「いつから付き合ってんのよ? ちゃんと説明してくれなきゃ、納得できないんだけど」
一番いい反応を見せた割には冷静な口調で、中田がとわを追い詰めた。
その気迫に押されて、とわが重く閉ざしていた口を開く。
「……その……ともひろとは、3年ほど前から付き合ってて……」
「はぁぁぁ!? 3年前!? ……そんなにも黙ってたの? アンタ」
ゴメンと呟いたとわは、いつになくしおらしかった。
「んでもって、結婚も決まってるって?」
「…うん」
とわが認めた事実に、大きくまわりがざわめいた。
「マジ、かよぉー………」
島が、うなだれるようにテーブルに手をつく。
その肩は声を掛け辛いほど落胆していて、フォローのしようがない。
惚れた女が別の男のものになる。
その絶望感は痛いほどわかる。
オレももう、二度と味わいたくはなかった。
「なんでそんな大事なこと、ずっと黙ってたのよ? あたしに悪いとでも思ったの?」
腕組のまま中田がずいと歩みを寄せて、とわの頭を思い切り小突いた。
「あたしが怒ってるのはね、アンタが酒井くんと結婚する事実よりも、それを今まで黙ってたこと! 確かに昔、酒井くんを好きだった時期もあったけど、今は違う。変に同情しないで」
「……え? じゃあどうして──────」
「今日あたしは、とわにはっぱをかけるつもりでモーションかけてたの! 酒井くんの隣を陣取ってたのは、悪い虫がつかないように見張ってたから。酒井くんがとわにベタ惚れなのは、とっくに知ってる。望めば女に不自由しないいい男が、まだ未練がましくとわのことを想ってるって言うから、一途なバカを応援したくなったのよ」
言葉の端々に、オレに対する嫌味が含まれてる気がするが…そこは黙って聞いていた。
中田が眼差しを緩めた。
「……ばかねえ。手を伸ばせば幸せはすぐ隣にあったのに、気づくの遅すぎだわ、アンタ。あたしは高校時代からずっと、梶よりも、絶対酒井くんの方がとわに合ってるって思ってたんだから。こんな気の強いじゃじゃ馬、酒井くんにしか扱えないわ。ていうか、まとまるの遅すぎだから。酒井くんも酒井くんだわ。言ってくれれば、女の子が泣かずにすんだのに。……責任取って、ちゃんと幸せにしなさいよ?」
「……ああ」
言われなくてもそうするつもりだ。
オレは笑った。
「あー。もう、なんかバカらしくなっちゃった! おかげで酔いもさめちゃったし。飲みなおすわよ! ──────あ、ふたりはもう帰っていいから。酒井くん、とわに言いたいこと、あるんでしょ?」
昔から中田の勘の良さには助けられる。
そういうことなら。
「遠慮なくそうさせてもらうよ」
浅く笑って、とわの腕を取った。
「……え? 待ってよ、ともひろ……!? 私まだ、飲みたいのに……っ!」
拒否ってるのも構わずに、手を繋いで引きずるように店を出る。
「式にはちゃんと呼べよー」
「お幸せにー」
同級生達の楽しそうな声が聞えた。
夕方から降り始めた雪は、店を出る頃にはすっかり上がっていて、道の脇や店の軒に、わずかに白が残るだけだった。
はぁ、と吐き出す息が負けずと白い。
「あーあ。もう少し飲みたかったのになー」
タクシーを降りたとわが拗ねた声を上げて、オレの後に続いた。
「せっかく本当のことを話せたんだから、鈴ともっと話がしたかったのに…」
「そういう話は別の日にしてくれ」
酒の肴にされるのはごめんだ。
「つか、オレ。まだ怒ってるんだけど?」
エレベーターの前で立ち止まり、ボタンを押した。
「……あ」と、短く声を漏らして気まずそうに顔を背けたとわの姿が、よく磨かれた銀色の扉へと映る。
視線を隣へと向ければ、ドレスの深い胸元から覗く白い谷間。
強烈な引力を放つそこは実に魅惑的だ。
島も──────見たんだろうか。
見たに違いない。
たとえ好意がなくとも、男なら自然とそこに目が行く。
誰にでも簡単に見せてんじゃない。阿呆が。
