ…っ、奏多…!?」
情けない声を上げてしまった私は手直にあった机の上に降ろされて、両脇に手を付かれた。
いつもの目線の高さとは違う下から覗き込むような角度で、奏多が見上げてくる。
心のすべてを見透かすような鋭く綺麗な視線に、まるで縫いとめられたかのように体が動かなくなった。
逃げたくても、逃げられない。




「──────あのままにしておけないのは、あの状況じゃないだろ? とわさんの気持ちだ。
どうしたい? 酒井さんとやり直したい? もとに戻りたい?」


「わた、し…は──────」



あのままには、しておけないって思った。
本気をぶつけてきたともひろをこのまま帰すわけにはいかないって。
だけど。
追いかけて、引き止めて。その後どうするの──────?
気持ちに応えられない。人の幸せの上に自分の幸せを置くことなんてできないって、そう決めたはずなのに。





「酒井さんを追いかけて、自分の幸せを一番に優先するつもり?」
「ちが…っ」
「とわさんがしようとしていることは、そういうことだろ」

的を得た言葉に、思わず唇を噛締めた。
止らない涙が、頬を伝う。






「……なあ、とわさん。俺じゃ、だめなの?」



ゆっくりと伸ばして来た奏多の手が、そっと私の頬を包み込んだ。
頬に唇が落ちて、ビクと体が震える。
睫を掠めて、瞼に触れて、こぼれていく涙を舌が辿る。




「やめ……っ、」

押し返そうと動いた瞬間、ぐらりと視界が大きくずれた。
テーブルの上に押し倒された衝撃で、一瞬声が出せなくなる。
奏多のくせのない黒髪がさらりと流れて、私の上へと影を作る。
顔の脇に手を付いて囲われた。
目の前の状況を理解した瞬間、どくんと世界がずれたような気がした。






「──────俺じゃあ、酒井さんの代わりにはなれない?」

真摯な視線で私を見下ろして、掠れた声で奏多が呟いた。
熱い吐息が耳朶に触れて、ぞくんと体が震える。



「……何度も言ってるのに。とわさんが好きだって。──────俺の言葉は、そんなに安っぽい?」

キレイな指がシャツに掛かるのがスローモーションのように見えて──────プツンと弾けるような音がして、ボタンが外された。
はだけた襟元からするりと潜り込んできた手に、鎖骨をなぞられる。
突然与えられた刺激に、みっともなく体が跳ねた。



「かな、た…っ!」





素肌を外気に晒された私は、泣きそうな声を上げた。








「──────酒井さんの痕だ」

奏多の手が首元で止った。
つ、と冷たい指先でそこをなぞられる。




「酒井さんはどんなふうに触れたの? どんなキスで、言葉で、とわさんの心を解きほぐした?」
「……やめて、奏多。声、出すよ」
「出せば? 自分の置かれた立場を理解できないほど、馬鹿じゃないだろ?」
「自分よりも職場での立場を優先するほど、馬鹿でもないから…っ」

「………震える声で言われても、説得力ないけど。
ねえ、とわさん。色鮮やかだった唇がたった数十分で、どうすればこんなふうに崩れるのか、俺にも教えてよ」




親指の腹で、少し乱暴に唇を擦られた。
表情をなくした奏多の顔がどんどん近づいて。






「奏…、ッ」


声と、引き寄せられるように抱きしめられたのは、ほぼ同時だった。
顔を肩口に強く押し付けられて声が出せなくなる。
いろんな緊張で一気に気持ちの限界が押し寄せた体は、すべてに力が入らなくて、押し返した体はびくともしなかった。




「──────腹が立つよ。今確かに、とわさんは俺の腕の中にいるのに、その中で考えているのは、酒井さんのことばかり。
こんなことなら、力ずくでも俺のものにしておけばよかった。チャンスなんて、いくらでもあったのに…っ」

ほんのわずかに見えた横顔が苦しそうに歪められて、癖のない黒髪が頬を掠めた。





「やだ…っ、奏……っ、あっ」

濡れたやわらかな感触が耳元にぬるりと触れた。
そのまま舌に含まれて、甘く噛まれる。
ぞくんと、怖さが背中を駆け上がる。
耳朶を這う舌、伝う熱、首筋から胸元へと浸食してくる感触に肌が粟立って生理的な涙が浮かんで流れた。





