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言葉にできない 5


どうしてそんなに傷ついた顔、するのよ。
そんな切ない顔で見つめられたら、こっちの方が悪いことをしてるような気になる。
だって私は最初から、奏多の気持ちには応えられないって言ってるのに。


「……ごめん。力ずくでひどいことしようとして」
申し訳なさそうに伸ばされた手が、肩に触れた。
過剰になった神経がたったそれだけで、ひくんと体をこわばらせた。
いつにない警戒の強さを、奏多が見逃すはずもない。
「そんなに警戒しなくても、もうなにもしない」
「………うそ」
「前科がありすぎて信用できない? 仕方ないよな。俺、ずっととわさんには出会ったときから、こんなだったから……」
切なげに見つめてくる表情と、呻るように告げられた言葉は、もうこれ以上私に触れてこないことを言い表しているのに。
やはり警戒をなかなか解くことはできなくて、私は視線を奏多に残したまま、服の前をかき寄せた。
涙でぐずぐずになった目も鼻もみっともないぐらい腫れぼったくて。
きっとすごく情けない顔で、奏多を睨んでる。


「……酒井さんの腕の中にいるとわさんの顔を見たあとで、あんな顔でキスを拒まれたら……もうなにもできない」
「…ッ、あれは──────」
「同意じゃなかったとでも言いたい? でも、拒絶してる顔には見えなかったよ。酒井さん相手だと、あんな顔するんだ。
弱弱しくて、だけど綺麗で。俺といるときのとわさんからは想像できない女らしさが滲んで。行かないでって、ずっと待ってたんだって、本音が透けて見えた。
あんな顔でイヤだって泣かれても、止るわけがない。俺が酒井さんだったら間違いなくあのまま攫ってる。──────聞いたんだろ、酒井さんから。婚約を解消したことを」
「………どうして、それを」
「2年経ったから」
「2年……?」
「それがあの人のけじめだった。俺の……タイムリミットだった」


奏多の言葉が私の頭のどこかで引っかかった。
2年──────『言った通りじゃん。アイツちゃんと、やることやってんだな』
あの日、タケルが笑った。
ともひろが何か企んでる、そう言って。
『2年』って、なに?
私が知らない空白の『2年』で、ともひろはどこで何をしていたの?


「ほら、そうやって」
「え?」
「俺といる間もとわさんは、酒井さんのことを考えてる。
2年の間、ほとんど毎日のように会ってたのに、とわさんは側にいない人のことばかり想って、ずっと側にいたはずの俺には見向きもしなかった。本当はチャンスなんていくらでもあったんだ。強引に押し迫って、キスをして。とわさんの全部を盗んで、奪って……。そうすることもできたのに、それをすることができなかったのは、とわさんの気持ちが透けて見えてたから。強引に押し迫って、無理矢理自分のものにしたって、心は付いてこない。
いくら望んでも俺はきっと、とわさんの中で、酒井さんより大事な存在にはなれないって、心のどこかでわかっていたから──────」

悔しそうに、けれど真っ直ぐに私を見つめてくる奏多の視線が痛くて、目を逸らした。
呻るように告げられたのは、まぎれもなく奏多の本音だ。
応えられないそれを聞くのは、辛い。
目を合わせたら、奏多の強い想いに負けそうな気がした。
どんなにこの子を傷つけても、私は彼を選べない。
自分の気持ちに嘘をついてまで、奏多の手は取れない。
気持ちを、上書きすることはできないから……。
私は顔を伏せたまま、唇を噛んだ。
泣くな。泣くな。泣いちゃ、ダメだ。
気持ちに応えられない私が、ここで泣くのは卑怯だから。
今、絶対に泣いちゃダメだ。



どうにかこうにか、足元をひたすらきつく睨みつけることで泣くのを我慢していたら。
俯いた足元に影ができた。


「………ズルイな、とわさんは。日頃強がってる人が参ってると、放っておけなくて困るのに。こういうときはいつもみたいに強がってよ。でないと……、俺の方が苦しくなる」

涙を我慢している私の頬に手が伸ばされて、あのキレイな指が優しく触れる。
温かな感触が張り詰めた心を溶かす。
優しいと調子が狂う。
こんなときに、優しくなんてしないで。
いつもみたいに、生意気で意地悪な奏多でいてよ。
もう私はどうしたって、奏多の手は取れない。