怒鳴りたくなる気持ちを押し殺して、ほどなくして降りてきたエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まると強烈に彼女の匂いを感じた。
立ち込めるフレグランスは、いつもよりぐっとエレガントで甘い。
フォーマルな衣装に合わせてはっきり彩られた横顔は、理性を試されてるとしか思えない。
密室は気まずい空気を漂わせたまま、家路へと昇り始める。
とわは顔を伏せたまま、言葉を探してるようだった。
「あまり飲むなって、はじめに約束したんじゃなかったのか。オレはお前が言うなっていうから、黙ってたのに」
島のことさえなければ、最後まで黙ってやるつもりだった。
あんな形で暴露したのは、とわの迂闊な行動が招いた結果だ。
「約束は守らない、逆切れはする。挙句の果てに、酒の席で簡単に男に隣を許して、誘われるままついて行きやがって」
「でも、島くんは友達だったから」
「──────だから何だ」
低く怒りを込めた声に、さすがにヤバイと思ったとわの顔が、一瞬で強張った。
「その友達に口説かれて、手を出されかけたんだぞ。いいかげん、自分の甘さを自覚しろ。オレが気づかなければ、抱きしめられてキスされてたかもしれない。お前は、アルコールが入ったら隙だらけになるんだよ。知り合いだろうが友達だろうが、警戒しろ!」
オレ以外の男に、指一本触れさせるな。
「ぁ……っ」
扉に細い肩を押し付けて、ずっと触れたくてたまらなかった柔らかな唇を深く食いつくように貪った。
押し殺した声が、濡れた唇から洩れるのを聞いたらますますたまらなくなって、噛み付くように。
「っふぅ…っ」
緩やかな機械音に混じって、浅い息が密室に響く。
悔しかった。
いつもよりびっくりするほどきれいな彼女が他の男と一緒にいるのが。
その隣にいるのがオレじゃないのが、もどかしくて腹が立って、とにかく早く触れたくてしかたなかった。
自分のものだという確信が、今すぐ欲しい。
エレベーターはすぐ上の階へついて、扉が開いた。
開く瞬間、バランスを崩して倒れぬよう、腰に手を回して体を支える。
エレベーターホールへ出て、鍵を開けて玄関へ入り、再び閉まった扉へと彼女を縫い付けて、キスを続けた。
首筋から胸元へと順に辿っていって、ひと目に晒されていたすべての素肌にキスを贈る。
耳の裏や鎖骨ライン、わざと弱い部分ばかりを刺激してやる。
ファーを肩から滑らせ、ドレスの上から胸を掴むと、とわの唇から切ない声が漏れて、体を震わせた。
そのまま左腕で捕まえるように抱き寄せて、空いた右手を背中に滑り込ませてドレスのファスナーを外し、口付けを解いた唇で蕾を甘く舐め上げると、とわがわずかな力で抵抗を見せた。
「ともひろ、や…っ、待……っ」
「ダメだ。もう散々待たされたんだから、待ってやらない」
普段より綺麗に着飾った彼女を目の前に手も出せず、自分の彼女だと堂々と紹介もできず。
友人がとわを綺麗だと褒めるたびに、他の男がとわを振り返るたびに、オレがどんな思いをしたか──────。
「今日は、我慢してやれないから」
思い切り攻めて、抱きしめて。
泣いてもわめいても、腕から出してやるつもりはない。
「や、ぁ……、っ」
ビクリと抵抗するように動いた体を押さえ込んで、舌と唇でたっぷり愛撫してやると、とわの唇から何度も甘い声がこぼれた。
吐息さえも飲み込んで、唇を割り、歯列に舌を這わせ口中を攻め立てると、ビクビクと身体を震わせる。
首元にすがりつく華奢な腕にも舌をはわせ、抗えなくなった弱弱しい体を抱き上げて、靴を脱がせた。
そのまま寝室に直行して、雪崩れ込むようにベッドに押し倒した。
いつもより乱暴に肌を露にしていくと、酔いの所為か、それとも欲情しかけてるのか、上がった体温が、肌を赤く火照らせてひどく艶やかだ。
潤んだ瞳とか、キスで濡れたピンクの唇とか……すべてがひどく生々しい。
「……ぁっ、と、もひろ…っ」
掠れた声で名を呼ばれると、背筋が震えた。
