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エピローグ〜とわの彼方に



ガラス張りの窓の向こうに、緑豊かな芝が見えた。
トップライトから差し込む柔らかな光がプリズムとなって、純白の床を照らす。
祭壇へとまっすぐにのびる大理石のバージンロードは青空を映して、まるで美しい海の上を歩むような錯覚が生まれる。
幸せな陽光の降り注ぐこの場所で、永遠の愛を交わす恋人たちを、私は何度ここから見送ったんだろう。
バージンロードを臨む大きな扉の前に立ち、大きく息を吸い込んだ。
目を閉じると、アヴェ・マリアが聞えてくるようだった。


「なにやってんの、花井さん!」
夢の世界を打ち破るかのように、突然背後から怒鳴り声が聞えた。
「あ、瀬戸ちゃん。会場に飾る花の具合がうまくまとまらないって石田くんに聞いて」
「そんなことあなたがしなくていいの!」
怒ったように腕をつかまれて、私はそこから連れ出される。
ああ。
前を歩く瀬戸ちゃんの背中が怒ってる。
「ゴメンナサイ。なんか……じっとしていられなくて……」
「してられなくてもジッとしてて! 今日はなにもしなくていいから!」
瀬戸ちゃんに本気で叱られて、しゅんと肩をすぼめた。
だって。
じっとしてたら、胸がいっぱいで幸せに押し潰されそうなんだもの。


レストランに隣接された独立型のチャペルから引きずるように連れてこられたのは、控え室。
背中を押されて、そのまま大きな鏡の前に座らされた。
「津田さん。この子、脱走する可能性があるから、しっかり見張っててください」
「なにそれ。そんなことしないって……」
「うそおっしゃい! さっきから何度もいなくなってるくせに。忙しいんだから、これ以上手を焼かせないで!」 
私に強く釘を指して、瀬戸ちゃんは慌しく部屋を出て行った。
「ただでさえ式の前は忙しいのに、花井さんを探すことに時間を取られてたんじゃ、事が進まない」
ブツブツ、文句を呟きながら。
なんだか申し訳ない気分になる。
ごめんね、瀬戸ちゃん。

「なにかやってないと、落ち着かないんでしょう?」
鏡越しにスタイリストの津田さんが笑いかけた。
「みんな動いてるのに、私だけじっとしてるのが、どうしても落ち着かなくて……」
「あら。それはもう、職業病ね。花井さんらしいわ」
肩の上に優しくケープが乗せられた。
シフォンの生地が、ふわんと揺れて肩の上に広がる。
津田さんが、コットンを湿らせて私の顔のファンデーションを落としていく。
鏡に映る素顔になっていく自分をまるで他人事のように、私はぼんやりと見つめた。
こんなふうにここで、鏡の前に座ることさえ落ち着かなかった。
「安心して瀬戸さんに任せたらいいのよ。信頼できるプランナーでしょう? 最高の一日にしてくれるから。
その間に花井さんは、さっさと身支度を整えてしまいましょ。そしたらきっと、実感が湧くから」
鏡越しに柔らかく笑いかけられて、津田さんが素顔にベースの色を乗せた。
「はい。パウダー乗せるから、目瞑って──────」
言われるままに私は、素直に目を閉じる。
「このままいいって言うまで、目を閉じててね?」
ゆっくりと時間をかけて花嫁となる身支度。
津田さんの魔法の手によって、どんな女の子も清楚で愛らしく変身してくさまを、今まで何度も見てきた。




「──────世界一綺麗な、とびっきりの花嫁に仕上げてあげるから」


いつも津田さんが言うセリフだった。
瞼を閉じた向こうで、その言葉をぼんやりと聞いた。
それを私に言われてる実感が、まだない。
幸せすぎて地に足がつかず、ふわふわしてる感じ。
未だに、これは夢じゃないのかなと思ったりする。
吐き出す息が自分でも震えてるってわかるぐらいに、緊張もしていた。
ここに座った女の子達はみんな、こんなソワソワした気持ちだったのかな。

月明かりの下で受けた、ともひろのプロポーズから二年。
幸せに包まれて、私は今、ここにいる。
ともひろの花嫁になるために。



「……あら。爪、可愛くしてるわね」
「あ。これですか?」
軽く指を逸らせて見せた。
ネイルは朝早くから、麻生さんが綺麗に施してくれた。
ヘッドピースの薔薇の色にあわせて、白と淡いピンクの上に、パールがちりばめられた上品で可愛いネイル。
なんだか自分には可愛すぎて、くすぐったかった。
「……髪は思い切って短くしちゃったのね? 式の為に伸ばす花嫁さんは多くいるけど……、短いのも新鮮で可愛いわ。花井さんらしくて似合ってる」
今の私の髪は、ともひろと付き合い始めたころぐらいの長さ。
ちょうど肩で跳ねるぐらいの長さが、とわには可愛い。
短くしたのは、そう言って笑ってくれたともひろのため。
いつだって大好きな人の前では、一番綺麗な自分で在りたい。

ヘアメイクが終わったあと、ウエディングドレスに袖を通した。
「花井さんは肌も綺麗だし、スタイルもいいから、こういう肩を出すタイプのシンプルなドレスがよく似合うわね」
鏡越しに眩しく私を見つめながら、津田さんがため息をつく。
「酒井さんも、どういうのが彼女に似合うのか心得てる。……さすがね」
シフォンジョーゼットを使った柔らかなAラインの純白ドレスは、ともひろと一緒に選んだ。
ビスチェはショルダーストラップがない肩を出すタイプのシンプルなデザインで、胸元から切り替えたスカートラインには、シルクオーガンジーを透かして下から覗くレースが可憐な花のように彩を添えていた。
腰元には、柔らかなシフォン生地で作られたバラとリボンが添えられて、コードレースのトレーンが広がっている。
ヘッドピースには小さな白バラ。
ベールはレースをふんだんに使ったマリアベールを選んだ。
さすがにドレスに袖を通すと、実感がわいてきた。
ドキドキする。


「グローブとベールは直前につけてもらうから。とりあえず今は、これでおしまい」
トンと、優しく肩を叩かれた。
「式が始まるまでの間は、なるべく飲食は控えてね。どうしてもって言う場合は、飲み物だけOKだから。メイクが落ちるといけないからストローで」
「津田さん。私、全部わかってる」
「あ、そっか。ゴメンね、ついいつものクセで……」
両肩に優しく手を添えながら、鏡越しに津田さんが私の顔を覗き込んだ。
「……私の腕もなかなかのものね。完璧だわ」
「なんですか、それは」
自分の腕に満足して声を漏らす津田さんがおかしくて、笑ってしまう。
「うそうそ。冗談よ。私の技術なんて、花嫁に色を添える程度に過ぎないから。
花嫁を美しく輝かせるのはね、幸せのオーラなの。そういうの、花井さんからも出てる。ほんと………、ため息が出るくらい綺麗よ。おめでとう──────」
同僚にそんなふうに褒められて、私は照れくさくって笑った。



ひと通りの身支度を済ませてから、津田さんは席を外した。
手順や段取りをわかってるから、思った以上に準備の時間がかからなくて、暇を持て余してしまう。
することがなくなってしまえばまた、緊張が押し寄せてくる。
今日はまだ、ともひろに会っていないからなおさら落ち着かない。
「……えっと、坂田くんは大丈夫だったかな」
ブーケトニアに使う花の到着が遅れてるって聞いたけど。
誓約書はちゃんと準備したっけ? リングピローは?
ブライズメイドとアッシャーを鈴と金子くんに頼んだけれど、もう到着したかな。
瀬戸ちゃんは分かりやく説明してくれてる?
あれは? これは?
何かやってないと落ち着かないのはもう、職業病っていうよりも、緊張のしすぎだ。
『私達に任せて、花井さんは自分だけのことに集中して。幸せになることだけを考えればいいの!』
瀬戸ちゃんの言葉が頭をよぎる。
落ち着け。落ち着け。
ありきたりだけど、人という字を手のひらに書いて飲み込んだ。
ほんと、こんなことにでも頼らないと動悸が治まらない。
式を迎える前の花嫁さんはみんな、こんな気分だったのかな。
気を抜くと緊張と幸福感に飲まれて、涙がこぼれそうになる。
ダメダメ。
式が始まる前に、涙でメイクを崩すわけにはいかない。
気持ちを落ち着かせるために私は大きく深呼吸をして、膝の上で両手を組み合わせたまま目を閉じた。








「もしかして、緊張してんの?」


ふいに声を掛けられて、私はゆっくりと目を開けた。







「奏多──────」



振り向いた先には、黒のスーツに身を包んだ奏多。
ドアに手をかけたままの格好で、笑いながら私に意地悪な顔を向けていた。
「らしくないね。そんな強張った顔のとわさん、オレ、初めて見たよ」
「失礼ね。私だって、緊張ぐらいするわよ」
私のこと、どんな人間だと思ってんの。
「……わぁ。とわちゃん、すごく綺麗──────」
奏多の後ろから鈴が鳴るような声が聞えて、ひょこっと顔を覗かせたのは、リオコさん。
レース使いが上品な深い碧のマーメードラインのドレスに身を包んだリオコさんは、そっくりそのまま言葉をお返したくなるぐらい、可憐で綺麗だった。

「酒井さんは?」
「まだ。仕事が長引いて……、少し遅れるみたい」
「結婚式当日まで仕事かよ、あの人は」
「そういう人を好きになっちゃたんだから仕方ないわよね、とわちゃん」
リオコさんがわかったふうに笑う。
その横顔は、以前よりも少しふっくらしたように見えた。
顔色もすごくいい。