「こんなに簡単に触れられるのに、俺はこの2年、とわさんの心にはちっとも触れられなかった。………悔しいよ」


奏多が真上から私を見下ろしながら、悔しそうな顔で少し笑った。






「──────城戸くん、いるかしら?」
突然、前触れもなく部屋の扉が叩かれた。
その声にビクと体が震えて、私は急いで乱れた衣服の前を掻き抱いた。
「城戸くん? 時間なんだけど」
薄い扉の向こうから聞える声の主を認識して、体が固くなる。
この鼻に掛かったようなハスキーボイスは麻生さんだ。
こういうゴタゴタを一番見られたくない人。
急ごうとすればするほど、指先に思うように力が入らなくて、ますます気が急く。
「城戸くん? いないの? 時間──────」
「今、行きます」
扉が軽く開いたタイミングで素早く動いた奏多が、部屋に入ろうとする麻生さんを阻止した。
私を見えない位置に隠して、うまく立ちはばかる。
「……なんだ。いるのなら返事ぐらいしてよ」
「すみません。着替えてたもので」
「早くね。お客様、入れるから」
奏多が顔を出したことで部屋の奥の存在には気づきもせず、麻生さんは用件だけ残して、去って行った。
こんな状態で彼女に見つかったりなんかしたら、なにを言われるか……。
想像するだけでも、ぞっとする。

一度、扉を閉めて部屋に戻ってきた奏多は、何事もなかったように、椅子の背に掛けてあったジャケットを引っ掛けた。
彼の髪の色と同じの深い黒が視界に映った瞬間、現実に引き戻された。
いけない。
もうこんな時間なのに、なにも準備ができていない。
押し倒された勢いで髪はぐちゃぐちゃ、服は乱れたまま。
涙と汗でファンデーションが崩れて、アイメイクなんか特に最悪だ。
唇は──────ともひろのキスに、口紅の色をもってかれたままの裸の唇。
そっと指で触れたら泣きそうになった。
記憶に残る感情はリアルなまま。
思い出すと切なくなる気持ちも、熱い感触も、すべてを押し込めてそこに再び色を乗せなきゃいけない。

とりあえず、乱れた服装をまず正した。
髪もセットしなおして、鏡の前でチェック。
ああ、ヤバイ。
泣きすぎて顔がボロボロだ。
だけどなんとか、これぐらいならメイクで誤魔化せる。
気を引き締めなおして持ち合わせたポーチの中から、いくつかのメイク道具を取り出したとき。
すでに支度を終えた奏多が、扉に手をかけたまま私を振り返った。


「──────とわさん。今夜は付かなくていいから」
「……え?」
「今日はひとりで弾かせて」
「どうして………」
「どうして? それを俺の口から言わせるの?」
「………あ」
「とわさんの隣で、いい演奏する自信がないから。悪いけど」
それぐらい察して。
奏多がゆるく笑いかけた。
「だいいち、そんな顔じゃあ、人前には立てないだろ。ひどいよ、それ。番町更屋敷みたい。自覚ないの?」
「……誰のせいよ」
思わず睨みつけたら。
「……泣き顔も魅力的だけど、やっぱり憎まれ口叩くくらいの方がいい。そのほうがアンタらしくてホッとするよ」
安堵したような表情で奏多が私に笑いかけた。
「あとのフォローはやっとく。打ち合わせが長引いたとでも口裏を合わせとくから、とわさんは自分の思うようにすればいい」
「……私の、思うように……?」
「──────行きなよ、とわさん。あの人、待ってるから。ずっと想ってたから、とわさんのこと。
婚約者、最初からそんな存在、あの人にはいなかった。酒井さんにとって特別なのは、最初から最後まで、とわさんだけなんだよ」
「……どういう、こと……? だって、奏多。私が望めば、壊れるものがあるって──────」
突然、手のひらを返したようにそんなことを言うから、わからなくなる。
「わからない? あれは牽制だったんだって。そう言えばとわさんは絶対、酒井さんを選べなくなる。その確信があったから、俺はわざと………」
「………」
「俺はもう、これ以上なにも言えない。酒井さんの行動はすべてがとわさんに向かってる。自分の目で耳で、何が真実なのか、確かめるといい」











