タケルの結婚式当日は、雪になった。
積もることはおろか、雪が降ることさえほとんどないオレらの住む街で、この時期の雪はとても珍しかった。
「寒いと思ったら、雪が降ってる! ほら、見てよともひろ、キレイ……」
エントランスから出た瞬間、視界に飛び込んできた雪が降りる光景に、とわが感動の声を上げた。
なにがそんなに嬉しいのか。
少し前を歩くとわは雪ひとつでえらく上機嫌になって、めずらしく鼻歌なんか口ずさんでいる。
「とわ。タクシー来るぞ」
「あ、うん」
呼ぶと弾むような足取りで、オレのそばまで走り寄ってきた。
パンプスのヒールが雪を跳ねる。
「そんなに雪が嬉しいか?」
「だって、ホワイトウエディングだよ? 幸せな気持ちにならない?」
真白な息を吐きながら、とわが嬉しそうにオレを見上げた。
「こんなロマンチックな演出があるならさ、冬の挙式も素敵よね」
「冬に挙げたからって、その確立はかなり低いと思うけど。まあ……とわなら雨女効果で、雪の確立も上がるかもな」
「うわ。嫌味……」
しかめっ面で睨みつけても、拗ねた心はすぐに雪にほどけて溶ける。
「雪にこだわるならいっそのこと、北海道とか長野とか、北国で挙げるか? 間違いなくスノーウエディングだから」
「それはやだ。確立が低いからこそ憧れるんじゃない。天に祝福されてるみたいでうらやましくなっちゃう……」
舞い落ちる白を瞳に映しながら雪のような柔らかな笑みを浮かべて、とわが雪空を見上げた。
「あー、どうしよう。ジューンブライドも素敵だけど、雪の挙式も捨てがたいな……」
最近、少しずつではあるが式の準備を始めた。
とわの希望を尊重して、挙式は彼女の職場のレストランで挙げる。
一生に一度のハッピーイベントは、出来る限り彼女の思うように叶えてやりたい。
この雪のように真っ白なウエディングドレスは、きっと彼女に似合うだろう。
「────あ。なに、今の。思い出し笑い。なに考えてたのよ」
「べつに」
「うそ。私を見て笑ったくせに」
しかめっ面がオレを睨みつけてくる。
「とわのウエディングドレス姿を想像したんだよ。綺麗だろうな、って」
「……なにそれ。そんなの想像しないでよ」
照れ隠しなのか、とわが拗ねたようにそっぽを向いた。
「次の休みに見に行くか?」
「え。来週? んー…。でも、手順的には先に式の日程を組んでからじゃないと……。まだ日も決まってないのに、先にドレスだなんて」
「じゃあ、オーダーにすればいい。持ち込みなら後先関係ないだろ? 世界にたった一着しかないドレス──────とか、とわはそういうの好きじゃない?」
「……レンタルの何倍もしちゃうよ?」
「いいよ。全部オレが持つから。オレの為だけに選んだドレス着て、嫁に来てよ」
「………考えとく」
そっけない返事とは裏腹に、そっぽを向いた横顔は、唇の端がちょっと持ち上がって頬が染まっていた。
嬉しいなら嬉しいって、言えばいいのに。
素直じゃない反応も彼女らしくて好きだけど、それにオレが気づいてないと思ってるのも、これまたおかしくて可愛い。
さて、どうしてくれようか。
眼鏡を指で押し上げながら、笑みを噛み殺した。
彼女はそ知らぬ顔で、はーッと手のひらに息を吹きかけながら、ぬくもりを閉じ込めてる。
その意地っ張りな背中ごと後ろから抱きしめて、キスでもしてやろうかと手を伸ばしかけて、やめる。
あいにく、ここは家じゃない。
中途半端に抱きしめて、ブレーキのコントロールが効かなくなった自分……。
想像するだけでかなり危険だ。
目を閉じて視覚を遮断することでなんとか自制してから、大きく息を吐き出した。
「寒くないか?」
「んー……平気。もうすぐタクシー来るし」
とわが着ている淡いクリーム色のコートの下は、ベルベットのノースリーブ型ワンピースに、ラビットファーのボレロ。
膝ラインのスカートから覗くたおやかな脚は、ストッキングを履いてるとはいえ、かなり寒そうだ。
会場は花嫁のために暖房を強く効かせてるだろうけど、外じゃあいくらコートを着ていても、寒いに決まってる。
つか、見てるこっちのほうが寒かった。