「……リオコさん、体の具合のほうは?」
「もうね、すっかりいいの。通院も投薬も、ほとんどなくなったし、順調よ。発作の心配のない生活って、こんなにも幸せで安らかなのね」
二ヶ月ほど前。
リオコさんは心臓の手術をした。
なかなか手術に踏み切れなかった彼女を決心させたのは、奏多だったと聞く。
手術の前もそのあとも、そばにはずっと、奏多が寄り添ってくれていたんだって。
恋人の関係ではないけれど、奏多とリオコさんはきっと、それ以上の絆で結ばれている。
「だからね今日は思う存分、歌えると思うの。楽しみにしていて」
リオコさんが嬉しそうに笑う。
挙式では、リオコさんが賛美歌を歌ってくれる。
それだけでもう、最高の式になる気がした。



「──────あ。酒井のおじ様が来られたみたい。私、ちょっと挨拶に行ってくるわね。またあとで」
窓の向こうに見えた車を見つけて、リオコさんが席を外した。
「奏多は行かなくていいの?」
「うちは父親同士は仲がいいけど、オレ自体は酒井さんの父親との面識はないよ。顔を合わせたときにでも、適当に挨拶するさ」
窓の向こうでリオコさんと話を交わす姿を目に映しながら、奏多が呟いた。
「ていうか、ここでよかったの? 結婚式。あの酒井の後継者が、こんな小さなレストランでウエディングなんてさ」
挙式だけはどうしても、職場のレストランでしたいという私の我がままをともひろは叶えてくれて、今日は身内と、ごくごく仲のいい友人だけを集めた式が行われる。
二日後には、仕事関係者や本家の親族を招いた大掛かりな披露宴が待ち構えてる。
それを思うと胃が痛くなるけれど、それでもすべてをともひろと一緒に、乗り越えていくって決めたから。
あの人の過去も未来も、全部受け止めるって。
ともひろがそばにいてくれるのなら、もう怖いものはなにもなかった。


「──────で。なに?」
「なにって?」
リオコさんが席を外しても、奏多は部屋から出て行く気配がなかった。
「残ってるから、私になにか用があるのかと思って」
「……ああ。
とわさんが暇を持て余してるから、話し相手になってこいって、瀬戸さんに言われたんだよ。ついでに余計な動きをしないか、行方不明にならないか見張っとけって。酒井さんが来るまで」
もう! 瀬戸ちゃんってば!
「なにか飲む?」
飲み物を入れるために奏多が立ち上がった。
その背中に声を掛けて、呼び止める。







「──────奏多。ありがとう」

「……なに?」





「ピアノ、引き受けてくれて」


式で使う賛美歌の伴奏もBGMも、すべて奏多が弾いてくれる。
ピアノの生演奏をお願いしたら、快く引き受けてくれた。
「べつに。断る理由はないだろ。仕事なんだし」
「なにそれ。かわいくない言い方」
「ていうかそっちこそ。俺なんかでよかったの? 挙式なら坂田さんだろ。場数踏んでるぶん、俺より雰囲気あると思うけど」
「経験値を求めてるわけじゃないのよ。奏多のピアノ、私はすごく好きなの………。だって響くから。いつも心に」
奏多が奏でるピアノの音色は、甘く心地のいいメロディ。
時に情熱的で、時に優しく。
心を強く揺さぶって、深いところに優しく響かせる。

「まあ、本人は生意気だけどね、でも、どんな有名なピアニストよりも、私は奏多のピアノが一番好きなの。
私達の未来に色を添えてくれる音は、奏多のピアノしか考えられなかった。私の心を奮わせてくれる音を出せるのは、あなただけだったから。ピアノを聴いて泣いたのも、感動したのも、奏多が初めて。
断られたら、何度でも頭を下げるつもりだったの。だから……ありがとう」
心からの感謝の気持ちを込めて、私は頭を下げた。
奏多が居心地が悪そうに顔をしかめて、手にしていたグラスを突きつけた。
ぶっきら棒な態度は、素直じゃない奏多の照れ隠し。


「そんな弾く前から、頭を下げられても困る。礼を言うならさ、無事すべてを弾き終わってからにして」
「うん。素敵な演奏、期待してる」

奏多が淹れてくれたアイスティに口をつけた。
冷たいものが喉を通る感覚に、すぅっと心が和らいで落ち着いてくる。
ふたり、特に何か言葉を交わすことなく、ぼんやりとした時間を送った。
ふと。
手元の楽譜に視線を落としていた奏多が、顔を上げる気配がした。
名前を呼ばれる。



「…………とわさん」

「うん?」


「……とわさんの心にオレの音色が響くのはさ、オレがここで弾いてきた曲が全部、ラブソングだったからだよ」




「うん。ラブソング……って、え?」

疑問を投げかけた私を笑って、奏多が視線を窓の向こうに移した。





「………雨だね」
奏多の言葉に同じように視線を移すと、さっきまで青空を覗かせていた空から、細い雨が降り始めていた。
狐の嫁入りだ。
「さっきまで晴れてたのに、とわさんて、ほんと」
「……なによ。どうせ私は、雨女ですよーだ」
私の疑問符は、突然降り始めた天気雨に、うまくはぐらかされた気がする。
「けどさ、結婚式の日に降る雨は縁起がいいんだろ? 雨を嘆く花嫁達にとわさん、よく言ってたじゃないか。『雨降って地固まるっていうでしょ? 雨だからといって落ち込まずに、神様からの祝福の雨なんだって前向きに考えてくださいね』って」
「確かにそれはよく言ったけど……。でもね、どうせならやっぱ晴れてる方がいいじゃない? 式当日に雨が降って喜ぶのは、縁起担ぎ好きなお年寄りとタクシー業界だけだと思うの」
一生に一度のハレ舞台が、雨模様じゃやっぱ悲しい。
ため息をこぼすように息を吐いて、ガラスの向こうの雨にそっと触れるように、手を置いた。
「早く上がってくれるといいけど……」


晴れ間を願うように窓の外を見つめていたら、ガラスに映った奏多が、じっとこちらを見てることに気づく。
「なに?」
「………いや、女って化けるなと思って」
「なによ……」
あまりにもじっと見つめてくるものだから、居心地の悪さに私は顔をしかめた。
「ホント、綺麗だね。とわさん。別人みたい」
「そりゃ、メイクはプロだから。ていうか、化けるってなによ? 普段の私はそんなにひどいわけ?」
「そんなこと言ってない。褒めてんだよ。一応」
「なによ、それ。褒めてくれるならもう少し言い方ってものがあるでしょ? 今日の主役に向かって言う台詞かしら」
失礼しちゃう。
拗ねてそっぽを向こうとしたら、私の顎がついと取られた。
指を掛けられて、奏多に顔を上げられる。


「──────嘘。すっげえキレイ。やっぱ酒井さんにあげんのが、惜しいくらい。このまま有名な映画のワンシーンみたいに、さらってしまおうか」
「冗談言わないで。なに言ってんの。第一、奏多が好きなのはリオコさんでしょう? 人の花嫁口説いてないで、ちゃんと本命を追いかけなさい。……ていうか。ほんと、奏多には騙されたわ。
ここでピアノを弾くよりも、劇団とかに入った方がいいんじゃない? 詐欺師とか、素でやれるわよ。奏多の本気を信じて、一瞬でも流されそうになった自分が、バカみたい」
私の言葉に、きょとんと。
奏多が一瞬目を丸くして、次の瞬間、吹き出した。

「………なによ? なんでそんなに笑うのよ?」
「いや、べつに。ていうか、一瞬でも流されてもいいって思ったんだ? なら、もっと押せばよかった」
「は? だから何言ってんの? 意味がわからない」
「わからなくていいよ。そのほうがきっと、幸せになれるから。
本当に綺麗だよ。今日のとわさん。今まで見てきた花嫁の中で、とわさんが一番綺麗だと思う。酒井さんにうんと幸せにしてもらって」
そう言いながら笑って、心から祝福してくれた奏多に、私は言った。
「ばかねえ、奏多。結婚は男の人に幸せにしてもらうんじゃないのよ? ふたりで一緒に幸せになるの。覚えておいて」
負ぶってもらう人生は嫌なの。
ちゃんと自分の足で歩いて、空いた右手で手を繋いで、ともひろと一緒に歩いて行きたい。


だって。
「とわ」に、「とも」に歩むって、そういうことでしょう?







「コラ。人のものにちょっかい出すんじゃない」
「──────ともひろ」
「ったく、油断も隙もないヤツめ。悪い、とわ。遅れて」

いつからそこにいたんだろう。
低く深い声に振り向けば、部屋の入り口に腕をかけて、ともひろが不機嫌な顔で立っていた。
視線で奏多を威圧してから、真っ直ぐにこちらに歩いてくる姿に思わず見とれた。
うっわ……。
本気でカッコイイ。
ともひろが身に纏うのは、光沢を放つパールホワイトのタキシード。
色合いは淡いけれど、ともひろが着ると甘くなりすぎない。
見た目、決してがっちりではないのに、実際は肩幅とか胸板とか逞しいから、こういった服を着ても違和感を感じさせない。
衣装に着せられてる感がない。
立ち方が綺麗で、重心がぶれてないから、本当に格好がいい。
白のタキシードを嫌味なく、ここまで颯爽と着こなせる人、初めてみた。
カフスボタンを留め直す仕草や、ネクタイを軽く緩める仕草まで、計算されたみたいに綺麗で、男のクセに色っぽくてドキドキする。
わー。
どうしよう、無性に抱きつきたい。