薄手のブラウスの上にジャケットを引っ掛けて、私は駆け足で裏に出た。
店はまだ営業時間だから表には回れないし、そこにともひろがいると思ったから。


乱れた服を直して、店を出ようとしたとき。
私を待ち構えていた瀬戸ちゃんに呼び止められた。
「──────ね、説明してもらえるかな。酒井さんとはどういう関係? ただの高校時代の同級生なんかじゃないでしょ」
現場に居合わせてしまった瀬戸ちゃんに、言い訳はできないし、逃げるわけにもいかない。
「……首筋に残ってる痕は、酒井さん? それとも城戸くん?」
思わず手をやったけれど、もう遅い。
色鮮やかに残る痕は、ふたりの熱い想いだ。
なにも言えずに床を見つめたまま押し黙ってしまった私の頭の隣で、瀬戸ちゃんが深いため息を落とした。


「私が怒ってんのはね、花井さんがずっと黙ってたからよ。2年も一緒に仕事して、プライベートで出かけたり飲みに行ったりもしてたのに、私、なにも知らなかった。花井さんにとって私はそんなものだったんだって、相談もしてもらえない存在だったんだって、自分の頼りなさに腹が立つのよ。……ちゃんと話してくれれば、もっと助けてあげられたかもしれないのに」
「……瀬戸、ちゃん──────」
「話せないほどの辛い過去? 話さないからいつまでたっても辛いのよ。全部自分で抱えてるから」
ふわと私を取り巻く空気が動いて、次の瞬間。
瀬戸ちゃんが私を抱きしめた。
ともひろと、お客様とあんなことになって。
愛想つかされたり、呆れられるかと思ってたから、その優しい行動に驚いた。


「気づいてあげられなくて……ゴメン。知らないとはいえ、城戸くんとの関係をひやかしたり、勝手に酒井さんの担当にしちゃったり。あまりにも無神経すぎた。本当にゴメン……」
「……ううん、私のほうこそ、ごめん。べつに、瀬戸ちゃんを信用してないからとか、そういうのじゃないから……」
「ふたりを追いかようとする酒井さんを取り押さえるの、大変だったんだからね」
瀬戸ちゃんには感謝しなくちゃいけない。
大っぴらにならなかったのは、彼女のおかげだもの。


抱きしめた腕が緩まって、ふと、なにかを感じたように瀬戸ちゃんが顔を上げた。
耳を傾けたのは、店のほうから微かに聞えてくるピアノの音色。
いつもオープニングで弾くソナタが、演奏が始まったことを告げていた。
「城戸くん、必死だったでしょう?」
「……うん」
「私、初めて見た。城戸くんがあんなふうに、何かに必死になるとこ。いつも冷めた印象の、人との距離感が独特な人だったから。
ああ、花井さんに対して本気なんだなーって、あんな風に追いかけてもらえるのって、素敵だなって思ったのに、それでも花井さんは酒井さんを選ぶのね」
「……でも、私がそうすることで、桜庭さんは……」
「人の幸せ? なんぼのものよ。自分の幸せより人の幸せを優先するなんて、それこそ偽善だわ。もちろんそういう形もあるのだろうけど、花井さんの場合はそうじゃないでしょ? あんなにも酒井さんが強い想いをぶつけてきたのに、あの気持ちを突き放して、花井さんに想いを残したまま結婚するなんて、それこそ不幸だわ。誰も幸せになれない。
自分の人生、自分が主役よ。自分の手で幸せを掴み取らなくてどうする! 遠慮してたら、なにもはじまらないわよ!」
トン、と背中を押された。
行きなよ、って瀬戸ちゃんが笑う。


「2年もずっと忘れられなかったんでしょう? 次行けなかったのは、心のどこかで酒井さんを待ってたからじゃないの?
場所が場所だから、酒井さんにはお引取り願った。でも、待つって言ってたから。外で花井さんを。行ってあげなよ」