白い息を吐き出しながら、首に巻いたマフラーの結び目を解いた。
自分のコートもかけてやろうかとボタンに手を掛けたとき、それに気づいたとわがオレを止めた。
「ともひろの方が風邪ひいちゃうからやめて」
「オレはそんなにヤワじゃないけど」
「週明けからまた、東京でしょ? 熱出したって出張先じゃあ看病してあげられないし、代りに行ってあげることもできないから、ちゃんと自己管理してよね」
「じゃあせめて、マフラーだけでも」
「いいってば……」
マフラーを外そうとした手を制して、背伸びをしたとわがオレの首に、再びそれを巻きつけた。
ひやり。
冷たい指先が頬を掠めて、オレは思わず顔をしかめる。
「寒いくせにやせ我慢するな」
「そりゃ、雪が降ってるぐらいだから、寒くないわけないわよ。でも平気だから」
くしゅん!と、言ってるそばからくしゃみをひとつ。
子どもみたいに寒さで鼻の頭を真っ赤に染めておいて、なにをそんなに意地を張るかな。
「……ったく」
溜息混じりの息が白く霞む。
プライドが邪魔するのか、男に甘えることがみっともないと思っているのか。
家の中だと素直に甘えられる彼女は、外に出ると途端、こうだ。
どんな場面でも好きな女には素直に甘えて欲しいと思うのに。
「──────あ。メール」
突如、携帯の着信音が空を裂いた。
とわが手持ちのハンドバッグから音源を探している間に、手早くコートを脱いだ。
肩からそれをかけてやって、体全体をすっぽり包み込む。
「もう、ともひろ。いいって言ってるのに──────」
離れる間際。
往生際悪く拒否しようとしたとわの唇に、軽く音を立てて自分のそれを押し当てた。
一瞬、なにが起こったのかわからずきょとんとした顔が、みるみるうちに赤く染まる。
オレは意地悪く笑いかけた。
「オレのことを思ってくれるんだったら、自分の体を大事にしろ。来週いないからこそ、風邪なんて引いて欲しくない。熱なんか出された日には、仕事が手に付かなくなる」
「だ、だからって…! こんな場所でキスしなくてもいいじゃない! 誰に見られてるかわからないような場所で!」
「素直に受け入れないなら、もっとするけど?」
その言葉に、とわがぐっと言葉を詰まらせた。
悔しそうに唇を噛締めながら、睨みつけてくる。
「素直に言うこときく」
子どもを言い聞かせるようにつぶやくと、諦めたのか納得したのか。
とわがようやく素直に頷いた。
ったく、世話の焼ける。
ほどなくしてやってきたタクシーに、ふたりで乗り込んだ。
薄着のせいで芯まで冷え切った体は、軽く暖房を効かせたぐらいの車内では簡単に温まってくれないらしく、とわが膝の上で手を擦り合わせる。
「まだ寒い?」
「ん、少し」
「……手、貸してみろ」
手に取った白く華奢な手は、外気に触れて指先まで冷たくなっていた。
「ほら見てみろ。こんなに冷たくなって──────」
ポケットに突っ込んでぬくもりをわけてやろうと手を握りかけて、はたと気づく。
「なに? ともひろ。変な顔して……」
あからさまに言葉を切ってしまったオレを見上げて、とわが首を傾げた。
「……とわ。お前、指輪は?」
絡めた指の違和感。
仕事以外のときはいつも身に着けているはずの存在が、そこにないことに気づいたオレは、ポケットにしまいかけた手を思わず取り出して、その存在を確かめた。
指輪はしていた。
もちろんこれも、オレがプレゼントしたものだ。
淡いエメラルド色の石がはめ込まれたageteの指輪は、派手なアクセサリーが禁止されている職場やTPOに合わせてつけかえればいいと、彼女の誕生日に贈ったごくシンプルなもの。
マリッジでもエンゲージリングでもない、ただの指輪。
今朝、鏡の前に座る彼女の指には確かに未来への約束が輝いていたはずだ。
忘れたんじゃない。
わざと、付け替えたんだ。
「あー…これ、ね」
言おうと思ってたんだけど……と、とわが指を軽く撫でながら、ばつの悪い顔をした。
嫌な予感がする。
「………あのさ、ともひろ。私と婚約してることは、まだみんなには話さないでもらえるかな……」