「──────城戸。オレより先に、花嫁を拝むとはどういうことだ。従業員の分際で。クレーム出すぞ」
「なに言ってんだよ、今さら。衣装選びのときも、衣装合わせのときも、とわさんのドレス姿なんか散々見てるくせに。つうかそのドレス、オーダーで作らせたんだろ? 式の前に一度、持って帰ったって聞いたけど……家でとわさんに着せて、何したんだよ。やらし」
「奏多……っ!!」
とんでもないことを言い出すから、思わず私は声を張り上げた。
ていうか。
なんで知ってんの!?
「赤くなってるってことは、心当たりがあるんだ? ふーん……」
「ち、ちが……っ!」
べつにそういうつもりで持って帰ったわけじゃない。
少し細身の7号サイズをオーダーしたから、それを着こなすためのダイエットの励みに、家に持って帰っただけなのだ。
一度着て見せたら、ともひろに火がついたのは事実だけど……。
あの日の熱い夜を思い出したら、ポーカーフェイスがつくろえないぐらい、顔が赤くなった。
ああ、まずい。
そういうことしたって、顔が主張しすぎだ。
「騒ぐな、とわ。お前はいちいち挑発に乗せられすぎだ」
だって! だって!!
的を得られたことと、その日のアレコレを思い出したらもう、ともひろの顔も、奏多の顔も、まともにみられなくなってしまって、私は顔を伏せた。

「ハイハイ。もう勝手にやれば。当てられる前に邪魔者は消えるから。気分悪くして、演奏に支障がでてもいけないし」
「もう…っ。奏多ってば…!」
「俺はこのまま席外すけど……酒井さん、花嫁のメイク崩すなよ?」
「余計なお世話だ。さっさと出てけ」
低い声で一喝、奏多を威圧してともひろが奏多を部屋から追い出した。





「……ったく。なにが花嫁のメイクを崩すな、だ。阿呆が」

心底迷惑そうに呟いてため息を落としたあと、ゆっくりと私を振り返った。
いつもより一層、凛々しい顔立ちが真っ直ぐに私を見つめてくる。
眼鏡越しに見えた涼しげな目元が、優しく細められた。








「………すごく、綺麗だ」


「ともひろも。似合ってる………」


照れ臭そうに。
けれどそれでも逸らすことはできない瞳を、お互い真っ直ぐに向けて、静かに笑い合う幸せな瞬間。
夢じゃないかって、手で触れてそっと現実を確かめたくなるほど、甘やかで優しくて、穏やかな時間は、幸せすぎて困ってしまうほど。
「ほんと……、人に見せるのがもったいないぐらい、綺麗だな」
緊張がともひろの笑顔ひとつで、解きほぐされていく。


「つか、これ。背中開きすぎじゃないのか? 肩も。無駄に肌見せすぎ」
「ともひろが選んだんじゃない。今さら文句言わないでよ」
「オレだけが見るならともかく、他のヤツも見るんだから、もうちょっと考えればよかった」
「人のものになる女に男は興味ないわよ。それに、背中はベールで隠れるから……って、こら!」
肩に触れてきた指が、ツと背中を撫でた。
そのまま軽く引き寄せられて、むき出しの肩にともひろがキスをする。
いつの間にやら腰に回った手が、私の体ごと強引に抱き寄せようとするから、腕の中に閉じ込められる前に、ググっとともひろの胸を押し返した。
「ダメ、ともひろ!」
「なんで? 人払いしてきたのに」
見上げた顔が、不機嫌に表情を歪めた。
「そういう問題じゃなくて……。メイクが落ちちゃう。ともひろの服だって、白だから汚れちゃうよ。髪だってぐちゃぐちゃに……」
小さく文句を呟いた唇に、軽く音を立てて、ともひろがキスをした。
「時間はまだある。崩れたら、直してもらえばいいだろ?」
間近で視線を絡ませてしまったら、もう最後。
逃げられなくなる。



「こんなにも綺麗な花嫁に、キスするなっていう方が、無理な話だ」

耳元で囁く深い声は、まるで媚薬。
甘い笑みを浮かべた唇が、誘うように目の前に。
「……もう。当日、抑えられる自信がないって言うから、持って帰ったんじゃない」
式よりも前にドレスを持ち帰った花嫁なんて、前代未聞だ。
「城戸が言い捨てた言葉の意味、すごくわかる。花嫁のメイク、崩すなって」
絡めた指に力を込めて、優しく引き寄せられた。
そっと目を閉じて、唇が重なる。
優しいキスを繰り返しながら、ともひろがゆるく私を抱きしめた。
髪に指を埋められて、優しく抱きしめられて、それでも、キスだけはやまない。
触れるだけだった軽いキスは、次第に角度を変えて深く。
いつの間にかふたり、息を乱すほどキスに溺れてしまう。


「………ダメ、ともひろ。これ以上は……なんか、のぼせそう」
「わかった。メイクも崩れるしな。つか、もう手遅れか」
唇を彩る鮮やかな色は、ともひろのキスですでにもう、拭い去られていた。
頬を撫でた手は指を滑らせて、裸になった唇をそっとなぞる。
「奏多に気づかれる前に、津田さんに直してもらわなきゃ。また嫌味言われちゃう」
「言わせとけばいいんだよ。見せ付けてやればいい。とわはもう、オレのものなんだって。それに、ああいう言葉が出てくるってことは、アイツも同じこと考えてたんだよ」
ともひろが笑った。


「……ねえ。誓いの言葉、覚えた?」
「もちろん覚えてる。 けど……、意外だったな。とわがチャペルじゃなく、人前式を選んだのが」

レストランに隣接した爽やかな緑の風を感じるチャペルは、十字架を取り外して自由なスタイルでの挙式が叶う。
神仏の代わりに列席者へ結婚を誓い、証人になってもらうというスタイルの人前式を私は選んだのだ。
自由なスタイルで、自分達らしい式。
バージンロードは、父親とじゃなく、ともひろと一緒に歩く。

「ずっと決めてたの。新しい未来への第一歩は、ともひろと一緒に歩むんだって。それにね、神様に永遠を誓うのじゃなくて、今日まで支えて見守ってくれた人たちに約束したいから。
絶対に幸せになりますって」
この先もずっと、この人と共にあるって。
ともに、歩んでくって。












控え室のドアがノックされた。
「お式の準備が整いました。皆さま着席されてます。出発できますか?」
顔を覗かせた瀬戸ちゃんに、確認の声をかけられる。
「……さて。行くとしますか」
お姫様のようにともひろが差し出した手にエスコートされて、椅子から立ち上がった。



チャペルまでの道のりをゆっくり、ゆっくり、ふたりで今までの過去を思い出すように歩いた。
出会い、共に過ごし、一時は別れたけれど、また共に在る今。
目を閉じれば瞼の向こうに、ふたりの思い出が昨日の出来事のように、思い出される。
あの頃の私は、こんなふうにともひろと歩く未来を、想像できただろうか。
できなかった。
できなかったけれど、本当はずっとずっと、この幸せを望んでたんだと思う。
ともひろの手を取った時点で、彼のいない未来なんてもう、考えられなかった。
繋いだ手からぬくもりが伝わる。
あまりに幸せすぎて、感情が追い付かない。
高ぶる気持ちが抑えられなくなって、未来への扉が開く前に、耐えられない思いがしゃくりあげてしまう。
それに気付いたともひろが、そっと肩を抱き寄せてくれた。


「泣くなよ」
「だ、……っ」

こぼれた涙をともひろの指が優しく拭う。
「あとで、たくさん泣いていいから。たくさん抱きしめてやるから。今は、とにかく笑え」
隣で微笑んでくれる人は、優しくて心強くて、温かい。
いつもいつも支えてくれた大好きな人。
「……うん」
頷くと、再び涙が滲んだ。







大きな扉の前に立つ。
この扉の向こうには、壁も天井も、骨組み以外はすべてガラスで覆われた、開放感溢れる空間が広がっている。
爽やかな緑と、青空と、降り注ぐ陽の光。
晴れていれば、最高のロケーションだ。
プランナーの瀬戸ちゃんから、最終確認と式の流れを簡単に説明される。
扉が開くまで、このまま待機だ。


「……ねえ、ともひろ」
「うん?」
「雨、降ってたけど、もうやんでるかな」

チャペルまでの道は窓もない大理石の壁に覆われていて、天気がわからなかった。
扉を開けた瞬間、雨じゃないことを心から願う。


「とわは雨女だからな。式当日は絶対、雨になるって思ってたよ」
「もう。ともひろまでそういうことを言う。さっき奏多にも、同じコトを言われたのに……」
拗ねて唇をすぼめた私を、ともひろが笑う。




「オレ、結構雨、好きだけど? 雨が降る前の匂いとか、雨が降るときの音とか。すごく落ち着く」
「前にもそんなこと言ってたね。なんで?」
理由を聞いた気がするけど、ともひろは教えてくれなかった。

「雨が降るときにはさ、かならずそばに、とわがいるから。オレにとって雨の思い出は、全部とわなんだよ」
「……なにそれ。あまり嬉しくないんだけど………」
連想してもらうなら、雨よりも青空の方がいいもの。
「…ははっ。それはそうだけど。でもほんと、雨も悪いことばかりじゃない。だって──────」
「もうすぐ、入場になります。よろしいですね?」
瀬戸ちゃんが式の開始を確認したことで、ともひろの言葉が中断された。



扉の向こうから静かに、奏多のピアノの音色が聞えてくる。
ゆっくりと未来への扉が開かれる中で。
ともひろがそっと、私の耳元で囁いた。










「……とわ。雨上がりにはさ、ほら」







遥か彼方に虹が見える──────。







大きく開かれた扉の向こう。
目の前に広がったのは、数え切れない祝福の笑顔と、泣きたいぐらい青空。
雨上がりの空に美しく現れる七色の虹が、雨粒をキラキラと反射させた窓の向こうに輝いて、私の心を強く奮わせた。