「っ、や、めて……!」


大きな声は出せなかった。
立場どうこうじゃない。
恐怖で声が上ずる。




「や、だ…っ。奏…っ、お願いだから、やめてよ、こういうの……ッ。こんなこと、しないで……っ。らしくない…からっ」


「らしくない? じゃあ、どういうのが俺らしいっていうんだよ? 俺のこと、たいしてよくも知らないくせに。
酒井さんも酒井さんだ。二年もほったらかしといて、今さら! とわさんだって…! もう忘れた、ふっきれてたって言ったくせに、なに好き勝手やらせてんだよ! 抱きしめられたりしてんだよっ! キスなんか、させてんなよっ!!
二年経った。俺は、二年も待った。もう、時間もないっていうのに──────っ」


ダンッ!と、すべての怒りをそこにぶつけるかのように、奏多がテーブルを叩いた。
掻き抱かれた体を一旦離されて、押しつけられたテーブルに肘を付かれた。
狭い空間に、再び閉じ込められる。
思いつめたような表情で私を見下ろしてくる鋭い視線に、背筋がゾクリと震えた。










「……時間、って………なに…? なんの、こと……? 」


恐怖心とは裏腹に、違和感の芽が心の中で膨らむ。





「ねえ、奏多。ともひろが言ってたのは、なに……? どちらって、誰のことを言ってるの──────?」
















「………なにを言ってるのかわからないよ。とわさんも、酒井さんも」




すぐ顔のそばにあった腕が動いて、その手があっという間にスカートからブラウスの裾を引き出した。
乱暴に服を捲し上げられ、無理な体勢に体が軋んだ。
あの綺麗な指が私の素肌を弄って、這い上がってくる感触に、私は情けない声を上げた。
「…いや……っ! 奏多……っ」
瞬間。
フッと、肩に掛かかる重さが感じられなくなって、ぎくりと体が震えた。
背中に潜り込んできた手にブラのホックが外されたのだと気づくまで、そう時間はかからなかった。
浮いたワイヤーの隙間から遠慮なく奏多の手が潜り込んできて、胸の膨らみを押し潰す。







「や、ぁ……っ!」



びくんと体が跳ねて、喉の奥が引きつれた。





「……かわいい声。そんなのオレには一度も、聞かせてくれなかった。酒井さんには、また聞かせるの?
──────そんなことさせない。させたくない…っ」


力の限り抱きしめられて、たまらずに奏多の肩を叩いた。
苦しい。
私の髪に指を差し込んで、そのまま首筋のラインを唇が辿った。
頭の上で組み敷かれた腕はどうやっても解けることがなくて、身をよじるたびにはだけた衣服が絡んで、ますます身動きが取れなくなる。
「や、だ…っ、やめ、っ……ぁ」
いつになく荒々しい奏多の行動すべてに吐き気がしそうなぐらい嫌悪を感じるのに。
私の体に触れてくる手も時折髪を撫でてく指も、耳元を食む唇も、囁かれる愛の言葉も。
びっくりするぐらい優しいから、大事に大事に触れてくるから。
切なくて涙が溢れた。
ぎゅっと目を瞑った拍子に、目尻に溜まっていた涙が一筋、頬を伝って耳元へと流れた。
伝ったそれを舌が辿って、耳元にたどり着いた唇がそこへ息を吹きかけるみたいにして囁いた。





「……とわさんは強がるくせに、そうやってすぐに泣く。
わかっててやってんの? 普段、あまり泣かないから。弱いところを見せる人じゃないから。涙が最大の武器だって。──────ずるい人だ。こんな涙に騙される前に、力ずくでも物にしとけばよかった。そうしたらあんなふうに、酒井さんに持ってかれることなんてなかったのに…っ!!」





いきなり顎に奏多の指がかかって、ぐいと顔を上げられた。
キレイな指が少し乱暴に唇の輪郭をなぞる。
奏多が私を深く見つめたまま覆いかぶせた体をますます伏せた。
顎を固定されて、近づいてくる奏多の唇がリアルに見えて、唇にかかる吐息にびくと体が反応した。