オレが与える刺激でとわの体が鳥肌を立てるのが分かると、ゾクリとした。
羞恥と快楽でその体が薄紅色に染まっていく様はいつもオレの理性をかき乱す。
もっと乱して、快楽に溺れさせて、オレでいっぱいにしてやりたい。
「今夜はもう、放してやるつもりないから」
喘ぐ息が甘くなる。
最初ひやりと感じたベッドの温度は、次第にその冷たさが気持ちよく感じるほど、ふたりを熱に浮かせた。
窓から差し込む陽光で、目が覚めた。
昨晩の雪が嘘のように日差しは暖かく、部屋の中が白く淡い光で満たされていていた。
同じベッドで泥のように眠るとわは起きる気配もなく、うつ伏せになって穏やかな寝息を立てている。
むき出しの肩に、栗色の髪が柔らかに広がっていた。
数時間前の彼女を思い出すと、つい頬が緩んでしまう。
昨晩はいつになく何度も抱いてしまった。
もうダメだと弱弱しくすがりつく彼女に煽られて、幾つも白い肌に印を刻んだ。
止らなかったとはいえ、さすがに無茶しすぎたかもしれない。
寝顔に柔らかく口付けを落として、眠る彼女を抱き寄せて髪に顔を埋めると、ようやく覚醒しはじめたのか瞼がゆるゆると開いた。
「……ん…、ともひろ……?」
「起きたか?」
「んー……」
それでも瞼はすぐに下りてしまう。
前髪をそっとかき上げて額に瞼に、小さなキスを幾つも降らせて、腕の中に抱きしめると、とわが目を閉じたまま、オレの背中に腕をまわして抱きついた。
ほどなくして聞えていた寝息に小さく笑って、密着した素肌の気持ち良さにオレも目を閉じて、またしばらく、とわを抱きしめたまま眠った。
ようやく頭がはっきり冴えたのは、昼をとっくに回った時刻で、とわが淹れてくれたあったかい珈琲をふたりでベッドの上で飲んだ。
「ねえ、ともひろ……」
素肌にブランケットを巻きつけたまま、すすっていたマグカップからとわが顔を上げた。
「昨日のは、もしかして……、妬いてくれてたの?」
「そうだよ」
悪いか。
素直に認めたオレの言葉に、とわが一瞬、きょとんと目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
「…私だって。悔しかったよ。婚約指輪を外していったことも、ともひろに恋人だってことを黙っててって言ったことも、ずっと後悔してた。でも、言った手前引けなくて……。寂しさを紛らわすために、お酒もたくさん飲んじゃった。ほんとは自分が一番悪いんだって、気づいてたのに素直にそれを認められなくて……。ともひろが、女の子に囲まれてるのを見るのがすごくイヤだった。誰にでも笑顔を振りまかないで。そっち見ないで。鈴にまで……嫉妬した自分が嫌でたまらなくて」
「オレは最初から、とわしか見てない。もう、とわしか欲しくないから、変な心配するな」
「……うん。ちゃんとわかってたのに……。ごめんなさい」
「もう他の男についていくなよ、いいな?」
「うん。約束する」
素直に頷いたとわの手からマグカップを取り上げて、抱きしめた。
軽く顎を持ち上げて、ついばむようなキスを何度も繰り返す。
くすぐったそうに、満足そうに笑いながら、頬を摺り寄せてくる彼女はいつになく素直で可愛くて、小さな体ごと強く抱きしめた。
腕の中でとわが笑う。
「タケルと寧々ちゃん見てたら、羨ましくなちゃった……。私たちも、早くあんなふうになりたいね」
「……式、早めようか」
「え…?」
「それとも籍だけ、先に入れるか?」
オレも早く、とわのすべてを手に入れたい。
幸せそうな笑顔を見てたら、いつも思う。
名前を呼んだら振り向いて、手を伸ばしたら握り返して、笑いかけたら一緒に微笑んでくれる。
とわが隣で笑ってくれさえすれば、他にはなにも望まない。
それが一番の幸せ。
”幸せはキミの隣”だということ。
*END*
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