それはまるで、とわの彼方の未来に続くような、七色の希望の架け橋。


感動に見上げた私に、ともひろが笑った。







「──────な。雨も悪くないだろ?」















とわの彼方に




〜 FIN 〜








* あとがき *


2007年から連載を始めて、約3年。
ようやくとわを幸せにしてやることができて、ホッとしています。

『とわの彼方に』は、『魔法のコトバ*』と違って、いただくコメントがとても熱くリアルで、読むたびに一喜一憂させてもらいました。
ともひろ派、奏多派。
どちらを支持するかによって、コメントの内容がまっぷたつ!
婚約者の存在を暴露した辺りのともひろに対するコメントは、ホント、恨みがこもって怖かった〜(笑)
後半戦で、ともひろの支持率は取り戻せるのか!?
あの当時の私の悩みの種でした(笑)
もちろん十人十色、人の好みはそれぞれ違うにしても、私の中でとわを幸せにするのはともひろだと、最初から決まっていましたので、正直辛かったのがあの当時の本音です。
やっぱり「キライ」と言われるよりも「スキ」と言われるほうが嬉しいですもの。
でも皆さま、とわの視点で感情移入してくださっているからこそのご意見。
コメントを読みながらしみじみ痛感させていただきました。
書き手をわくわくさせてくれるたくさんのコメントに、本当に本当に感謝です。



タイトルの意味。
話のラストで、ご理解いただけましたでしょうか?
「タイトルの中に”かなた”とあるので、最終的には奏多とくっつくのでしょうか?」
連載中にその類のコメントを、何度いただいたことか。
タイトルに惑わされた方、本当に期待を裏切ってごめんなさい。
作者としてはしてやったりです(笑)
奏多の名前の由来は、タイトルからではなく、読んで字のごとく『多くを奏でる人』。
ピアノ弾きなのも、ラストで奏多に弾いて欲しい曲があったから。
コブクロの『永遠に ともに』。
大好きで、大好きで。
ラストは絶対にこの曲が似合う終わり方で、と決めていました。
バージンロードを歩むとき、指輪を交換し合うとき、奏多にぜひ奏でてもらいたい。
とわとともひろの名前も、実はこの曲から来ていたりしています。
某芸能人のおかげで、ご存知の方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、本当に素敵な曲です。
機会があればぜひ、この曲を聴きながら余韻に浸ってもらえると嬉しいです。


このふたりでの続編は考えておりません。
けれど、プロポーズからラストまでの空白の二年の間のエピソードを、実はもういくつか書いてます。
本編に組み込もうかどうしようか迷ったけれど、ないほうがキレイなので外したエピソード。
近いうちに更新できるかと思います。
そのときはまた、温かく見守ってやってください。
内容は、間違いなく甘いです(笑)


それでは、長々と書きましたが、これにて『とわの彼方に』は終了です。
こんなところまで読んで頂いて、ありがとうございました。
よろしければ感想、足跡など何でも残していただけると、とても幸せです。
今後とも『RS NOVELS』をよろしくお願いします。
本当に本当に、ありがとうございました!


Presented by RIKU*SORATA *『とわの彼方に』






* END *






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* おまけ *

もうこの際、陣内×則香カップルは置いといて(笑)。
ぜひとも奏多に挙式で弾いてほしい、コブクロの『永遠にともに』。
やっぱり名曲です。泣ける。




とわの彼方に 2 comments(22) -
言葉にできない 11



ともひろが何度も、私の名前を呼ぶ。
ひっそりと囁くような、深い声で。
その声だけで胸の奥がきゅっとなって、何も考えられなくなる。
もう何時間、ベッドの上にいるのかわからなかった。
絡めた指に自由を奪われて、吐息が声になって部屋中に響く。
聞いたことのないような自分の声が聞えるたびに、頭の中が真っ白に弾け飛びそうになる。
ぼんやりと明かりの滲んだ天井を見上げて、愛しい人の名前を何度も繰り返した。
体中が、熱い──────。








目が覚めたときはもう、午後だった。
ともひろのマンションに帰宅したのは深夜二時を回っていたし、眠りに付いたのがほとんど朝に近い時間だったから、仕方ない。
低血圧の私にしてみれば、夕方まで寝てしまわなかったのが奇跡だ。
いつの間にかけてくれたんだろう。
胸元には素肌を隠すようにともひろのシャツで柔らかく包まれて、そのまま私を頭から抱きかかえるように、ともひろが穏やかな寝息を立てていた。
ほとんど気を失うように眠りについたから、なにも身に着けずに眠ってしまったのに……。
ともひろの優しさに、自然と笑みがこぼれた。
………わ。
私、ともひろの寝顔って初めてかも。
抱かれたあとはいつも気を失うように眠ってしまうし、起きるのだってともひろの方が先だから、それを今までほとんど見たことがなかった。
やだ。
ちょっと可愛いかも……。

そっと触れて、嬉しくなる。

こうやって目を閉じてると、鋭く凛々しい目元が柔らかく結ばれて、あどけない印象を受ける。
眼鏡をかけてないともひろも新鮮だった。
そっと触れて、嬉しくなる。
髪を撫でても、頬に触れても、ともひろは身じろぎひとつしなかった。
よほど疲れてるんだろう。
こんな安心しきった寝顔を見せられたらもう、たまらなく愛しくなる。


がっちり腰に回った腕は力強くて、びくともしなかった。
なんて力。
見た目インテリのクセに、体だけはしっかり体育会系。
バレーボールをやめてからとくべつ体を鍛えてるふうでもなかったのに、筋肉ばかりが逞しくて嫌になる。
ていうか、正直羨ましい。
私の二の腕なんて、ゴムボールみたいにぷよぷよなのに。
腕、重っ。
ともひろが目を覚ますまで、がっちり抱きしめられた腕の中からは、抜け出せそうになかった。
諦めておとなしくまた、ともひろの腕に納まった。

キスしたら………、さすがに起きるかな。
触れるか触れないかの弱さで、起こさないように頬に触れた。
指の位置をずらして、そっと唇に触れてみる。
朝まで入れてくれた暖房のせいで、少しカサカサしていたけれど、ともひろの唇は男のクセに驚くほど柔らかかった。
この唇でいつも、私に熱を与えてくれる──────。
ついさっきまで、ベッドの上で抱き合ってたともひろを思い出すと、カッと頬が燃えた。
熱っぽく見つめてくる眼差しも、舌で唇を湿らせる何気ない仕草も、薄闇の中でヤバいくらい男らしくて色っぽかった。
……やだな、私。
あんなに昨日、さんざんベッドで抱き合って、飽きるほどにキスをくれたのに。
どんだけ欲求不満なんだ、女のくせに。
それでも今すぐに、ともひろにキスしたい衝動は抑えきれなくて。
肩に手を添えて、緩く結ばれた口元にゆっくりと唇を押し当てた。
ともひろが起きてしまわないように、そっと。そっと……。
眠っているのか寝ぼけているのか、結んだ唇の口角が軽く上がって、微笑んでるように見えた。
目を閉じていてもともひろは、格好良かった。
見てるだけでドキドキする。





「………もうこんなふうに、無防備な寝顔を他の女の子に見せたりしないでよね」


寝顔にそっと呟いたら。






「見せないよ。つか、お前以外の女に見せた記憶がない」


返事が返ってきて、ぎょっとした。
体を仰け反らした反動で、ベッドの淵で頭をぶつけそうになった私を、ともひろが抱きとめる。
動揺のあまりテンパってしまった私を腕の中で見下ろして、ともひろが喉の奥でくっと笑いを噛締めた。


「なにやってんだ」
「それはこっちのセリフっ! ともひろ、いつから起きて」
「とわがキスをくれたときに、目が覚めた。次は何をやってくれるのか、期待してたんだけど……もうおしまい?」
「起きてるなら言ってよ! 意地悪ッ」
うーっ。
あまりにも恥ずかしすぎるじゃないの……っ。
寝込みを襲ってしまったせいで、まともに顔が見られなくなって、せめて顔だけでもとそっぽを向こうとしたら。
顎に指をかけられて、止められた。
軽く添えられただけなのに、顔を背けることさえ叶わなくて、それが悔しくってともひろを睨みつけた。
ともひろが私を見下ろして、意地悪く笑う。
「昨日のじゃ、足りなかった?」
前触れもなく、ぺろりと唇を舐められて、ますます顔が真っ赤になった。
そんな私をまたくっと笑って、ともひろが顎から指をはずした手で優しく頬を撫でた。



「……熱は?」
「わかんない。計ってないけど……たぶん下がったと思う」
「ほんとか?」

熱を確かめようとするから、てっきりおでこを触ってくるかと思ったのに。
くるんと抱きしめられてた体が反転されて、その上に軽く、ともひろが乗っかかってきた。
え?
と思ってるうちに、唇が塞がれて滑らかに舌を割り込まれた。



「んぅ…──────ッ」

軽く結んでた唇を舌でこじあけられて、貪るようにキスをされた。
舌を奥まで含まされて、濡れた感触に一瞬、腰が浮く。
根元から舌を強く吸われる感覚に、目の奥が白くぼやけた。
味わうように舌を絡まされて、口内の熱を探られる。
苦しさにこぼれた私の声も甘い吐息も、すべてを飲み込むように、ともひろがキスを繰り返した。