いつもと違う音色を聞くと胸がきつく締め付けられる。
どうにもならない想いが音になって溢れてくる。
どんなにその音色を聞かされても、それでも私の心の中は、ともひろでいっぱいだった。
強烈に胸が疼く。
掻き抱かれた腕の強さも、耳に残る言葉も、優しく触れる唇も、引きずるような熱い口付けも。
もう一度、それに手を伸ばしていいのなら。
私は、あのぬくもりをもう一度、手に入れたい。







ヒールの高いパンプスは走りにくくて、急く気持ちに拍車をかけた。
胸の奥に燻る熱が、気を急かす。
少し湿った風が髪を揺らして、雨の匂いに私は空を見上げた。
雲が近い。
──────また、雨が降るんだ。
雨を見ると、あの日別れを告げた、惨めな自分が蘇る。
もう、あんな思いはしたくない。
ポケットから携帯電話を取り出した。
アドレスを出しかけて、ふとその手が止る。
そうだ。
私、ともひの番号って残してない。
携帯は別れた翌日に、新しく変えたし、番号はもちろん控えてない。
メアドだって覚えてない。
そうやって、自分に都合の悪い現実はシャットアウトしてきた。





────── またそうやってお前は…っ、目に見えるものばかりに囚われて、オレの話を聞かないつもりか!? 頼むから! 話ぐらいはちゃんと聞いてくれ……っ ──────



2年もなにもなかった。
だけど、私だって。
一度だって、ともひろと向かい合おうとはしなかった。
本当は追いかけたくて、助けてほしくて。
声が聞きたくて、なによりも……会いたくて。
でも願うだけで、自分からはなにもしなかった。
今ある何かを変えたかったのに、それを見つめることもせず、向かい合うこともせず、人のせいばかりにして。
見たくない現実に蓋をして、逃げてただけだ。
タケルのときだって一緒。
ひとつでも自分から何かをしようとしたことがあったの?
みっともなくたっていい。一度でもがむしゃらに、なりふり構わずに、必死になったことがあったの?
私こそそうだ。
自分から、追いかける恋愛をしたことがあった──────?




どうして気持ちに正直になれなかったんだろう。
ただ自分の気持ちに、素直になればよかっただけのことなのに。








「ともひろ………っ」



愛しい名前を口にしたら、急に寂しさが押し寄せて、泣きたくなった。
切なさに腕をかき寄せたとき。
ジャリと、アスファルトを踏みしめる音が鼓膜に響いて。
私は疑いもせず、それがともひろだと思ったから振り向いた。












「とも………っ」



振り返って、名前を呼んだ瞬間。
心臓が、止るかと思った。














「酒井は帰ったから」



少し湿気を含んだ風が、柔らかな髪をふわんと揺らして。
風に流れた女らしいフレグランスの香りが、雨が振り出す前の独特な匂いを打ち消した。





「帰ったというよりも、仕事に戻ったの方が正しいかしら」

淡いピンクの口紅に縁取られた形のよい唇の端を柔らかく持ち上げて、ヒールのぶんだけ少し高い位置から、栗色の瞳が私を見下ろした。




「桜庭、さん……。どうして──────」
「どうして、って。酒井を迎えにきたのよ。いくら携帯を鳴らしてもコンタクトが取れないから。
馬鹿ね、あの人も。あることになるとホント周りが見えなくなる。今回の仕事を棒に振ったら、あの人がこの2年、何の為に努力してきたのかわからなくなるっていうのに」






どうして──────、というのは、「どうしてここに」っていう意味じゃない。
ともひろが仕事に戻ったのなら、どうしてリオコさんはここに残っていたのか。
私を、待ってたの?






「………酒井から聞いたでしょう? 婚約は解消したこと」



ああ、やっぱりそうか。
この人はもう知ってるんだ。
婚約を解消した理由が私にあることを。
だから──────。







「……あなたとはいろいろと話したいことがあるの。時間、取ってもらえるかしら?」










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とわの彼方に 2 comments(6) -
You are my sunctuary 2

本日。
とわの彼方に*番外編 〜You are my sunctuary 2〜を裏ブログにて公開しました。
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