一瞬、言葉を失う。
思わず顔に出てしまった渋い顔も隠せなかった。
「なんかさ、言うタイミングを逃しちゃって……。
ともひろなんて恋愛対象外だって、ずっと言ってきたからさ、今さら言い出しにくいのよ。やっぱりそうだったんじゃないって、そういう目で見られるのが嫌なのよ」
「不倫や浮気をしてるわけじゃない。堂々としてればいいだろ」
「………ねえ、ともひろ。学生時代に女の子達が自分に群がってた自覚、ある? こんなときに公表なんかしたら、騒ぎになるに決まってる」
オレと違って、交友関係の広かったタケルは、式にもたくさんの友人を招待してるだろう。
高校時代の同級生も多いはずだ。
「へんに騒がれたくないのよ。大事なことだから。雰囲気に流されて、その場のノリで公表したくないの。
大野くんや金子くん達には、また話せばいいじゃない。私も、仲のいい友達にはゆっくり話したいから……」
だからって、今さらオレに、友達のふりしろっていうお前の神経がわからない。
「ね、お願い!」
とわが顔の前で手を合わせた。
必死に懇願する彼女を怒鳴りつけることはできず、なんとか溜息でこらえた。
どこにぶつけりゃいいんだ、この怒りは。
「お客さん、そろそろ着きますけど。正面で構いませんかね?」
タクシー運転手の言葉に窓の外に視線を送れば、もう会場はすぐそこに見えていた。
時間も押してる。
今さら指輪ひとつのために、引き返すわけにもいかない。
もっと早く気づけばよかった。
そしたら、無理矢理でも婚約指を嵌めさせてきたのに──────。
自分を落ち着かせるために、深く長く息を吐いた。
とにかく冷静に。
これ以上つつくと、間違いなくとわは意固地になって、話がややこしくなるに決まってる。
「……わかった。納得はできないが……言わない努力はする」
「ほんと? ありがとう!」
「──────ただし。いくつか条件がある」
「条件?」
「まずひとつ、今夜はオレのそばから絶対、離れるな。出来る限り、目の届くところにいろ」
「え? なんで……?」
とわが着ている深い碧のベルベットのドレスは、彼女に似合いすぎてる。
大きく開いた背中も、胸もとの深いデザインも、短い丈のスカートも。
彼女の魅力を存分に引き出すものだった。
でもそれは、オレが恋人として同伴するからこそ許せたこと。
こんなことになるのなら、こんなドレス、着せてくるんじゃなかった。
独身男子にとって、結婚式なんてイベントは、女子品評会だ。
結婚式のハッピームードに流されて、羽目を外すバカが大抵いる。
大事な彼女が、目の前で口説かれるのを黙って見てられるか。
「ボレロは脱ぐな。二次会に顔を出すなら、ちゃんと着替えに戻ること。それと、アルコールは控えること」
「……いちいち細かいなぁ」
「それができないなら、オレも約束はできない」
「……わ、わかったわよ。今夜はちゃんと、ともひろのそばにいるから。ボレロも脱がない。アルコールもできるだけ控えるように努力します」
面倒くさそうに呟く彼女に切れそうになるが、ぐっと堪えて最後に強く念を押す。
「あと。こんなことは、もうこれっきり、二度とないからな」
「約束する」
にこりと魅惑的な笑みを浮かべたあと、支払いを済ませたオレに着ていたコートを返した。
恋人でない男のものは着れないと、言葉にこそしないが、見上げた瞳が語っている。
溜息が出た。
もともと乗り気じゃなかったんだ、オレは。
とわを傷つけたアイツに幸せを見せつけてやるぐらいのつもりで参加したのに、これじゃあ計画が台無しだ。
「──────あ。もう、みんな来てる。ほら、ともひろ早く!」
入り口に固まった人垣に見知った顔を見つけて、とわが嬉しそうに手を上げた。
遠ざかっていく恋人の背中を恨めしく見つめながら思う。
結婚が決まれば式は急ぐ必要はないなんて、余裕ぶってないで、さっさとかっさらえばよかった。
今すぐにでもここで、式を挙げてしまいたい気分だ。
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