キスされる──────。

そう思ったから、思い切り突っぱねた。
私が持てる全部の力で奏多を拒絶する。










「や……っ。やだ、奏多っ、お願い、やめて……っ」


唇をきつく噛締めて、顔を逸らして、それでも奏多のキスが私を追いかけてくる。











今、されたくない。してほしくない。
だって、体が心が、私全部で覚えてる。
ともひろのキスの感触を。


いやだ、消さないで。
塗り替えないで。
忘れたくない。
お願いだから、キスだけは、嫌だ………っ。




逃げ惑う腕はあっけなく顔の横に縫い付けられて、拒絶する手段を取り上げられた。
片手で頭の上に拘束されたあと、顎もとられられた。
強引に奏多の方に向けられる。











「お願い、奏多…っ、今、キスだけは、どうしても、や、だ……っ」


私はどうしてここまで弱くなってしまったのだろう。
ただ情けなく泣くことしかできないなんて。














きつく目を閉じたすぐ向こうに奏多の吐息を感じるのに、それはいつまでたっても唇には降りてはこなかった。
戸惑いにゆっくりと目を開けると、苦虫を噛締めたような奏多の表情が飛び込んできて、私を押さえつけていた手が、突然、フッと力を失くした。






「……かな、た…?」


視線の先で、深い黒の瞳がわずかに揺れる。
少しだけ、悲しげに。








「………オレはとわさんが欲しかった。けど………、望んだのはこんな形じゃない」



突然腕を取られて、押し倒されたテーブルから体を引き上げられた。
はだけた胸元を正して、目の縁に溜まってたであろう涙の粒を奏多のキレイな指で拭われた。
私をじっと見据えて、奏多がゆるく笑った。










「……いつも酒井さんはとわさんを泣かせてばかりだ。でもとわさんが人を想って流す涙は、酒井さんだけになんだよ。
俺にはいつも、拒絶の涙だ──────」











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とわの彼方に 2 comments(10) -
言葉にできない 3

それは、突然で、強引だった。
すべてがあまりにリアルすぎて、息もできなかった。
頑なに閉じて拒んだ私の唇にともひろの舌が触れる。
私の唇を優しくなぞるたびに、ざわりと快感が背中を駆け抜けて、震えが止まらない。
キスに、応えてしまいそうになる。


キスの合間の息づかい。微かな煙草の匂い。重なる唇の乾いた感触と、濡れた舌の感触。
私が拗ねたとき、いつもこんなふうに抱きしめて、軽いキスを繰り返して、優しく私の心をほどいた。
どんなキスで誘われたら私が弱いのか、全部、ともひろは知ってる。
口を開けたりなんかしたら、その隙間から簡単に舌が潜り込んでくるのはわかっているから、声も上げられない。
深く探られたりなんかしたら、もう──────。


拒絶の意味で何度も首を振った。
どんなに逃げても逸らしても、追いかけてくる唇にすぐに追いつかれて捕まってしまう。
頑なに唇を固く閉ざすことで、キスを拒み続けて、息もできなかった。
苦しい。めまいがする。
立ってられない。




「…あ、……ッ!!」


崩れる寸前、ともひろの腕に支えられたかと思うと──────視界がくるりと反転した。
そのままソファに押し倒されて、手を顔の横に押さえつけられる。
私の身体の上に被さってきたともひろの顔がどんどん近づいて──────あっという間にまた、キスで塞がれた。




「ん、ぅ……ッ」

ふたりの重みで、古びたソファが壊れそうな音を立てた。
身体よじると衣服の擦れる音がして、古いレザーの独特な香りが鼻腔を掠める。
微かに香っていた煙草の匂いを強烈に感じたのは、ともひろの舌が入り込んできたから。
堰を切ったように私の唇をこじ開けて、激しく中を求めてくる。
「とも、っ……や…っ、ふ」
一瞬、唇が離れたかと思えば、また角度を変えて何度も貪られる。
 押し返そうと動いた肩は、あっけなくソファに縫い付けられて、ふたりの重みでまた深く沈んだ。
絡めた指に自由を奪われて、拒絶に唇を開こうとすれば、いっそう深く口づけられる。
怖いぐらいの気持ちが私の中に入ってくる。