「……本当に下がったみたいだな。昨日のキスのほうが、熱かった」
キスで濡れた唇をペロリと舐めて、表情ひとつ変えず、そんなことを平然と言う。
「……ッ、バカ……っ!」
キスで熱を計るだなんて。
そんなバカップルみたいなノロケ話、絶対誰にも話せない。
「だって。寝込みを襲うほど、キス、したかったんだろ?」
まだそんな甘ったるいことを言うから、ぱくぱくと金魚みたいに開いた口が塞がらない。
ベッドの上に私を組み敷いた状態で、ともひろが真上から見下ろした。
「………もっとする?」
耳元に息を吹き込むように囁かれた。
そのまま耳朶を柔く噛まれて、意識した体がビクンと震えた。
もう、やだ……。
そんな熱を帯びた色っぽい声で誘われたら、NOなんて言えなくなる。
返事の代りに手を伸ばして唇に触れた。
いつになく素直な私を少し笑ってからともひろは、もう降参って、私が苦しさともどかしさで泣き顔になるまで、キスをし続けた。







「………何時だ?」
ようやく私をキスから開放したともひろが、サイドテーブルの眼鏡に手を伸ばした。
「何時って……もうとっくに午後の2時を回ってるよ」
「……うそだろ」
「仕事だった?」
急いで体を起こそうとした私の腕が取られて、再びベッドの中へと連れ戻される。
「いや大丈夫。今日は休みだから。ただ時間に驚いただけだ。
とわこそ平気なのか? レストランは、日曜こそ仕事だろ?」
「それがね、運よく今日は月一の日曜休みなのよ。なんていうか……こうなることが運命だったみたいなシフトだよね?」
まるでこの日の朝をともひろと迎えられるのが、決まっていたように。



「……じゃあまだ、ゆっくりできるな」

ともひろが嬉しそうに笑って、私を抱きしめた。
鎖骨を辿って下りてきた指先に胸元をはだけられて、裸の胸にともひろが顔を埋める。
吐息が谷間を撫でてく感覚がくすぐったい。
笑い合いながら、お互いの体温に安心する。

「ともひろ、よく寝てたね……」
「ああ。気持ちよく、こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりだ。気持ちにも時間にも、ずっと余裕がなかったから………」
「私も夢を見ないで眠れたのは久しぶり」
「夢?」
「ともひろと別れてからずっとね、夜中に夢を見て目が覚めるの。あの日、ともひろと別れた日の雨の滑走路が何度も夢に出てきて……現実との区別がつかなくて、怖かった。
これでも私、意外とナイーブなんだからね。ちゃんと大事にしてよね?」
笑いながら言うと、ともひろが真顔で抱きしめてくれた。




「絶対、大事にする──────」

きつく抱きしめてくれる腕の強さが、夢じゃない現実を教えてくれる。
壊れやすいものを抱きかかえるように、優しく胸に抱きとめてくれるともひろの、緩やかな鼓動をそばに感じた。
確かにここにある幸福にまた、泣きそうになった。


そのあと。
ともひろの腕の中でまどろみながら、たくさん話をした。
遅めのブランチをふたりで取ったあと、お風呂にも一緒に入った。
結局、そのあとも夕方近くになるまで私は。
ともひろの腕の中からなかなか、出してもらえなかった。
とにかく、なにもかもが幸せだった。













夕刻。
もう一度シャワーを浴びなおしてから、ともひろと一緒にリオコさんのお見舞いに行った。
私がともひろとそろって顔を出したことに、とても喜んでくれたリオコさんの顔色は良く、検査の結果も良好で、明日には退院できると聞いた。
よかった。


「──────それで、あの。桜庭さん。契約の方はどうしましょう? その、婚約パーティの。破棄でいいんですよね?」
昨晩もずっと気になってはいたけど、ともひろには聞けなかった。
もう、必要ないんだよね?
「婚約……パーティ? 誰の?」
すぐ隣にいたともひろが、ピクリ。
片眉を上げる。
「え? 誰の、って……ともひろと、リオコさんのに決まってるじゃない」
大きな溜息と共に、ともひろが額を押さえた。


「………桜庭さん」
「なあに?」
「オレに分かるように、全部説明してください」
「あーら。怖い顔。なにをそんなに怒ってるのよ。ほんの少しの悪戯じゃない」
「ほんの少し?」
ピクリ。
再び眉が上がって、ともひろの目が鋭さを増した。
リオコさんはそんなのお構いなしに、微笑んでる。
横顔が愉しそうにみえるのは、気のせい?
「……ねえ。なんのこと?」
ともひろがなにをそんなに怒っているのか、話が見えてこなくて。
ふたりの会話に割り入るように、ともひろのシャツの袖を引っ張った。
すぐ隣でともひろが、呆れたような深い溜息をついた。


「婚約パーティなんて、オレは聞いてない」
「え……? それ、どういう」
「オレには桜庭の謝恩パーティで会場を借りるからつっといて、資料取りに行かせたんだ。
おかしいと思ったんだよ。大事な取引先とのパーテーィを普通のレストランでするなんて。それに加えて、関係のないオレの名前を貸してくれだの、資料を取りに行けだの。とわはとわで担当とか、決め事とかいうし。部外者のオレになんの相談してんだって、ずっと腑に落ちなかったんだ」
「じゃあ………」
「オレらは彼女の嘘に、まんまと踊らされてたんだよ」










………うそでしょ?


あまりの驚きにテンポ遅れて、弾かれたようにリオコさんを振り返ったら、にこりと優雅に笑いかけられた。
悪戯が成功した子どものように、反省の見られない愉しそうな顔。
そんな笑顔を見せられたら、責める気も失せちゃう。
「全部……あれは、嘘だった、の……?」
あのときの胸の痛みも切なさも、涙も、この人に踊らされてただけ?
なんてこと!
思わず力が抜けてその場に座り込みそうになったのを、ともひろの腕に支えられた。
「あら、大丈夫?」
心配してくれるその顔でさえ、嬉しそうだった。



「……ったく。なんで、そんなことを」
「だって……。実際に会って、話をしてみたかったんですもの。あなたが惚れ込んでる彼女に。
まあ……、いろいろと人脈を使って調べてはいたけど、聞くのと会うのは違うじゃない? 紙面上でなく、ちゃんと彼女を見定めてみたかったの」
紙面上って……。
いわゆる探偵とかそういうのを使って、私は調べられてたわけ?
プライベートも身の上も全部?
うっわー!
なんか昼ドラみたいだ。
今さらながらそんなことができる、この人の権力が怖くなって、私は苦笑いしか返せなかった。

「他にもいろいろ考えたのよ? 偶然を装って近づいて、仲良くなろうとか、友達になろうとか……。でも、どうせなら、一番効果的な方法で近づいてやろうと思って。花井さんの気持ちも確認しておきたかったし。
ちょっと意地悪してやりたかったのよ。こんなにも酒井に愛されているのに、それにちっとも気づかないおバカさんに。少しぐらいはいいじゃない? 誰とでも自由に恋愛できる権利を持ってるくせに、なんであなたみたいな普通の子が酒井くんを持ってちゃうのよって、腹が立ったの。
お陰でお尻に火がついたでしょう? 感謝されても怒られる筋合いはないわ」
ついとそっぽを向いて、きれいな唇を尖らせる。
今さら気づいたけれど、この人って見た目と違って、案外こどもっぽい。
子どもがそのまま大人になった感じだ。

「じゃあ、その指輪は………」
リオコさんの左の薬指にはまだ、キラキラの未来の象徴が輝いていた。
「あーら。この程度の指輪、エンゲージリングでなくても持ってるわ。いくらでも。薬指にはめてけばリアリティが増すでしょ?」
「桜庭さん、あなたって人は……」
頭が痛いとでもいうように、ともひろが額に手を当てた。



「つうか、とわもとわだ」
「アイタ…っ」
軽く指で小突かれる。


「大体、婚約披露パーティやるなら、あんなしょぼいレストランでやるか。うちは老舗だぞ?
まずあの程度の広さじゃあ、人は入らん。普通に考えたらわかることだろ」
「あ、そっか……」
じゃない!
しょぼいレストランなんて言わないで。
私はあの職場をすごく気に入ってるし、自分が結婚するときは絶対あそこだって思ってるのに。


「じゃあ……。契約はなかったことにしても、いいのね?」
「ああ。そうしてくれ。キャンセル料は、酒井の方で払うから」
「あら。いいじゃない、そのままで」
「は?」
私とともひろの声が被った。
「いっそのこと、よりが戻りましたとでも公表すれば? 酒井くん、言ってたじゃない。仕事のめどがついたら、彼女に──────」
「桜庭さん!」
突然、ともひろが声を荒げるからびっくりした。
鳥がさえずるような綺麗な声に低い怒鳴り声が被さってしまって、話の後半はよく聞こえなかった。
ともひろに軽く睨まれて、リオコさんが口を噤む。
それ以上はなにも言わなかった。
度が過ぎたとでもいうような、反省の顔色。
この人を視線ひとつで黙らせるんだから、ともひろはすごい。

「……ったく。突拍子もないあなたの性格には付き合いきれない。勘弁してくれ。
大人しそうに見えて、いつもやることが大胆だから」
この二年、散々振り回されたんだろう。
ともひろが心底まいったように溜息をつく。
いつだって余裕のあるともひろを参らせてしまうリオコさんも、ある意味スゴイ。
ふたりのやり取りがおかしくって、思わず声を立てて笑ってしまう。



「……でもほんと、キャンセルはしないで」
「まだそんなことを──────」
「私に考えがあるの」
「……考え? また、どえらいことを言い出すんじゃないだろうな?」


ともひろの少し嫌味を込めた言葉をものともせず、リオコさんが綺麗に笑った。




「花井さん。会場と一緒に、奏多くんもお借りできるかしら?
できればあなたにも、スタッフとしてじゃなく友人という形で、出席してもらえたらと思うのだけど──────」


