────── 酒井さんはまだ、とわさんのことが好きだよ ──────


奏多の言葉が頭の中で、何度もリフレインした。





こんなにも強く求められたことなんてない。
キスで、視線で、心全部でともひろが私を求めていることが伝わってきて、胸が破れそうになる。
なにも考えずに、今ある幸せに手を伸ばして、すがりついてしまいたい。
拒絶するのは言葉ばかりで、心が、体が。
もっともっとと、強く叫ぶ。
離れていかないで。誰かのものになんてならないで。
そんなことを口走りそうになる。
このまま広い背中に腕を回して、溺れてしまうことができたなら、どんなに楽になれるのか。







「ともひろ、いやだ…、いや。も、…やめ、て……っ」
「いやだ。やめない」
「こんなの、ずる、い……っ」
「なにがずるい」

髪に埋もれた指に、力が加わる。苦しいくらい強く。
唇を開けば、ともひろのそれが優しくキスでついばんで、重ねた唇は決して放れることがなかった。
拒絶できない自分が情けなくて、また涙が溢れる。



「……ど、して? どうして……っ、こういうこと、するの…?」
「好きだからに決まってるだろ。他にどんな理由がある。オレがどれだけ、お前に触れたかったか……っ」


拒絶する手に力が入らなかった。
ともひろが私を掻き抱く手も、キスも容赦がない。
私の溢れては止らない涙と、震える指先が、拒絶の言葉を裏切ってるからだ。




「オレにはもう、とわに触れる資格はない?」

「…そんなの、あるわけ……っ」





「だったら言って」












「……え?」


「もう、オレのことが好きじゃないのなら、そう言って。そうしたらキスはやめる。オレはもう、とわには触れない」




顔のすぐ脇に肘を付かれて、閉じ込められた。
すぐ真上からじりと見つめてくる視線。
ぞくりとした。
まるで、肉食獣が弱い獲物を囲って追い詰めてるみたいだ。
思わずその気迫に、息を飲む。





「言って」

伸ばして来た大きな手に、髪を掻き分けられる。
無骨な指が耳元に触れて、ぞくりと身体が震えた。
強く見つめてくる視線が、私を捕らえて離さない。








「とわ」


すぐ耳元で名前を呼ばれた。







「言って」


声だけでさらわれそうになる。
心まで絡め取るような強い視線に耐え切れなくなった私は、顔を背けた。
ぎゅーっと目を瞑る。








「………もう…、ともひろの、ことなんて…」



「ちゃんと顔見て、目を開けて」

いきなり顎に指がかかって、逸らした顔を戻された。
きつく閉じた瞼に唇が触れる。






「……ッ」



間近で目が合って、胸が張り裂けるかと思った。
意識しすぎて、おかしくなる。
きっとみっともないぐらい動揺が顔に出て、情けないぐらい泣き顔。
甘い誘惑を目の前に、私が持てる強がりなんてとっくにオーバーしていた。
それでも言わなきゃ。拒絶しなきゃ。
この人はもう、私のものじゃない。
切なくて、苦しくて、私は唇を強く噛んだ。








「………もう、ともひろの、ことなんて……好きじゃ、ない……」

「もう一度」





「……………好きじゃ、ない。キライ……っ」



そうやって、持てる全部で好きだって伝えてくるともひろが。
気持ちを見透かして、そんなことを言わせるともひろが。













「………わかった」


交錯し続けた視線が、ため息と同時に途切れた。
頬に触れていた手が離れていくのが、スローモーションのように見えた。
その指と眼差しと両方から逃れて、安堵なのか寂しいのか、なんともわからない感覚が私を襲う。
ぎゅーっと、胸が締め付けられた。
と、突然。
腕を取られた。



「……っ!」

驚いて、思わず身を引く。
開放されると思ってた身体が、逆に引き寄せられて──────。





「やぁ……っ!」

突然、与えられた刺激に体がみっともなく跳ねた。
耳朶を柔く噛まれて、舐られる。
濡れた感触にビクンと身体が跳ねて、腰が浮いた。
熱い吐息が鼓膜にリアルに届く。
「や、…っ、ともひろ、っ……なん、で……っ」
髪を掻きわけて、逃げ惑う腕を頭の上へと拘束して、ともひろの唇が耳元に押し当てられた。
そこへ息をふきかけるように、掠れた声で囁く。





「ヘタな嘘だ」





そこでようやく、真の意図を理解した。
私の髪をかきわけて、執拗に耳元にキスをくれるわけが。





「もう一度。同じ台詞、言って」



その言葉に何度も何度も、私は強く首を横に振る。







「………もう、言えない…っ」

「どうして?」

「だって………っ、ッ…あ、」


ともひろの唇が耳朶を含んだ。
ぞくぞくと這い上がるような感覚を堪えきれずに、声がこぼれた。
ともひろが甘い罠をしかけて、逃げ道を断って追い詰める。
もう、無理だ。
うそなんて、つけない。








「言えないのは、嘘がばれるからか? 嘘をつくとき、耳が震えるから。……不憫でかわいい癖だな」



噛み付くようなキスが唇に降りた。
心を見透かされて、暴かれて。
それを受け入れる以外、もうどうすることもできなかった。
意識が遠のいてしまいそうなキスの嵐の中、必死にシャツを握り締めて、降りてくるそれを追いかけた。
温かいものが目尻からこぼれて、静かに筋をかく。
どこまで流されていいの?
どこまで受け入れればいい?
このまま、手を伸ばしてもいいの?

タケルに話をきいてから、ずっと聞きたかった。
今さらな話を持ち出して確認したかったのは、あのときの気持ちじゃない。
今の気持ちだ──────。





「とわ、好きだ。とわ、……ずっとずっと、こんなふうに触れたかった……っ」

魅力的な声で、言葉で、キスで、私を誘う。
キスも、溢れてくる気持ちも、拒絶できない自分の弱さも、全部が辛くて苦しくて、涙が溢れて流れた。
しゃくりあげるたびにこぼれてく涙は、どうしたって止まらなくて、情けなく泣いてしまう。


今の気持ちを知ることができれば十分だった。
なのに、知ってしまえばなおさらこの人を手放せない。
涙が止まらないのは、『今』しか手に入らないから。
とわに未来を歩ける約束は、どうしたってもう──────。
『これから』が欲しいだなんて、私はどこまでおこがましいのだろう。










どれくらいの時間、そうしていたのかはわからない。
ようやくともひろが、唇を放した。
冷えていく体温と離れていく距離が辛くて、ふたたび手を伸ばしそうになる。







「やりなおさないか、とわ」



涙で頬に張り付いた髪をそっと指で払って、その手が優しく髪を梳いた。
ともひろの切れ長の目が真っ直ぐに見下ろしてくる。









「…やり、なおす……? どして……? ともひろには、リオコさんがいるのに…っ」




「婚約は解消した」











「………え?」




「そのことも含めて、とわとちゃんと話がしたかった。だから」








一気に、現実に引き戻された。
タケルと別れた日がフラッシュバックして、あの日泣いた自分と、リオコさんの姿が重なる。








「ちょっと、待って……? 解消って………、どうして…? だって、リオコさん──────」



あんなに幸せそうに笑ってたのに。












──────私が、壊したの?









急に押し寄せた現実が怖くなって、私はともひろを強く押し返した。
望めば壊れるものがあるって奏多が言った言葉の意味を、私、ちっともわかってなかった。
壊れたのはリオコさんとの関係だけじゃない。
私を選ぶことでこの人は、どれだけのものを手放すことになるの?
人の幸せの上に胡坐をかいて、どういう未来を待ってた?
心のどこかですべてを望んでいた自分のあさましさに、吐き気がする。


「ごめん、ともひろ。無理だ。やり直すなんて、今さら。そんなこと、できない……っ」
「どうして」
「だって…っ、リオコさんが……っ! 酒井だって、私がともひろに相応しいとは」