結局。
11月に予定していた、ともひろとリオコさんの婚約パーティは、キャンセルになって。
代りに、リオコさんがその日レストランを使って、ミニコンサートを開いた。
招待客は、過去リオコさんや奏多がお世話になっていた病院関係者の方々。
もちろんチケットなんて取らなくて、ただ聴いてもらいたいという思いで、彼女は人を集めた。
年末の近い忙しい中でも、たくさんの人が彼女の歌声を聴くために足を運び、感動に胸を奮わせた。
彼女のピアノ伴奏を務めたのは奏多だった。
奏多は、真相がわかった今でも店でピアノを弾いてくれている。
過去の奏多の行動が、すべてリオコさんのためであったとしても、私はそれでも彼のピアノが好きだった。
リオコさんからもらったという奏多の音色は、いつも甘く切なく胸に響く。
これからもずっと素敵な音を響かせてほしい、聴かせてほしい。
そう言ったら、奏多が嬉しそうに笑ってくれた。





「………素敵だったね。リオコさんの歌も、奏多のピアノも」

いつまでも耳に残る余韻に、うっとりと顔を緩ませながら店を出た。
季節は秋を見送って、冬になろうとしていた。
外に出ると室内との温度差で、ぶるっと体が震えた。
思わずくしゅんと鼻を鳴らしたら、ともひろが首からかけていたマフラーでそっと体を包んでくれた。
「ったく。そんな薄着してるから……」
口調はどこか呆れてるのに、目元は優しく笑っていて、自然に私も笑顔になる。
ともひろが私の手を取って指を絡めた。
手を繋いだままポケットの中に突っ込んで、ぬくもりを分けてくれる。
あったかい。


「ていうか……ともひろ? 何か言うことないの? 私、すごく緊張したんですけど……」
すぐ隣を歩く背の高い恋人を軽く睨みつけた。
「……なんでお前が緊張するんだよ? ピアノを弾くわけでもないのに」
「そっちじゃないよ。お父さん! どうして言ってくれなかったの?」

会場はピアノを中央に囲んでコの字型に客席が作られていていた。
向いの席に、素敵な紳士が座ってると思ったの。
仕立てのいいスーツを颯爽と着こなして、知的な雰囲気の、年齢を重ねた大人の魅力が滲む男の人。
格好良かった。
隣にともひろがいるのに、他の男の人に目が行くなんてダメな気がして、出来るだけ意識しないようにはしていたけれど……ちょっと見惚れた。
座ってるだけでも目を惹く、圧倒的な存在感のある人だった。
その人がまさか、ともひろのお父さんだったなんて──────。

とくべつ何かを話したり、一緒に食事をしたわけじゃない。
帰り際に少し、挨拶をされただけだ。
突然前触れもなく、向こうから声を掛けてきて、紹介されて。
心臓、止るかと思った。
生きた心地がしなかった。
「桜庭グループのお嬢さんの歌声を一度、生で聴いてみたくてね」
ともひろのお父さんはそんなふうに笑ったけど、それはきっと表向きの理由。
本当の目的はきっと、私。
大事な時期跡取りが、どんな女と付き合ってるのか、見に来たに決まってる。


「忙しい人だから、来れるかどうかわからなかったんだよ。来るって聞いてて来れなかったら、がっかりするだろ? 
ていうか身構えてほしくなかったんだよ。ありのままのとわを見てほしかったから……。
可愛らしいお嬢さんだな、って言ってたよ。とわのこと」
「……いつの間に話したの?」
紹介されたのは演奏が終わってからだったし、そのときは私も一緒にいた。
「煙草で席をはずしただろ? そのときだよ。
今度また、食事でもしようって。ゆっくり話をしてみたいって、とわと」
それって認められたってことなのかな。
ともひろの彼女として。
ていうか、もうすぐ25になろうかという女をつかまえて、可愛らしいはあまりいい褒め言葉じゃない。
子どもや小さな犬や猫を見て声を上げる、それと同じレベルな気がする。
目の前で美声を響かせる綺麗な歌姫と見比べたら、私なんてそれぐらいが妥当なんだろうけど。
うーっ。
ますます言ってくれなかったともひろが憎らしくなる。
涙目で睨みつけたらつけたら、ともひろが首を傾げた。
「なんでむくれてんだよ?」
「……だって……。言ってくれればもう少し、大人っぽい格好してきたのに……」
メイクだって、髪型だって。
もっとともひろに釣り合うように頑張ってきたのに。
「──────とわは今のままで、十分綺麗だよ」
私の言いたいことを理解してくれたのか、拗ねて尖らせた唇に、ともひろが笑いながらキスをくれた。





「明日からまた一週間、仕事だね……」

少しでも長く、同じ時間を共有したくて、ともひろは帰りはいつもどこかのパーキングに車を置いて、自宅までは歩いて送ってくれる。
吐く息が白かった。
もうすぐ12月が来る。
年末が近づくと、お互い仕事が忙しくなってしまう。
まだ自宅から通勤していた私は、仕事のある日はともひろに会えなかった。
ともひろだって、仕事で家を空けることが多いから、会いに行けたとしても会えないのが現状だ。
以前みたいに不安に捕らわれることはなくなったけど、正直……会える時間が少ないのは寂しかった。


「明日からはしばらく名古屋だっけ?」
「ああ」
「どのくらい滞在するの?」
「今回は五日。帰ったらその足で、とわに会いに来るから」
「だったら───今度は私が行く。だって………、ともひろが家にいる日ぐらいは、ずっと朝まで一緒にいたいじゃない? 仕事もマンションから行く。頑張って早起きするから」
私の言葉にともひろが顔を緩ませた。
───あ。
「朝までずっとっていうのは、そういう意味じゃないからね!」
「なーんだ。誘われてんのかと思ったのに」
伸ばしてきた手に、横髪を耳に掛けられた。
「ばっ、ちが……っ」
真っ赤になって言い返したけれど、態度が言葉を裏切ってる。
嘘をつけない不憫な癖。
も、やだ……っ。



「…………本当に、そういう意味じゃない?」

右手の親指を、耳元からゆっくりと滑らせ、唇の輪郭を確かめるようにともひろが撫でた。
官能をくすぐるような触れ方に、思わず声がこぼれそうになる。
「とわ?」
耳元で誘うように囁かれる優しい声色。
ときどきともひろは、こんなふうにキスを焦らす。
私がもう、愛してたまらないのをちゃんと知ってるから……ずるい。
ともひろに抱きついて胸元に額を押し付けた。
「…………そういう意味よ、バカ…っ。そんなのとっくにわかってるくせに…」
堪忍したように呟くと。
「分かってたけど…言わせたかったんだよ」
満足そうに笑ったともひろの唇が、そのまま降ってくる。
こんなふうに意地悪なともひろも、本当は大好きだった。
調子に乗られると困るから、そんなこと、口が裂けても言えないけど……。




「じゃあ……五日後、迎えに行くから」
「うん」
「ちゃんと電話もするし、メールも入れる」
「………うん」
「なんかオレら……遠恋してるみたいだな。べつに会えない距離じゃないのに……」
あまりに離れていた時間が長すぎて、一度寄り添ってしまったら、離れるのがどうしても寂しすぎた。
見送るのも、見送られるのも切なくてダメだった。
最近、涙腺ゆるくて……。
ダメだな、私。
心配させたくなくて笑って見せたら、ともひろが手を握ってきた。
フッと眼鏡の奥の瞳を緩めて、笑いかける。



「……なあ、とわ。今度こそ本当に、一緒に住まないか?」
「え?」
「今すぐじゃなくていい。仕事の都合もあるだろうし……少し、考えてみてくれないか?」
ポンと。
何かで頭を叩れた。
それを目の前に差し出される。



「なにこれ……」
「一緒に住むための大事なものが入ってるから」
「あ……。鍵?」
ともひろは答えをくれなかった。
「決心ついたら、開けてみて」
答えの代わりに笑顔をくれて、額にそっとキスを落としていった。
「おやすみ」
優しく頬を撫でたあと、もと来た道を戻って行く。


手元に残されたのは、見覚えのある封筒だった。
昔、付き合ってた頃、いつもともひろが合鍵をポストに残すときに使用していたワインレッドの封筒。
懐かしい。
ていうか、鍵。
あれからずっと、大事にしまっておいてくれたんだ。
それを思うと心の奥がほっこりあったかくなる。
決心がついたら開けてみて、か。
ちょっと……覗いてみるぐらいはいいよね?
私はそっと封を開けた。












「……え?」




一瞬、息が止る。












ちょっと──────、待って。これ、鍵じゃない。








「……うそ、ともひろ!?」

急いで追いかけた。
ともひろはいつも車に乗り込む前に、車外で煙草を一本吸う。
走れば間に合う。追いつけない距離じゃないから。
ちゃんと聞きたい。
今日でなきゃ、今じゃなきゃだめな気がして、私は必死に追いかけた。





ともひろはあまり、遠くには行ってなかった。
少し先にある公園の入り口の花壇の縁に腰掛けて、珍しくそこで煙草を吸ってたから。
「…………もう開けたのか? 決心ついたら、つったのに。せっかちだなぁ」
まるで私が追いかけてくるのがわかってたような口ぶりで、柔らかく目を細めて私を見上げた。
絶対、確信犯だ。
簡単に覗けるように封をしてなかったのも、私の問いかけにわざと答えてくれなかったのも。
私の性格をわかっているから。
だから──────。


「こんな高いもの、鍵を入れるみたいに簡単に封筒に入れないでよ……!」
思わず怒鳴った。
「だって、これ…! 一緒に住もうって……!」
言葉がうまく繋がらない。
自分でもなにを言おうとしているのか、わけがわからないぐらいに、めちゃくちゃだった。
言葉にしようとすると、どうしてもそれが涙に変わる。
苦しくなって、そのまま乱暴にともひろに封筒を突きつけた。