「またそうやってお前は…っ、目に見えるものばかりに囚われて、オレの話を聞かないつもりか!? 頼むから! 話ぐらいはちゃんと聞いてくれ……っ」

押し返した身体はびくともしなくて、引き戻される。
あっさり連れ戻された体は、再び腕の中に閉じ込められた。
ネクタイの結び目が強く頬に当たって、痛かった。
それほどの強引な強さでともひろは、私を抱きしめる。
私はその腕の中で、何度も何度も首を強く横に振った。











「……ほかに、付き合ってる男がいるのか?」



首筋に触れてくる指の動きで、ハッと気づいた。
今朝、つけられた奏多の痕のことを。










「そういう男がいるのか……? 以前、見つけたのと同じ場所だ」
「──────ぁ、ッ」


唐突に首筋に吸い付かれた。
唇が触れた箇所が、熱く燃える。
奏多がつけたのと同じ場所に、ともひろが痕を残す。
まるでそれを塗り替えるみたいな行為に、ゾクリと身体が震えた。
舌が首筋を這って、また耳元に辿りつく。





「付き合ってる男がいるのか? 今、お前は誰が好きなんだ?」
「やだ、ともひろ…っ、や…っ」
「とわ。答えて──────」










「それ。俺だけど」




その声はあまりに突然すぎて、息がとまるかと思った。
















「とわさんの首筋に痕つけたの、俺だっつってんの」









「城戸……? なんでお前が──────」




いつからそこにいたのか。
スチールの棚に手をかけて、冷めた目つきで、ソファで折り重なる私たちを奏多が見下ろしていた。
その後ろにいる人物に、私はさらに目を見開く。













「瀬戸、ちゃん……」






「………花井さん、これ、どういうこと──────?」



最悪だ。
お客様とこんなところで、こんな場面。
言い訳の仕様がない。






「酒井さんが来られるのが見えたがら、お茶を運んだら部屋にいなくて。城戸くんに聞いたら、突然走り出すものだから……」
私と、ともひろと。
交互に視線を漂わせた瀬戸ちゃんの目が、もっと驚きに見開いた。
奏多がいきなり、私をともひろから引きはがしたからだ。
今置かれている立場とか状況とか、なりふり構わず私の身体を引き上げて、自分の方へと引き寄せた。
手加減なんてない。
肩を抱く指が肌に食込んで、私は苦痛に顔を歪めた。


「城戸! お前どういうつもりで」
「──────どういうつもり? あんな場所に華を咲かせられる理由なんて決まってんだろ。付き合ってんだよ、とわさんと」
「奏多…っ!? なに言って……!」
「そっちこそ、どういうつもりだよ? 2年もほったらかしておいて、なにもしなかったくせに、今さら? それはあまりにも虫がよすぎる話じゃないのか?」
まるで庇うように私の前に立ちはだかっていた奏多が、私の手を強く掴んだ。 
「……とわさんを渡すつもりはないから。酒井さんだけには、絶対……!」
そのまま引きずるように部屋から押し出す。






「奏多…っ、 や、だ…っ」

「──────とわ…っ!」

「酒井さんっ、困ります! 今、ふたりを追いかけたら花井の立場が…っ」



咄嗟に私の身を案じた瀬戸ちゃんの言葉に、ともひろが踏みとどまるのが見えた。
場所が場所なだけに、これ以上大っぴらには出来ないと判断したのだろう。






「城戸くん。花井さんを連れて行って。こっちはこっちで対処するから」
「瀬戸ちゃん…っ!」
「花井さんも。これ以上、表ざたにはしたくないでしょ? いいから。城戸くん、連れて行って」


ともひろを軽く一瞥してから、奏多は無言で私の手を引いた。










「……城戸っ」


扉が閉まる寸前、ともひろの声が奏多を呼び止めた。



「お前が本当に欲しいのは誰だ」
「………」
「過去にオレに聞いた質問をそのままお前に返す。今、ここに傘がひとつしかないのだとしたら、お前はどちらを選んで入れてやるつもりだ」











「………とわさんに、きまってるだろ」





乱暴にドアを閉める音が背後で、ひと際大きく聞えた。









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