「返す。こんなの、受け取れない」







「………それは、オレじゃ駄目ってことか?」




ともひろの言葉に、大きく首を横に振った。
受け取れない意味が違う。










「試すみたいなこと……しないで。遠まわしなことはやめてよ。そんな大事なこと、ちゃんと言ってよ。言葉で……っ」






「……言ってもいいのか? 口にしたらオレ、もう絶対NOなんて言わせないけど」


「でも、ちゃんと言って? 言ってくれなきゃわかんない、ちゃんと言葉にしてくれないとわからないから。
ともひろの言葉で、ともひろの口からその言葉を聞きたいの……」



レンズ越しに見えた鋭い目が優しく細くなって、伸ばしてきた手にそっと腕をつかまれた。
引き寄せられて、膝の間に体を捕らわれる。
そっと優しく手を取られて指を撫でられた。
触れたのは左の薬指。
ともひろが真っ直ぐに私を見上げた。
真摯な瞳で。







「──────とわ。オレと一緒に住もう。結婚しよう、オレと。
もちろんすぐじゃなくていい。だけど、確かな約束が欲しいから。覚悟、決めてほしい。これからの人生、オレと生きてくって。これからもずっと、永遠(とわ)に、ともに、歩いてくれるって」






「………うん」


「うんだけじゃわからない。オレにはちゃんと、言葉にしろって言ったくせに」






「だ、って………っ」




あまりに幸せすぎて、言葉にならないんだもの。
想いが声になる前に、涙が溢れて止まらなくなった。







「……最近、よく泣くよな」
「だれが泣かしてんのよ、バカ……っ」



強がって悪態ついても、溢れる涙は止まることを知らなかった。







「一生大事にする。絶対、幸せにする。だから──────」


私が突き返した封筒をそっと開けて、中に入っていたものをともひろが取り出した。
一緒に住もう──────そう言って渡されたのは、鍵じゃない。
指輪だった。






「とわのこれからの未来を、オレにください」





微かな外灯の光に反射して、虹色に輝くそれは、空に散りばめられたどの星たちよりも美しい。
ともひろが手を取る。
未来への輝きは私の薬指に、吸い込まれるように入っていった。
両手を優しく握られたまま、体が引き寄せられた。
ともひろの唇が私のそれに優しく重なる。
月明かりの下での口付けは、どこか神秘的で、けれど胸を熱く焦がす。








「………うん……。もちろん、喜んで。一緒に、幸せになろう……」



私は泣き顔のまま笑った。


















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とわの彼方に 2 comments(6) -
言葉にできない 10



奏多の話は衝撃的だった。
話が終わったあと、しばらく私は放心状態のまま動けなくて。
気が付けば、ともひろの車に乗せられてた。
実際熱が出て、頭がぼーっとしてたのもあると思う。
話の内容を頭の中で整理しながら、ぼんやりと流れる景色を見送ってたら、いつの間にか眠ってしまってた。
車のエンジンが止って、軽く体を揺すられる。
「──────とわ。着いたぞ」
私を優しく呼ぶ声にゆるゆると目を開けたら、建物の地下のような場所にいた。
……あれ?
ここって──────。
見覚えのある景色に辺りを見渡してると、ガチャリとシートベルトが外れる音がして、ついでに私のそれも外される。
ベルトを外す為に覆いかぶさってきたともひろに、一瞬、息が止って目が冴えた。



「着いたから。降りて」
「降りてって……ここ──────」

ともひろのマンションじゃない。
そう口に出す前に助手席のドアが開いて、私の体がふわりとシートから抱き上げられた。
「ちょっ、 やだ、ともひろ……!?」
「熱があるんだ。おとなしく抱かれとけ」
「そうじゃなくて……っ」
「なに?」
「なんで、ともひろのマンションなの? 私、てっきり──────」
家まで乗せて帰ってくれるのかと思ってた。
「乗せて帰るとは言ったけど、とわの家になんてひと言も言ってない。つか、とわの話も聞いてないのに、そのまま帰せるか」
半分怒ったように言葉を吐いて、ともひろは私を抱きかかえたままエレベーターに乗ると、押し慣れたボタンを押した。
歩けないほどの熱じゃないし、自分で歩けるからって何度訴えても、ともひろは腕から降ろしてくれなかった。
そんなに優しく抱き上げられたら、こっちが堪らない。
余計に熱が上がる。




部屋に入るとそのまま、リビングにある大きなソファに運ばれた。
ゆっくり降ろされたあと、靴を脱がされる。
シャツのボタンにも手を掛けようとするから、慌ててそれを止めた。



「や。なんで……?」
「なんで、って。濡れてるから。いつまでもこんな格好でいるから、熱が出るんだろ」
「………あ」

自意識過剰な勘違いに真っ赤になった私を、ともひろが笑った。



「オレにも一応、良心はあるから。熱があるのに手を出したりはしない。まだ、とわの話も聞けてないし。とりあえず着替えて、温かくする方が先だ」
あっという間にシャツのボタンが外されて、剥ぎ取られた。
「いい…! 自分で脱げるから…っ」
恥じらいに上げた悲鳴混じりの声に耳も貸さず、スカートのファスナーが外される。
スカートもストッキングも、あっという間に足から抜き取られて、下着だけにさせられた。
やだ、やだ…っ。
こんなことになるなんて思ってなかったから、ブラとショーツがちぐはぐなのに。
そんなことを確認する間もなく、肩にともひろがなにかを掛けた。
腕を取られて、袖を通させる。


「……悪いな、こんなのしかないけど」


着せられたのはともひろの普段着用のシャツ。
普段は下着一枚で寝ちゃうような人だから、この家にはパジャマもスウェットもない。
自分の私物は別れたときに全部持って出ちゃったから、着れそうなものと言えばこれしかないのだろう。
必要最低限しか物を持たない人だから。
「ともひろ、ボタンぐらい自分で」
「阿呆。病気のときぐらい、素直に甘えてろ」
優しく叱られて、それ以上何も言えなかった。
ひとつずつ丁寧に、シャツのボタンを留め合せてくれる指先をじっと見つめる。
最近、ずっと見てきた繊細な指とは違う無骨な手。
ああ、ともひろだ。
目の前にある現実に胸が詰まって、それを誤魔化すみたいに大きく息を吐き出した。



「………かなりショックだったみたいだな、城戸の話。お前あれからずっと、放心状態だから」
私が黙り込んでしまった理由を勘違いしたらしい。
ともひろが少し寂しそうに笑った。
「ショックっていうか………びっくりはしたよ。意外な関係が繋がってたから……。
奏多は、リオコさんが好きだったのね」
だから私に近づいて、気持ちを動かそうとした。
ともひろを愛してた彼女のために。
「お前がそう思ってくれるのならオレには好都合だけど」
「………違うの?」
「さあ。アイツの心の中までは、オレもわからないから」


話をはぐらかすみたいに立ち上がって、ともひろが隣の部屋に消えた。
すぐに戻ってきて、寝室から持ってきたブランケットで、私の体を優しく包む。
「寒くないか?」
「うん。……あったかい」
温かさと、ブランケットから立ち上るともひろの匂いに包まれて顔が緩んだ。
目が合って、ともひろがほっとした顔を見せる。





「……忙しいの?」

ふと。
何気なくそこから視線を浮かせると、部屋の中が散乱していた。
山積みにされた資料とファイル。
待機のまま時間を止めたノートパソコン。
吸い殻の溜まった灰皿。
袋から出す時間さえおしかったのか、クリーニング店の袋の中には、いくつものスーツとYシャツが束になって突っ込まれてるのが見えた。
いつもきちんとしているともひろが、珍しかった。



「ああ…ちょっとな。でも、いつものことだ」

なんでもないふうに笑うともひろに、泣きたくなった。
少し……痩せた?
ジャケットを脱ぐために後ろを向いたともひろの背中。
今日着ていたダークグレイのスーツは、昔、一緒に選びに行ったものだ。
だからサイズもよく覚えてる。
オーダーで作られたそれが、以前に比べて少しゆとりがあるように見えるのは、気のせいなんかじゃない。
自分に厳しくて、一度決めたことは曲げないストイックな人。
見えない陰の努力で、栄光を掴み取った人。
ともひろのことだからきっと、食事や睡眠を取る時間も削って、仕事に没頭してたに違いなかった。
──────なんのために?
それはもう、聞かなくてもわかる。




「とりあえず風呂溜めてくるから入れ。熱あるけど、入って温まった方がいい。熱があるのに体が冷えてるって、おかしな話だろ。つうか、風邪薬なんてうちにあったか。ないなら買いに──────」

さっき脱いだジャケットを再び引っ掛けて、部屋を出ようとしたともひろの服の裾を強く引っ張った。









「とわ………」


もう、これ以上離れていかないで。
どこにも行かないで。
そばにいるのに泣きたくなって、唇を噛締めたままにともひろを見上げた。
意地を張るのも、優しさだけを受け止めるのも、もう限界だった。






「……阿呆。なんで泣くんだよ。オレ、とわを泣かすようなこと、言ったか?」

ともひろが困ったように笑って、私の前に膝を折って座った。
伸ばして来た手が優しく頬を撫でて、そのまま包み込んでくれる。
ゆっくりと顔が近づいてきて、気が付けばこぼれていた涙に、ともひろが優しくキスを落とした。
押し付けられた温かな感触にますます涙が止らなくなって、私は情けなく泣いてしまった。
寂しいのか、切ないのか、それとも愛おしいのか。
山ほどの伝えたい心を喉の上まで運んでも、言葉にならなかった。
いっぺんにいろんな感情が私の中で渦巻いて、涙を溢れされる。
一度流れてしまったそれは、堰を切ったように溢れて、止らなくなった。


「……いつもと違うから、調子が狂う。そんなふうに泣かれたら、何も考えずにこのまま、抱きしめたくなるじゃないか」

そんなふうに言うけどともひろは、一度、涙にキスをしただけで、それ以上はなにもしてこなかった。
ただ。
私の前で、私の手を強く握って、私が落ち着くのをじっと待ってくれる。
私は大きく深呼吸をして、震える息を長く吐き出した。





「……私、ずっとずっと勘違いしてた。リオコさんのこと、ともひろ自身のことも。
ともひろが好きって、ずっと離れたくないなんて言いながらも、ちっとも信じてなくて、いつも心のどこかで諦めてたの。ともひろはいつか離れて行くんだって、この人との未来は望んだらいけないんだって。
いつも自分のことばかりに必死で、形で見える現実にしか目を向けられなかった。ともひろの影の努力も優しい嘘にも、気づいてあげられなかった……。リオコさんに聞くまで私、誤解したままだった。
どうしてあのとき、なにも言ってくれなかったの……?」

「説明しようとしたけど、聞かなかった。それとも言ったら信じたか? あのとき感情的になってるお前に、何を言っても言い訳にしか聞えないって判断したんだよ。お前、一度こうだと思ったら、考えを曲げれない頑固者だから……」
ともひろが笑う。
「オレもあのとき、お前が城戸に抱かれたって勝手に思い込んでしまって、感情的になって、冷静さを失って、広い視野で周りが見れなくなってた。ろくに説明もせず、気持ちばかり押し付けて申し訳ないって思ってる。
………酒井に、リオコじゃなくてもいいって認めてもらえるまで、2年かかった。勝手なルールをオレの中で決めて、酒井を背負えるようになるまでは、とわには会わないって決めた。そんないつになるのかわからない約束で、とわを縛り付けておくことはできないって思ったから……、だから言わなかった。それならもう、やるしかないじゃないか」

実際、会いに来る時間もないぐらい忙しかったんだって、リオコさんからも聞いた。
手広く海外まで手を伸ばしている事業を吸収するために、今まで勤めていた企業を辞めて、世界中を飛び回っていたんだって。
涙を堪えるために唇を噛締めたら、伸ばしてきた手に優しくそれを止められた。
もう噛むなって、そんなふうに指が優しく唇をなぞる。
私を見上げてくるともひろの目は優しくて、それにまた、涙が止らなくなる。
ともひろが私の前からゆっくりと立ち上がった。
私の隣に腰を降ろして、私の前髪を優しくかきあげる。
むき出しになった額に優しく唇が押し当てられた。
そのまま涙を追うように、ともひろの唇が目のふちから耳までたどっていく。
首筋に顔を埋められると震えが走った。




「………婚約者という存在がいる限りとわはまた、不安に囚われる。お前が不安に思うこと全部断ち切って、まっさらになってからちゃんと向き合おうって、もういちどゼロからはじめようって思ったんだ。
もう一度とわと向かい合うために、オレはこの二年、情けないぐらい必死だったよ」
「………もし私がその間に、他の男の物になってたらどうするの? ずっと私が、ともひろを好きでいるとでも思った?」
わざとおどけた口調で聞いたのは、そうでもしないと気持ちが限界だったから。
言葉とは裏腹に、声が震えるのがわかった。
そんな私を見つめて、ともひろが眼鏡の奥の瞳を優しく細めた。


「そのときは奪ってやるさ。何度でも。
オレはお前に関してはもう、どうしようもないぐらい我慢がきかないし、堪え性もないみたいだ。他の男との幸せな未来を望めるほど、できた男じゃないよ。タケルのときのような、あんな思いはもう、十分だ。
リオコが落ち着くまで待つって約束したけど……ゴメン、もう…無理だ。もうこのまま、とわを放したくない──────」





耳元で囁かれて、限界だった。
もう、こらえ切れない。








お互い、夢中で手を伸ばした。
会えなかった時間を確かめるように、埋めて満たすように触れてく。
あまりにもその手が唇が、優しくて愛おしくて、涙が溢れた。
ともひろの指が頬を撫でて、こぼれていく涙をぬぐう。








「………本当に、私でいいの? ともひろぐらいの男なら、他にいくらでも相応しい人がいるでしょう?」



「酒井の名前に相応しい女はいるかもしれない。でも、オレに必要なのはお前だけだ。とわしか考えられない。
オレはずっとずっと、お前が欲しかった。たったひとりがどうしても、欲しかった………っ」








苦しくなるほど抱きしめられた。
閉じ込められたともひろの胸元から、優しい鼓動が伝わってくるのが嬉しくて、切なくて。
それをもっと身近に感じたくて、背中に腕を回して抱きついた。
掠れた声で私の名前を呼びながら、何度も角度を変えてともひろの唇が私の口を覆う。
優しいキスを繰り返す。
柔らかな舌を含まされて、心の隙間を埋めていくみたいな甘いにキスに溺れた。
気が付けばソファに押し倒されるような形で、抱き合うようにキスを繰り返していた。
ともひろの私を見下ろす視線が熱くなっていく。

優しく頬を撫でていた指が、髪の中に差し入れられて、優しく髪を梳かれる。
再び降りてきた唇にそのまま上顎を舐められて、ゾクリとした快感が体を痺れさせる。
「…ん……」
首筋を柔らかく吸われながら、シャツの裾から潜り込んできた指先が、体のラインを辿った。
優しく、素肌の感触を確かめるようにゆっくりと厚い手のひらで撫でられて、久しぶりに感じるともひろの指に、すぐに体は甘い声を上げる。
ただ体を撫でているだけなのか、愛撫なのか。
ギリギリのラインで体をなぞられて、あまりの切なさに目が熱く潤み始める。
それを真上からともひろに見つめらているのが、恥ずかしくってもどかしくって、しょうがなかった。



「体……大丈夫か?」

涙で張り付いた私の髪を耳に掛けながら、ともひろが耳元で囁いた。
声が耳元を撫でていく感覚を意識して、呼吸が速くなる。
私の息が上がってることに気づいたともひろが、ゆっくりと体を起こした。
前髪をそっとかき上げられて、むき出しになったおでこに、ともひろのそれがこつんと当てられて熱を探られる。
眼鏡がなければ睫毛が触れそうな距離の近さにまた、体温が上がっていくのがわかった。
「……やっぱり上がってきてるな」
確かに体が熱かった。
頭もぼぅっとする。
でもたぶん──────それは、熱のせいじゃない。





「今日はもう、このまま休んだほうがいいな。──────今さら帰るなんて、言うなよ?」
「………言わないわよ。終電だってもうないし」
「寂しいなら、添い寝してやるけど?」
「……バカ」

いつものくせで思わず悪態をついてしまった私をともひろが笑って、再び唇を触れさせる。
ソファの上から私の体を優しく抱き上げると、ベッドまで運んでくれた。



「眠るまでちゃんと、そばにいてやるから……」

さっきまでキスばかりしてたくせに、ともひろはもうおしまいとでもいうふうに、とてもゆっくり髪を撫でてくれた。
優しく髪を梳かれて、ふっと体から力が抜けた。
あまりの心地良さに、勝手に瞼が下りそうになる。
ベッドの脇に腰を降ろして、ともひろがそっと手を握ってくれた。
でももう、そんなふうにそばにいてくれるだけじゃ足りなかった。

ともひろの首に腕を絡めて引き寄せた。
自分から唇を押し当てて、誘うようにキスを繰り返す。
突然の大胆な行為に、驚きに目を見開いていたともひろの瞳が、困惑に揺らいだ。








「……もしかして──────誘ってるのか?」


答えの代わりに、抱きついて、キスをした。
ともひろがそばにいるって、これは夢じゃないんだって、ちゃんと実感させてよ。




 

「無茶はさせたくなかったから、今夜は抱くつもりはなかったんだが………」
「………どうしても、今がいい。キスだけじゃ足りないから、抱きしめてくれるだけじゃ足りないから。
体全部で、心全部で、ともひろを感じさせて?
ここにいるって、もうどこにもいかないって、二度と離さないって、私に刻み込んでよ……」


ともひろが立ち上がって暖房を強めた。
私が服を脱いでも寒くないようにと。









「……本当にいいんだな?」

私がうなずくのを確認し、ともひろは私の体に唇を触れさせた。



「一度触れたらもう、セーブは効かないから──────覚悟して」


横たえられた上にともひろが覆い被さってきて、噛み付くようにキスをした。
味わうように唇を舌でなぞられ、唇をこじ開けられ、短く繰り返される私の吐息をも飲み込む勢いのキスが何度も降ってくる。
その行為自体は激しいのに、私の体に負担がかからないようにと、顔の脇に腕をついて体重をずらしてくれるともひろの優しさが愛しかった。
長い指が、シャツのボタンをひとつ外した。
そこからなめらかに手を滑らせて、指が軽く鎖骨を撫でていく。
「…あ、っ」
素肌を羽が触れるように指が滑る感覚に、体中が痺れたように熱くなった。
ともひろの手が迷いなく残りのボタンを外して、私の肩からシャツもブラも剥いでいった。
鎖骨を舌先がなぞって、そのまま裸の胸元へとすべり落ちていく。
ともひろに触れられると、自分がどれだけともひろのことが好きなのかよくわかる。
私が触れてほしい人は、ともひろだけ。
触れたい人も、同じ。











「………とわ、愛してる。今までも、これからも。ずっとそれは変わらないから……」









今ある幸せが夢じゃないって、私に刻み込んで。
名前を呼んだら目を細めて笑ってくれる。手を伸ばしたら握り返してくれる。
好きだって伝えたら、愛してるって囁いて。
言葉にできない想いを肌で伝えて。
ずっとずっと朝まで、ずっとずっと離さないで──────。






頭の中が真っ白なっていくのに身を任せ、私は静かに瞳を閉じた。
 












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